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『魔王軍のレクト(仮)』短編ファンタジー

    あらすじ

    魔王軍の下っ端兵士・レクトは、見た目からしてまったく怖くない。
    おどおどした性格で、悪いことも苦手なため、村を襲う任務でも畑を燃やせず、子猫を拾って帰ってきてしまうような魔族兵士だった。
    そんなレクトに、ある日、魔王から“王国の姫・リシェルをさらえ”という命令が下る。
    半泣きになりながら王国へ向かったレクトだったが、出会ったリシェルは、彼を恐れるどころか、不思議そうに接してくる。
    やがてリシェルは、レクトと過ごす中で、人間たちが知らなかった魔族の暮らしや現実を知っていく。
    一方レクトも、人間と魔族が争い続ける世界に、少しずつ疑問を抱き始めていた。
    これは、戦うことに向いていない魔王軍兵士と王国の姫が出会い、止まっていた空気が少しずつ変わっていく、少し不器用な短編ファンタジー。

    ……


      村を燃やせーー!!

    「...... 我々の恐ろしさを、この国に見せつけるのだ」
     魔王の声が広い部屋に響いた。

    黒いよろいを着た兵士たちが、一斉に声を上げる。
    「おおおおっ!!」

     炎がゆらめき、天井の旗がバサバサ揺れた。
     その一番後ろで。
    「お、おおー……」
     ひとりだけ小さい声を出している男がいた。

     レクト。
     魔王軍の下っ端兵士である。

    黒いマントに黒い服。 一応ちゃんと魔王軍っぽい   見た目はしている。

     でも顔がぜんぜん怖くない。
     むしろ「すみません」が口ぐせそうな顔だった。

    「レクト!!」
     魔王がギロッとにらむ。

    「は、はいっ!!」
    「聞いていたか!?」

    「き、聞いてました!!」
    「ならば東の村を恐怖のどん底に落としてこい!!」
    「は、はいぃっ!!」

     レクトはあわてて頭を下げた。
     その横で、大きなオノを背負った魔族がニヤニヤ笑う。

    「今回はちゃんとやれよ」
     ガルドだった。
    「前みたいに“ちょっと困る悪さ”で終わらせるなよ?」
    「うっ……」

     前回の任務では、 “橋を落とせ”と言われたのに、近くの木箱だけ壊して帰った。

     もちろん、めちゃくちゃ怒られた。
    「子どもたち困るかなって……」

    「魔王軍が気にするとこじゃねぇんだよ」
     ガルドは笑った。

     レクトはしょんぼりした。
     でもやっぱり、困ることは困るのだ。

     それから数時間後。
     東の村の近く。

     レクトたちは森の中にいた。
     木のすき間から、小さな村が見える。
     白い煙。  畑。  歩いている人たち。

     夕ご飯の時間なのか、いい匂いまで流れてきた。

    「……平和だなぁ」
     レクトがぼそっと言う。

    「だから襲うんだろうが」
     ガルドはオノを肩にかついだ。

    「いいか、レクト。今回はちゃんとやれ」
    「は、はい」

    「食料を奪う」
    「はい」

    「村を怖がらせる」
    「はい」

    「畑も燃やす」
    「……はいぃ」

     最後だけ声が小さくなった。

     ガルドはじーっと見る。
    「燃やせよ?」

    「が、頑張ります……」
     レクトは重い足取りで村へ向かった。

     村の人たちはまだ気づいていない。

     広場では子どもたちが走り回っている。
     パン屋のおじさんが店じまいをしていた。

     犬までのんびり寝ている。
    「うぅ……」
     レクトは胃が痛くなった。
     本当にここ襲うのか。

     でも命令だし。
     魔王軍だし。
     ご飯お世話になってるし。

    「や、やるしかない……!」
     レクトは気合いを入れた。

     そして。
    「わああああっ!!」
     叫びながら飛び出した。
     村人たちが「!?」という顔で振り返る。

    「ま、魔王軍だーっ!!」
     大騒ぎになった。
     レクトは走る。

     でも。
    「あっ」
     走っていた子どもが転びそうになった。
     レクトは反射的に飛び込む。
    「危ないっ!」
     ガシッ。
     しっかり受け止めた。
     子どもはぽかんとしている。
     レクトも固まった。
    「…………」
    「…………」
     気まずい。

