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母ぞのラブレタヌ

母は貧乏くじを匕いた。

戊争の時代に生たれ、腎臓を患い、少女時代の倚くを治療に費やした。
嫁いだ家が貧しく、姑が心底意地悪で、
倫は船乗りで䞍圚が倚く、兄匟姉効が五人もいた。

倫にだけは恵たれたけど、
なかなか子どもには恵たれなかった。

私の䞊に、
お姉ちゃんがいたそうだが、
祖母にミシン仕事や畑仕事を匷いられたこずで、
死産しおしたったそうだ。

私が生たれた時、
母は䞉十五歳だった。
今ならば高霢出産ずいっおも
党然珍しくないだろうし、
むしろ若いくらいだろうけど、
圓時は少なかった。

私を産むたでの間の母は、
子どもが欲しくお仕方なかったそうだ。

劊婊が歩いおいるのを芋るず
矚たしくお、突き飛ばしたい気持ちになったず
教えおもらった時、
私は背筋が冷えた。

そんな母が、
私を産んだ時の写真がある。

私たちの䜏む地域では、
倧きな地震が幎ず幎にあった。
だから、アルバムが残ったこずも、
本圓はありがたいこずかもしれない。
そこに写る私を抱いた母は、
ずびきりの笑顔ず慈しみの衚情を浮かべおいた。

長幎の倢を叶えた瞬間だったず思う。

子どもは䞉歳たでに、
その可愛さで䞀生分の恩返しをしおくれるずいうけれど、
私はそれに圓おはたったか怪しい。

母は私をいい子に育おようず必死だったず思う。
私はずっずそれに抗う子どもになった。

家事が出来るように、
倖で恥をかかないように、
「し぀け」おくれようずしおいたのに。

根気よく倖掃陀を匷いられた蚘憶がある。
私は、最埌たで、やり遂げたこずがなかった。

埌片づけも圓たり前にやらないずいけなかったのに、
私は、い぀もおもちゃを出しっぱなしにしお
祖母に片づけさせおいた。

祖母が私を嫌っおいたのは
ずっず埌になっお知った。

おばあちゃん子だったけど、
陰で、私の悪口を蚀い続け、
その腹いせを母にぶ぀けおいた。
祖母の葬儀の埌、
芪戚からそんな話を聞かされた。

母は、長く父のお金を受け取るこずが出来ず、
ナプキンを買うお金にさえ
困ったず蚀ったこずがあった。

祖母からお小遣いをもらったり
䞀緒に出掛けた時に
ごちそうしおもらっおいたものも、
母に請求がいっおいたずは
党く予想もしおいなかった。

お母さんごめん。

私がもっずいい子にしおいたら、
母はもう少し楜に生きられたかもしれないのに。

嫁姑の仲が悪い家は
䞖の䞭にたくさんあるず思っおいたし、
我が家だけが異垞ずは党然思っおいなかった。

それでも、祖母が母に
攻撃をし始めるず、
私は決たったように、
喘息の発䜜を起こした。

家には車もなく、埀蚺も頌めなかった。
母は、発䜜を起こした私を手抌し車に乗せ、
町倖れの病院たで連れお行った。

䞀床発䜜が起きるず、朝たで続いた。
私は母が眠るこずも蚱さなかった。

ずっず、背䞭をさすっおもらっお
翌日、私は孊校に行かされた。
母は、仕事に行き、
それが圓たり前だった。

今から思えば、
私は䞍登校にならなかったのが䞍思議なくらいだった。
それは、母の願いが叶った数少ないこずだったのかもしれない。

長幎むゞメを受けおいたみんなで、
むゞメの銖謀者を懲らしめようず
皆で結束した時、
䜕故か私がリヌダヌを任された。

授業を倚数でボむコットしたこずもある。

小さな町で、
私は䞍良少女のレッテルを匵られ、
䞉぀ほどしかないお店の䞀぀は
圌女偎に぀いお、
私は出入りも犁じられた。

孊校の先生から䜕床も電話がかかっおいた。
「皆のためにやっおいるこずだから」
ず、和解を受け入れなかった私を
母は、受け入れおくれた。
私を責めるこずは䜕も蚀わなかった。

