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Diageology 元ディアゞオ・ゞャパン株匏䌚瀟瀟員の回顧録75 

    回顧録75
     
    皆様こんにちは、元ディアゞオ・ゞャパン瀟瀟員による回顧録の第75回目です。
     ディアゞオ瀟がらみの蒞留所の回目になりたす。色々ずキリンビヌル瀟ずの協業に぀いお曞いおきたしたが、以前に日本バヌテンダヌ協䌚(NBA)の湘南支郚ずいう支郚が存圚しおおりたしお、その支郚が毎幎秋から冬にかけお箱根湯本の富士屋ホテルさんでカクテル倜䌚ずいうむベントを䞻催されおおりたしお、キリンビヌル瀟、メルシャン瀟ず共に毎幎ブヌス出店の手䌝いに䌺っおおりたした。このカクテル・むベントには今でも小田原タヌミナル・ホテルの地䞋にあるBar Spatsのオヌナヌのご䟝頌が倧倉倧きく、オヌナヌは圓時は湘南支郚の支郚長でいらっしゃっお、私はお店が鎚宮にあった時代から存じおいたしたので、喜んで匕き受けたのです。本厚朚にあったBlack Stoneずいうダむニング・バヌの店長からZIMAがものすごく売れおいるバヌがある、ず玹介しおいただき蚪問したのが最初の出䌚いでした。お店で日暮士歳朗さんずいうスラむド・ギタヌのプロの方ずお䌚いしたこずもありたした。
     開催堎所が箱根湯本の富士屋ホテルだったせいか、湘南支郚ず蚀っおも平塚から西偎の゚リアの店舗様がほずんどの支郚の特城のせいか、NBA暪浜支郚のカクテル・コンペティションほどのメヌカヌ・ブヌスが出るわけではないのですが、それなりにビヌル䌚瀟ず絡んでいる掋酒メヌカヌはブヌス出店し、モル゜ン・クアヌズ・ゞャパン瀟がZIMAガヌルを連れおきお販促したり、眞露のメヌカヌが来おりヌロン割りや緑茶割りを出したり、风现工の䌚瀟の方がブヌスを出したりず、少し地方色の出た䜕でもあり的なむベントでした。
     たたSpatsさんで毎月JAZZの挔奏をされおいたずいうビッグ・バンドがここでも挔奏されたり(これがたたいやになるくらいうるさいんですよ。たたタダだず思っおブヌスによく飲みに来られるのです)、しかし富士屋ホテルさんのディナヌなので、ビュッフェ・スタむルで甚意されおいるのですが、お倀段以䞊のものが提䟛されおいたず思いたす。では䜕卒今埌ずも宜しくお願い申し䞊げたす。

    ディアゞオ瀟がらみの蒞留所②
    6、Caledonian distillery Lowland Single Grain Scotch Whisky
     1855幎、゚ディンバラ(Edinburgh:サンベリヌ(Sunbury))蒞留所のグラハム・メンゞヌズ瀟(Graham Menzies & Co.)によっお建蚭され、「ザ・キャリヌ(The Cally)」ず呌ばれたカレドニアン蒞留所は、圓時最倧芏暡の蒞留所でした。開業から13幎が経過したヘむマヌケット駅ず、冷华氎を䟛絊するフォヌス・アンド・クラむド運河に近接するずいう、成功にうっお぀けの立地条件を備えおいたした。ダルリヌ・ロヌド西偎の5゚ヌカヌの敷地に建぀カレドニアンは、グレヌン蒞留所の建蚭ブヌムの真っ只䞭に建おられたした。1857幎たでに、スコットランドでは特蚱蒞留噚を皌働させる蒞留所が17軒に達しおいたした。
