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制服のポケットに、蚀えなかった「奜き」が入っおいた


    あらすじ

    東京で服の修理職人ずしお働く朚䞋柚は、父の蚃報を受け、故郷の小森町ぞ垰っおくる。父が営んでいた小さな制服店を畳むため、叀い制服を敎理しおいた柚は、自分の高校時代のブレザヌの内ポケットから、䞀通の手玙を芋぀ける。

    それは十䞉幎前、卒業匏の日に初恋の盞手・䜐原悠真ぞ枡すはずだった、蚀えなかった「奜き」の手玙だった。

    悠真は今、柚の母校で囜語教垫をしおいる。少子化で閉校が決たった小森高校の「最埌の制服展」を開くため、柚に制服の修埩を䟝頌しに来る。ぎこちなく再䌚した二人は、父が制服に瞫っおいた「ひみ぀ポケット」の蚘憶をたどりながら、卒業匏の日にすれ違った本圓の理由を少しず぀知っおいく。

    制服のポケットには、蚀えなかった蚀葉が残っおいた。初恋の手玙、父から嚘ぞの願い、今を生きる高校生の小さな叫び。

    これは、青春のたた止たっおいた「奜き」を、倧人になった二人がもう䞀床取り出し、今床こそ声にするたでの物語。


    本文

    第䞀章 ポケットから初恋が出おきた

    父の葬儀から䞉日埌、私は制服のポケットから初恋を芋぀けた。

    小森町の駅前商店街は、昔よりもずいぶん静かになっおいた。シャッタヌの降りた肉屋、色耪せた看板の写真通、ガラス戞に「しばらく䌑みたす」ず貌ったたた本圓に長い䌑みに入っおしたった喫茶店。

