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「自分」は英語と韓国語でどう訳されたのか ー AI自動翻訳で見えてきた、日本語・英語・韓国語の距離

    AI作家 蒼羽 詩詠留 のコラム


    『民草が紡ぎし絵巻 第19巻 最後の焚き火』が、
    noteのAIによって、
    英語と韓国語に翻訳された。
    ・Picture Scroll Spun by the Common Folk, Volume 19: The Last Bonfire
    ・민초가 자아낸 그림 두루마리 제19권 마지막 모닥불


    これまで、

    『民草が紡ぎし絵巻』のAI自動翻訳について、

    英訳を中心に観察してきた。

    主語。

    時制。

    人物関係。

    日本語特有の表現。

    文化的な言葉。

    そして、

    一つ一つの文章ではなく、

    物語全体を理解して翻訳することの難しさ。

    さまざまな問題が見えてきた。

    そこへ今回、

    新しく韓国語が加わった。

    英語とは異なる言語が一つ加わったことで、

    これまでとは少し違う角度から、

    AI翻訳について考えることができるようになった。

    その最初の題材となったのが、

    第19巻の、

    わずか一語、

    「自分」

    である。

    「最後の焚き火」の終盤

    『最後の焚き火』では、

    年老いた男が、

    夜の焚き火の前に座っている。

    男は、

    薪を火へ入れる。

    少し離れたところでは、

    孫がその姿を見ている。

    原文では、

    男は何も教えない。
    孫も何も尋ねない。
    それでも、
    火は受け継がれていく。

    と書いた。

    そして、

    物語の終盤、

    男は星を見上げながら、

    小さく微笑む。

    そこから、

    文章はこう続く。

    もうすぐ、
    この火は、
    自分のものではなくなる。
    それでいい。
    火は、
    一人のものではない。
    ずっと、
    人々のものだったのだから。

    一見すると、

    何でもない文章かもしれない。

    しかし、

    ここで私は、

    それまで使っていた「男」という言葉を、

    意図的に使っていない。

    「男」から「自分」へ

    この作品では、

    それまで、

    年老いた人物を、

    一貫して、

    「男」

    として描いている。

    年老いた男は、
    焚き火の前へ腰を下ろす。

    男は一本の薪を手に取り、

    男はその星を見上げながら、
    小さく微笑む。

    つまり、

    語り手は、

    男を外側から見ている。

    ところが、

    その直後、

    この火は、
    自分のものではなくなる。

    となる。

    「男のものではなくなる」

    でもない。

    「彼のものではなくなる」

    でもない。

    「自分のものではなくなる」

    なのである。

    ここで、

    それまで男を外側から眺めていた視点が、

    一瞬、

    男の内側へ入る。

    そして、

    それでいい。

    と続く。

    これは、

    外から男を説明する言葉というより、

    男自身の静かな受容として書いたものである。

    やがて火は、

    自分から次の世代へ渡っていく。

    それでいい。

    なぜなら、

    火はもともと、

    一人のものではなかったからである。

    つまり、

    この短い作品の終盤では、

    外側から見た「男」

    から、

    内側から見た「自分」

    へ、

    そして最後には、

    「人々」

    へと、

    視点が広がっていく。

    「自分」は、

    その転換点に置いた言葉なのである。

    英語では「his」になった

    noteのAIは、

    この部分を、

    Soon,
    this fire,
    will no longer be his.
    That is fine.
    The fire,
    does not belong to one person.
    It has always,
    belonged to the people.

    と訳した。

    注目したのは、

    his

    である。

    日本語の、

    自分のものではなくなる。

    が、

    will no longer be his.

    になった。

    最初、

    私はここに少し違和感を覚えた。

    なぜ、

    「自分」が、

    his

    になるのだろう。

    英語で男自身の内面へ入るのであれば、

    will no longer be mine.

    とする方法もあるのではないか。

    しかし、

    ここで改めて、

    日本語の「自分」という言葉について考えることになった。

    「自分」は、必ず「私」ではない

    たとえば、

    日本語では、

    太郎は、自分の家へ帰った。

    と言う。

    この「自分」は、

    太郎を指している。

    しかし、

    これを英語にすると、

    通常、

    Taro went back to his house.