     後ろでガルドが叫んだ。
    「何やってんだお前ぇぇぇ!!」

    「はっ!!」
     レクトはあわてて子どもを下ろした。
    「えっと、すみません!」

    「なんで謝ってんだ!!」
     もうめちゃくちゃだった。
     レクトはパニックになりながら、とりあえず近くの看板を剣で叩いた。
     バキッ。
     看板が落ちる。
    「はぁ、はぁ……」
     やった。

     一応壊した。
     すると近くにいた犬が「ワン!」と吠えた。
    「ひゃっ!?」
     レクトはびくっと飛び上がった。
    「犬こわっ!」

    「お前が怖がってどうする!!」
     ガルドのツッコミが飛ぶ。

     村人たちは逃げ回っていた。
     でもレクトは畑の前で止まってしまう。

     夕日に照らされた野菜が並んでいる。
    「……うぅ」
     燃やせない。
     どう考えても燃やせない。

     これなくなったら冬困るやつだ。
     レクトは真剣に悩んだ。
     その時だった。

    「にゃー」

    「ん?」
     畑の横から、小さな白い猫が出てきた。

     子猫だった。
    「うわっ」

     レクトは目を丸くした。
     子猫は細い声で鳴いている。

    「お前、こんなとこいたら危ないぞ……」
     レクトはしゃがみこんだ。

     その後ろで。
    「レクトォォォ!!」
     ガルドの怒鳴り声。
    「なんで猫ひろってんだぁぁぁ!!」

     レクトはハッとした。
    「ち、違うんです! なんかいたので!」
    「魔王軍のセリフじゃねぇ!!」

     村は大混乱。
     でもレクトだけ、なぜか猫を抱えていた。

     その日の夜。

     魔王城。

    「つまり」
     玉座の前で、魔王が低い声を出した。
    「畑は無事」
    「……はい」

    「食料もほぼ無事」
    「……はい」

    「連れて帰ったのは」
     レクトはそっと白い子猫を差し出した。
    「……猫です」

     魔王城に、重たい沈黙が落ちた。

     パチパチ、と松明の音だけが聞こえる。
     魔王は玉座に座ったまま動かない。

     ガルドは横で頭を押さえている。
     レクトは猫を抱えたまま縮こまっていた。

    「……レクト」
     魔王が低い声で言った。

    「は、はい……」
    「お前は村へ何をしに行った?」

    「きょ、恐怖を……」
    「その結果が猫か?」

     レクトは猫を見た。
     猫は「にゃー」と鳴いた。

    「……かわいかったので」
    「聞いておらん!!」

     魔王の怒鳴り声で、広間の窓がガタガタ揺れた。
     レクトは飛び上がる。
    「す、すみませんっ!!」

    「毎回毎回!! なぜお前はそうなるのだ!!」
    「が、頑張ったんです!」

    「どこがだ!!」
    「看板壊しました!」

    「小さい!!」
     ガルドが横でうなずく。
    「今回はマシな方だと思ったんですけどね」

    「マシとはなんだ!!」
     魔王は頭を抱えた。
     レクトは小さくなっていた。

     本当は、ちゃんと悪いことをするつもりだったのだ。

     でも実際に村を見るとダメだった。
     畑も、人も、犬も、猫もいた。
     燃やしたら困る。
     壊したら悲しむ。
     そう思うと、手が止まってしまう。
    「うぅ……」

     レクトは猫の頭をなでた。
     すると。
    「にゃご」
     猫が気持ちよさそうな声を出した。

     魔王はじっとそれを見る。
    「……なぜ魔王城に猫が増えるのだ」

    「レクトが拾ってくるからですよ」
     ガルドが答える。
    「前もいましたよね」

    「いたな」
     魔王城のすみっこを見ると、黒猫が丸まって寝ていた。

     前回レクトが拾ってきた猫だ。
    「お前は魔王軍ではなく猫屋でも始める気か」

    「ち、違いますよ!」
     レクトはあわてた。
     その時。
     ぐぅぅぅぅ。
     静かな広間に、大きな音が響いた。
     レクトのお腹だった。
    「…………」
    「…………」

