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リニア開発に潜む「時間軸のバグ」――南アルプスの土と生きる『裸足の百姓』の告発

    ペンネーム:裸足の百姓

    第一章:終わりのないポンプという矛盾

    いま、日本中が注目する巨大国家プロジェクト、リニア中央新幹線。 メディアでは「静岡県とJR東海の対立」といった政治的な側面ばかりが報じられていますが、私たち一般の国民は、その計画の裏側にある「ひとつの厳然たる事実」をほとんど知らされていません。
    先日、私は大井川流域に皆さまへの説明会に足を運びました。
    まず最初にお伝えしたいのは、JR東海の職員の方々に対する深い感謝とリスペクトです。彼らは、一般住民である私の質問に対して、最初から最後まで本当に丁寧に、誠実に対応してくださいました。このような対話の機会をしっかりと設けてくださったこと、そして人々の暮らしを便利にしようと人生をかけて仕事に取り組まれていることには、一人の人間として心からの敬意を表します。彼らもまた、この島国で共に生きる、誠実な私たちの仲間でした。
    しかし、彼らがどれほど丁寧に説明してくださっても、私の胸からどうしても消え去らない、むしろ対話を重ねるほどに深まっていった「一本の問い」があります。
    それは、彼らが提示した最新のシミュレーションと、私たち人間が生きる「自然の時間軸」との間にある、決定的なズレでした。

    「ずっと」とは、何年先のことですか?

    JR側が提示した資料には、緻密な計算に基づいた地図やグラフが並んでいました。トンネル掘削によって大井川の水量が減少する予測に対し、彼らは「減った分の湧水は、先進の技術を使って水温を合わせ、綺麗に浄化して、巨大なポンプと導水路で全量を大井川の河川へ戻します。だから下流の水は減りません」と説明してくれました。
    水質を整え、温度を合わせて戻す。人間が持つ最先端の土木技術の粋(すい)を集めれば、それは可能なのでしょう。
    そこで、私は彼らに問いかけました。 「この水を戻すためのポンプは、一体いつまで回し続けるのですか?」
    「ずっとです」と、彼らは言います。 では、その「ずっと」とは、一体何年先までのことなのでしょうか。50年でしょうか、100年でしょうか、それとも200年先でしょうか。その問いに対して、明確な年数が答えられる人はいませんでした。
    自然の時間軸は、何万年、何億年という単位で、私たちが生まれる遥か前から途切れることなく続いています。それに対して、人間の作った企業の寿命、あるいはリニアというひとつのシステムの寿命は、せいぜい数十年、長くても100年単位の短い時間軸に過ぎません。
    人間は、この先何世代にもわたって莫大な電気を消費し、老朽化するポンプのメンテナンスを続け、水を送り続ける責任を負えるのでしょうか。万が一、この島国をいつでも襲う可能性がある大地震によって電気やポンプシステムが破壊されたら、その瞬間に大井川の循環はどうなってしまうのでしょうか。

    「死んだ水」と「埋めればいい」という発想

    もうひとつ、どうしても気になったことがあります。 人間が技術によって温度を合わせ、綺麗にした水。それは一見、完璧な水に見えます。しかし、地層を長い年月をかけてゆっくりと旅し、目に見えない無数の微生物たちの命のネットワークをくぐり抜けて湧き出る「生きた水」と、機械的に処理されて戻される水は、本当に同じものと言えるのでしょうか。
    それは、生き物としての本来の力を失った、いわば「死んだ水(微生物のいない水)」を作っていることにはならないでしょうか。
    説明の中で、ある職員の方が「もし将来、リニアを使わなくなったら、トンネルを埋めればいい」という趣旨のお話をされました。
    私はその言葉に、深い悲しみを覚えました。 山に巨大な穴を開け、地中の水脈を断ち切っておきながら、「使わなくなったら埋めれば元に戻る」と考えるのは、あまりにも自然をプラモデルのように捉えた、稚拙な発想だと言わざるを得ません。一度引き裂かれた大地の血管は、土を埋め戻したからといって、元の流動を取り戻すわけではないのです。

    声を上げない自然の仲間のために

    彼らは「これまで10年説明を繰り返してきた」「過去にこれだけの新幹線を作ってきた」と、しきりに自分たちの過去の努力を口にされていました。もちろん、その実績は尊いものです。しかし、彼らは自分たちの過去の努力を「無駄にしたくない」という人間の都合に囚われ、100年先、200年先の未来の地球を、本当の意味で見据えていないように私には映りました。
    自然は、人間のように言葉を持って文句を言うことはありません。大井川の清流も、南アルプスの森も、そこに棲む生き物たちも、みんな声を上げない自然の仲間です。
    いま、声を上げられない彼らの未来が、人間の書類の上だけで決められようとしています。
    国家プロジェクトという巨大な濁流を前に、私という百姓の一言は、大河の一滴に過ぎないかもしれません。しかし、これは勝ち負けの戦いではなく、「自分がどう生きるか、未来の子供たちに何を語れるか」という、私自身の正直さの証明です。
    丁寧に対応してくださったJRの方々に改めて感謝しつつも、私はこの「時間軸のズレ」という事実を、一人でも多くの人に知っていただきたいと願っています。