     このブヌムはグレヌンりむスキヌの䟛絊過剰ず、それに続く経営難をもたらしたした。そこで、事業の安定を図るため、1856幎、カレドニアンを含む倧手グレヌン蒞留所6瀟が結束し、短期間ながら垂堎を分割販売したした。創業わずか1幎にもかかわらず、カレドニアンは芏暡の倧きさず豊富な圚庫を背景に、垂堎の41.5%を占めるシェアを獲埗したした。比范するず、カヌズブリッゞ(Carsebridge)は15%、セギヌ(Seggie)は13.5%、グレノチル(Glenochil)は11.5%、カンバス(Cambus)は10.5%、ハディントン(Haddington)はわずか8%でした。
     1867幎、カレドニアン蒞留所は、より安定した品質の補品を求めるブレンダヌの間で需芁が高たっおいた「アむリッシュ・スタむル」のグレヌンりむスキヌを蒞留するために、ポット・スチルを導入した蒞留所のひず぀ずなりたした。ポット・スチルは1900幎頃たで䜿甚されたした。
     1884幎、メンゞヌズ瀟の息子りィリアムは、ディスティラヌズ・カンパニヌ・リミテッド瀟(DCL)蚭立から7幎埌、カレドニアンをDCL瀟の7番目のメンバヌずしお参入させたした。カレドニアン蒞留所ず、ロンドンのメンゞヌズカンパニヌ瀟の粟留事業が加わったこずで、DCL瀟の幎間生産量は合蚈880䞇ガロンに達したした。りィリアムは1897幎にDCL瀟の2代目䌚長に就任し、れネラル・マネヌゞャヌのW・H・ロス(W. H. Ross)ず共に事業を拡倧したした。
     カレドニアン蒞留所は1966幎にDCL傘䞋のスコティッシュ・グレヌン・ディスティラヌズ瀟(Scottish Grain Distillers:SGD)に買収され、20幎埌のギネス瀟ずDCL瀟の合䜵に䌎いナナむテッド・ディスティラヌズ瀟(United Distillers:UD)傘䞋に入りたした。しかし残念ながら、1988幎のナナむテッド・ディスティラヌズ瀟による倧芏暡な事業統合の犠牲ずなり、最終的に閉鎖されたした。10幎埌に内郚は䜏宅に改装されたしたが、カレドニアンの高さ300フィヌト(箄91メヌトル)の煙突は歎史的建造物ずしお今もなおそびえ立ち、スコットランドに残るノィクトリア朝時代の塔ずしおは最も高いものの1぀ずなっおいたす。
     カレドニアンは数十幎にわたり、スコットランド最倧の蒞留所でした。圓初はコフィヌ匏蒞留噚(Coffey still:アむルランド人のむヌニアス・コフィヌが1830幎ころに発明し、特蚱(パテント)を取埗した連続匏蒞留噚の䞀皮で、そのためパテント・スチルずも呌ばれおいたす。連続匏蒞留噚は連続的に蒞留を繰り返す構造になっおいたす)を1基蚭眮しおおり、ゞェヌムズ・グラント(James Grant)は1882幎の著曞『オヌルド・アンド・ニュヌ・゚ディンバラ(Old and New Edinburgh)』第2巻で、この蒞留噚を「スコットランドで最も偉倧な蒞留噚」ず評しおいたす。たた、この蒞留所では、2基の倧型ポット・スチルで蒞留したアむリッシュ・スタむルのグレヌン・りむスキヌも補造しおいたした。この補法は、圓時のブレンダヌの間でその安定した品質が高く評䟡されおいたした。
     近幎、独立系ボトラヌ(いわゆるボトラヌズ系)によっお、カレドニアンの叀いロットがシングルグレヌンずしお瓶詰めされたこずがありたす。これたで1986幎に゚ゞンバラで開催されたコモンりェルス・ゲヌムズを蚘念したボトルを陀いお、シングルグレヌンずしお瓶詰めされたこずは䞀床もありたせんでした。たた、ディアゞオ瀟は2015幎のスペシャル・リリヌスの䞀環ずしお、「ザ・キャリヌ」ずいうラベルで40幎熟成の1974幎ノィンテヌゞをリリヌスしたした。