     魔王がゆっくり目を閉じる。
    「腹が減ったのか」

    「……はい」
    「お前、村で何か食べなかったのか」

    「子どもにパンもらいました」
    「なんでもらってるんだ!!」

     また怒鳴り声が響いた。

     レクトは肩をビクッとさせた。
    「だ、だって転びそうだったので助けたら……」
    「助けるな!!」

    「でも危なかったので……」
    「魔王軍なんだぞお前は!!」

     ガルドは笑いをこらえていた。
     ついに耐えきれず吹き出す。
    「ははっ……いや、ほんと変なやつだなお前」

    「笑いごとではない!!」
     魔王は机をバンッと叩いた。
     だが、その時だった。
     広間の扉が勢いよく開く。

    「魔王様!!」
     兵士が走り込んできた。
    「王国軍の動きが活発になっています!」
    「……ほう」
     空気が変わった。

     さっきまで笑っていたガルドの顔も真面目になる。
    「南の砦にも兵が集まっているとか」
    「勇者の話も出ています!」
     その言葉で、広間がざわついた。

    「勇者……」
     レクトも小さくつぶやく。

     人間たちの希望。
     魔王を倒す存在。
     子どもでも知っている名前だ。

     魔王は腕を組み、静かに考えこんだ。
    「……人間どもも動き始めたか」
     重い声だった。
     さっきまでの怒鳴り声とは違う。
     本当に戦争を見てきた者の声だった。

     レクトは少しだけ胸が苦しくなる。
     人間も魔族も、ずっと戦っている。
     レクトはその中にいる。

     でも。
    「……やっぱり畑は燃やしたくないなぁ」
     ぼそっと言った。
    「今その話してねぇだろ!!」
     ガルドのツッコミが飛んだ。
     その瞬間だった。

     魔王が立ち上がる。
     黒いマントが大きく揺れた。
    「レクト!!」

    「は、はいっ!!」
     嫌な予感がした。
     すごくした。

     魔王はビシッと指を向ける。
    「次の任務を与える!!」

    「えぇっ」
    「王国へ行け!!」

    「は、はい!」
    「そして――」

     魔王の赤い目が光る。
    「姫をさらってこい!!」

     広間が静まり返った。
     レクトは口を開けたまま止まる。
    「…………え?」

     数秒後。

    「む、無理ですよぉぉぉぉ!!」
     レクトの悲鳴が、魔王城に響き渡った。


     魔王は眉をひそめる。
    「なぜだ!!」

    「だ、だって姫ですよ!?」
    「そうだ!!」

    「村より難しくないですか!?」
    「何が違う!!」

    「全部です!!」
     レクトは半泣きだった。

     ガルドは横で笑っている。
    「たしかになぁ。お前に誘拐は荷が重いかもな」
    「ですよね!?」

    「でも命令だ」
    「うぅ……」
     レクトは肩を落とした。

     すると魔王が腕を組む。
    「安心しろ。今回はガルドも一緒だ」

    「えっ」
    「レクトが変なことをしないよう見張る」

    「信用ゼロ!?」
    「当然だ」
     魔王は真顔だった。
     レクトはさらにしょんぼりした。

     その日の夜。
     レクトは自分の部屋で荷物をまとめていた。

     小さな部屋だった。
     ベッドと机、それからボロい棚があるだけ。
     窓の外には、雪まじりの風が吹いていた。
    「はぁ……」
     レクトは大きくため息をつく。
    「姫さらうってなんだよぉ……」