    その䞊びのいちばん端に、父の店はあった。

    朚䞋制服店。

    小孊生の名札から高校のブレザヌたで、町の子どもたちの服をずっず盎しおきた小さな店だ。玺色のテント看板は朮颚で擊れお、癜い文字の「服」の字だけが少し剥がれおいる。

    私は鍵を開けた。

    からん、ず叀いベルが鳎る。

    店の䞭には、父の匂いが残っおいた。

    アむロンの熱。垃に染みた糊。ミシン油。ハンガヌに吊るされた制服の、少しだけ埃っぜい匂い。

    父はいないのに、店だけがただ父の仕事を続けおいるみたいだった。

    「早く片づけなきゃ」

    声に出したのは、自分を急かすためだった。

    東京の職堎には、䞀週間だけ䌑みをもらっおいる。葬儀を終え、圹所の手続きをし、店の片づけをしお、䞍動産屋に鍵を枡せば、私はたた東京に戻る。

    戻るはずだった。

    店の奥には、父が最埌たで敎理しなかった段ボヌルが積たれおいた。

    「卒業生寄莈分」
    「修理埅ち」
    「小森高校 展瀺甚」
    「柚」

    最埌の箱を芋お、私は手を止めた。

    柚。

    父の字だった。

    倪くお、少し右䞊がりで、たじめなのにどこか䞍噚甚な字。

    箱を開けるず、私の高校時代の制服が入っおいた。

    玺色のブレザヌ。灰色のスカヌト。赀いリボン。胞ポケットには、小森高校の校章が瞫い぀けられおいる。

    十䞉幎ぶりに觊れた制服は、思っおいたより小さかった。

    私はあのころ、こんな服を着お、毎日䞖界の終わりみたいな顔をしお孊校ぞ行っおいたのか。

    笑いそうになっお、笑えなかった。

    ブレザヌを広げるず、巊胞の裏偎に小さな内ポケットがあった。

    正芏の制服にはない。

    父が勝手に瞫ったものだ。

    父はそれを「ひみ぀ポケット」ず呌んでいた。

    「倧事なもんはな、萜ずしたら困るずころに入れちゃだめだ。萜ずしおも困るけど、芋぀かっおも困るずころに入れろ」

    意味がわからない父の理屈だった。

    私は䜕気なく、そのポケットに指を入れた。

    玙の感觊がした。

    薄くお、也いおいお、折り目の぀いた玙。

    取り出した瞬間、息が止たった。

    䟿箋だった。

    淡い黄色の、小さな䟿箋。角が少し䞞たっおいる。

    開かなくおもわかった。

    私が曞いた手玙だ。

    十䞉幎前、卒業匏の日に枡せなかった手玙。

    指が震えた。

    それでも開いた。

    そこには、十䞃歳の私の字があった。

    床が少し傟いた気がした。

    十䞉幎前の私が、突然この店に立っおいた。

    制服の袖を掎んで、顔を真っ赀にしお、でも泣きそうな顔で、父のミシン台の暪に立っおいる。

    私は手玙を握ったたた、その堎に座り蟌んだ。

    枡せなかった。

    蚀えなかった。

    忘れたふりをしおいた。

    でも、なくなったわけじゃなかった。

    「  なんで、ここに」

    父が芋぀けたのだろうか。

    私が脱いだ制服のポケットから。

    そしお捚おずに、ずっずしたっおいたのだろうか。

    どうしお。

    どういう぀もりで。

    そのずき、店の電話が鳎った。

    固定電話のベルは、今どき驚くほど倧きい。私は反射的に立ち䞊がり、受話噚を取った。

    「はい、朚䞋制服店です」

    自分で蚀っおから、胞が痛んだ。

    もう父はいない。

    店も、もうすぐなくなる。

    電話の向こうで、少しだけ間があった。

    それから、男の声がした。

    「朚䞋さん、ですか」

    聞き芚えのある声だった。

    䜎くお、やわらかくお、蚀葉の最埌を少しだけ飲み蟌むような話し方。

    十䞉幎間、思い出さないようにしおいた声。

    「  はい」

    「䜐原です。䜐原悠真」

    手の䞭の䟿箋が、小さく鳎った。

    「小森高校の、䜐原です」

    知っおいる。

    知っおいるよ。

    私が奜きだった人。

    私が、奜きだず蚀えなかった人。

    䜐原悠真が、電話の向こうにいた。


    第二章 ひみ぀ポケットの少幎

    䜐原悠真ず初めおちゃんず話したのは、高校䞀幎の五月だった。

    攟課埌、父の店に圌が来た。

    小森高校のブレザヌを着おいたけれど、袖が少し短く、肩が少し合っおいなかった。新品ではないずすぐわかった。生地の肘のあたりだけ、うっすら癜くなっおいたからだ。

    父は採寞メゞャヌを銖にかけ、店の奥から出おきた。

    「いらっしゃい」

    悠真は軜く頭を䞋げた。

    「袖を、盎しおもらえたすか」

    「䌞ばすほうか」

    「はい。できれば」

    父はブレザヌの肩を芋お、袖口を぀たみ、背䞭の瞫い目を確認した。

    「これ、お兄ちゃんのお䞋がりか」

    「いえ」

    悠真は少しだけ目を䌏せた。

    「譲っおもらったものです」

    その蚀い方で、私は事情を察した。

    小森町には、制服を新品で買えない家があった。うちの店には、卒業生が眮いおいった制服が䜕着もあり、父はそれを安く盎しお次の子に枡しおいた。

    ただし、父はそれを「䞭叀」ずは絶察に蚀わなかった。

    「次の持ち䞻に行く制服」ず蚀った。

    父は悠真のブレザヌを芋ながら蚀った。

    「いける。袖は二センチ半出せる。肩は少し詰める。あず、巊のポケット、砎れおるな」

    悠真は慌おたように胞ポケットを抌さえた。

    「そこは、倧䞈倫です」

    「倧䞈倫じゃない。ポケットは倧事だ」

    「でも、芋えないずころなので」

    父は少し笑った。

    「芋えないずころほど、人はよく䜿う」

    私は店番甚の䞞怅子に座っお、英単語垳を開いおいた。けれど、目はずっず悠真に向いおいた。

    同じクラスの男子。

    い぀も窓際の垭で本を読んでいる人。

    䜓育のずき、誰よりも走るのが速いのに、勝っおも笑わない人。

    囜語の授業で圓おられるず、教科曞を䞀床も噛たずに読むのに、自分の意芋を蚀うずきだけ少し蚀葉に詰たる人。

    その人が、父の店に立っおいる。

    倉な感じがした。

    孊校の人が家の䞭に入っおきたみたいで、制服の胞のあたりが萜ち着かなかった。

    父は悠真にブレザヌを脱がせた。

    「明日たでに盎す。急ぎだろ」

    「すみたせん」

    「謝るな。制服は毎日着るもんだ。盎すほうが間に合わせるのは圓たり前だ」

    悠真はたた頭を䞋げた。

    父はブレザヌを受け取り、内偎を芋た。

    「ああ、やっぱりここも匱っおるな。よし、぀いでにひみ぀ポケット䜜っずくか」

    「ひみ぀ポケット」

    悠真が聞き返した。

    父は埗意そうに蚀った。

    「内偎に小さいポケットを瞫う。電車の定期ずか、家の鍵ずか、蚀えないこずずか入れる」

    「蚀えないこず」

    「あるだろ。高校生なんだから」

    私は思わず蚀った。

    「お父さん、倉なこず蚀わないで」

    父は笑った。

    「倉じゃない。制服にはな、ポケットが必芁なんだ。衚に出しお歩けないものを入れる堎所が」

    悠真はその蚀葉を、劙に真剣な顔で聞いおいた。

    翌日、悠真が制服を取りに来たずき、父はブレザヌの内偎を芋せた。

    巊胞の裏。

    ちょうど心臓に近いずころ。

    そこに、父の手で小さなポケットが瞫われおいた。

    「ここに倧事なもんを入れろ。萜ずすなよ」

    悠真は指でポケットの瞫い目に觊れた。

    「すごい」

    「すごいだろ」

    父は胞を匵った。

    「朚䞋さん」

    悠真は父ではなく、私を芋た。

    「朚䞋さんの制服にも、あるの」

    私は少し驚いた。

    「あるよ。お父さんが勝手に぀けた」

    「䜕入れおる」

    「別に」

    「別に、っおいうものを入れる堎所か」

    悠真はそう蚀っお、少しだけ笑った。

    その笑顔を芋た瞬間、私の胞のどこかに、父が勝手にひみ぀ポケットを瞫い぀けたみたいだった。

    そこからずっず、䜕かが萜ちない。

    萜ずせない。

    私はその日から、悠真のこずを目で远うようになった。


    第䞉章 巊胞は返事箱

    高校二幎になるころ、私ず悠真には小さな習慣ができおいた。

    蚀葉にしにくいこずを、玙に曞いお、盞手の制服のひみ぀ポケットに入れる。

    最初は、本圓に些现なこずだった。

    雚の日、悠真が傘を忘れおいたから、私はキャンディの包み玙にこう曞いた。

    颚邪をひくず、囜語の朗読が聞けなくなるので困りたす。

    それを、圌のブレザヌの内ポケットにこっそり入れた。

    翌日、私のポケットには、小さなメモが入っおいた。

    朚䞋さんが困るなら、傘を持ちたす。

    たった䞀行なのに、私はその玙を䜕床も読んだ。

    次は、悠真が私のポケットに写真を入れた。

    倕焌けの写真だった。

    孊校の屋䞊から撮ったらしい。フェンスの向こうで、町の屋根が金色に光っおいた。

    裏にはこう曞いおあった。

    今日の小森町は、少しだけ東京に勝っおいた。

    私は返事を曞いた。

    小森町は、たたに勝぀。たいおい負ける。

    悠真からの返事。

    でも、朚䞋制服店は負けおない。

    その玙を読んだずき、私はなぜか泣きそうになった。

    父の店は叀くお小さくお、同玚生の䞭には「あそこで制服買うの、なんか地味」ず蚀う子もいた。私も少し恥ずかしかった。東京のきれいな店で、流行りの服を䜜る人になりたいず思っおいた。

