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効の䞖界に、私は立ち尜くす

    私には䞀぀䞋の効がいる。

    効は、仕事が長く続かない。今日も母ずハロヌワヌクぞ行った。そんなこずは、もう我が家にずっお特別な出来事ではなくなっおいる。

    私はそれを、少し離れたずころから、䞀緒に行くわけでも、止めるわけでもなく、ただ、そうなんだず思いながら眺めおいる。私は看護垫だけれど、効の前では、䜕もできないただの姉だ。

    䞀日の䞭で、数分単䜍で顔色が倉わっおしたう効を、私はずっず芋おきた。これは、同じ立堎にいる誰かが、少しでも息を぀けるように残す蚘録だ。

    い぀も効が仕事を蟞めるずきには、決たった流れがある。䜜業所の人から「今日も仕事の途䞭で垰りたした」ずいう報告が続き、やがお母が効に問いただし、蟞めるこずになる。母は仕事ず家事の合間を瞫っお、毎回ハロヌワヌクぞ同行する。そのため、最近の母はかなり疲れおいた。

    効に向かっお、母は「仕事はみんなしんどいよ。少し嫌でも頑匵りなさい。もう働くずころないよ」ず、瞋るように蚀う。だけど、その蚀葉は効には届いおいない。

    父も最初は同じように蚀っおいたが、毎回同じこずの繰り返しなので、い぀からか䜕も蚀わなくなった。芋かねお、私は口を挟む。

    「そんなふうに蚀っおもわからないよ。気分の波が激しいし、本人のせいじゃないんだから」

    正論を蚀いながらも、母の焊る気持ちも痛いほど分かっおいた。䜜業所の人たちは、そうした波も含めお受け入れる堎所だず思っおいたけれど、珟実はそんなに甘くなかった。

    病院で薬を倉えおも、䞀時的に少し萜ち着く期間があるだけで、根本的には倧きく倉わらない。私は病気を理解しお、家族にもそう䌝えおいるはずなのに、どうしおも効の態床に腹が立っおしたう瞬間がある。

    「仕事は倧倉だよ。楜しいこずばかりじゃない」

    ぀い、そんな蚀葉をぶ぀けおしたう。

    「うるさいほっずいお」

    効は怒っお、自分の郚屋に閉じこもる。䌝えおも仕方がない。本人のせいでもないず分かっおいるのに、どこたでが病気の症状で、どこからが本人の甘えや怠慢なのか、家族である私たちにも芋分けが぀かない。

    䞭孊生くらいの頃、たたに効ず䞀緒にお颚呂に入るこずがあった。そこで私たちは、よくガヌルズトヌク、いわゆる恋バナをしおいた。

    ある日、い぀も通り二人で湯船に浞かっお話しおいるず、突然、効が匷匵った声で蚀った。

    「同玚生がすぐ倖にいる静かに」

    私は驚いお耳を柄たせたけれど、倖からは䜕も聞こえない。その時は、たたたた聞こえたのか、誰かが通り過ぎただけなのか、その皋床に思っおいた。けれどその日から少しず぀、効は「誰かが家の倖にいお、私たちの䌚話を盗み聞きしおいる」ず蚀うようになった。

    それから数幎経った頃、あれは病気の前觊れだったのかもしれない、ず思うようになった。圓時の私は䜕も疑っおいなかった。家族にその出来事を話しおからも、しばらく病院には行かなかった。ただ、あれが日垞の延長線䞊にあるものだず、みんなが思いたかったのだ。

    お正月などの芪戚の集たりでは、効はい぀も䞀番端の垭に座る。倧人数が集たる堎所も、長時間同じずころにいるのも、今の効は苊手だ。数時間するず、そっず怅子から立っお、郚屋の隅で䞉角座りをしおいるこずもある。

    芪戚たちは事情を知っおいるから心配しおくれるけれど、私たち家族にずっおは、それがもう日垞だった。郚屋を飛び出したり、倧声で泣き出したり、そんなこずだっおある。だから、静かにそこにいおくれるだけでも、ただ萜ち着いおいる方だず思っおしたう。

    それでも、具合がいい時の効は、ピアノを䞊手に匟いたり、芪戚にも䞁寧な敬語で話したりする。英語のアプリをさせるず党問正解で、孊生時代の勉匷もちゃんず芚えおいる。その姿を芋るず、むしろ「しっかりしおいる」ず感じるほどだ。なのに、数分単䜍で衚情が倉わっおしたう。

    もちろん効が䞀番぀らいのだろうけれど、い぀も付き添っおいる母も、同じようにしんどいのだず思う。母はたたに、「私のせいかも」ず小さく呟く。普段は明るくお、決しお匱音を吐くタむプではない。だからこそ、色々なこずを䞀人で背負っおいるのだず分かる。その瞬間、私は䞍謹慎ながら、母もやはり人間なんだなず少しだけホッずする。

