
忘れないためのnote
私には一緒に暮らすおばあちゃんが2人いた。
腰が丸く小さくなった曾祖母と背の高かった祖母。
小っちゃいおばあちゃんと大きいおばあちゃんと
呼んでいた。
小っちゃいおばあちゃんは部屋で寝ているか
縁側に座って庭を眺めている姿しか覚えていないが
大きいおばあちゃんは私にとって、なんでも出来る人だった。
自転車の乗り方を教えてくれたのも、鉄棒も
竹馬も縄跳びも算数も車の運転のコツも
教えてくれたのは大きいおばあちゃんだった。
私が幼稚園の時に小っちゃいおばあちゃんは
亡くなった。大きいおばあちゃんもいつかは
死んでしまうのかと考えると、鼻の奥をツンと突くような痛みを感じた。
将来はおばあちゃんの体を良くする人になりたいと今の仕事を選んだ。
昔から祖父母の肩たたきをするのが好きだった。
学校を卒業し、社会人になった私は祖母の元へ
帰らなかった。
子どもの頃の理想はすっかり忘れていた。
お金を稼ぐようになり、一人暮らしで私が自由に
なるに連れ、祖母の身体はどんどん不自由になっていった。
帰省するたび「こっちへ戻って来なさい」
「早く花嫁姿が見たい」
祖母からそう言われるのが嫌で次第に祖母の部屋へ運ぶ足は遠くなった。
そんな時、祖父が脳梗塞で倒れ、同時期に祖母が
レビー小体型認知症になった。
レビー小体型認知症がどんなものかは知っていた。
しかし、私は祖母が幻聴を聞いたり幻覚を見たり
する姿を直視できなかった。
なんでも出来た、沢山のことを教えてくれた祖母が私に理解できないことをうつろな目で話している。
病気だから仕方がない。
そんな風には思えなかった。
耐えられなかった。
祖母から逃げるように私は九州へ引っ越した。
私が九州から京都へ引っ越し、暫くしてから
祖母は施設に入った。
月に一度は必ず帰省したが、祖母に毎回は会いに
行けなかった。
背が高く、ふくよかだった祖母は、小さく折れて
しまいそうなほどに瘦せていた。
口からの食事はもうできなくなっていた。
「おばあちゃん」という呼びかけにも、「帰りたい」「おなかすいた」と繰り返すだけだった。
違う日には、なにも言わずただ私を目で追った。
その目がどうしても責められているように思えて
ならなかった。
私の記憶の中の、大きいおばあちゃんが消えていく
ようだった。
祖母に長生きしてほしくて選んだ仕事。
大好きな祖母はほったらかしで、他人の身体のことを考えている。
祖母に会った後はいつも苦しかった。
いつか後悔すると分かっていた。
それでも出来るだけ会いたくなかった。
そんな日々が続いた。
今年の冬、予定していなかったが実家に帰り
祖母に会いに行った。
部屋に入ると珍しく起きていた祖母は
私の「おばあちゃん」という声に反応し
聞き取れない声でなにかずっと話していた。
優しい顔だった。私の記憶の中の
大きいおばあちゃんだった。
「おばあちゃん、ほなな」
そう言って部屋を出た。
翌日の早朝に祖母は亡くなった。
京都の自宅で母からの電話で知らせを聞いた。
静かな朝だった。
隣で寝ていた彼女が「おばあちゃん?」と悲しい顔で聞いた。
後悔した。
祖母から逃げた私は、泣いてはいけないと思った。
葬儀は二日後に行うと聞いた。
すぐに帰ると言ったが
「あんたはすることないし職場に迷惑かけるから
仕事に行きなさい」と母に言われた。
仕事が終わってすぐに実家へ帰った。
仏間で寝ている祖母の頭を「お帰り」と撫でた。
家族がいなくなり、祖母と二人きりになったときに泣いた。
待っていてくれてありがとう、ごめんと。
その日は出来る限りの時間を祖母と過ごした。
最後に会った日、私が帰ったあと
祖母はベッドの上で天井を見ながら泣いていたと
施設の職員さんから聞いた。
どんな気持ちだったのだろう。
仏壇の前で手を合わせながら、考えても出ない答えを今もまだ探してしまう。