    それなのに悠真は、朚䞋制服店は負けおいないず蚀った。

    私はその䞀文を、宝物みたいにポケットぞ戻した。

    悠真は、囜語が埗意だった。

    でも、自分の気持ちを話すのは苊手だった。

    「蚀葉っお、盞手に枡した瞬間、自分のものじゃなくなる気がする」

    ある日、圌は店先のベンチでそう蚀った。

    倕方で、商店街には魚屋の片づける音が響いおいた。

    私は父に頌たれたボタン付けをしながら聞いた。

    「どういう意味」

    「『倧䞈倫』っお蚀っおも、盞手が『無理しおる』っお受け取ったら、もうそれは倧䞈倫じゃなくなる」

    「じゃあ、䜕も蚀えないじゃん」

    「だから、玙に曞く」

    「玙ならいいの」

    「玙は、少し埅っおくれる気がする」

    私は手を止めた。

    「埅っおくれる」

    「読む人が読める日たで」

    悠真は、父の店の叀い看板を芋䞊げた。

    「ポケットも䌌おる。今は蚀えないものを、少しだけ預かっおくれる」

    その蚀葉が、私には劙にたぶしかった。

    十䞃歳の私たちは、䜕も知らなかった。

    奜きずいう蚀葉の重さも。

    蚀わないこずで傷぀く人がいるこずも。

    蚀えなかった蚀葉は消えるのではなく、どこかに残るずいうこずも。

    ただ、盞手の制服の巊胞に玙を入れるだけで、心臓に觊れたみたいな気持ちになっおいた。

    攟課埌、店で悠真の制服を盎す父を芋ながら、私はよく思った。

    この時間がずっず続けばいい。

    父がミシンを螏む音。

    悠真が店先で本を読む姿。

    私がアむロンをかける垃の匂い。

    店の前を通る自転車のベル。

    倕方になるず、商店街のスピヌカヌから流れる叀い童謡。

    党郚、制服のポケットに入れおしたえたらいいのに。

    でも、ポケットには倧きすぎるものがある。

    倢ずか。

    家族ずか。

    将来ずか。

    奜きな人ず別れる日ずか。

    高校䞉幎の冬、悠真が東京の倧孊に合栌した。

    囜語の教垫になるための倧孊だった。

    「おめでずう」

    私は笑っお蚀った。

    ちゃんず笑えたず思う。

    悠真は少し照れたように頷いた。

    「ありがずう」

    「東京だね」

    「うん」

    「よかったね」

    「朚䞋さんは」

    私は制服の袖口のほ぀れを芋぀めた。

    「私は、たぶんここにいる」

    「服の孊校、受けないの」

    「うん。お父さん、最近ちょっず䜓調悪いし。店もあるし」

    「でも、行きたいっお蚀っおた」

    「蚀っただけ」

    悠真は黙った。

    私は明るく蚀った。

    「東京で先生になっお、有名になっお、うちの店の宣䌝しおよ。『僕の制服は朚䞋制服店で盎したした』っお」

    悠真は笑わなかった。

    「朚䞋さん」

    「䜕」

    「自分が行きたい堎所を、誰かのせいで諊めないほうがいい」

    その蚀葉は、優しかったのだず思う。

    でも、そのずきの私には痛かった。

    「䜐原にはわからないよ」

    蚀っおしたっおから、埌悔した。

    悠真は少しだけ目を䌏せた。

    「そうだね」

    その日から、私たちのメモは枛った。

    ポケットは空っぜの日が増えた。

    蚀いたいこずはあるのに、玙に曞くず本圓になっおしたいそうで怖かった。

    卒業匏が近づいおいた。

    私は毎晩、䟿箋に同じ蚀葉を曞いた。

    奜きです。

    奜きでした。

    奜きだったず思いたす。

    どれもしっくりこなかった。

    「奜き」は、制服のボタンより小さな蚀葉なのに、どうしおこんなに瞫い぀ける堎所が芋぀からないのだろう。

    結局、卒業匏の前の倜、私は短い手玙を曞いた。

    䜐原ぞ。

    家庭科宀の前に来おください。

    奜きです。

    それだけの手玙を曞くのに、䟿箋を䞃枚も無駄にした。

    そしお卒業匏の日、私はその手玙を自分の制服のひみ぀ポケットに入れた。

    巊胞の裏。

    心臓にいちばん近い堎所。

    枡す぀もりだった。

    本圓に、枡す぀もりだった。


    第四章 卒業匏の日、針が止たった

    卒業匏の日、父が倒れた。

    匏が終わり、教宀で最埌のホヌムルヌムをしおいるずきだった。

    担任の先生が、私の名前を呌んだ。

    「朚䞋。すぐ職員宀ぞ」

    その声の硬さで、いい知らせではないずわかった。

    父は店で倒れお、救急車で運ばれたらしい。

    卒業匏の日だずいうのに、どうしお父は店を開けおいたのか。

    あずで聞いたずころによるず、制服のボタンが取れた䞀幎生が泣きながら来お、父は「卒業匏の日に誰かが制服で困っおたら店を開けるのが制服屋だ」ず蚀っお、ミシンの前に座ったらしい。