     ベッドの上では、昼に拾った白い子猫が丸くなって寝ていた。

     もうすっかり部屋になじんでいる。
    「お前は気楽でいいなぁ……」
     レクトがつぶやくと、猫は「にゃ」と返事した。
     その時。

     コンコン。
    「レクト、いるか?」
     ガルドの声だった。
    「は、はい」
     扉が開く。

     ガルドは大きな袋を持っていた。
    「ほら」
    「え?」

    「旅の食料」
     ドサッと机に置く。
     パン、干し肉、水筒。
     かなり多い。
    「おお……ありがとうございます」

    「腹減るとお前すぐ弱るからな」
    「うっ」
     図星だった。

     ガルドは部屋を見回した。
     そしてベッドの上の猫を見る。
    「また増えてる」
    「……かわいかったので」

    「知ってる」
     ガルドは呆れながら椅子に座った。

     少しの間、静かな時間が流れる。
     外では風がゴォゴォ鳴っていた。

     やがてガルドが口を開く。
    「怖いのか?」

    「え?」
    「姫さらうの」

     レクトは少し黙った。
    「……怖いですよ」
    「まあ、そうだろうな」

    「村とは違うじゃないですか」
    「どう違う」

    「だって……姫って、すごい人ですよね?」
     レクトは真剣な顔だった。
    「そんな人をさらうって、なんか……大事件って感じで……」

    「今さらかよ」
     ガルドは吹き出した。
     レクトはうぅ、と小さくなる。
    「しかも王国の城ですよ!? 兵士いっぱいいるじゃないですか!」

    「そりゃいるだろ」
    「絶対怒られる……!」

    「敵にな」
    「ひぃっ」
     レクトは青ざめた。

     ガルドは笑いながら立ち上がる。
    「ま、なんとかなるだろ」
    「その“なんとか”が怖いんですよ……」

    「明日早い。寝ろ」
    「はーい……」
     ガルドは部屋を出ていった。

     レクトはベッドに倒れこむ。
     猫が胸の上によじ登ってきた。
    「にゃー」
    「……姫かぁ」

     レクトは天井を見上げた。
     本当に、自分なんかで大丈夫なのか。
     いや、大丈夫じゃない気がする。
     かなりする。

     その頃。

     遠く南の王国では。
    白い城の一室で、ひとりの少女が本を読んでいた。
     長い髪。
     静かな目。
     王国の姫、リシェルだった。

    「……また魔王軍の話ですか」
     部屋に入ってきた兵士に、リシェルは小さくため息をつく。

    「はい。東の村が襲われたとか」
    「被害は?」

    「……看板が壊れたそうです」
    「それだけ?」

    「あと、カカシにマントが」
     リシェルはしばらく黙った。
    「……変な魔王軍ですね」
    「は?」

    「いえ、なんでもありません」
     リシェルは窓の外を見る。

     遠くに黒い山々が見えた。
     あの向こうに、魔王城がある。
     人間たちの敵。
     怖い魔族たち。

     ……のはずだった。
    「看板だけ……?」
     リシェルは少し首をかしげた。
     もちろん、その時はまだ知らない。
     
     その“変な魔王軍”に、自分がさらわれることになるなんて、、。


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    数日後。

     夜の王国。
     城のまわりには、明るい灯りが並んでいた。
     兵士たちが見回りをしている。

    「……無理だぁ」
     城の外の木の上で、レクトは震えていた。

    「どうやって入るんですかこれ……」
    「静かにしろ」
     隣でガルドが小声で言う。

     二人とも黒いマントをかぶっていた。
     完全に怪しい。

    「見張り多すぎません?」
    「城なんだから当たり前だ」

    「帰りたい……」
    「今さらかよ」

     レクトは木の枝にしがみついた。
     高い。
     怖い。
     しかも下には兵士がいる。
    「落ちたら終わりですよね……?」
    「だから落ちるな」

    「簡単に言いますね!?」
     その時だった。
     パキッ。
    「……あ」
     レクトの足元の枝が折れた。
    「ぎゃああああっ!!」
     ドサァッ!!
     レクトはそのまま地面に落ちた。

    「誰だ!?」
     兵士たちが一斉に振り向く。
     レクトは転がりながら立ち上がった。
    「に、逃げ――」

     だが次の瞬間。
     ガルドが上から飛び降りる。

     ドゴォン!!
     地面が揺れた。

    「うおっ!?」
     兵士たちがひるむ。

    「今だ、行け!」
    「えぇぇぇっ!?」
     レクトは半泣きで走り出した。

     ガルドは大きなオノを振り回す。
    「こっちは俺が引きつける!」
    「死なないでくださいよー!!」

    「お前こそ失敗すんな!」
     城の中へ飛び込んだレクトは、必死に廊下を走った。

    「はぁ、はぁ……」
     広い。
     迷う。
     しかも高そうなツボがいっぱいある。
    「割ったら怒られそう……」
     魔王軍なのに気にするところがおかしかった。

