
壊れたものを放っておけない人|七瀬灯について
七瀬灯は、壊れたものを見ると放っておけない人です。
けれど、彼女は壊れたものを前にして、すぐに「原因はこれです」と言うタイプではありません。
まず黙って見ます。触ります。少し待ちます。
そのものがどこで無理をしているのか。
どこで声を出せなくなっているのか。
まだ動きたいと思っているのか。
そういうことを、まるで相手に聞くように確かめていく人です。
灯にとって修理は、勝ち負けではありません。壊れたものをねじ伏せることでも、正しい知識で相手を黙らせることでもない。
誰かが使ってきた時間や、誰かが込めた手つきや、もう言葉にできなくなった小さな困りごとを、できるだけそのまま受け取ること。
そして、次に動き出せる場所まで、そっと連れていくこと。
そういう人として、灯はだんだん輪郭を持ちはじめました。
最初から、彼女を物語の中心にするつもりだったわけではありません。
もともとは、基本情報技術者試験をノベルゲームのように学ぶための登場人物の一人でした。いくつかのルートがあって、それぞれ違うキャラクターと出会いながら、技術の知識に触れていく。そんな構想の中にいた一人です。
けれど書いているうちに、灯だけが少しずつ予定から外れていきました。
彼女は、物語の中で大きな声を出す人ではありません。自分の気持ちを器用に説明できる人でもありません。むしろ、言葉にするより先に手が動いてしまう人です。
古いテスターを持つ。
基板を覗き込む。
止まった時計に耳を近づける。
誰かが使ってきたものを、すぐには捨てない。
そういう小さな動きの積み重ねの中に、灯という人物がいました。
たぶん僕は、灯に「技術者としての理想像」を少し託していたのだと思います。
派手な発明をする人ではありません。
天才的なコードを書く人でもありません。
でも、目の前で止まっているものに対して、ちゃんと耳を澄ませることができる人です。
これは、機械だけの話ではないのかもしれません。
人も、仕事も、プロジェクトも、会社も、地域も。
外から見ると「壊れている」「うまくいっていない」と片づけられてしまうものの中には、本当はまだ、誰にもきちんと聞いてもらえていない声があるのかもしれない。
灯は、そういう声のほうへ自然に手を伸ばしてしまう人物です。
だから、物語の中で湊は、彼女に惹かれていきます。
それは恋愛感情でもありますが、同時に、ものの見方に惹かれているのだと思います。
壊れたものを責めないこと。
止まったものの前で、すぐに結論を出さないこと。
動かなくなった理由を、そのものの側に立って考えてみること。
湊は、灯のそういう手つきを見ながら、技術というものを少しずつ学んでいきます。
そして社会人になってからも、大規模システムの現場で、人と人、会社と会社、会議室と現場のあいだに立ちながら、どこかで灯の手つきを思い出している。
この作品で書きたかったのは、もしかすると「灯のような人がいる世界」だったのかもしれません。
壊れているように見えるものを、すぐに切り捨てない。
古いから、効率が悪いから、面倒だからといって、そこに積もってきた時間までなかったことにしない。
それでも、過去に閉じこもるのではなく、次に動き出すための形を探していく。
灯は、そういう意味で「修理する人」であり、「受け継ぐ人」でもあります。
書き始めたとき、彼女がここまで物語の中心になるとは思っていませんでした。
でも、気づけばこの小説は、灯の手つきに導かれるようにして、一本の長編になっていました。
もし読んでくださった方の中に、灯の不器用さや、静かな強さや、壊れたものを放っておけないところが少しでも残っていたなら、とても嬉しいです。
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