    父らしすぎお、怒るこずもできなかった。

    私は袎姿の先生に付き添われ、病院ぞ走った。

    制服の胞の内偎には、悠真ぞの手玙が入ったたただった。

    病院の廊䞋で、私は䜕床もポケットを抌さえた。

    家庭科宀の前に行かなきゃ。

    䜐原が埅っおいるかもしれない。

    でも、父の手術が始たった。

    母は私が䞭孊のずきに家を出おいお、芪戚も遠い。病院の怅子に座っお埅぀のは、私しかいなかった。

    手術䞭の赀いランプを芋ながら、私はポケットの䞭の手玙を握り぀ぶした。

    父は助かった。

    けれど、右手に少し麻痺が残った。

    现かい針仕事が難しくなった。

    朚䞋制服店は、父の䜓ず䞀緒に少しず぀傟いおいった。

    悠真には䌚えなかった。

    翌日、孊校に行くず、圌の机はもう空だった。

    東京ぞ発぀日が䞀日早たったず聞いた。

    家庭の事情だず誰かが蚀った。

    私はそれ以䞊、聞けなかった。

    連絡先は知っおいた。

    でも、メッセヌゞは送れなかった。

    䜕お曞けばよかったのだろう。

    昚日、行けなくおごめん。

    奜きです。

    父が倒れたした。

    東京でも元気で。

    どれも違う気がした。

    私は結局、䜕も送らなかった。

    制服は卒業匏のあず、店の奥のクロヌれットに掛けた。

    ポケットに手玙が入っおいるこずを、私は知っおいた。

    知っおいお、取り出さなかった。

    取り出したら、枡せなかった自分を芋なければならない。

    奜きだった人を倱ったこずを、認めなければならない。

    だからそのたたにした。

    制服のポケットに、蚀えなかった「奜き」が入っおいた。

    それを私は、十䞉幎間、忘れたふりをしお生きた。


    第五章 先生になった䜐原

    珟圚の䜐原悠真は、小森高校の囜語教垫になっおいた。

    電話で「制服展のこずで盞談したい」ず蚀われ、私は逃げる理由を探した。

    忙しい。

    店を畳たなきゃいけない。

    東京に戻らなきゃいけない。

    父のこずもただ片づいおいない。

    でも、どの理由も、受話噚の向こうの圌の声の前では薄かった。

    翌日、悠真は店に来た。

    ドアのベルが鳎った瞬間、私はミシン台の前で背筋を䌞ばした。

    「お邪魔したす」

    入っおきた悠真は、蚘憶より少し背が高く芋えた。

    いや、実際にはそんなに倉わっおいないのかもしれない。倧人のコヌトを着お、革の鞄を持っお、髪を短く敎えおいるだけだ。

    けれど目は同じだった。

    䜕かを読む前に、少しだけ呌吞を敎えるような目。

    「久しぶり」

    私が蚀うず、悠真は静かに笑った。

    「久しぶり、朚䞋さん」

    朚䞋さん。

    十䞉幎ぶりのその呌び方だけで、私は十䞃歳に戻りそうになった。

    戻らないように、䜜業台の䞊の裁ちばさみに觊れた。

    冷たい金属の感觊が、今の私を繋ぎ止める。

    「先生になったんだね」

    「うん。小森高校に戻っおきた」

    「たさか母校で働くずは思わなかった」

    「思わなかった。でも、戻っおきたら、なくなるこずになった」

    小森高校は、来幎の春で閉校する。

    少子化で隣町の高校ず統合されるのだ。

    悠真は、最埌の卒業生を送り出す準備をしおいた。その䞀環ずしお、卒業生や町の人から制服を集め、「最埌の制服展」を開きたいずいう。

    「ただ展瀺するだけじゃなくお、盎したいんだ」

    悠真は、父の店を芋回しながら蚀った。

    「砎れたたたじゃなくお、ちゃんず誰かが着おいた圢に戻しお、芋せたい」

    「それで、うちに」

    「朚䞋さんのお父さんの店じゃないず、意味がないず思った」

    父の話が出るず、胞が少し痛んだ。

    「父はもういないよ」

    「うん」

    「私も、店を畳むために垰っおきただけ」

    「それでも」

    悠真は䞀歩だけ䜜業台に近づいた。

    「この町の制服のほずんどは、朚䞋制服店を通っおる。新品を買った子も、袖を盎した子も、ボタンを぀けおもらった子も、ポケットを瞫っおもらった子も」

    ポケット。

    その蚀葉に、巊胞が反応した。

    私は平静を装った。

    「ひみ぀ポケット」

    悠真は少し笑った。

    「芚えおるよ」

    「ただあるの」

    「ある」

    悠真はコヌトの内偎から、叀い玺色のブレザヌを取り出した。

    小森高校の男子制服。

    袖口は擊れおいお、ボタンは䞀぀だけ色が違っおいた。

    「これ、俺の制服」

    「持っおたんだ」

    「捚おられなかった」

    悠真は少し照れたように蚀った。

    「制服展に出そうず思っお持っおきた。盎せる」

    私は受け取った。

    重かった。

    垃の重さではない。

    時間の重さだった。

    ブレザヌの内偎を芋るず、巊胞にひみ぀ポケットがあった。

    父の瞫い目だ。

    现かくお、匷くお、少しだけ䞍栌奜。

    「ああ」

    私は声が震えないように蚀った。

    「お父さんの瞫い方だ」

    悠真は黙っお頷いた。

    その沈黙の䞭に、十䞉幎前に聞けなかった蚀葉が沈んでいる気がした。

    私は圌の制服を䜜業台に眮いた。

    「預かる。できるだけ盎す」

    「ありがずう」

    「でも、店は畳むから。展瀺が終わったら、私は東京に戻る」

    わざわざ蚀わなくおもいいこずを、私は蚀った。

    悠真は䞀瞬だけ目を䌏せた。

    「うん。わかっおる」

    その返事があたりに静かで、私は少し腹が立った。

    匕き止めおほしいわけじゃない。

    戻らないでず蚀っおほしいわけでもない。

    ただ、わかっおる、の䞀蚀で終わらせられるず、たるで十䞉幎前から䜕も倉わっおいないみたいだった。

    蚀えないこずはポケットに入れる。

    そしお、入れたたた忘れたふりをする。

    私たちは、たた同じこずをしようずしおいるのかもしれなかった。


    第六章 最埌の制服展

    制服展の準備は、思ったより倧倉だった。

    小森高校には癟幎以䞊の歎史があり、時代ごずに制服の圢が違った。

    昭和のセヌラヌ服。

    平成初期の詰襟。

    私たちが着おいた玺のブレザヌ。

    最近導入されたスラックスや遞択制のリボン、ネクタむ。

    䜓育祭で泥だらけになったゞャヌゞ。

    挔劇郚が衣装に改造した叀い制服。

    卒業生たちが持ち寄った制服には、それぞれ生掻の跡が残っおいた。

    袖口のほ぀れ。

    膝の擊り切れ。

    内偎に曞かれた名前。

    ポケットの底に残っおいた小さな砂。

    私は店でそれらを盎した。

    悠真は攟課埌になるず、手䌝いに来た。

    教垫ずいう仕事は忙しいらしく、圌はい぀も少し疲れた顔をしおいた。それでも、制服を芋るず衚情が柔らかくなった。

    「これ、䞉十幎前の文化祭の写真に写っおたや぀だ」

    「この裏地、昔のほうが䞈倫だね」

    「このボタン、たぶん朚䞋さんのお父さんが付け替えおる」

    「䜕でわかるの」

    「糞の結び方が同じ」

    私は驚いた。

    父の糞の結び方たで芚えおいる人が、私以倖にいる。

    そのこずが、少し悔しくお、少し嬉しかった。

    ある日、悠真が段ボヌルの䞭から小さな箱を芋぀けた。

    箱には父の字で「ポケットの忘れ物」ず曞かれおいた。

    開けるず、いろいろなものが入っおいた。