    第二章:人間は土を作れない――1万年の時間軸

    彼らの美しい説明書やシミュレーションの地図をいくら眺めても、どうしても見つけることができなかった、地球で最も大切な「ある命」について書こうと思います。
    それは、私たちが毎日当たり前のように踏みしめている「土」、そしてその中に息づく「土壌菌(どじょうきん)」の存在です。

    現代科学が突きつける「人間は土を作れない」という事実

    日々、畑で土に触れ、作物を育て、自然の循環の中で生きている百姓として、まず皆さんに知っていただきたい厳然たる事実があります。
    現代の科学技術がどれほど進歩し、リニアという超高速の乗り物を作れるようになろうとも、人間は「土」をわずか1グラムすら、ゼロから作り出すことはできません。
    私たちが「ただの泥や砂」だと思っている土は、岩石が何万年もの歳月をかけて風化し、そこに気の遠くなるような数の微生物や植物の遺体が重なり合い、発酵と分解を繰り返して生まれた「奇跡の生命体」です。ほんの地表1センチの土が豊かに育まれるまでに、自然界では100年から数百年の時間が必要だと言われています。
    私たちは、この「人間には決して作れない土」から、食べ物、衣服、住まい、すべての恵みをいただいて生きています。土がなければ、私たち人間は1日たりとも生きていくことができません。
    リニアのトンネル掘削は、この南アルプスの大地を地下深くでくり抜き、山が何万年もかけて築いてきた細い水分ネットワーク(地下水位)を確実に低下させます。
    JR側の資料には、「地下水位は下がっても、目に見える高山植物や希少な動植物(鹿の対策など)の環境保全措置は徹底します」と書かれていました。
    しかし、そこに最大の盲点があります。彼らが語る「生物多様性」の書類の中には、その多様性を根底から支えている「土壌菌」の存在が、最初から完全に抜け落ちているのです。

    「湿度」のわずかな変化が、目に見えない森を殺す

    最新の微生物学や環境生態学では、土1グラムの中に、数十億個から数百億個もの土壌菌(細菌や糸状菌など)が生息していることが分かっています。
    彼らは単に土の中に「いる」だけではありません。植物の根とガッチリと手を結び、人間には分解できない岩石のミネラルを植物が吸える形に変えたり、病原菌から植物を守ったりする、巨大な「生命のインターネット」を地中で形成しています。山に降った雨水が、あの濁りのない、豊かな大井川の清流へと濾過されるのも、この土壌菌たちの代謝とフィルター機能があるおかげです。
    微生物の世界において、最も致命的なのは「湿度(水分量)」の変化です。
    トンネル掘削によって周囲の地下水が引き抜かれ、山の土から湿度が失われて乾燥に向かうとき、地中のバランスは一瞬で崩壊します。 わずか数パーセントの乾燥によって、それまで絶妙なバランスで共生していた特定の土壌菌たちが死滅します。根を支える菌を失った木々は、いくら地上で人間が「保護」しようとも、水を吸う力を失い、静かに立ち枯れていきます。森が枯れれば山の保水力は失われ、やがて川そのものの命が絶たれます。
    JR側は、「出た水は綺麗にして川に戻すから大丈夫」と言います。しかし、その水は地中の土壌菌ネットワークをくぐり抜けていない、いわば「生きたプロセスを奪われた水」です。
    目に見える大きな生き物や植物だけを守れば、自然のバランスが維持できると考えるのは、あまりにも自然に対する知識と理解が足りないと言わざるを得ません。根幹である土の中の微生物を見ずに、表面だけの「ネイチャーポジティブ(自然へのプラス貢献)」を謳うのは、科学の服を着た、人間の傲慢ではないでしょうか。

    知らないからこそ、できる所業

    自然は人間のように言葉を持たず、文句を言わないからこそ、人間は「自分たちの作った書類」の正しさを過信してしまいます。
    「自然を見ずに、自分たちの作り上げた説明を信じている」
    説明会で職員の方々と対話しながら、私はそんな悲しさを強く抱きました。 土がどうやって生まれ、目に見えない命がどうやって水を育んでいるのか。その根源を「知らない」からこそ、何食わぬ顔で山に巨大な穴を開け、使わなくなったら埋めればいいというような、理不尽な所業ができるのだと思います。
    人間は自然をコントロールできるという思い込みこそが、最も危険なリスクです。一度壊してしまった土のネットワークに対して、人間が責任を取ることなど、絶対に不可能なのです。
    声を上げない土の中の仲間たちが、いま、静かに危機に瀕しています。
    私たちは、この目に見えない「多様性の根幹」を失ってまで、一体何を手に入れようとしているのでしょうか。

    第三章:すべての思想の限界は「飯を食うこと」にある

    リニアがもたらすという「豊かな暮らし」の言葉の正体、そして、私たちがこの美しい島国で100年後の子供たちに手渡すべき「本当の豊かさ」について、静かに考えてみたいと思います。