     レクトはキョロキョロしながら進む。
     すると。
    「あっ」
     角を曲がったところで、メイドと目が合った。
    「きゃあああっ!!」
    「わあああっ!!」
     両方叫んだ。
     レクトはあわてて手を振る。
    「す、すみません!」
    「魔王軍!?」
    「しーっ!!」
    「なんで静かに!? えっ!?」
     メイドは混乱していた。
     レクトも混乱していた。
    「えっと、姫の部屋ってどっちですか?」

    「聞くなぁ!!」
     メイドが叫ぶ。

     その声で奥から兵士の足音が聞こえた。

    「まずいっ!」
     レクトはあわてて走り出す。

     その時。
     目の前の扉が、ガチャッと開いた。
    「うわっ!?」
     レクトは止まる。
     そこに立っていたのは――
     ひとりの女の子だった。

     白い服。  長い髪。  静かな目。
     リシェル姫だった。
     レクトは固まった。
     姫も固まっている。
    「…………」
    「…………」

     静かだった。
     遠くでは兵士たちの声が聞こえる。

    「いたぞー!!」
    「魔王軍を探せ!!」
     でも廊下だけ、変に静かだった。
     レクトはゴクリとつばを飲む。

     そして。

    「……こんばんは」
     ぺこっと頭を下げた。
     姫は目をぱちぱちした。

    「……こんばんは?」
     完全に変な空気だった。

     姫は不思議そうにレクトを見た。
     レクトも困った顔で立っている。
     黒いマント。  黒い服。  腰には剣。
     どう見ても魔王軍だった。

     なのに。

    「えっと……夜分遅くにすみません……」
     なぜかすごく申し訳なさそうだった。

     リシェル姫は少しだけ眉をひそめる。
    「あなた、魔王軍ですよね?」
    「は、はい」

    「……何をしに?」

     レクトは固まった。

     本来ならここで、
    『姫をいただく!!』

    とか、 『おとなしくしろ!!』
    とか言う場面だ。

     でもレクトには無理だった。
    「え、えっと……」

     後ろから兵士の声が近づいてくる。
    「こっちを探せ!!」
    「姫様の部屋を守れ!!」

    「うぅぅ……」
     レクトは半泣きになった。
     そして小さい声で言う。
    「……さらいに来ました」

     リシェル姫は数秒止まった。
    「……はい?」

    「姫を、その、さらいに……」
     レクトは目をそらした。
     気まずそうに。

     リシェルはしばらく黙っていたが。
    「もっと言い方ありません?」

    「ぼ、僕もそう思います……!」
     なぜかレクトがダメージを受けた。

     その時だった。
    「いたぞ!!」
     兵士たちが廊下へ飛び出してきた。
    「姫様!!」
    「魔王軍だ!!」

    「ひぃっ」
     レクトはビクッと震えた。

     兵士たちが剣を抜く。
     リシェルはレクトを見た。
     レクトはどう見ても弱そうだった。
     怖いというより、 追いつめられた小動物みたいだった。

    「……はぁ」
     リシェルは小さくため息をつく。

     そして。
    「こちらです」

    「えっ」
     姫はレクトの腕を引っ張った。
    「ええっ!?」

    「早く」
     リシェルは近くの部屋へ飛び込む。

     レクトも転びそうになりながら入った。
     バタン!!
     扉が閉まる。
     外では兵士たちの足音が走り回っていた。

    「姫様!?」
    「どこだ!?」

     レクトは目を丸くしていた。
    「な、なんで助けたんですか!?」
     リシェルは腕を組む。
    「叫んだら泣きそうだったので」

    「うっ」
     図星だった。
     レクトはしょんぼりする。
     部屋の中は暗かった。
     どうやら物置らしい。
     箱や布が置いてある。
     レクトは小さく息を吐いた。