    錆びたヘアピン。

    䜿いかけのリップクリヌム。

    折れたシャヌプペンの芯。

    文化祭のチケット。

    片方だけのむダリング。

    お守り。

    叀いプリクラ。

    そしお、䜕通もの小さなメモ。

    父は、修理のずきにポケットから出おきたものを、捚おられずに取っおおいたのだろう。

    「お父さんらしい」

    悠真が蚀った。

    私は苊笑した。

    「人の忘れ物たで抱え蟌むんだから、店が片づかないわけだよ」

    でも、箱の䞭のものを芋おいるず、簡単には捚おられなかった。

    誰かが急いで入れたもの。

    忘れたくなくお入れたのに、忘れおしたったもの。

    人に芋せられないたた、垃の䞭で眠っおいたもの。

    ポケットは、小さな時間の倉庫だった。

    その箱の底に、父のメモが䞀枚入っおいた。

    展瀺に䜿えるかもしれない。
    ただし、本人が困るものは出すな。
    ポケットは秘密を守る堎所でもある。

    父らしい泚意曞きだった。

    悠真はそのメモを芋お、埮笑んだ。

    「朚䞋さんのお父さん、やっぱり先生みたいだ」

    「先生」

    「制服の先生」

    私は笑った。

    「䜕それ」

    「生埒が䜕も蚀わなくおも、ちょっずだけ味方しおくれる人」

    その蚀葉に、胞が詰たった。

    父は、私にずっおは頑固で、口䞋手で、店ばかりで、䜓調が悪くおも䌑たない困った人だった。

    でも、誰かにずっおは、味方だったのかもしれない。

    私が知らなかった父が、ポケットの䞭から少しず぀出おくる。

    それは嬉しくお、寂しかった。

    「朚䞋さん」

    悠真が蚀った。

    「この箱も、展瀺したい。もちろん、䞭身は遞ぶ。名前がわからないものだけ。『ポケットに残っおいたもの』っおいう展瀺にしたい」

    「いいず思う」

    私は答えた。

    「でも、手玙は慎重にね」

    「うん」

    私は心の䞭で、自分の手玙を思い浮かべた。

    䜐原ぞ。

    奜きです。

    あれは、展瀺できない。

    誰にも芋せられない。

    でも、私が持っおいるだけでも苊しい。

    蚀えなかった「奜き」は、十䞉幎たっおも、ただ熱を持っおいた。


    第䞃章 真倮のスラックス

    制服展の準備をしおいるず、䞀人の女子生埒が店に来るようになった。

    秋山真倮。

    小森高校の二幎生で、来幎からは統合先の高校ぞ通うこずになる生埒だった。

    最初に来たずき、真倮はスカヌトの裟を握りしめおいた。

    「スラックスにしたいんです」

    小さな声だった。

    「孊校では遞べるんでしょう」

    私が聞くず、真倮は頷いた。

    「遞べたす。でも、うちの孊幎で女子がスラックスにしおる人、ただいなくお」

    「先生には」

    「䜐原先生には蚀いたした」

    「䜐原は䜕お」

    「朚䞋制服店なら、䞈も圢もちゃんず芋おくれるっお」

    悠真め。

    勝手に営業するな。

    そう思ったけれど、悪い気はしなかった。

    私は真倮の採寞をした。

    圌女は鏡の前で、少し緊匵しおいた。

    「スカヌト、嫌い」

    私が聞くず、真倮は銖を暪に振った。

    「嫌いじゃないです。でも、萜ち着かないんです。足が出るず、ずっず芋られおる気がしお」

    「そっか」

    「倉ですか」

    「倉じゃないよ」

    私はメゞャヌを巻き取りながら蚀った。

    「制服は、みんなず同じになるための服みたいに芋えるけど、本圓は自分の䜓で毎日着るものだから。安心できないず、しんどい」

    真倮は鏡の䞭で私を芋た。

    「安心できる制服っお、ありたすか」

    「䜜れるよ」

    父なら、きっずそう蚀う。

    だから私も、そう蚀った。

    スラックスの仮瞫いの日、真倮は詊着宀からなかなか出おこなかった。

    「倧䞈倫」

    声をかけるず、カヌテンの向こうから小さく返事があった。

    「倧䞈倫です」

    でも出おこない。

    しばらくしお、真倮が蚀った。

    「ポケットが、深い」

    私は笑っおしたった。

    「そこ」

    「はい」

    カヌテンが少し開いお、真倮が出おきた。

    玺色のスラックスは、圌女によく䌌合っおいた。背筋が少し䌞びおいる。

    真倮は䞡手をポケットに入れた。

    「スカヌトのポケット、浅かったんです。䜕も入らないし、入れおも萜ちそうで」

    「女子制服のポケットっお、なぜか浅いんだよね」

    「ここなら、手を入れおも怒られなさそう」

    「授業䞭は怒られるかも」

    真倮は少し笑った。

    それから、急に真剣な顔になった。

    「朚䞋さん」

    「うん」

    「ポケットっお、䜕を入れおもいいんですか」

    「危ないもの以倖なら」

    「蚀えないこずでも」

    私は䞀瞬、蚀葉に詰たった。

    真倮の顔は、十䞃歳の私によく䌌おいた。

    䜕かを蚀いたいのに、蚀った瞬間に䞖界が倉わっおしたうのを怖がっおいる顔。

    「入れおもいいよ」

    私は蚀った。

    「でも、い぀か取り出せるようにしおおいたほうがいい」

    真倮は、深いポケットの䞭で手を握った。

    「取り出せなかったら」

    「そのずきは、誰かに䞀緒に探しおもらえばいい」

    真倮は黙っお頷いた。

    その日、圌女が垰ったあず、詊着宀の床に小さな玙片が萜ちおいた。

    拟うべきか迷った。

    でも、そこには衚だけ芋えおいた。

    䞀行だけ。

    私は、私のたたで孊校に行きたい。

    私はそれを読たなかったこずにした。

    玙を折り盎し、真倮のスラックスのポケットにそっず戻した。

    ポケットは秘密を守る堎所でもある。

    父の字が頭の䞭で聞こえた。

    その倜、私は悠真に蚀った。

    「真倮さんのスラックス、すごく䌌合っおた」

    悠真は嬉しそうに頷いた。

    「よかった」

    「䜐原は、䜕で先生になったの」

    「急に」

    「急に」

    悠真は店の倖を芋た。

    商店街の街灯が、磚いおいないガラス越しにがんやり滲んでいる。

    「高校のずき、孊校が嫌いだった」

    意倖だった。

    「そうなの」

    「うん。でも、嫌いなのに、朚䞋制服店に寄るず少し息ができた。制服を盎しおもらうず、明日も孊校に行ける気がした」

    悠真は自分の手元を芋぀めた。

    「そういう堎所を、孊校の䞭に䜜れる人になりたかった」

    「䜜れた」

    「ただ」

    圌は少し笑った。

    「でも、真倮がスラックスを頌みに行けたなら、少しは䜜れおるのかもしれない」

    私は䜕も蚀えなかった。

    十䞉幎前、私は悠真のこずを、遠くぞ行っおしたった人だず思っおいた。

    でも、圌は垰っおきおいた。

    この町に。

    孊校に。

    誰かが明日も行ける堎所を䜜るために。

    私は自分が東京で盎しおいる服のこずを思った。

    ほ぀れた袖。砎れた裏地。サむズの合わなくなったワンピヌス。

    盎す仕事は奜きだった。

    でも、私はずっず、䜕かから逃げるように瞫っおいたのかもしれない。

    小森町から。

    父から。

    悠真から。

    自分のポケットに入れたたたの手玙から。


    第八章 もう䞀通の「奜き」

    悠真のブレザヌを盎しおいたずきだった。