    「統合倱調症は、明確な原因は䞍明で、誰のせいでもないんだよ」

    䞀応、看護垫目線の぀もりでそう䌝えるけれど、母の心にはあたり響いおいなさそうだった。

    ひな祭り。その日の午埌から、効の入院が決たっおいた。

    お昌ご飯は、家で母ず私ず効の䞉人で食べた。入院に぀いお特に䜕も蚀わなかった効も、朝に母が荷物の説明をしたこずで珟実味が増したのだろう。しくしく泣きながら、ご飯を食べおいた。少しむラむラもしおいた。幻聎が聞こえおいたのかどうかは、分からなかった。

    い぀もの倖来の担圓医の蚺察を受け、薬の説明を䞀緒に聞き、効は怜査ぞ向かった。ここで効ずは、この日はお別れだ。「がんばろうね」ず声をかけお芋送った。

    残された私ず母は、入院説明や事務手続きを進めた。入院䞭は、倖来ずは担圓医が倉わるそうだ。最埌に、新しい担圓医の挚拶があった。珟れたその医垫は、肩に手提げ鞄をかけたたた、私たちずほずんど目を合わせなかった。ただドアの方ばかりを芋ながら、「倖泊はできるようにしおおきたすね」ず軜く蚀い、郚屋を出お行った。なんずなく、䞍安が胞をよぎった。

    入院説明の際、さたざたな曞類を曞く。その䞭で、看護垫から「退院時、どんな状態になっおいおほしいですか」ず聞かれた。

    今回の入院の目的は、「クロザリル」ずいう薬を詊すこずだ。倖来の䞻治医は、あくたで「詊しおみたしょう」ずいうニュアンスだった。うたくいかなければ、母は深くがっかりするだろう。だからこそ、その質問は少し意地悪に感じられた。家族なら誰もが「元に戻っおほしい」ず答えるはずだし、それを蚀葉にさせるこずで、効果が出なかった時に必芁以䞊に萜ち蟌んでしたうのではないかず、少し母のこずが心配になった。

    母は、「幻聎が聞こえないようになっお、昔のように戻っおほしい。仕事も埩垰できるようになっおほしい」ず答えた。具合がよければ、家族ずの倖出は可胜だそうだ。よくなりたすように、ず祈るしかなかった。

    効が入院しお、䞀週間が経った頃だった。突然、病院から電話がかかっおきた。

    効が「売店に行く」ず蚀っお病棟を出た埌、そのたたいなくなったずいう。看護垫が数人䜓制で数分間探したが芋぀からないので、䞀床倕方たで様子を芋るず蚀う。『倖泊扱いにするので、譊察に行くかは家族で決めおください』。そう告げられた時、看護垫である私は、医療の珟堎にある冷たい境界線を突き぀けられたような気がした。責めるゆずりもなく、ただ、効がどこかで消えおしたうのではないかずいう恐怖で頭が真っ癜になった。

    私たち家族は、生きた心地がしなかった。すぐ近くを探したけれど、どこにもいない。携垯に䜕床かけおも、呌び出し音が鳎るだけで出ない。結局、譊察にも盞談した。祈るような思いで埅ち続け、倜の八時を過ぎた頃、ようやく私の携垯に効から連絡があった。

    幞い、携垯ケヌスにICカヌドを入れおいたらしく、それを䜿っおバスに乗り、家の最寄りたで自力で垰っおきおいたのだ。

    「怒らないから、垰っおおいで」

    そう連絡を入れるず、効は家ぞ戻っおきた。

    「入院が耐えられなかった。ごめんなさい  」

    効はそう蚀っお、䜕床も母に謝っおいた。その小さな背䞭を芋お、胞が締め付けられた。なんずか説埗しお、その倜、私たちは効を再び病院ぞ送るこずにした。それからは、効の負担を少しでも枛らすため、毎週二日ほど、家族で倖出する時間を䜜るこずに決めた。

    最初の頃の電話では、普段は匱音を吐かない効が、第䞀声で「しんどい」ず蚀った。「どうしんどいの」ず聞いおも、「わからない、なんかしんどい」ず返っおくる。倜ご飯も「いらない」ず拒吊し、先が䞍安になった。

    けれど翌日の昌に電話をかけるず、ずおも明るい声で「蚈算ドリルをしおいた」ず蚀う。1日の䞭でも気分の波が激しい効だから、たた倜には元気がなくなっおいるかもしれない。それでも、少し安心した。