    「た、助かったぁ……」
    「あなた、本当に魔王軍ですか?」
    「一応……」

    「自信なさそうですね」
    「よく言われます……」

     外の足音が遠ざかっていく。
     少し静かになった。
     リシェルは改めてレクトを見た。
    「……あなた、名前は?」
    「レクトです」

    「レクト」
     姫はその名前を小さくつぶやいた。
    「私はリシェルです」
    「し、知ってます!!」
     少しだけ、姫が笑った。

     レクトはなぜかさらに緊張した。
    「えっと……」

    「はい?」

    「その……」
     レクトはモジモジする。
    「できれば、あんまり暴れずについて来てくれると助かります……」

     リシェルはしばらく黙った。
     
    「誘拐なのに、ずいぶん低姿勢ですね」
    「すみません……」
     レクトはハッと口を押さえた。
     その様子が少しおかしくて、 リシェルはまた小さく笑う。

     でも次の瞬間。
     ドォン!!

     遠くで大きな音が響いた。
    「うおおおおっ!!」
    「逃がすかぁぁぁ!!」
     ガルドの声だった。

     城が少し揺れる。
     レクトは青ざめた。
    「ガルドさんまだ戦ってる!?」

    「仲間ですか?」
    「お、オノ持ってる大きい人です!」

    「なんとなく分かります」
     またドゴォン!!と音が響く。
     リシェルは少し真面目な顔になった。
    「……本当に私をさらうつもりなんですね」

    「……はい」
     レクトは静かにうなずく。
    「魔王様の命令なので」

    「断れない?」
    「断ったらめちゃくちゃ怒られます」

    「そこなんですね」
     リシェルは少し考えこんだ。

     目を閉じる。
     静かな時間。
     やがて姫は小さく息を吐いた。

    「……分かりました」
    「え?」

    「行きます」

     レクトは固まった。
    「ええっ!?」
    「ええっ!?」
     レクトは思わず大きな声を出した。

     リシェルは少し困った顔をする。
    「静かにしてください」
    「い、いやいやいや!!」
     レクトはあわてて首を振った。
    「もっと嫌がってください!!」

    「注文が変ですね」
    「だって誘拐ですよ!?」

    「知ってます」
    「普通もっとこう、“きゃー!”とか……!」
    「あなた相手にそれやる気しません」
     レクトはショックを受けた。
    「うぅ……魔王軍なのに……」
     リシェルは少し笑った。
    「でも、どうしても連れて行くんですよね?」
    「……はい」
     レクトは小さくうなずく。
    「魔王様の命令なので」

    「なら、ここで騒いでも同じです」
     リシェルは落ち着いていた。
     それどころか、少し冷静すぎるくらいだった。
    「それに」
    「?」
    「少し外を見てみたい気持ちもあります」

     レクトは目をぱちぱちした。
    「お城の外を?」

    「私はずっと城の中でしたから」
     リシェルは暗い部屋を見回した。
    「街を歩くことも、普通に買い物することもありませんでした」

    「へぇ……」
    「毎日、勉強とあいさつばかりです」
     レクトはなんだか少し想像してしまった。

     広い城。  たくさんのルール。  自由に外へ出られない生活。
    「……大変ですね」

    「魔王軍に言われるとは思いませんでした」
    「あっ」
     レクトはまた口を押さえた。
     その時。
    「こっちだ!!」
     兵士の声が近づいてきた。

    「まずい!」
     レクトはあわてて立ち上がる。
     リシェルも静かに立った。
    「行きましょう」

    「え、ほんとに行くんですか!?」
    「今さらです」
     レクトはまだ混乱していた。
     でも時間がない。
    「うぅ……し、失礼します!」
    「?」

     レクトはリシェルを横抱きにした。
    「きゃっ!?」
     リシェルが目を丸くする。
     レクトは顔を真っ赤にした。
    「す、すみません!! 急がないと!!」
    「なら謝る前に走ってください!」
    「は、はいっ!!」
     レクトは全力で廊下を走り出した。
     バタバタバタ!!
     その姿を見つけた兵士たちが叫ぶ。
    「姫様!?」
    「魔王軍だぁぁ!!」