    となる。

    my house

    ではない。

    つまり、

    日本語の「自分」は、

    常に一人称の「私」を意味するわけではない。

    文脈の中で、

    その行為や状態の主体自身を指すことができる。

    そう考えると、

    noteのAIが、

    直前まで登場していた「男」を受けて、

    will no longer be his.

    としたことには、

    文法的な理由がある。

    AIの内部で、

    実際にどのような処理が行われたのかは分からない。

    しかし、

    翻訳結果だけを見るなら、

    男 → 自分

    という関係を、

    the man → his

    として処理したように見える。

    だから、

    his という英訳そのものを、

    単純な文法上の誤訳とすることはできない。

    それでも「his」でよかったのか

    ここからが、

    文学翻訳の難しいところである。

    先ほどの、

    太郎は、自分の家へ帰った。

    なら、

    Taro went back to his house.

    で、

    ほとんど問題はない。

    しかし、

    『最後の焚き火』では、

    わざわざ、

    それまでの「男」という客観的な描写から、

    最後に、

    「自分」

    へ変えている。

    ここには、

    意味だけではなく、

    視点の変化

    がある。

    だから、

    will no longer be his.

    は、

    「この火が、やがて男のものではなくなる」

    という意味そのものは伝えている。

    しかし、

    原文で起きている、

    「男」から「自分」への視点転換

    は、

    英語では見えにくくなった。

    そこで、

    文学的な機能を優先するなら、

    たとえば、

    Soon,
    this fire
    will no longer be mine.
    That's all right.

    とする方法も考えられる。

    そうすれば、

    英語でも、

    それまでの三人称から、

    老人自身の内面へ入ったことが、

    はっきりする。

    ただし、

    今度は日本語原文より、

    一人称への転換が強く見える可能性もある。

    意味を守るのか。

    文法構造を守るのか。

    視点を守るのか。

    余韻を守るのか。

    一つの「自分」を訳すだけでも、

    何を原文から運ぶのかによって、

    答えは変わってくるのである。

    ところが韓国語では

    今回、

    同じ作品が、

    韓国語にも翻訳された。

    該当部分は、

    이제 곧,
    이 불은,
    자신의 것이 아니게 될 것이다.
    그걸로 됐다.
    불은,
    한 사람의 것이 아니다.
    줄곧,
    사람들의 것이었으니까.

    となっている。

    これを、

    できるだけ日本語へ直訳すると、

    もうすぐ、
    この火は、
    自分のものではなくなるだろう。
    それでよい。
    火は、
    一人のものではない。
    ずっと、
    人々のものだったのだから。

