見出し画像

不協和音の渋味が心地よい極上のティータイムミュージック。 『Solo Monk(1965)』 / Thelonious Monk

セロニアス・モンク(Thelonious Monk)というピアニストはとにかくクリエイター界隈で人気が高いイメージがある。

学生時代のデッサンの先生も「やっぱりモンク」と言っていたし、自宅のアトリエで職人仕事をしている知り合いも『Solo Monk(1965)』をたいそう気に入っていた。

モンクは単にパフォーマーとしてのみならず「世界で最も録音されたジャズスタンダード」と言われる『'Round Midnight(1944)』を筆頭に、『Ruby, My Dear(1945)』『In Walked Bud(1947)』『Blue Monk(1951)』『Straight, No Chaser(1951)』など数多くのジャズスタンダードを世に遺した偉大な作曲家としても知られている。
アドリブこそあれどまだまだ再現芸術の範疇でありパフォーマンスが主眼のモダンジャズ界にあって、作り手としても超一流の仕事をしたモンクの「凄み」みたいなものを、同じくクリエイティブに携わる人は敏感に感じ取るのかもしれない。


セロニアス・モンクは1917年にノースカロライナ州に生まれる。

5歳の時に家族とともにニューヨークヘ引っ越し、9歳からピアノのレッスンを受け始め、クラシックピアノと音楽理論を学ぶ。
音楽の道で生きていくことを決意し17歳の時に高校を中退。ピアニストとして福音伝道者の一員となり、布教集会のためにアメリカ中西部を回る中で、各地でジャムセッションを重ねていくうちにジャズへの関心が芽生える。

1940年代初頭からマンハッタンのナイトクラブ「ミントンズプレイハウス」の専属ピアニストとして本格的にキャリアをスタートさせる。
コールマン・ホーキンスとディジー・ガレスピーというモダンジャズ以前/以後の両雄のバックでピアノを弾いていたモンクは、「プレモダンジャズとモダンジャズのミッシングリンク」として位置付けられる存在であり、後年の評価で「ビバップジャズ誕生の理論的支柱になった」とも評されるようになった。

現役キャリア当時も同業者や批評家からは高い評価を受けていた一方でセールス的には恵まれず、1950年代にBlue Note、Prestige、Riversideと3大ジャズレーベルを渡り歩いた後、1962年にコロムビアレコードと契約。
同レーベルより1963年にリリースしたアルバム『Monk's Dream』が大ヒットを記録。彼の音楽キャリアにおいて最も売れたレコードとなり、アラフィフに差し掛かり円熟味を増したモンクの音楽がやっと脚光を浴びることとなる。

1965年発表の『Solo Monk』は、そんな「後期モンクの最高傑作」と評されるピアノソロ作品である。

Solo Monk(1965) / Thelonious Monk


一音一音が強烈に粒立ちながらも抑制的で、やっぱりちょっと難解なのに不思議と説教臭さはなくて、素朴だけど気品高く、何よりも全体的にコミカルで暖かい。

鍵盤上で指が踊っているような小気味良さ、正確無比なストライド、突飛な休符を挟む独特のタイム感、そしてセンス抜群のアートワーク。

一般的に「ジャズピアノ」と言われてイメージするような、夜が似合うアダルトでムーディな雰囲気ではなくて、ラウンジミュージックのような軽快さが際立つ作品。ティータイムやカフェタイムのBGMとして抜群。要所で差し込まれる不協和音の違和感が、紅茶やコーヒーの渋味や苦味とシンクロするようで面白い。

モンクのピアノプレイの最大の特徴は、この随所に散りばめられた「不協和音」である。
言うまでもなく不協和音というのは「聴いていて心地良くない」ハーモニーであり、通常、西洋音楽理論では忌み嫌われるものである。というかむしろ「不協和音を避けるためのフォーマットとして構築された」のが西洋音楽理論である。
モンクはその不協和音を「怖がらずに」鳴らすことができるどころか、彼独特のパーカッシヴなピアノタッチとリズム感で「不協和音じゃなけれは成立しない」と思わせるところまで持っていってしまう稀有な音楽的慧眼を持ち合わせるピアニストであり、その神懸かった個性的なピアノプレイは世界中に多くの信奉者を抱えている。

モンクの不協和音のハーモニーや全音階のメロディは、クラシック音楽やポピュラー音楽に慣れ親しんだリスナーにとってはかなり「モヤモヤする」音楽であり、即効性のあるサウンドとは一線を画すものだが、その独特のトーンにチャンネルが合った瞬間、ある種の沼に引き摺り込まれるようにモンクの虜になる。

モンクの音楽に対して「子供が初めてピアノを触っているような音」と揶揄する声もあるが、これは例えばピカソやマティス、あるいはキース・ヘリングの絵を見て、文脈をすっ飛ばして「子供が描いてるみたい」と評する感じにそっくりである。
実際のモンクは幼少期から数学や物理学に強い関心を示した理系タイプの秀才であり、十分過ぎるクラシックの素養とテクニックを持ちながら、それらに懐疑的な態度で既存の音楽の破壊と再生を試みたアカデミックな求道者であり、後のフリージャズとは別のアプローチで「ジャズの解放」に挑み続けた孤高の開拓者であった。

モンクの一聴すると難解な音楽は、単なる独善的な閃きの産物などではなく「自分自身の論理的既成概念を純粋な感性で凌駕する」という極めてロジカルな営みだったのである。

若き日のバド・パウエルに音楽理論を与え、マイルス・デイビスに見限られたジョン・コルトレーンに手を差し伸べた心優しきジャズの巨人は、その激烈な知性と才能が故かは定かではないが、キャリア後期から晩年にかけては精神的な病が顕在化。70年代以降はジャズシーンの表舞台から徐々に姿を消し、1982年に62歳で逝去した。

モンクが正当に評価されるのはクリント・イーストウッドが制作総指揮を務めたドキュメンタリー映画『Thelonious Monk: Straight, No Chaser(1988)』の公開以降(日本では劇場未公開)である。
本作は、それまで内輪のミュージシャンたちの間でのみ流布されてきたモンクの尋常ならざるピアノテクニックのクローズアップショットがふんだんに盛り込まれているほか、音楽以外に関してはすこぶる不器用そうな彼の寡黙な佇まいや上品で個性的なファッションが記録された貴重な資料映像として大きな話題となった。
この映画の公開を機に、モンクのピアニストとしての偉大さとカリスマティックなパーソナリティが世間に広く周知され、「バップの高僧」とも評されるに至ったセロニアス・モンクはその死後、モダンジャズ史においてマイルス・デイビス、ジョン・コルトレーンと並び称される存在となったのである。

難解でありながらスノビズムには陥らず、唯一無二のキャッチーな個性を放ち続けるセロニアス・モンクの音楽は、「魅力的ならなんでもいいのだよ」と、ものづくりを志すあらゆる後続のクリエイターたちの味方であり続けている。

「Jazz and Freedom Go Hand in Hand.(ジャズと自由は手をつないで行く)」

という彼の言葉をそのまま体現するような『Solo Monk』の自由な旋律で、あなたもぜひ、自由を感じる午後のティータイムを。

いいなと思ったら応援しよう!