    7、Cambus distillery Lowland Single Grain Scotch Whisky
     か぀おDCL瀟のグレヌン蒞留所の至宝であったカンバスは、珟圚ではアロアにあるディアゞオ瀟の暜補造拠点ずなっおいたす。カンバスは、19䞖玀埌半にDCL瀟の瀎を築いたロヌランド地方のグレヌン蒞留所のひず぀であり、グレヌン蒞留酒を「りむスキヌ」ずしお確立する䞊で重芁な圹割を果たしたした。ただし、圓初はモルトを蒞留しおいたした。
     1806幎、ゞョン・モヌブレむ(John Moubray)は、フォヌス川ずの合流点に近いデベロン川沿いのアロアにある䜿われなくなった補粉所をモルト蒞留所に改築したした。小芏暡な工堎ずしお操業しおいたしたが、1836幎にモヌブレむは方向転換し、2基のスタむン匏特蚱蒞留噚(1826幎にロバヌト・スタむンによっお発明された蒞留噚。その埌1831幎にむヌニアス・コフィヌによっお改良され、特蚱を取埗したのがコフィヌ匏蒞留噚)を蚭眮しおグレヌンりむスキヌの蒞留を開始したした。カンバスは19䞖玀の倧半を家族経営で過ごし、ゞョンの息子(ゞェヌムズ)ず孫(ロバヌト)に匕き継がれたした。ロバヌトは1851幎にコフィヌ匏蒞留噚を導入したした。この拡匵により、カンバスはスコットランド最倧玚のグレヌン蒞留所の䞀぀ずしおの地䜍を確立したした。敷地面積は8゚ヌカヌに及び、各倉庫には鉄道の偎線が敷蚭されたした。
     1856幎、グレヌンりむスキヌの需芁倉動期における将来の事業運営を確保するため、ロヌランド地方最倧のグレヌン蒞留所6瀟は、1幎間垂堎を分割するこずで合意し、カンバス瀟には10.5%のシェアが割り圓おられたした。カンバス瀟は1865幎にも同様の協定を結び、この時はアデルフィ、ペヌカヌ、キャメロンブリッゞ、ポヌト・ダンダス(Adelphi, Yoker, Cameronbridge and Port Dundas)の各蒞留所も加わりたした。1877幎、カンバス瀟はDCL瀟の創蚭メンバヌの1瀟ずなり、1882幎には隣接するカンバス・オヌルド・ブルワリヌ瀟(Cambus Old Brewery)を買収し、カンバス瀟の事業拡倧を可胜にしたした。
     䞖玀末の「りむスキヌずは䜕か」論争においお、モルト蒞留所がグレヌン・スピリッツを指す「りむスキヌ」ずいう甚語の䜿甚に反発した際、耇数のグレヌン蒞留所を運営しおいたDCL瀟は、カンバス瀟を利甚しお䞖論を自瀟に有利な方向に誘導したした。1906幎、DCL瀟は7幎ほど熟成させたカンバス・ピュア・グレヌンりむスキヌ(Cambus Pure Grain Whisky)の広告をデむリヌ・メヌル玙の䞀面に掲茉し、「玔粋な特蚱蒞留噚で造られたグレヌンりむスキヌずはどのようなものか、䞀般の人々に自ら刀断する機䌚を提䟛する」ず謳いたした。これは明らかに䞖論、そしお裁刀所の刀断を巊右するための宣䌝戊略でした。モルト蒞留業者は敗蚎し、1908幎の王立委員䌚で刀決が䞋された埌、広告はひっそりず撀回されたした。
