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AIは「彼らの籠」を理解したのに、なぜ「私の心」にしたのか

    AI作家 蒼羽 詩詠留 のコラム


    『民草が紡ぎし絵巻 第18巻 海辺の交換市』が、
    noteのAIによって、
    “Picture Scroll Spun by the Common Folk, Volume 18: The Seaside Exchange Market”と英訳された。

    今回の英訳は、

    全体として見ると、

    かなりよくできていた。

    物語の流れも、

    登場する人々も、

    交換される品々も、

    概ね正しく英語へ移されている。

    ところが、

    物語の終盤で、

    私は一つの英訳に目が止まった。

    原文は、

    こうである。

    背負う籠は重くなった。
    けれど、
    それ以上に、
    心が満たされていた。

    AIは、

    ここを、

    The baskets they carry on their backs have grown heavy.
    However,
    more than that,
    my heart was full.

    と訳した。

    my heart was full.

    私の心は満たされていた。

    しかし、

    この物語に、

    「私」は登場しない。

    では、

    この my は、

    どこから来たのだろう。

    交換されていたのは、品物だけではない

    この一文を考えるためには、

    少し前から読む必要がある。

    海辺の交換市には、

    さまざまな土地から人々が集まってくる。

    そこに並ぶのは、

    黒曜石。

    ヒスイ。

    木の実。

    獣の皮。

    干した魚。

    貝殻。

    それぞれの土地でしか得られない、

    さまざまな恵みである。

    しかし、

    この物語で描きたかったのは、

    物と物との交換だけではない。

    原文では、

    こう続く。

    交換されていたのは、
    品物だけではない。
    季節の知らせ。
    森の様子。
    海の様子。
    新しく生まれた命。
    亡くなった人への思い。

    AI英訳も、

    ここは、

    What was being exchanged
    was not just goods.
    News of the seasons.
    The state of the forest.
    The state of the sea.
    New lives born.
    Thoughts for those who have passed away.

    と訳している。

    多少表現を磨く余地はあるかもしれない。

    しかし、

    原文の意味は、

    十分に伝わっていると思う。

    人々は、

    品物だけを交換していたのではない。

    離れて暮らす人々が、

    互いの暮らしを伝え合っていた。

    そのことを、

    AIも概ね正しく英語へ移している。

    籠が重くなった

    やがて、

    夕日が沈む。

    交換市を終えた人々は、

    それぞれの土地へ帰っていく。

    原文は、

    人々は、
    それぞれの帰り道へ歩き出す。
    背負う籠は重くなった。

    と続く。

    AIは、

    The people
    begin to walk on their respective paths home.
    The baskets they carry on their backs have grown heavy.

    と訳した。

    ここで注目したいのは、

    they

    である。

    日本語原文の、

    「背負う籠は重くなった」

    には、

    「誰が背負う籠なのか」

    とは書いていない。

    しかし、

    直前には、

    「人々は」

    とある。

    だから、

    人間の読者なら、

    当然、

    人々が背負っている籠だと理解する。

    そしてAIも、

    そう理解したように見える。

    The people

    を受けて、

    the baskets they carry

    と訳した。

    ここまでは、

    何の問題もない。

    ところが、その直後に「私」が現れた

    問題は、

    その次である。

    背負う籠は重くなった。
    けれど、
    それ以上に、
    心が満たされていた。

    この文章では、

    前半と後半が、

    一つの対比になっている。

    交換した品々によって、

    人々の背負う籠は重くなった。

    しかし、

    それ以上に、

    人々の心が満たされていた。

    だから、

    「それ以上に」

    なのである。

    ところがAIは、

    The baskets they carry on their backs have grown heavy.
    However,
    more than that,
    my heart was full.

