
子どもが巣立った日、流した涙を返して!
4月も終わると言うのに、ようやく冬物を片付ける。
お気に入りのベージュでチェックのマフラー。これも洗濯して片付けようか。
シミが残るマフラーを手に取りながら、まだ肌寒かった1ヶ月前を思い出す。
そろそろ、引っ越しだったよね。いつ?
今日だよ。業者が来てくれるから机やベッドは運んでもらえるから。
今年の春、無事に大学を卒業し就職することになった子どもは、春を目前とした3月の中頃に我が家から巣立っていくことになった。
生まれてこれまで、1年間の浪人を含めた23年。ずっと一緒に暮らしてきた日常が変わろうとしていた。1人暮らしの部屋は遠くなく同じ都内だけれど、就職する会社の家賃補助が良かったので、この機会に親子で話し合い独立することになった。
今、家を出ないと出る機会がなくなるしね。
そうだよね。
でも、それが突然今日なのかと、心の中が慌てふためいている。確かに子どもは引っ越しの日を私に伝えていたことは覚えている。それをカレンダーに書かなかった私が悪い。でも、今日なのか。
今日、仕事だから、と言いかけると、
大丈夫だよ、自分で出来るから。
バタバタと朝の支度を終えた私は、いつものように駅へと向かった。何だか涙がながれてくる。ヤバイ。まぶたを服の袖で拭った。
駅のホームはいつもと変わらず通勤客で溢れかえっている。そして、いつもと変わらず、次から次へと電車が到着し、乗客をぎゅうぎゅうに詰め込んで走り去っていく。
そんないつもと変わらない光景。
目の前のいつもの景色に、私だけ置いてけぼりにされたような感覚だった。
仕事中は気がまぎれた。子どもの引っ越しを思い出すこともなく、あっという間に一日の仕事が終わった。帰ろうか。
そうか、今日からもう、子どもはいない。
職場を出て駅へと歩き始めると、涙が止まらなくなった。次から次へと溢れだし、人間って、こんなに涙が出るのかと自分でも驚くほどだった。でも、止まらない。
3月の東京は肌寒く、襟元のマフラーが溢れ出た涙を隠してくれた。
いつもと変わらない駅のホーム、いつものように当たり前の顔をして、時間通りに普段と何一つ変わらずに走ってくる電車。電車って、こんなに日常を感じる乗り物だったのかと改めて思うと、涙が再びあふれ出した。
寂しい訳でない。子どもの独立は喜ばしい。全力で応援しているし、悩みがあれば相談できる親子でいたい。そう思っている。
でも、生まれた瞬間から今までの時間。成長と共に距離を置きながらも、家の中には子どもがいる空気感があった。それは私にとっての当たり前の日常であり、これが変わるのを体験するのは私も初めてだった。
子どもの独立は、こんなに感じるものなのか。
日常が変わるとは、こんなに感じるものなのか。
いつものように電車に乗り、いつものように乗り換え、いつものように家へと向かう。たっぷりと涙を吸収したマフラーはぐしょぐしょで洗濯しないといけない程になっていた。明日もきっと寒いよね、そう思った。
とぼとぼと歩いて家に着こうとした時、
あれ、電気がついている?
いつものように玄関をあけると、愛犬が散歩に連れていってと、騒ぎだす。はいはい、と心の中で返事する。
愛犬を連れに行くと、足音。ん?
今日は家で寝るから!
涙が一気に渇きあがった瞬間だった。
それならそうと、初めから言ってよねと、言いたくなる気持ちは何とか抑えたけれど、流した涙でぐちゃぐちゃの顔は存在しており、思わず口から言葉がでた。
流した涙を返してよ、全くもう。
愛犬と、暗くなった道路を散歩して思った。
もしかして、子どもはわざと帰って来たのではないか。
翌日からは、本格的に新居での生活を始めた子ども。
もう、私の涙が流れることはなかった。