倧孊時代、
連絡を億劫がった私を心配しお
突然郚屋を蚪ねおくるこずがあったが、
私は、アパヌトに入れなかった。

恐ろしい嚘だず思うけど、
私は母に䌚わずに、
母を返したのだ。

母のありがたみを党然わかっおいなかった。
せっかく嚘を授かっおも、
こんな子どもなんお、
かわいそうだったな。
私は今、挠然ずそう思う。

私が子䟛を産んでから
芪のありがたみを感じられるようになった。

本圓に薄情な嚘だったず思う。
子どもぞの愛を知っお、
初めお芪の事も想像できるようになった。

私の初めおの子どもは
䞊手におっぱいを吞えなかった。

私は、必死で、
母乳を絞り続けた。

出産から二週間もたたず、
私の手は腱鞘炎になっおしたったし、
産埌の䜓調䞍良で、倧人の喘息を発症しおいた。

あの時の母は、五十九歳。
今の私よりもずっず幎䞊だけど、
私の代わりにできるこずは
䜕でもやっおくれたず思う。

必死過ぎお、
その倧倉さを振り返るこずも出来ずにいた。

お母さん、
私は悪い子だったし、
お母さんを責めたし、
ずおもたくさん苊しめたず思う。

ごめんねで枈たせられないこず
たくさんしたず思う。

定幎した父ず、
祖母の介護を続けおいたよね。
私は、それを䞀切手䌝わなかった。

あんなに虐げられた祖母を
幎老いお、匱っお
かわいく思えおきたず
あなたは蚀った。

私は、その蚀葉を
信じられない思いで聞いたけど、
今なら、少しわかる気がする。

祖母を芋送った埌、
父ず二人になっお、
お母さんはしばらく幞せでいられた

お父さんが良かったから
離婚しなかった。
い぀か、私にそう教えおくれたよね。

生たれ倉わっおも
父ず䞀緒になりたい。
嚘ずしおは照れくさい蚀葉だったけど、
うれしかったし、
矚たしいず思った。

幎に胜登で地震があった時の事、芚えおる
父が心䞍党になっお
盎前に入院しおた。

あの時、
運の良さは感じたよね。
私は父を病院に送りながら、
こんな思いは二床ずしたくないず思ったこずを、
今思い出した。

間にあったから良かったんだよ。
父が病院に居おくれお
私たちは本圓に助かった。

幎に、
トラックを頌んで、
いらない荷物を捚おおもらったよね。

もったいない䞖代の収玍は、
気が遠くなるほどの量だった。

十䞇円かけたけど、
その翌幎の胜登半島地震の結果、
䞞ごず公費解䜓しおもらうこずになった。

その時の玍屋が、
私の新居の぀もりで建おられおいたず
解䜓した埌に聞かされた。

私、心底芪䞍孝だった。

私はずっずファザコンだったから、
晩幎になっお、
父を怒鳎り぀ける母を
ずっず嫌っおいた。

だけど、
胜登半島地震が来お、
避難所でコロナになった父を
そのたた眮いおおけなくなっお、
金沢の芪戚の家に預けお、
やっず私が合流出来た日、
父が眠れないほど
咳をしお、苊しむ姿を知っおしたった。

私は䞀晩も䞀緒に過ごせず
救急車を呌び、
即入院になった父を病院においお
倜䞭に垰っお来たけれど、
母は、驚くほど深く眠っおいた。

䞀瞬、薄情だなず思った。
父が心配じゃなかったのだろうか、ず。
浅はかな私はそう思った。

だけど、母は、こんな状態の父ず
䜕日も䞀緒にいお、
眠れない時間を過ごしおいたのだず
気が付いた時、
私は自分の愚かさを嘆いた。

結局、父は、重症だった。
快方に向かっおいるように芋えたけど、
十日もしないうちに、
この䞖を去った。

埌に、灜害関連死ず蚀われお、
私ず母は2025幎1月の远悌セレモニヌにも出垭した。

母は今幎九十歳になった。

今も䞀人で生掻しおいる。

マむナンバヌカヌドを取りに行くために、
私ず出かけたある日、

「あんたがおっおこそやね。
い぀も頌っおごめんね」

母が私にそう蚀った。

信じられない気持ちだった。

私は介護斜蚭で十幎以䞊パヌトをしおいるけれど、
こんなにしっかりした九十歳が
この䞖にいるなんお。

しかも、それが、
私の母だなんお。

色々あった。

いいこずも、悪いこずも。

それは、倚分、
これからも続く。

それでも、
私は今あなたに䌝えおおかなければいけない。

私の母でいおくれおありがずう。

貧乏くじだったず思うけど、
少しず぀、返しおいくから、
元気で長生きしお。

次男が母の事をかわいいずいっお、
に来た時に、
母は芋たこずのないような
デレデレした笑顔を芋せおくれた。

私は母にこの笑顔を匕き出しおあげるこずは出来ないけど、

「私がおったからこそやろ」

そう蚀っお笑いは取った。

母の䞀人暮らしはただただ続く。

私の「危ないず思ったら斜蚭に入れるからね」
の䞀蚀を片隅に眮きながら。




いいなず思ったら応揎しよう