    「ひぃぃっ!!」
     レクトも叫んでいた。

    「なんでお前も怖がってるんだ!!」
     後ろから兵士にツッコまれる。

     レクトは涙目で走った。

     角を曲がる。

     階段を飛び降りる。

     途中で高そうな花瓶を倒しそうになって、
    「うわっ危ない!」
     ちゃんと支えてから走る。

    「律儀か!!」
     兵士がまた叫んだ。

     城の出口が見えた。
     その瞬間。

     ドォォン!!
     壁が吹き飛んだ。

    「ぎゃああっ!?」
     レクトが転びそうになる。
     煙の向こうから現れたのは――
     ガルドだった。
    「遅ぇ!!」
     オノを肩にかついでいる。
     後ろでは兵士たちが倒れていた。

    「ガ、ガルドさん!」
    「姫は!?」

    「つ、連れてます!」
     ガルドはリシェルを見る。
     リシェルも見る。
    「…………」
    「…………」

     数秒の沈黙。
     ガルドがレクトを見る。
    「お前、なんで姫様抱えてんだ」

    「急いでたので!」
    「顔真っ赤だぞ」

    「し、仕方ないじゃないですか!!」
     リシェルはちょっとだけ吹き出した。
     ガルドは呆れた顔でため息をつく。
    「……まあいい。逃げるぞ」

     その時だった。
     城の上から鐘の音が鳴り響く。
     ゴォォォン!!  ゴォォォン!!
    「姫がさらわれたぞーーー!!」
     兵士たちの叫び声が夜に広がった。

     レクトは青ざめる。
    「うわぁ……ほんとに大事件になってる……」
    「今さらすぎるだろ」

     ガルドはあきれながら走り出した。
     レクトもリシェルを抱えたまま必死についていく。
    「ま、待ってください速いです!!」
    「追手来てんだぞ!」

    「うぅぅっ!」
     後ろでは兵士たちの声がどんどん近づいていた。
    「逃がすな!!」
    「門を閉めろ!!」
    「姫様を取り戻せ!!」

     レクトは半泣きで走る。
     リシェルはそんなレクトを見上げた。
    「……大丈夫ですか?」

    「だ、大丈夫じゃないです!」
    「でしょうね」

     その時。
     ビュンッ!!
     矢が飛んできた。
    「うわぁっ!?」
     レクトは飛びのく。
     矢が地面に突き刺さった。
    「こ、怖っ!!」