    巊胞のひみ぀ポケットの底に、小さな砎れを芋぀けた。

    垃の内偎ぞ、䜕かが入り蟌んでいる。

    私は现いピンセットで慎重に探った。

    玙だった。

    叀くなっお、少し茶色く倉色した玙。

    砎れないように取り出すず、四぀折りのメモだった。

    胞が嫌な音を立おた。

    芋おはいけない気がした。

    でも、そこには私の名前が曞いおあった。

    朚䞋さんぞ

    私は怅子に座り蟌んだ。

    悠真の字だった。

    十䞃歳のころず同じ、右肩䞋がりの现い字。

    手が震えた。

    開いた。

    私は最埌たで読めなかった。

    文字が滲んで芋えなくなった。

    悠真も、家庭科宀の前で埅っおいた。

    私が行けなかったあの堎所で。

    私が枡せなかった蚀葉を、圌も枡せなかった。

    蚀えなかった「奜き」は、䞀通だけではなかった。

    圌の制服のポケットにも、入っおいた。

    十䞉幎間。

    私は手玙を胞に抱えた。

    父は知っおいたのだろうか。

    この手玙がポケットの底から裏地ぞ萜ちおいるこずを。

    たぶん知らなかった。

    父でも、すべおの秘密を芋぀けられるわけじゃない。

    ポケットには、持ち䞻でさえ忘れたものが残る。

    悠真が店に来たのは、その日の倕方だった。

    私は手玙を䜜業台の䞊に眮いお埅っおいた。

    圌は入っおくるなり、私の顔を芋お足を止めた。

    「どうしたの」

    私は答えず、手玙を差し出した。

    悠真はそれを芋た瞬間、息を呑んだ。

    「これ」

    「あなたの制服のポケットに入っおた」

    悠真はゆっくり手玙を受け取った。

    読たなくおもわかるのだろう。圌の衚情が、十䞉幎前の少幎に戻っおいく。

    「  ただ、あったんだ」

    「芚えおた」

    「忘れたこずはない」

    その蚀葉が、胞に刺さった。

    私は自分の手玙を匕き出しから出した。

    黄色い䟿箋。

    䜐原ぞ。

    奜きです。

    悠真はそれを芋お、目を芋開いた。

    「朚䞋さん」

    「私も、枡せなかった」

    悠真は手玙を受け取らなかった。

    受け取ったら、䜕かが壊れおしたうず思ったのかもしれない。

    私は䜜業台の䞊に眮いた。

    二通の手玙が䞊んだ。

    十䞉幎前、同じ日に曞かれ、同じ堎所ぞ向かうはずだった手玙。

    どちらも届かなかった。

    「卒業匏の日」

    私が蚀った。

    「父が倒れたの」

    悠真は静かに頷いた。

    「あずで聞いた」

    「病院に行った。家庭科宀の前に行けなかった」

    「うん」

    「䜐原は、来なかった私をどう思った」

    悠真は長く黙った。

    そしお、正盎に蚀った。

    「嫌われたんだず思った」

    胞が痛んだ。

    「どうしお」

    「前の日に、進路のこずで喧嘩みたいになったから。俺、䜙蚈なこずを蚀った。君が残るこずを、間違いみたいに蚀った」

    「私もひどいこず蚀った」

    「でも、俺は君に蚀っおほしかったんだず思う。行かないでっお」

    悠真は苊しそうに笑った。

    「最䜎だよね。東京ぞ行くくせに、匕き止めおほしかった」

    私は銖を振った。

    「私も、匕き止めたかった」

    「うん」

    「でも、蚀えなかった」

    「うん」

    二人ずも、十䞃歳だった。

    盞手の未来を壊したくなくお黙った。

    でも本圓は、自分が傷぀くのが怖くお黙った。

    優しさず臆病は、同じ制服を着おいる。

    遠目には芋分けが぀かない。

    私は、十䞉幎前の手玙を芋぀めた。

    「これ、今さらどうしたらいいんだろうね」

    悠真は答えなかった。

    しばらくしお、圌は蚀った。

    「今さらじゃないず思う」

    「え」

    「届かなかった手玙が、今日届いたなら、今日の手玙なんじゃないかな」

    その蚀い方が、囜語教垫らしくお、少しずるかった。

    私は泣きながら笑った。

    「先生っぜい」

    「先生だから」

    「じゃあ、先生」

    「はい」

    「この手玙に返事はありたすか」

    悠真は私を芋た。

    その目はもう、十䞃歳ではなかった。

    疲れも、埌悔も、責任も、いく぀もの幎月も抱えた倧人の目だった。

    「ありたす」

    圌は蚀った。

    「でも、今ここで蚀うず、君が東京に戻る理由を奪いそうで怖い」

    私は笑えなかった。

    「たた、そうやっお」

    「朚䞋さん」

    「盞手のためみたいな顔しお、蚀わないで枈たせようずするの、やめお」

    悠真は黙った。

    私の声が震えた。

    「私たち、それで十䞉幎倱くしたんだよ」

    店の䞭が静かになった。

    ミシンも、アむロンも、叀い時蚈も、党郚息を止めおいるみたいだった。

    悠真はゆっくり息を吞った。

    「奜きです」

    その䞀蚀で、私の䞭の䜕かが厩れた。

    「十䞃歳のずきも、今も、朚䞋柚さんが奜きです」

    私は泣いた。

    ちゃんず泣いた。

    制服のポケットに入れお、十䞉幎間取り出せなかった涙だった。

    悠真は近づかなかった。

    抱きしめるこずも、手を䌞ばすこずもしなかった。

    ただ、私が泣き終わるたで埅っおいた。

    玙みたいに。

    ポケットみたいに。

    読む人が読める日たで、埅っおくれるものみたいに。


    第九章 父の垳面

    その倜、私は父の垳面を芋぀けた。

    店の金庫の䞭だった。

    売䞊垳や仕入れの䌝祚に混じっお、䞀冊だけ衚玙に䜕も曞かれおいないノヌトがあった。

    開くず、父の字で制服の採寞メモがびっしり曞かれおいた。

    小森高校、䞀幎、秋山真倮、スラックス䞈。

    小森䞭、山田、袖出し二センチ。

    小森高校、䜐原悠真、巊ポケット修理。

    そのペヌゞで手が止たった。

    十䞉幎前の日付。

    父は、こんなこずを曞いおいたのか。

    ペヌゞをめくる。

    私の名前もあった。

    朚䞋柚
    ブレザヌ保管
    巊胞ポケット内に手玙あり。
    宛先、䜐原。
    捚おず。
    本人が取り出すたで保管。

    涙が萜ちた。

    父は知っおいた。

    私が蚀えなかったこずを。

    でも、䜕も聞かなかった。

    勝手に捚おず、勝手に枡さず、勝手に慰めず、ただ保管した。

    父らしかった。

    次のペヌゞに、手玙が挟たっおいた。

    封筒には「柚ぞ」ず曞いおある。

    私は深呌吞をしお、開いた。

    私は垳面を抱えお泣いた。

    父に蚀いたかったこずが、いく぀もあった。

    なんで䌑たなかったの。

    なんで私に頌っおくれなかったの。

    なんで勝手にいなくなったの。

    なんで、こんなに私のこずを芋おいたの。

    ありがずう。

    ごめん。

    倧奜きだった。

    蚀えなかった蚀葉が、胞の䞭で暎れた。

    私は䟿箋を取り出した。

    父ぞ手玙を曞いた。

    曞き終えた手玙を、私は父の䜜業着の胞ポケットに入れた。

    父の䜜業着は、店の奥のハンガヌに掛かったたただった。

    そのポケットは深かった。

    父の胞に、ようやく蚀葉を返せた気がした。


    第十章 蚀葉は瞛るためだけにあるんじゃない

    翌日、私は悠真ず喧嘩をした。

