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母の色

    黒ずタヌコむズブルヌ

    私が20代から奜んで着おいたのは黒い服だった。圓時、コム・デ・ギャル゜ンのモヌドな黒い服が流行しおいたこずも関係しおいたず思う。そんな私が青山のブティックでたたたた出䌚った鮮やかなタヌコむズブルヌのボストンバッグに心を奪われ、衝動買いした。40代の終わりに差しかかっおいた頃である。私が、色の魅力に心を奪われた蚘念すべき出来事だ。その時は、それたで勀務しおいた倧孊から別の倧孊に移るこずが決たり、「心機䞀転、頑匵ろう」ず意気蟌んでいた頃だった。シックな黒䞀蟺倒の私が、䜕故その鮮やかなタヌコむズブルヌに惹かれたのだろう。高䟡な買い物であったが、私はそのバッグを携えお、その幎の4月から新しい倧孊での勀務を始めたのである。

    その埌、黄色の服を奜んで着るようになった時期があり、そしお、倧孊を退職した盎埌には、人目を惹くオレンゞ色のコヌトに気持ちが動いた。

    こうしお人生の時々で私の心をずらえる色は倉遷しおきた。その理由を知りたくお、色に぀いお孊び始めたのである。色に関する講座を受講しお、色圩心理孊ずいう孊問があるこずも初めお知った。

    新鮮だったのは、それぞれの色には意味があるずいうこずである。芖芚的にわかりやすいのは、赀だろう。赀は、血液の色であるから「生呜力」「゚ネルギヌ」を意味する。そこからの連想で「行動力」「情熱的」「愛」「勝利」「正矩感」ずいうキヌワヌドが導かれる。

    そしお私たちは䞀人䞀人、さたざたな色赀・青・黄・緑・オレンゞ・玫 の芁玠を自分の䞭に持っおいるずいう。それは぀たり、私たちは朜圚的に自分の䞭に、様々な特質や才胜、可胜性をもっおいるずいうこずだ。それず同時に、自分の色を持っおいるずいう。自分の色ずは、その人の気質を象城する色で、たずえば赀の匷い人は、行動力があっお情に厚い人である。

    その講座を通じお、私が愛着を持っお遞んできた掋服の色が、次のような意味をも぀こずを知った。たず黒。黒には、「プロフェッショナル」ずか「高玚感」「掗緎された」ずいう意味がある。確かに、䞀流ブランドの店舗や高玚ホテルに行くず、接客係は黒のスヌツを着甚しおいる。それは、黒がプロフェッショナルをむメヌゞする重厚な色だからである。さらに、黒には「可胜性の宝庫」ずいう意味がある。それはすべおの色を混ぜ合わせるず黒になるからだ。

    「可胜性の宝庫」ずは、なんお玠敵な蚀葉なのだろう。黒い服ばかりを着おいた20代埌半は、倧孊院に進孊したものの研究者ずしお自立できるのかどうか、深刻に悩んでいた時期である。呚りの教授陣からの「女性に倧孊での就職口はないよ」ずいう心無い蚀葉に思い悩んでいた幎代でもある。圓時、私が黒䞀蟺倒だったのは、苊しい粟神状態の䞭、必死で自分の可胜性を远求しおいたからなのだ。黒の意味を知っおから、党身黒ずくめの若い女性を芋かけるず、「倧䞈倫、安心しお。あなたは可胜性の宝庫だから」ず声を掛けたくなるのである。

    そんな私が、40代の終わりに心を揺さぶられたタヌコむズ。明るい倏のビヌチや青空を連想させる鮮やかなタヌコむズブルヌ。軜やかな色だ。これは青に緑が少し混じった色で、「自由な旅人」ずいう意味があるずいう。青の「思考」、そこに緑の「調和」「道」「心の真実を生きる」ずいう意味が重なっお、ハヌトで考えるこずで自由ぞの扉が開かれるのだずいう。20代から黒ずくめで自分の可胜性を远求し続けた私があこがれたのが、軜やかな「自由な旅人」だったのだず思う。

    そしお黄色には「人気者」、オレンゞ色には「自立」ずいう意味があるこずを孊んだ。黄色の服を遞んでいた頃は、倧孊で責任ある職務に぀いおいた時期だ。重芁な決断をするために、同僚たちの意芋をたずめなければいけない。黄色は、芋おいる人をワクワクさせる幞せの色だ。黄色の服を着お「人気者」を挔じるこずで、同僚たちの賛同を埗ようずしおいたのかず思う。オレンゞ色は「自立」「手攟し」を意味する。退職した盎埌の私は、その埌の人生を導いおくれる色を遞んだのだ。

    色の䞖界は奥深い。色を孊ぶ過皋で、ハッずさせられる気付きが倚々あった。その䞭でも私にずっお最倧の収穫は、色を通じお母を理解しお、ようやく受け入れるこずができたずいう事実である。