    記された「豊かな暮らし」と、目に見える現実の乖離

    JR側の資料のトップには、輝かしい言葉が躍っていました。 「リニアがもたらす新たな価値」「経済の活性化」「豊かで多様な暮らしの実現」。
    しかし、説明を詳しく聞き、彼らが提示するシミュレーションの数字の帳尻合わせを見るうちに、私の胸には深い違和感が広がっていきました。彼らが掲げる「豊かな暮らし」という言葉の中身が、目の前にある現実とまったく噛み合っていないように感じられたからです。
    私の暮らしは、まだ暗い明け方から始まります。 パタパタと羽ばたく鶏たちの世話をし、土に触れて畑を耕し、果樹の成長を見守る。ふと手を止めて視線を上げれば、庭には小さな雀たちが集まり、賑やかにさえずっている。そんな、一人の百姓としての静かな世界が私のすべてです。
    この暮らしの中で、私は毎日、身体の奥深くで思い知らされています。 「本当の豊かな暮らしは、自然の中にしかない」ということを。
    なぜなら、私たち人間は、衣服も、食べ物も、住まいも、すべて自然から命をいただいて初めて生き永らえることができる存在だからです。この島国には美しい四季があり、山が水を育み、土が命を育ててくれる。私たちが「当たり前」だと思っているこの自然の恵みは、決して当たり前のものではありません。何万年もの奇跡的なバランスの上で、ようやく保たれている壊れやすい宝物なのです。
    その多様性の根幹である「土の中の命(土壌菌)」をリスクにさらし、山を引き裂いてまで手に入れる「豊かさ」とは、一体何なのでしょうか。東京と大阪の間を、今より数十分早く移動できること。それは確かに便利かもしれませんが、大自然の循環を犠牲にしてまで追い求めるべき「新たな価値」とは、どうしても思えないのです。

    「止める」のではなく、いま必要な「足踏みする智慧」

    私は、人間の技術の進歩を否定したいわけではありません。むしろ、これほど巨大なプロジェクトに挑む科学技術の可能性を心から尊敬しています。
    だからこそ、私は「リニアを絶対に中止せよ」と、ゼロかヒャクかの言葉で敵対したいのではないのです。技術の進歩を信じるからこそ、いまこの国に必要なのは、「一旦、足踏みをして待つ智慧」ではないでしょうか。
    現在の計画は、自然環境に対する「一か八かの賭け」の要素があまりにも大きすぎます。そして、もしその賭けに失敗し、一度南アルプスの水源や土壌のネットワークが崩壊してしまえば、それは人間の技術では二度と取り戻すことができません。
    「反対か、賛成か」という二元論ではなく、「技術の可能性を信じるからこそ、もっと自然の仕組みを深く学び、完璧な確信が持てるまで、一度立ち止まって待つ」という選択肢があってもいいはずです。自然に対して人間が責任を取ることは不可能なのですから、今は「待つこと」自体が、人間の最も高度な智慧なのではないかと思います。
    いまリニアが開通して得られる恩恵は、今を生きる現代の一部の都市の人々だけが享受するものです。しかし、その裏側に隠されたリスクという巨大な「負債」は、100年後、200年後の未来を生きる子供たちに、そっくりそのまま残されることになります。
    未来の人々に、取り返しのつかない負債を残さないこと。それこそが、今を生きる大人の、そして人間としての「責任」ではないでしょうか。

    大河の一滴として、正直に生きる

    自然は、人間のように言葉を使って怒ったり、抗議したりはしません。ただ「何もしないでほっといてくれ」と言っているだけです。みずからの都合で致命的な自然破壊をしながら、それを覆い隠すように「ネイチャーポジティブ」という言葉を作り、自分たちの説明書だけを信じ込んでいる人間の姿は、あまりに悲しく映ります。
    国家プロジェクトという巨大な濁流を前に、私という一人の百姓が上げる声は、大河の一滴に過ぎないかもしれません。これによって何かがすぐに変わるわけでも、目に見える「勝ち目」があるわけでもないでしょう。
    しかし、これは誰かとの戦いではなく、「自分がこの島国でどう生きるか、未来の子供たちに自分の生き方をどう語れるか」という、私自身の正直さの問題です。
    私はこれからも、明け方の光の中で鶏の声を聴き、裸足で土を踏みしめながら、声を上げない自然の仲間たちの未来のために、自分が真実だと思うことを正直に、リスペクトを持って言葉にし続けていこうと思います。
    拙い百姓の独り言に耳を傾けてくださり、本当にありがとうございました。大井川の清流と、目に見えない命の豊かなネットワークが、どうか次の世代へ無事に引き継がれますように。
    (未来へ続く)

    #創作大賞2026   #オールカテゴリ部門


     
     
    西坂将作|裸足の百姓 音楽家、カウンセラー、Hoshiyama自然農園 鬱って、悟って、自然と生きる。 山を裸足で走り、ニワトリと暮らし、 自然のリズムに沿って生きています。 カウンセリングルーム裸足|1日集中カウンセリング・自然療法を運営しています。

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