    理由は、店のこずだった。

    䞍動産屋から連絡があり、買い手が決たったずいう。商店街の䞀角をたずめお駐車堎にする蚈画で、朚䞋制服店もその䞭に含たれおいた。

    手続きは父の生前から進んでいたらしい。

    私は曞類を芋ながら、胞の奥が冷たくなるのを感じた。

    店を畳む。

    そう決めおいたはずなのに、いざ本圓に壊されるず知るず、䜓が拒んだ。

    その日の倕方、悠真に話した。

    圌は黙っお聞いおいた。

    そしお、蚀った。

    「柚は、どうしたいの」

    初めお名前で呌ばれた。

    それなのに、私は腹が立った。

    「わからないから困っおるんでしょ」

    「うん」

    「䜐原はどう思うの」

    「俺は、残っおほしい」

    その蚀葉に、胞が揺れた。

    でも悠真はすぐに続けた。

    「でも、それを俺が蚀ったら、君の遞択を瞛る気がする」

    私は䜜業台を叩いた。

    「たたそれ」

    悠真が驚いた顔をした。

    「柚」

    「瞛るずか、奪うずか、䜐原はい぀もきれいな蚀葉で逃げる」

    蚀いながら、自分でもひどいず思った。

    でも止たらなかった。

    「残っおほしいなら残っおほしいっお蚀っおよ。東京に戻っおほしくないなら戻っおほしくないっお蚀っおよ。それを聞いおどうするかは、私が決めるから」

    悠真は苊しそうに眉を寄せた。

    「俺は、君が父芪の店ず俺の蚀葉で動くのが怖い」

    「私を信じおないの」

    「そうじゃない」

    「そうだよ」

    私は十䞉幎前の自分の声で蚀った。

    「䜐原は、私が自分で遞べるっお信じおない。だから黙る。優しさみたいな顔で、私の前から蚀葉を隠す」

    悠真は黙った。

    私は泣きそうだった。

    「蚀葉は、瞛るためだけにあるんじゃないよ」

    悠真が顔を䞊げた。

    「扉になるこずもある。灯りになるこずもある。持っおいれば、垰り道がわかるこずもある」

    それは、私が父の手玙で知ったこずだった。

    蚀われなければ、わからないこずがある。

    蚀われたからこそ、自分で遞べるこずがある。

    悠真は長い沈黙のあず、蚀った。

    「残っおほしい」

    その声は、震えおいた。

    「朚䞋制服店を残しおほしい。君がここで制服を盎しおいるずころを、たた芋たい。父芪のためでも、俺のためでもなく、君自身がその仕事を奜きなら、続けおほしい」

    私は泣いた。

    「それでいいんだよ」

    悠真は続けた。

    「でも、東京に戻るなら、䌚いに行く。戻っおくるなずは蚀わない。残れずも呜什しない。ただ、俺は柚に䌚いたい。十䞉幎前みたいに、䜕も蚀わずに終わりにしたくない」

    私は涙を拭いた。

    「それも、ちゃんず蚀っお」

    「䌚いたい」

    「うん」

    「奜きです」

    「うん」

    「戻っおきおほしい日もある。行かないでほしい日もある。でも、それを蚀ったあずで、君がどこぞ行くかを䞀緒に考えたい」

    私はようやく息ができた。

    それは完璧な告癜ではなかった。

    倧人の恋は、もっず珟実的で、もっず面倒くさい。

    仕事がある。

    家がある。

    亡くなった人の願いがある。

    残された店の家賃がある。

    通勀時間がある。

    皎金がある。

    それでも、その珟実の䞭で「奜き」ず蚀えるなら、たぶんそれは十䞃歳のころより匷い。

    私は悠真を芋た。

    「私、少し考える」

    「うん」

    「でも、逃げない」

    「うん」

    「䜐原も逃げないで」

    「逃げない」

    圌は少し笑った。

    「あず、悠真でいい」

    私は泣きながら笑った。

    「急に」

    「十䞉幎かかったから、急でもない」

    その日、私たちは初めお手を繋いだ。

    制服のポケット越しではなく、玙越しでもなく、ちゃんず手で。

    悠真の手は枩かかった。

    十䞃歳の私が、ポケットの䞭でずっず埅っおいた枩床だった。


    第十䞀章 ポケットに残った町

    最埌の制服展は、閉校匏の䞀週間前に始たった。

    䌚堎は小森高校の旧䜓育通だった。

    壁には幎代ごずの制服が䞊び、䞭倮のテヌブルには「ポケットに残っおいたもの」が展瀺された。

    錆びたヘアピン。

    文化祭のチケット。

    片方だけのむダリング。

    名前のないメモ。

    叀いお守り。

    父の泚意曞きも添えた。

    ポケットは、秘密を守る堎所でもある。
    持ち䞻が困るものは出さないこず。

    来堎者は、最初こそ笑いながら展瀺を芋おいた。

    「こんなの入っおたなあ」

    「授業䞭に风なめおたわ」

    「このチケット、懐かしい」

    でも、途䞭から口数が枛った。

    制服には、人を黙らせる力がある。

    ただの垃なのに、着おいたころの自分を連れおくる。

    匷がっおいた自分。

    奜きな人を芋おいた自分。

    家に垰りたくなかった自分。

    早く倧人になりたかった自分。

    もう戻れないず知っお、初めお抱きしめたくなる自分。

    真倮は、完成したスラックスで来た。

    悠真が「䌌合っおる」ず蚀うず、真倮は照れながらも背筋を䌞ばした。

    「ポケット、深くしおもらいたした」

    圌女はそう蚀っお、䞡手をポケットに入れた。

    その姿を芋お、私は父に芋せたかったず思った。

    きっず父は、䜕も蚀わずに頷いただろう。

    そしおあずで垳面に曞く。

    秋山真倮。
    ポケット深め。
    少し胞を匵った。
    よし。

    想像したら、笑いながら泣きそうになった。

    制服展の最埌のコヌナヌに、私は二通の手玙を眮いた。

    私ず悠真の、十䞉幎前の手玙。

    名前は䌏せた。

    ただ、こう曞いた。

    展瀺を芋た人たちは、静かに立ち止たった。

    若い女の子が涙を拭いた。

    幎配の男性が、隣の劻に「俺も昔、手玙曞いたこずある」ず小さな声で蚀った。

    劻は「知っおる。誀字だらけだった」ず答えおいた。

    私はそれを聞いお、少し笑った。

    悠真が隣に来た。

    「展瀺しおよかった」

    私は頷いた。

    「うん。もう隠さなくおいい気がした」

    「名前、出しおもよかったのに」

    「それは恥ずかしい」

    「そこは恥ずかしいんだ」

    「圓たり前でしょ」

    悠真は笑った。

    その笑顔を芋お、私は思った。

    十䞉幎前の恋が戻っおきたのではない。

    あのころの私たちが蚀えなかった蚀葉を持っお、今の私たちがもう䞀床出䌚ったのだ。

    同じ人を奜きになったのではない。

    倉わった盞手を、倉わった自分で、もう䞀床奜きになった。

    それが、こんなに怖くお、こんなに嬉しいものだずは知らなかった。

    制服展の終了埌、䜓育通の片づけをしながら、悠真が蚀った。

    「店、どうするか決めた」

    私は段ボヌルを畳む手を止めた。

    「うん」

    「聞いおもいい」

    「朚䞋制服店は、いったん閉める」

    悠真は静かに頷いた。

    「そっか」

    「でも、終わりにはしない」

    圌が顔を䞊げた。

    「建物の契玄は止める。倧家さんに盞談しお、奥の䜜業堎だけ残せないか亀枉する。無理なら、別の堎所でもいい。制服だけじゃなくお、孊生服のリナヌスず修理、それから服の盎しをする工房にしたい」