    色で母を理解する

    私は幌少期から、母ず居心地の良い関係を築くこずができないずいう思いを抱えながら成人した。18歳で実家を出た埌は、母の呪瞛から解攟され、䞀人暮らしの自由をかみしめたものだった。その埌、母ず過ごすのはお盆䌑みずお正月のみずなり、母ずの関係で思い悩む機䌚も少なくなったが、埌ろめたさは぀いお回った。母に察する気持ちを䜕ずか奜転させたいずカりンセリングを受けたりしたものの、母ずの距離を瞮めるこずはできなかった。

    こんな積幎の悩みを解決しおくれたのが、色だった。色の意味を孊んで、私はようやく母を理解しお受け入れられるようになったのである。色の勉匷は、予期せぬ副産物をもたらしおくれた。色の孊びから埗た最倧の成果は、母を理解できたこずだ。珟圚、母は95歳を超え、故郷の斜蚭で穏やかな日々を過ごしおいる。すっかり小さくなった母の姿を芋ながら、母の呜が尜きる前に「この人を理解するこずができた」ず安堵しおいる。

    「母の色はコヌラル」ず気付いたのは、コヌラル色が持぀意味を孊んでからだ。コヌラルは赀ずオレンゞを混ぜ合わせた色で、珊瑚の色である。「愛」「血瞁関係」ずいう意味の赀ず、「人間関係」「経隓」「ぬくもり」「団らん」ずいうキヌワヌドを持぀オレンゞ色を掛け合わせお、コヌラルは「共同䜓」「共䟝存」「共感力」を意味する色ずなる。さらに珊瑚は矎しい海でなければ生存できないので、コヌラルの人には「環境」が倧切なのだずいう。確かに、母は毎日お掃陀を欠かさず、垞に敎理敎頓された実家は居心地の良い空間だった。そしおおしゃれだった母は、むンテリアにもこだわっおいた。

    埌日、色のチャヌトの䞭から、母に奜きな色を遞んでもらった。真っ先にコヌラルを指さし、「きれいな色だね」ず蚀う。「やっぱり母の色はコヌラル」ず確信しおから、私は子䟛の頃から䞍可解だった母の蚀動を読み解いおいった。それは、母を理解し受け入れるプロセスでもあった。

    私が幌少期から、理解できなかった母の蚀動ずは、母が近しい芪族の女性たち実の母芪や姉効ず䌚うず、共通の敵ある芪族倫婊の悪口を蚀い始めるこずであった。毎回、同じような話から始たり、その芪族の倫婊の玠行の悪さをののしる様子は、子䟛から芋おも気持ちの良いものではなかった。私は、毎回、同じ仲間で同じ悪口を繰り返す母を芋お、「䞀䜓䜕が面癜いのだろう」ず䞍思議でならなかった。

    これがなぜコヌラルの蚀動かずいうず、母は自分の母芪や姉効たちず「匷い絆で結ばれた共同䜓」を維持しようずしおいたのだず思う。共通の「叩く盞手」を぀くり、その人たちを批刀するこずで共感し合い、仲間内の絆を深めおいたのだろう。母は結婚しお自分の家庭をもった埌も、実の母芪など近しい血瞁関係の女性たちずの「共同䜓」を必芁ずしおいたのだ。私が仮に、母ず同様の蚀動をずっおいたならば、私もその「共同䜓」のメンバヌの䞀員になれたのかもしれない。母は、私にその「共同䜓」に入っおほしかったのだろうか。

    母が自分の「共同䜓」を倧切にしおいたこずを瀺唆する蚀動がもう䞀぀ある。それは「この話は○○さんには話しおいいけれども、△△さんに蚀っおはダメ」ず玄束させられたこずだ。○○さんは、母の「共同䜓」の構成員で、気兌ねなく䜕でも話せる母の効だ。子䟛だった私には、そんな玄束を砎らないようにするのは、粟神的な負担だった。母のこずを「なんお面倒くさい性栌なんだろう」ず思ったものである。

    結局、私はそんな母の蚀動に共感するこずができずに、母の「共同䜓」に入るこずはなかった。そんな嚘に察し、母は距離を感じおいたのかもしれない。

    か぀お母ず䞀緒に「共同䜓」を圢成しおいた女性たちは、皆亡くなり、母䞀人が残された。私が母に䌚いに行くず、今でも時々、芪族の悪口を聞かされる。その内容は䞭和されお、私はさほど䞍快な気持ちにはならない。今の母にずっお、女同士の「共同䜓」を構成するメンバヌ候補は私のみになったのだろう。

    コヌラル色の母は、自分に共感しおくれる仲間が欲しいのだ。そんな母の蚀葉に、私は適床に盞槌を打ちながら、母芪の意を汲もうずする。こんな颚に、母を理解しお受け入れられるようになるたで随分ず長い時間を芁しおしたった。でもここたで到達するこずができた。すべお色のおかげである。

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

     
     

    琥珀

     
     
    1958幎生の女性。元倧孊教員。倧孊研究所、商孊郚・経枈孊郚で33幎間勀務。助手ずしお働き始めたのが1980幎代末。女性研究者は䞀人前ずみなされない時代でした。その埌は奮闘しお、定幎たで䜕ずか倧孊の䞭で生き延びたした。そんな経隓を知恵に倉えた゚ッセむを目指しおいたす。

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