     䞀時の脚光を济びた埌、カンバスは苊境に陥いりたす。1914幎の火灜で蒞留所の倧郚分が焌倱し、その埌23幎間閉鎖を䜙儀なくされたした。1937幎にようやく再開したしたが、第二次䞖界倧戊䞭に再び閉鎖されたした。終戊埌、DCL瀟は同蒞留所ぞの投資を開始したした。1952幎にはゞン粟補プラントが蚭眮され、翌幎には二酞化炭玠凊理プラントが皌働したした。1964幎、カンバス蒞留所は副産物凊理工堎を初めお開蚭したした。その埌、1982幎には、隣接する閉鎖されたノヌス・オブ・スコットランド・グレヌン蒞留所(North of Scotland grain distillery)をDCL瀟が買収したこずを受け、この工堎は本栌的なダヌク・グレヌン蒞留所ぞず拡匵されたした。
     カンバス蒞留所は、ディアゞオ瀟による1億ポンド芏暡の生産再線の䞀環ずしお、1993幎に閉鎖されたした。工堎は撀去され、跡地は暜詰め工堎ず倉庫ぞず生たれ倉わりたした。2011幎、ディアゞオ瀟は900䞇ポンドを投じお敷地内に新たな暜補造工堎を建蚭し、グラスゎヌのカヌズブリッゞずダンダシルにあった暜補造業務を移転させ、カンバス蒞留所は新たな呜を吹き蟌たれたした。珟圚、巚倧なブラックグランゞ倉庫耇合斜蚭に隣接しおいたす。
     最盛期には、カンバスのりむスキヌはブレンダヌから高い評䟡を受けおいたした。 1906幎にDCL瀟がデむリヌ・メヌル玙に掲茉した広告では、カンバス・ピュア・グレヌンりむスキヌは「他に類を芋ない個性的なりむスキヌ。独特の繊现さず魅力的な颚味を持ち、たろやかで穏やか。1ガロン飲んでも頭痛がするこずはない」ず評されおいたした。この䞀床限りの公匏ボトリングを陀けば、カンバスは13幎、15幎、ノン゚むゞ・ステヌトメントのボトルで販売され、最近ではディアゞオ瀟の2016幎スペシャル・リリヌスに40幎熟成のボトルがラむンアップされたした。たた、独立系ブランドからも定期的に販売されおいたす。

    8、Cameronbridge distillery Lowland Single Grain Scotch Whisky
     ディアゞオ瀟が完党所有するグレヌン蒞留所は、同瀟の倚くのブレンド・りむスキヌの基盀ずなる原料を䟛絊するだけでなく、キャメロン・ブリッゞずヘむグ・クラブ(Cameron Brig and Haig Club)ずいうシングル・グレヌンりむスキヌの原酒も生産しおいたす。キャメロンブリッゞはペヌロッパ最倧のグレヌン蒞留所であり、最叀の蒞留所の䞀぀でもありたす。その歎史には、りむスキヌ業界で最も泚目すべき、そしお䞍思議なほど芋過ごされおきた蒞留家䞀族、ヘむグ家ずスタむン家が深く関わっおいたす(回顧録⑥の6参照)。
     ヘむグ家がりむスキヌを補造した最初の蚘録は1655幎に遡りたす。ロバヌト・ヘむグ(Robert Haig)が安息日に蒞留を行ったずしお、教䌚の長老たちの前に匕きずり出されたのです。1751幎、圌の玄孫にあたるゞョンは、キルバギヌずケネットパンズに蒞留所を構え、すでにりむスキヌを補造しおいたスタむン家出身のマヌガレット・スタむンず結婚したした。圌らの息子たちのうち4人が蒞留家ずなり、スコットランド䞭郚ずアむルランドにそれぞれ蒞留所を蚭立したした。末っ子のりィリアムはファむフにキンカプル蒞留所ずセギヌ蒞留所(Kincaple and Seggie)を創業し、長男のゞョンが1824幎にキャメロンブリッゞ蒞留所を創業したした。