    クロザリルを詊すために、それたで飲んでいた薬を埐々に枛らしおいる時期、効は「幻聎がい぀もより聞こえやすくなった」ず蚀っおいた。
    日曜日の朝、母ず迎えに行っお倖出した時、効は時折䞍機嫌な顔を芋せながらも、どこか嬉しそうだった。けれど倕方、病棟の入り口で「たたね」ず蚀う時、効はずおも悲しそうな顔をしおいた。たるで保育園に預けられお、「嫌だ」ず泣く子䟛のようだった。なんで効がこんな思いをしなきゃいけないのかず、胞が苊しくなった。

    母は「もっず倖に出しおあげたい。治療ずの兌ね合いもあるから難しいけどね」ず蚀っおいた。母の方がきっず䜕倍も蟛いだろうに、い぀も明るく振る舞うその姿に、私は救われおいた。

    ある日曜日の昌、効を迎えに病棟ぞ行った時のこずだ。倖出時には、䞇が䞀に備えお、病棟から頓服薬をもらうこずになっおいる。その日、担圓の看護垫から「さっき効さんが『しんどい』ずおっしゃったので、頓服を飲たせたした」ず申し送りがあった。

    倖出䞭に気になっお、効ず二人きりになった時、そっず声をかけた。

    「さっき、どうしんどかったの」

    するず効は、匱々しくこう答えた。

    「  身䜓が、だるかった」

    胞がチクリず痛んだ。私は効の目を芋お、できるだけ優しい声で䌝えた。

    「この薬は、身䜓がしんどい時じゃなくお、幻聎が聞こえたり心がしんどくなった時に飲む薬なんだよ」

    効は小さく頷いた。

    粟神科では、患者が口にする「しんどい」ずいう蚀葉の意味を芋極めるのは難しい。けれど、今の効の治療では、身䜓のだるさが副䜜甚かもしれないずいう前提を、もっず䞁寧に芋おほしかった。

    私は、病棟の圹職の看護垫に電話をかけた。

    「これから服薬の際、本人が『しんどい』ず蚀ったずきは、それがどうしんどいのか、䞀歩螏み蟌んで理由を聞いおいただけたすか」

    看護垫の目線から、そう芁望を䌝えた。するず返っおきたのは、予想倖の蚀葉だった。 

    「僕たちは、しんどいず蚀われたら、それは心がしんどいんだず刀断したす」

    その静かな回答に、私は怒りより先に、どうしようもないやるせなさを感じた。倚くの患者を抱え、限られた人数で回さなければならない粟神科病棟の珟実。私自身も看護垫だから、珟堎の忙しさも、蚀葉をマニュアル通りに受け取らざるを埗ない瞬間があるこずも分かっおいる。圌らに悪意があるわけではない。

    けれど、家族ずしお、そしお同じ医療職ずしお、そこで匕き䞋がるわけにはいかなかった。身䜓がしんどい時に、この匷い頓服が䜿われおしたうのは、あたりにも䞍安だった。

    「粟神疟患の患者さんでも、身䜓がしんどいこずはありたす。特に今の効の治療は、副反応を厳重に芋なければならない時期です。どうか、頓服を枡す前に、本人の症状のニュアンスをしっかり芋おいただけたすか」

    そう䌝えるしかなかった。粟神疟患ずいうだけで、心のしんどさにたずめられおしたう。その珟実に、胞が締め付けられた。

    父や母は、病院に芁望を䌝えすぎるず効が䞍利になるのではず心配しおいた。けれど私は、理䞍尜な扱いだけはしおほしくない䞀心で、普段はあたり匷く蚀う方では無いが、䌝えるようにしおいた。効が幻聎で぀らい時、私にき぀く圓たる事もあったが、埌で「ごめんね、い぀もありがずう」ず蚀われた時、少し救われた。

    効が入院しお、二回目の倖出をした時のこずだった。お寺や近堎をぶらぶらドラむブしおいた。母たちが少しその堎を離れおいる間、十分ほど、私ず効は二人きりで境内のベンチに座っおいた。

    統合倱調症を患っおからの効は、幻聎や気分の波が激しく、これたであたりスムヌズに䌚話を亀わせなかった。「今日は䜕したの」ず私が聞き、効が答える。そんな数埀埩の䌚話ができただけでも、以前は「今日は調子がいいな」ず思うほどだった。

    でも、その日は違った。

    効が突然、私に向かっおこう聞いおきた。

    「次、なんの仕事しようか考えおる。なにがいいず思う」

    正盎、驚いた。今たで仕事はどれも長く続かなかったし、母ず䜕床もハロヌワヌクぞ行く姿も芋おきた。しかも、今はただ入院䞭だ。退院埌の生掻なんお、ただ考えおいないず思っおいたからだ。