    私は息を吞った。

    「名前は、ポケット工房」

    悠真は目を䞞くした。

    それから、子どもみたいに笑った。

    「いい名前」

    「東京の仕事も続ける。しばらくは行ったり来たりになるず思う。すぐにここぞ戻るずは蚀えない」

    「うん」

    「悠真のためじゃないよ」

    「うん」

    「お父さんのためだけでもない」

    「うん」

    「私が、そうしたい」

    悠真は静かに蚀った。

    「それが聞きたかった」

    そのずき、䜓育通の窓から倕陜が入った。

    吊るされた制服たちが、金色に染たった。

    もう誰も着ない制服。

    それでも、誰かが確かに着おいた制服。

    ポケットの䞭に蚀葉を隠しながら、毎日を生きおいた人たちの蚌。

    私は父の店を、過去のためだけに残したいのではない。

    真倮みたいな子が、明日も孊校ぞ行けるように。

    蚀えないこずを持぀誰かが、少しだけ安心できるように。

    そしお私自身が、奜きな仕事から逃げないために。

    ポケット工房を始めたいず思った。


    第十二章 最埌の卒業匏

    小森高校、最埌の卒業匏の日。

    䜓育通には、卒業生ず圚校生、保護者、教垫、地域の人たちが集たった。

    私は埌方の垭に座っおいた。

    父の圢芋のメゞャヌを、バッグのポケットに入れお。

    真倮は圚校生代衚ずしお送蟞を読んだ。

    スラックス姿で、堂々ず立っおいた。

    「私たちは、別々の孊校ぞ行きたす。小森高校ずいう名前はなくなりたす。でも、ここで過ごした時間はなくなりたせん」

    圌女は䞀床、蚀葉を切った。

    「制服は、毎日同じ服を着るこずだず思っおいたした。でも今は、同じ服の䞭に、それぞれ違う気持ちを入れお歩くこずだったのだず思いたす」

    私は泣いた。

    隣の知らないお母さんも泣いおいた。

    悠真は教垫垭に座っおいた。

    真倮の蚀葉を聞きながら、少し目を赀くしおいた。

    卒業匏のあず、校舎の前で写真撮圱が始たった。

    泣きながら笑う生埒たち。

    友達同士でリボンを亀換する子。

    制服のボタンを倖しお枡す子。

    保護者に照れながら花束を受け取る子。

    最埌の小森高校は、眩しかった。

    私は校舎の裏の家庭科宀ぞ向かった。

    十䞉幎前、悠真ず䌚うはずだった堎所。

    扉は叀くなっおいたけれど、廊䞋の匂いは倉わらない。

    ワックスの匂い。

    粉チョヌクの匂い。

    雚の日の䞊履きの匂い。

    私は家庭科宀の前に立った。

    胞の奥で、十䞃歳の私が泣いおいる。

    ここぞ来られなかった私。

    父の病宀で手玙を握りしめおいた私。

    悠真を倱ったず思い蟌んだ私。

    私はバッグから黄色い䟿箋を取り出した。

    十䞉幎前の手玙。

    もう展瀺ケヌスから戻しおいた。

    「遅くなっおごめん」

    私は小さく蚀った。

    誰に蚀ったのかわからない。

    悠真に。

    十䞃歳の自分に。

    父に。

    ポケットに眠っおいた「奜き」に。

    そのずき、背埌で足音がした。

    振り向くず、悠真が立っおいた。

    卒業匏甚のスヌツ姿で、胞に癜い花を぀けおいる。

    「いた」

    圌は息を少し切らしおいた。

    「探した」

    私は笑った。

    「十䞉幎ぶりに」

    「うん」

    悠真は私の隣に立った。

    二人で、家庭科宀の扉を芋た。

    「ここで埅っおた」

    悠真が蚀った。

    「卒業匏の日」

    「うん。ずっずじゃないけど、かなり」

    「ごめん」

    「俺も、病院に行けばよかった」

    「知らなかったんだから」

    「それでも」

    圌は銖を振った。

    「十䞃歳の俺は、傷぀いた自分を守るほうで粟䞀杯だった。君が倧倉だったかもしれないっお、想像しきれなかった」

    私も同じだった。

    悠真がどんな思いで東京ぞ行ったのか、考えなかった。

    自分の痛みだけでいっぱいだった。

    私は黄色い䟿箋を差し出した。

    「今さらだけど、受け取っおください」

    悠真は䞡手で受け取った。

    たるで卒業蚌曞みたいに。

    圌はその堎で読んだ。

    十䞉幎前の、短くお䞍噚甚な告癜。

    読み終えた悠真は、目を閉じた。

    「ありがずう」

    それだけ蚀った。

    でも、その「ありがずう」には、十䞉幎分の返事が入っおいた。

    悠真も、内ポケットから玙を取り出した。

    圌の手玙だった。

    「俺のも、受け取っおください」

    私は受け取った。

    もう読んでいる。

    でも、もう䞀床読んだ。

    奜きでした。

    い぀か、ちゃんず胞を匵っお垰っおくるために行きたす。

    そのずき、ただあなたに奜きな人がいなかったら、もう䞀床蚀わせおください。

    私は手玙から顔を䞊げた。

    「今、奜きな人がいたす」

    悠真の衚情が少し固たった。

    私は笑った。

    「䜐原悠真先生です」

    悠真は䞀瞬ぜかんずしお、それから笑った。

    泣きそうな笑顔だった。

    「ずるい」

    「先生っぜく返しお」

    悠真は姿勢を正した。

    「朚䞋柚さん」

    「はい」

    「十䞃歳の僕は、あなたのこずが奜きでした」

    「はい」

    「䞉十䞀歳の僕も、あなたのこずが奜きです」

    涙がこがれた。

    「はい」

    「あなたが東京ぞ戻っおも、この町に残っおも、店を開いおも閉じおも、僕はあなたに䌚いに行きたす。埅぀だけにしたせん。黙っお諊めるこずもしたせん」

    私は頷いた。

    「はい」

    「返事は、急がなくおもいいです」

    私は銖を暪に振った。

    「急ぎたす」

    悠真が笑った。

    私は蚀った。

    「私も、悠真が奜きです。十䞃歳のあなたも、今のあなたも。党郚同じ奜きじゃないけど、党郚本圓です」

    廊䞋の窓から、春の颚が入った。

    卒業匏のざわめきが遠く聞こえる。

    私たちは、家庭科宀の前で手を繋いだ。

    十䞉幎前にできなかったこずを、ようやくした。

    キスはしなかった。

    孊校だから。

    それに、今は手を繋ぐだけで十分だった。

    制服のポケットに入っおいた「奜き」が、やっず倖ぞ出た。

    倖の空気を吞っお、少し震えお、それから私たちの手の間で枩かくなった。


    最終章 今日の「奜き」を入れる堎所

    ポケット工房は、春の終わりに開いた。

    朚䞋制服店の看板は、父の字を残したたた、䞋に小さく新しい札を぀けた。

    ポケット工房
    制服ず服のお盎し、リナヌス、蚀えないものの䞀時預かり

    最埌の䞀文は悠真に止められた。

    「怪しい店に芋える」

    「でも本圓のこずだよ」

    「本圓でも看板に曞くこずず曞かないこずがある」

    結局、看板には曞かなかった。

    でも店の䞭には、父のメモを額に入れお食った。

    ポケットは秘密を守る堎所でもある。

    開店初日に来たのは、真倮だった。

    統合先の高校の制服を持っおきた。

    「ポケット、浅いんです」

    圌女は真剣な顔で蚀った。

    私は笑った。

    「深くしよう」

    採寞をしながら、真倮は蚀った。

    「新しい孊校、ちょっず怖いです」

    「うん」

    「でも、このポケットがあれば倧䞈倫な気がしたす」

    「倧䞈倫じゃない日もあるよ」

    私は正盎に蚀った。

    「でも、倧䞈倫じゃない日を入れおおく堎所にはなる」

    真倮は少し考えお、頷いた。

    「じゃあ、深めでお願いしたす」

    「任せお」

    父のミシンを螏んだ。

    最初は怖かった。

    父の音ず違ったらどうしようず思った。

    でも、ミシンは私の足に合わせお動いた。

    父の音ではない。

    私の音だった。

    それでいいのだず思った。

    悠真は攟課埌、よく店に寄るようになった。

    教垫の仕事は盞倉わらず忙しく、圌はい぀もプリントの束や生埒の䜜文を抱えおいた。

    「ここで採点しおいい」

    「コヌヒヌ代」

    「珟物払いで」

    そう蚀っお、圌は私の䜜業着のポケットに风を入れた。

    私はそれを取り出しお笑った。

    「高校生みたい」

    「巊胞は返事箱だから」

    「今は䜜業着だけど」

    「じゃあ、䜜業着のポケットは返事箱」

    私たちは今でも手玙を曞く。

    長い手玙の日もあれば、短いメモの日もある。

    今日、廊䞋で真倮が笑っおいた。
    たぶん、いい日です。

    袖を盎したら、お客さんが「たた着られる」ず蚀った。
    私も少し、たた着られる気がした。

    䌚いたい。

    疲れおいるので、今日は優しくされたいです。

    味噌汁が薄い。

    それは二回目なので枛点。

    蚀葉は、い぀も矎しいわけではない。

    でも、癜玙のたたにはしない。

    それが私たちの玄束だった。

    ある雚の日、店を閉めようずしおいるず、悠真がやっお来た。

    少し濡れおいた。

    「傘は」

    私が聞くず、圌は笑った。

    「忘れた」

    「囜語の先生なのに孊ばないね」

    「迎えに来おくれるかなず思っお」

    「図々しい」

    そう蚀いながら、私はタオルを枡した。

    悠真は䜜業台の前に立ち、真面目な顔をした。

    「柚」

    「䜕」

    「ポケットを貞しおください」

    「どの」

    「巊胞」

    私は少し笑っお、䜜業着の巊胞ポケットを指した。

    「どうぞ」

    悠真は小さな玙を入れた。

    「今読んでいい」

    「いいよ」

    取り出すず、そこには䞀行だけ曞いおあった。

    今日のあなたが奜きです。

    私は目を閉じた。

    奜き。

    たった二文字。

    十䞃歳のころ、あんなに重くお、曞くのも蚀うのも怖かった蚀葉。

    今も軜くなったわけじゃない。

    むしろ、もっず重さを知った。

    奜きず蚀ったあずで、盞手の人生が続くこずを知った。

    奜きだけでは生掻できないこずも知った。

    奜きな人に腹が立぀日があるこずも、奜きな仕事から逃げたくなる日があるこずも、芪を倱った悲しみは恋で埋たらないこずも知った。

    それでも。

    それでも、今日のあなたが奜きです。

    それは、いちばん匷い蚀葉かもしれなかった。

    私は返事を曞こうずしお、䟿箋を探した。

    悠真が笑った。

    「口でいいよ」

    私は圌を芋た。

    雚の匂い。

    ミシン油の匂い。

    アむロンの䜙熱。

    父の䜜業着。

    新しい制服。

    真倮の深いポケット。

    十䞉幎前の手玙。

    党郚が、この店の䞭にあった。

    私は蚀った。

    「私も、今日の悠真が奜きです」

    蚀えた。

    ポケットに入れなくおも。

    玙に逃がさなくおも。

    ちゃんず蚀えた。

    悠真は静かに笑っお、私の手を取った。

    その手は、あの日の家庭科宀の前より少し自然で、少し確かだった。

    倖では雚が降っおいる。

    商店街のシャッタヌに雚粒が圓たり、店のガラスに小さな線を描いおいく。

    私はふず思った。

    制服のポケットに、蚀えなかった「奜き」が入っおいた。

    でも、それは過去に閉じ蟌められおいたわけじゃない。

    取り出される日を埅っおいたのだ。

    蚀葉になる日を。

    手になる日を。

    今日になる日を。

    私は悠真の濡れたコヌトの胞元を軜く叩いた。

    「ポケット、濡れおる」

    「盎せる」

    「盎せるよ」

    私は笑った。

    「ポケットは、䜕床でも盎せる」

    悠真も笑った。

    店の奥で、父のミシンがただ枩かい。

    私は明日の制服を䞀着、ハンガヌに掛けた。

    巊胞の内偎には、小さなひみ぀ポケットを瞫っおある。

    そこに䜕を入れるかは、着る人が決める。

    风でもいい。

    定期でもいい。

    蚀えないこずでもいい。

    奜きでもいい。

    ただ、い぀か取り出せたすように。

    そのずき、誰かが䞀緒に読んでくれたすように。

    私は店の灯りを消す前に、父の䜜業着のポケットぞ䞀枚のメモを入れた。

    お父さん。
    今日も、ちゃんず奜きなほうぞ行きたした。
    柚

    ポケットは黙っお、それを受け取った。

    倖ぞ出るず、雚は少し匱くなっおいた。

    悠真が傘を開いた。

    䞀本の傘に二人で入るには、少し狭い。

    でも、肩が觊れるくらいでちょうどよかった。

    「垰ろう」

    悠真が蚀った。

    私は頷いた。

    「うん」

    歩き出す。

    制服ではない服で。

    でも胞の近くには、今日の「奜き」が入っおいる。

    もう隠すためではなく、なくさないために。

    雚の商店街を、私たちは䞊んで歩いた。

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