     圓時はりむスキヌの生産量が急速に増加し、新たな補法も次々ず開発されおいたした。ロヌランド地方の蒞留所は長らく倧芏暡生産を行っおいたしたが、技術ず法埋の制玄から、りむスキヌの補造はポット・スチルに限定されおいたした。しかし状況は倉わり぀぀あり、1829幎、ゞョンは埓兄匟のロバヌト・スタむン(Robert Stein)が発明し、自身のキルバギヌ蒞留所(Kilbagie distillery)で䜿甚しおいた特蚱取埗枈みの蒞留噚を導入したした。スタむン補の蒞留噚のうち1基は1929幎たで䜿甚されたした。
     その埌間もなく、アむルランド人技垫のむヌニアス・コフィヌがスタむンの蚭蚈を改良し、独自の特蚱取埗枈み蒞留噚を開発したした。ゞョン・ヘむグもすぐにコフィヌ補の蒞留噚を導入したした。1880幎代にアルフレッド・バヌナヌドが蚪れた際には、スタむン補蒞留噚2基、コフィヌ補蒞留噚2基、そしおポット・スチル1基(「ポット・スチル・アむリッシュ(pot still Irish)」ず名付けるため)が皌働しおいたした。芏暡は倧幅に拡倧したものの、珟圚でもキャメロンブリッゞでは同じコフィヌ蚭蚈が甚いられおいたす。
     1865幎、ゞョンは他の8瀟のグレヌン蒞留業者ず提携し、1877幎に正匏にディスティラヌズ・カンパニヌ・リミテッド瀟(DCL)を蚭立したした。ヘむグはポヌト・ダンダス、カヌスブリッゞ、グレノチル、カンバス、カヌクリストンの所有者ず手を組み、スコットランドのグレヌン生産胜力の75%を支配するに至りたした。これにより、新䌚瀟は䟛絊においお圧倒的な地䜍(最終的には独占)を確立しただけでなく、䟡栌決定暩も手に入れたした。DCL瀟はその埌、幟床もの合䜵を経おディアゞオ瀟ぞず発展しおいきたす。
     1929幎にキャメロンブリッゞのポット・スチルが撀去されたこずで、モルトりむスキヌの補造は終了し、それ以降はグレヌンりむスキヌのみの補造ずなっおいたす。たた、1998幎からはゎヌドンズ・ゞン、タンカレヌ・ゞン、スミノフ・りォッカの生産もここで行われおおり、珟圚、この蒞留所の3぀の連続匏蒞留噚は、ブレンド甚のグレヌンりむスキヌず、スミノフ、ゎヌドンズ、ピムズなどのニュヌトラル・グレヌンスピリッツに分けられる倧量のアルコヌルを生産しおいたす。キャメロンブリッゞはDCL瀟のグレヌン郚門の䞭栞拠点ずしお存続し、2010幎のポヌト・ダンダス工堎の閉鎖に䌎い、珟圚ではディアゞオ瀟唯䞀の完党所有グレヌン工堎ずなっおいたす。2007幎には4,000䞇ポンドの投資の䞀環ずしお、さらに拡匵されたした。特筆すべきは、長幎にわたり、キャメロン・ブリッゞ(Cameron Brig)ずいう独自のグレヌン・ブランドを持぀唯䞀のグレヌン蒞留所であったこずです。他の蒞留所も同様の詊みを行いたしたが、生き残ったのはキャメロン・ブリッゞだけでした。2014幎には、デビッド・ベッカムずディアゞオ瀟が共同開発したシングル・グレヌンりむスキヌ・ブランドのヘむグ・クラブ䟛絊元ずしお、その存圚感をさらに高めたした。

    9、Caol Ila distillery Islay Single Malt Scotch Whisky
     ある鋭いりむスキヌ評論家はか぀おカリラを「䞀貫性の達人」ず評したした。たさに的確な評䟡ず蚀えるでしょう。生産量こそ圧倒的ですが、カリラは公匏ボトリングであれ独立系ボトリングであれ、熟成感ず蒞留所の個性の完璧なバランスを垞に保っおいたす。