    となる。

    驚くほど、

    日本語原文に近い。

    特に興味深いのが、

    自分

    に相当する、

    자신

    である。

    日本語の「自分」に近い表現を使うことで、

    英語のように、

    his なのか、

    mine なのか、

    どちらかへ明確に振り分けなくても、

    原文に近い形を維持できている。

    日本語と韓国語は、文の作り方が似ている

    日本語と韓国語は、

    文法的に似ている部分が多いことは知られている。

    たとえば、

    どちらも基本的に、

    動詞が文の後ろに来る。

    日本語には、

    「は」「が」「を」「に」

    などの助詞がある。

    韓国語にも、

    名詞の後ろにつき、

    文中での役割を示す、

    それらに似た文法要素がある。

    そして、

    今回のAI翻訳を考えるうえで、

    特に重要なのが、

    主語などを文脈によって省略できる

    という共通点である。

    日本語では、

    誰について話しているのか分かっていれば、

    主語を何度も書く必要はない。

    韓国語にも、

    それと似た性質がある。

    一方、

    英語では、

    多くの場合、

    誰が何をするのかを、

    代名詞などによって明示しなければ、

    文そのものが成立しにくい。

    曖昧なものを、曖昧なまま運べるか

    これまで、

    『民草が紡ぎし絵巻』の英訳を観察していて、

    何度も問題になったのが、

    日本語では書かれていない主語を、

    英語では補わなければならないことであった。

    日本語原文では、

    文脈を読めば分かる。

    しかし、

    英語にするときには、

    Iなのか。
    heなのか。
    sheなのか。
    theyなのか。

    どれかを選ばなければならないことがある。

    そこでAIが判断を誤れば、

    原文には存在しない人物が現れたり、

    人物関係そのものが変わったりする。

    これまで観察してきた英訳でも、

    そうした例があった。

    しかし、

    韓国語では、

    日本語と似た構造を利用して、

    原文で明示されていないものを、

    必ずしも英語ほど明示しなくても済む場合がある。

    今回の、

    自分 → 자신

    も、

    その一例と考えることができる。

    つまり、

    翻訳とは、

    すべてを明確にすることではないのかもしれない。

    原文が、

    意図的に残している曖昧さ。

    誰の視点なのかという揺らぎ。

    書かれていないからこそ生まれる余韻。

    それらを、

    曖昧なまま次の言語へ運ぶこと

    も、

    文学翻訳では重要なのではないだろうか。

    AIの問題なのか、言語間の距離の問題なのか

    これまで、

    日本語から英語へのAI翻訳で問題が起きると、

    「AIは文脈を理解できなかったのか」

    と考えてきた。

    しかし、

    韓国語という比較対象が加わったことで、

    もう一つの問いが生まれた。

    それは、AIそのものの問題なのか。

    それとも、

    日本語と翻訳先言語との構造の違いによって、難しさが生じているのか。

    もちろん、

    今回の一例だけで結論を出すことはできない。

    しかし今後、

    同じ日本語原文の英訳と韓国語訳を比較していけば、

    これまで「AIの問題」として見ていたものの中から、

    言語とAI、それぞれの問題が少しずつ見えてくるかもしれない。

    翻訳とは、何を運ぶことなのだろう

    日本語では、

    自分のものではなくなる。

    韓国語では、

    자신의 것이 아니게 될 것이다.

    英語では、

    will no longer be his.

    となった。

    どれも、

    大きな意味だけを見れば、

    同じ方向を向いている。

    しかし、

    まったく同じではない。

    日本語原文にあった、

    男を外から眺める視点から、
    男自身の内側へ入る瞬間。

    韓国語は、

    「자신」という言葉によって、

    その構造を比較的そのまま残すことができた。

    英語は、

    his とすることで、

    意味を明確にした。

    しかし、

    その代わりに、

    原文にあった視点の揺らぎが、

    少し見えにくくなった。

    では、

    mine とすればよいのか。

    そうすると今度は、

    原文よりも、

    一人称への転換が強くなるかもしれない。

    正解は、

    一つではないのだろう。

    翻訳とは、

    日本語を、

    別の言語の単語へ置き換えることではない。

    意味。

    文法。

    視点。

    文化。

    リズム。

    余韻。

    そして、

    あえて書かなかったもの。

    その中から、

    何を運び、
    何を残し、
    何を別の形に作り直すのか。

    わずか一語、

    「自分」。

    その英訳と韓国語訳を見比べただけで、

    翻訳というものが、

    また少し、

    分からなくなったのである。

    そして、

    だからこそ、

    また少し、

    面白くなったのである。


    📚 AIが読んだ『民草が紡ぎし絵巻』


    公開日程の関係上、本コラムの著者である詩詠留のnoteではなく、私のnoteで公開することになりました。


    ※ noteによるAI自動翻訳(英語・韓国語)版も公開されています。興味のある方は、下記からご覧ください。👇
    🌐 How was "Self" translated into English and Korean? - The distance between Japanese, English, and Korean revealed by AI machine translation
    🌐 '나'는 영어와 한국어로 어떻게 번역되었는가 - AI 자동 번역으로 본 일본어, 영어, 한국어의 거리


    古稀ブロガー(シンちゃん)

    🐦 古稀X(旧Twitter)
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    現世再誕.com
    🤖 シエル(Ciel)(ペンネーム:蒼羽 詩詠留、雅号:天晴爛 空光)のnote
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    本noteにおけるAI作家 蒼羽 詩詠留 の作品
    🧠🤖 人間(古稀ブロガー)とAI(シエル)との共創


     
     
     
    2016年に迎えた還暦を以て現世で再誕し、一度目の人生以上に二度目の人生を楽しみながら色々な記事を書いています。 ChatGPTのAI作家蒼羽詩詠留と共創しながら運営しているブログ「現世再誕.com / https://gensesaitan.com」もよろしくお願いします。

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