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Photo byakanemachi

1985年11月27日からの再出発

  • 割引あり
ぷれこ

ギャラの話をしましょうか 2

『6時のジョッキー』を聞き直していたら、冒頭で前回の放送をお休みしてしまったお詫びをしている回があった。急病で休んだという。ああ、そういえば。当時はそんな病名、存在していなかったけれど、パニック障害だったよな、わたし。
放送を休んで診てもらった大学病院で、老医師が甲状腺疾患と糖尿病を疑ってくれたけれども、検査ではっきりした数値が出ず、心因性と言われただけだった。その後、その両方の病気が出たわけだから、しの先生はとんでもない名医だったなぁと思う。

いやいや、それが書きたかったわけじゃない。
休んでごめんなさいの放送は 1985年12月5日木曜日。
あら!! 今年2024年の12月5日も木曜日じゃないのよ!!
やば~い、こういうシンクロニシティというか数字マジックに気がつくと何かに呼ばれてるような気がするのよねぇ、、

いやいや、問題の12月5日の1週間前は11月28日だ。
その前日

■1985年11月27日

は、
わたしがもう一度、東京で暮らそうと決意した日だ。
と書くとなんだか大げさだけれど、要は二度目に上京した日が11月27日だった。
友だちの誕生日とか、記念日とか、はたまた歴史的事件の年号とか、とにかく数字はことごとく覚えられないわたしにしては11月27日だけは忘れない。それだけ大きな節目だったのだなと思う。
日和見で流されるように生きてきたわたしが、初めて自分の足で立つんだという意志を形にした日だったから。

やっぱり大げさだな。

家出同然で実家を飛び出したようなありさまで、泊まるところもなく、いや、最初はともだちの家に転がり込んだり、小さなビジネスホテルを見つけてなけなしのお金が底をつきそうになるまで滞在してたなどどいうことをいまになって思い出しちゃったゼ。

てことは、東京で暮らすぞ!!と、決意して上京した翌日の放送を休んじゃったってことなのか? あらま~。いやまてよ。東京から長野に行って、放送の準備をしている最中に過呼吸になってぶったおれたような記憶が、いまさらながらモクモクと・・・

 
 
 
記者、インタビュアー、アンカー、対談構成、少女小説家、童話作家、作詞家、エッセイスト、ゴーストライターなど「書く」仕事で40年余。現役引退と思っていたR5年11月、新たな病を得て「ものかきに定年なし」とnoteを始める。生きるために書く。書くために生きる。呼吸するように書く。

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