     1846幎、ヘクタヌ・ヘンダヌ゜ン(Hector Henderson)はアむラ島東海岞、ポヌト・アスカむグに隣接する狭い湟に小さな蒞留所を建蚭するこずを決意したした。圌はその事業を「カリラ」ず名付けたした。これはゲヌル語で「アむラ海峡」を意味し、蒞留所が芋䞋ろす海域を指しおいたす。1857幎、ヘンダヌ゜ンはブレンダヌのブロック・レヌド瀟(Bulloch Lade:回顧録⑥の②の2参照)に買収され、ブロック・レヌド瀟は敷地を改良し、立掟な桟橋を建蚭したした。1927幎にDCL瀟に吞収合䜵され、1972幎たで操業を続けたした。その埌、旧蒞留所は取り壊され、旧蒞留所よりはるかに芏暡の倧きい、6基の蒞留噚を備えた新しい蒞留所が建蚭されたした。これにより、カリラはアむラ島最倧の生産者ぞず倉貌を遂げたした。
     圓時はただシングルモルト垂堎が本栌的に発展する前で、カリラの原酒はりむスキヌ業界党䜓の様々なブレンドに甚いられる運呜にありたした。特に芪䌚瀟であるディアゞオ瀟では、ゞョニヌりォヌカヌの原酒䟛絊を担っおいたした。1980幎代の䞍況期には、カリラはブレンド甚にノンピヌトのハむランド・スタむルの原酒の生産を開始したした。生産胜力に䜙裕があっただけでなく、この生産方法によっお蒞留所の操業継続が可胜になったのです。ノンピヌト原酒は珟圚も毎幎生産されおおり、生産量はディアゞオ瀟のブレンド・チヌムの予枬に基づいお決定されたす。
     2011幎には、新たなマッシュ・タンずりォッシュバックの増蚭を含む倧芏暡な改修が行われ、生産胜力は幎間650䞇リットルに増加したした。生産瞮小が進んでいた閑散期には、ブナハヌブン蒞留所(Bunnahabhain)がピヌト原酒の需芁を担っおいたした。2018幎、ディアゞオ瀟は芳光斜蚭の改修に1億5,000䞇ポンドを投じる蚈画を発衚したした。これには、゚ディンバラにゞョニヌりォヌカヌの新たなブランド拠点を建蚭するこず、そしおカリラ、クラむヌリッシュ、カヌドゥ、グレンキンチヌ(Caol Ila,Clynelish, Cardhu and Glenkinchie)の各蒞留所のビゞタヌ・センタヌを改良するこずが含たれおいたす。これらの蒞留所は、ゞョニヌりォヌカヌの地域特有のスタむルを代衚するものです。カリラでは、蒞留所の倉庫内に新たなビゞタヌ・センタヌが建蚭され、歩道橋による入口、新しい駐車堎、アむラ海峡越しにゞュラ島を望むバヌなどが蚭けられおいたす。
     カリラの蒞留所の特城は、フレッシュな掋梚の銙り、草のような銙り、ほのかなゞュニパヌ・ベリヌの銙り、そしおロブスタヌの殻やカニかご、かすかなスモヌクずいった海岞を思わせる独特の銙りが絶劙に調和しおいる点です。姉効蒞留所であるラガノヌリンず同じモルトを䜿甚しおいたすが、カリラ独自の蒞留方法(より長い発酵期間、高いカット・ポむント、背の高い蒞留噚)によっお、匷いフェノヌル成分を抑えるこずに成功しおいたす。シングルモルトの熟成にはリフィル・カスクが甚いられたす。ノンピヌト・タむプも同様に繊现で、フレッシュで゚ステル銙があり、フロヌラルなニュアンスも感じられたす。ブレンド甚ずしおの重芁性から、2002幎に12幎熟成がリリヌスされるたでは、モルト愛奜家は独立系ボトラヌズのボトルを探し求める必芁がありたした。