    私は驚きを隠しながら、優しく聞いおみた。

    「どんなこずがしたいの。なにがしたい。なにが嫌なの」

    するず効は、少し考えおこう蚀った。

    「枅掃業は苊手。箱詰めは奜きだった。蟲業もいいかな。たたA型䜜業所かな」

    私は、効がこれから始める予定のクロザリルの話を少しした。もしその薬が効いお、幻聎がなくなれば、䜜業所じゃなくおも働ける可胜性があるかもしれないよ、ず。効は自信なさそうだったけれど、それでも自分の思いを䞀぀ひず぀、少しず぀蚀葉にしおくれた。

    たった十分間。でもその十分間、お互いの蚀葉がきれいに噛み合い、スムヌズに䌚話ができたこずが、私にずっおどれほど奇跡のような時間だったか。たるで、病気になる前のあの頃の効に少し戻ったような気がした。

    「もし病気になっおいなかったら、今もこんなふうに、普通に話しおいたのかな」

    そんな感傷が胞をよぎった。予定通りにいけば、効は翌日からクロザリル治療が始たる。ただ前の薬を枛らしおいる䞍安定な段階だったからこそ、この前向きな䌚話には本圓に救われた。

    その日のお出かけが終わり、効を病院ぞ送っおいった時、効は「がんばっおくる。頑匵っお治すね」ず蚀っお、笑顔で車を降りおいった。その匷い埌ろ姿に、どうか少しず぀良くなりたすようにず、心の底から祈った。

    効がクロザリル治療を始めおから、䞀ヶ月ず䞉週間ほどが経った。病院のトむレでたたに倒れおしたったり、倖出しおもすぐに顔色が悪くなっお䌑んだりするこずがある。副䜜甚の手匷さを、身をもっお感じおいる。

    けれど、今たで「幻聎が聞こえない時間はなかった」ず蚀っおいた効が、最近、「聞こえない時間も少しず぀増えおきた」ず教えおくれた。それを聞いたずき、胞の奥からじわじわず嬉しさが蟌み䞊げおきた。

    今も毎週日曜日、家族で倖出し、近堎の神瀟ぞ行ったりドラむブをしたりしおいる。効は嬉しそうにしおいるけれど、やはりたたに、話しかけるずむラむラしおいるこずもある。車内では、むダホンをしお自分の䞖界に閉じこもっおいるこずも倚い。

    病院ぞ垰る時間が近づくず、あからさたに垰りたくなさそうな顔をする効だったが、たたに、すっきりしたような顔で「たたね」ず蚀うこずもある。少し寂しそうな顔を芋る時は、今でも心苊しい。けれど母は、どんな時もい぀も通り、「たた来週ね」ず明るい声で芋送る。

    私から芋れば、母ももういい歳だ。䜓力的にも粟神的にも、少し心配になる。家族それぞれの想いが亀錯する、耇雑な気持ち。それでも、良くなるこずを、みんなで祈るばかりだ。

    統合倱調症は、医孊的な完治が難しいずされおいる。倚くの人が、薬を飲みながら日垞生掻を送っおいる。継続的な治療を行いながら、寛解を目指す。

    昚今、粟神疟患の患者は幎々増えおいるず耳にする。それだけ、生きづらさを抱えおいる人が䞖の䞭に溢れおいるずいうこずだろう。効はカバンに、ヘルプマヌクのキヌホルダヌを぀けおいる。぀けおいない人でも、䜕も抱えおいないように芋える人でも、もしかするず、䜕かしらの疟患を抱えおいるかもしれない。少しでも、そんな人たちが生きやすい䞖の䞭であっおほしいず、心から匷く思う。

    実は、この蚘録をnoteに曞き綎るようになっおから、少しず぀倉化が起きおいる。効ず同じ疟患を抱え、同じクロザリル治療を受ける孊生の方からコメントが届いたり、珟状の報告を亀わし合ったりするこずが増えたのだ。

    い぀しか同じ痛みを分かち合う、小さなコミュニティになっおいた。そのこずぞの深い感謝ず、誰かの圹に立おおいるかもしれないずいう安堵。そしお䜕より、芋ず知らずの圌らの蚀葉に、私自身がどれほど勇気をもらっおいるだろう。私は、届ける偎ではなく、支えられおいる偎でもあるのだ。

    この蚘録が、どこかで同じように息を朜めおいる誰かの、小さな光になりたすように。
    必ず、光は芋えるのだず信じながら生きおいきたい。

     
     
    粟神疟患を持぀家族の日垞 ✏ 同じ立堎の人のなにかヒントになるかもしれない そんなきっかけで始めたした。 私の䞀぀歳䞋の効ずのお話🌱

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