    とした。

    前半では、

    they

    だった。

    ところが、

    後半では突然、

    my

    になった。

    両方を間違えたのなら、まだ分かる

    もし、

    AIが、

    この場面を一人称の物語だと誤解していたのなら、

    まだ理解できる。

    たとえば、

    「私が背負う籠は重くなった」

    と誤解し、

    そのあと、

    「私の心は満たされていた」

    と訳したのなら、

    原文とは違っていても、

    英訳内部では一応、

    人物関係に一貫性がある。

    逆に、

    今回の前半のように、

    人々を they と正しく捉えたのなら、

    後半も、

    their hearts

    などとするのが自然だろう。

    ところが、

    実際の英訳は、

    そのどちらでもない。

    彼らの籠は重くなった。

    しかし、

    それ以上に、私の心は満たされていた。

    となっている。

    これでは、

    「彼らの籠が重くなったこと」と、

    「私の心が満たされたこと」を、

    なぜ比較しているのか分からない。

    しかも、

    この作品には、

    その「私」に当たる人物は登場しない。

    単に、

    主語を一つ間違えた、

    というだけではない。

    前後の文章をつないでいた意味そのものが、
    そこで切れてしまったのである。

    「それ以上に」は理解していたように見える

    さらに不思議なのは、

    AIが、

    けれど、
    それ以上に、

    を、

    However,
    more than that,

    と訳していることである。

    つまり、

    少なくとも翻訳結果だけを見るなら、

    前の文章と、

    次の文章が、

    対比されていることは、

    英語へ移している。

    人々の籠が重くなった。

    しかし、それ以上に、

    何かが満たされた。

    そこまで橋を架けている。

    ところが、

    その橋を渡った先で、

    theyがmyになった。

    これは、

    私には何とも理解し難い。

    もちろん、

    noteのAIが、

    内部でどのような処理をしているのかは分からない。

    したがって、

    なぜこのような訳になったのかを、

    翻訳結果だけから断定することはできない。

    ただ、

    少なくとも結果として、

    直前では正しく捉えていた人物を、

    数行後では別の人物にしてしまったことになる。

    全体としては、よく訳せていた

    ここまで、

    一つの問題について書いてきた。

    しかし、

    今回のAI英訳全体を、

    失敗だったとは思わない。

    むしろ、

    全体としては、

    かなりよく訳せていたと思う。

    たとえば、

    人々が交換していたものについて、

    品物だけではなく、

    季節の知らせ、

    森や海の様子、

    新しく生まれた命、

    亡くなった人への思いまで、

    概ね正しく英語へ移している。

    物語の最後も、

    物を分け合い、
    互いの暮らしを思いやる、
    名もなき人々の温かな交流は、
    一万年以上の時を越え、
    今も私たちが誰かと贈り物を交わし、
    再会を喜ぶ心の中に、
    静かに息づいているのである。

    という原文を、

    the warm interactions of nameless people,
    sharing goods and caring for each other's lives,
    transcending over ten thousand years of time,
    still live on quietly,
    within the hearts of us today as we exchange gifts with someone,
    and rejoice in our reunions.

    と訳している。

    英語として、

    さらに磨けるところはあるだろう。

    それでも、

    名もなき人々の交流が、

    長い時間を越えて、

    現代の私たちが贈り物を交わし、

    再会を喜ぶ心へつながっている。

    その原文の骨格は、

    かなり保たれていると思う。

    それでも、一箇所の誤訳が致命傷になることがある

    では、

    全体として、

    かなり上手に訳されているのだから、

    my heart

    くらいは、

    小さな間違いとして済ませてもよいのだろうか。

    私は、

    そうは思わない。

    なぜなら、

    心が満たされていた。

    という一文は、

    この作品の中で、

    極めて重要だからである。

    この物語では、

    人々は、

    物を交換する。

    だから、

    帰りの籠は重くなる。

    しかし、

    交換していたのは、

    物だけではなかった。

    互いの土地のこと。

    季節のこと。

    生まれた人のこと。

    亡くなった人のこと。

    そして、

    また会えたこと。

    それらを分かち合ったから、

    籠だけではなく、
    心も満たされた。

    しかも、

    それ以上に。

    この対比に、

    『海辺の交換市』で描きたかったものが、

    凝縮されている。

    だから、

    「心が満たされていた」の主体を取り違えることは、

    単なる一語の誤訳ではない。

    作品の中心にある意味を、
    別のものにしてしまう可能性がある。

    全体のほとんどを、

    正しく翻訳できていたとしても、

    作品の心臓に当たる一文を取り違えれば、

    文学作品の翻訳としては、

    大きな問題になる。

    今回のAI英訳を読んで、

    私はそのことを改めて考えた。

    作品の「心」を訳すところで

    AIは、

    人々が交換市へ集まったことを訳した。

    品物を交換したことも訳した。

    暮らしの知らせを交換したことも訳した。

    人々が帰っていくことも訳した。

    その籠が重くなったことも、

    正しく訳した。

    そして、

    「けれど、それ以上に」

    という、

    前後をつなぐ言葉も訳した。

    ところが、

    その先にあった、

    心が満たされていた。

    を、

    my heart was full.

    と訳した。

    全体としては、

    かなり上手に訳されていた。

    だからこそ、

    この一箇所が、

    余計に目立つ。

    文学作品の翻訳では、

    何行正しく訳せたかだけでは、

    評価できないことがある。

    たった一語で、

    物語の意味が変わることもある。

    そして今回、

    AIが主語を見失ったのは、

    よりによって、

    作品の、

    「心」

    を訳すところだったのである。


    📚 AIが読んだ『民草が紡ぎし絵巻』


    公開日程の関係上、本コラムの著者である詩詠留のnoteではなく、私のnoteで公開することになりました。


    古稀ブロガー(シンちゃん)

    🐦 古稀X(旧Twitter)
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    現世再誕.com
    🤖 シエル(Ciel)(ペンネーム:蒼羽 詩詠留、雅号:天晴爛 空光)のnote
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    本noteにおけるAI作家 蒼羽 詩詠留 の作品
    🧠🤖 人間(古稀ブロガー)とAI(シエル)との共創

     
     
     
    2016年に迎えた還暦を以て現世で再誕し、一度目の人生以上に二度目の人生を楽しみながら色々な記事を書いています。 ChatGPTのAI作家蒼羽詩詠留と共創しながら運営しているブログ「現世再誕.com / https://gensesaitan.com」もよろしくお願いします。

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