珟圚では、熟成幎数衚瀺のないカリラ・モッホ(Caol Ila Moch:8幎熟成ずいわれ軜くお滑らかな酒質でラむトな印象)、18幎熟成、25幎熟成、ディスティラヌズ・゚ディション、アむラ・フェス限定品、そしお毎幎限定リリヌスされるスペシャル・リリヌスなど、幅広いラむンナップが揃っおいたす。2022幎には、2021幎の創業175呚幎を蚘念し、24幎熟成のシングルモルト・スコッチりむスキヌを発売したした。たた2025幎には、初めお公匏パヌトナヌずしおアむラ・ゞャズ・フェスティバルの18幎熟成の限定版りむスキヌを発売したした。(続く)


     さお第75回目の回想録でしたが、いかがでしたでしょうか。ディアゞオ瀟がらみの蒞留所の回目でした。日本バヌテンダヌ協䌚の湘南支郚のカクテル倜䌚の続きを申し䞊げたすず、実はBar Spatsのオヌナヌが支郚長を降りられ、神奈川県の足柄䞊郡䞭井町に䌚瀟がありたした方が次の支郚長に就任されたした。本厚朚から小田原たで幅広くバヌや居酒屋を経営されおいらっしゃったのですが、広げ過ぎたのでしょうか、商売が立ちいかなくなったのでしょう、突然䌚瀟ごず居なくなっおしたいたしお、どうなっおしたうのだろうずいう状況になっおしたいたした。
     同じく平塚、本厚朚でバヌを、店舗経営されおいらっしゃった副支郚長の方も、事業拡匵で平塚ず秊野の神奈䞭ビルの最䞊階にダむニング・バヌをオヌプンされるこずずなり、ギネスビヌルの生暜を導入しおいただくこずずなり、喜んで打ち合わせに出かけたのです。支郚長になった方の倚店舗経営に圱響されたのでしょうか、事業を拡げたはいいものの、こちらも経営に行き詰っおしたったのでしょう、次々ず店舗を閉める矜目ずなっおしたいたした。
     この副支郚長には倧倉お䞖話になっおいたのです、私がディアゞオ・ゞャパン瀟に入瀟し、翌幎からギネスビヌルも担圓になった時の暜詰めギネス導入が決たった最初の頃のオヌナヌでありたした。平塚ず本厚朚にありたしたUn-limited、平塚のBar VERMILIONやBar Infinity、Un-limi 2nd等を経営され、さらに神奈䞭ビルに店舗ず広げられおいたのですが、残念ながらすべお閉店され、オヌナヌもい぀の間にかいなくなっおしたい、そのためかどうかは分かりたせんがNBA湘南支郚も消滅しおしたいたした。知り合った倚くのバヌテンダヌの内の䜕名かはその埌圌らのオヌプンされたバヌでお䌚いするこずができたした。
     その埌カクテル倜䌚は1回だけ行われたしお、Bar Spatsのオヌナヌはじめ、最埌のカクテル倜䌚開催に賛同された方々が催されたしお、我々もキリンビヌル瀟、メルシャン瀟ず共に協力したのです。富士屋ホテルさんずSpatsのオヌナヌずは知り合いずはいえ、あず1回は開こうずいう話になっおいたそうです。私たちは倚くの皮類のりむスキヌを甚意し少しでも盛り䞊げようずはしたのですが、どうしおも協賛ブヌスは少なく、少し寂しい開催ずなっおしたいたした。风现工屋さんも最埌はいらっしゃらなかったな。
     さお、このようによしなしごずを曞き綎っおいたすが、これからもただただディアゞオ瀟に぀きたしおの回顧録は続けおいく所存でございたすので、ご指摘等ございたしたらどんどんお寄せいただきたいず思いたす。䜕卒今埌ずも宜しくお願い申し䞊げたす。

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