    「戦場だぞ!」
     ガルドが怒鳴る。

     レクトは涙目だった。
    「戦場こわいぃ……!」

    「魔王軍やめろもう!」
     ガルドが叫んだ。
     三人は城下町を抜けていく。

     夜の街は大騒ぎだった。
     窓が開き、人々が顔を出す。
    「魔王軍だ!」
    「姫様が!」
    「大変だ!」

     レクトはさらに小さくなる。
    「すごい見られてる……」
    「そりゃ見るだろ」

     ガルドは先頭を走る。
     その時だった。
     前の道に兵士たちが飛び出してきた。

    「止まれ!!」
    「うわっ!?」
     レクトは急ブレーキ。

     完全に囲まれた。
     兵士たちが剣を向ける。
    「姫様を放せ!」
    「おとなしく降参しろ!」

     レクトは青ざめた。
    「ど、どうします!?」
     ガルドはオノを持ち上げる。
    「ぶっ飛ばす」

    「もっと平和的に!!」
    「無理だろ!」

     その時。
     リシェルがぽつりと言った。
    「下ろしてください」

    「え?」
    「私が話します」

    「で、でも……」
    「大丈夫です」

     レクトは迷ったが、そっとリシェルを下ろした。
     リシェルは兵士たちの前へ出る。

    「姫様!」
     兵士たちがホッとした顔になる。

    「私は大丈夫です」
     リシェルは静かに言った。

    「この人たちは、私を傷つけていません」
     兵士たちは止まった。
    「え……?」
    「でも魔王軍ですよ!?」

    「はい」
    「ならなぜ……!」
     リシェルは少しだけレクトを見る。
     レクトはオロオロしていた。

    「……怖い人ではありません」

    「えぇ……」
     兵士たちは困惑している。

     そりゃそうだった。
     魔王軍なのに、全然怖そうじゃない。
     むしろ今も、
    「す、すみません……」
     とか言っている。

     リシェルは小さく息を吐いた。
    「道を開けてください」

    「し、しかし!」

    「これは王女としての命令です」

     空気が変わった。

     兵士たちは顔を見合わせる。
     リシェルの声は静かだったが、強かった。
     やがて。

    「……くっ」
     兵士たちがゆっくり道を開けた。

     ガルドが目を丸くする。
    「通してくれんのかよ……」

     レクトはもっと驚いていた。
    「え、ええぇ……」

     リシェルはレクトを見る。
    「行きますよ」
    「は、はいっ!」
     三人は再び走り出した。

     街を抜ける。
     橋を渡る。

     そしてようやく、暗い森へ飛び込んだ。

     後ろからの追手の声が少しずつ遠ざかっていく。

    「はぁっ……はぁっ……」
     レクトは木にもたれた。
     もう限界だった。
    「む、無理……足いたい……」
    「体力なさすぎだろ」
     ガルドは平気そうだった。
     リシェルも息は乱れていない。
     レクトだけボロボロである。
    「お、水……」
     ガルドが水筒を投げる。
     レクトは慌てて受け取った。
    「ありがとうございますぅ……」
     ゴクゴク飲む。
     その様子を見て、リシェルが少し笑った。
    「本当に変な人ですね」
    「うぅ……よく言われます……」

     森の中に、静かな夜風が吹いた。
     遠くではまだ鐘の音が聞こえる。
     王国中が、 姫の誘拐で大騒ぎになっている頃だった。

     でもその真ん中で。
     レクトだけは。
    「……これ絶対、あとでめちゃくちゃ怒られる……」
     そればかり気にしていた。

    森の中を、夜風が吹き抜ける。
     木の葉がサラサラ揺れた。
     レクトは地面に座りこんだまま、ぐったりしていた。

    「もう歩けません……」

    「まだ城からそんな離れてねぇぞ」
     ガルドはあきれ顔だった。
    「お前ほんと体力ないな」

    「だって全力で走ったんですよ!?」
    「追われてたからな」

    「矢も飛んできましたし!」
    「戦場だからな」

    「怖かったぁ……」
     レクトはしょんぼりする。
     リシェルは近くの切り株に座っていた。
     白い服が夜の森でぼんやり見える。
     城にいた時より、少しだけ表情がやわらかかった。

    「……意外でした」
    「え?」
     レクトが顔を上げる。
    「魔王軍って、もっと怖いと思ってました」

    「……」
     レクトは困った顔をした。
    「まあ、怖い人もいますよ」

     するとガルドがニヤッと笑う。
    「例えば俺とか?」
    「ガルドさんは怖いです」
    「即答かよ」
     リシェルが少し笑った。

     ガルドはオノを肩にかつぐ。
    「でも実際、魔王軍なんてだいたい荒っぽいぞ」
    「……そうなんですか」
    「そりゃそうだ。戦争してんだからな」

     その言葉で、少し空気が静かになる。
     レクトは小さく地面を見た。
     魔族たちが暮らす北の土地は寒しい。
     食べ物も少ない。

     だから人間の国を襲う。
     でも、人間側から見れば、ただの悪者だ。

     どっちも間違ってない。
     どっちも嫌っている。

    「……難しいですよね」
     レクトがぽつりと言った。

    「何がだ?」
    「人間と魔族です」
     ガルドは少し黙った。
     リシェルも静かに聞いている。

    「だって、みんなご飯食べて寝てるだけなのに」
    「スケール小せぇな」
    「でも本当じゃないですか」
     レクトは真面目な顔だった。
    「僕、人間も魔族も、そんな変わらない気がするんです」

     リシェルは少し目を細める。
    「……変わった魔族ですね」
    「うぅ」
    「褒めてます」
    「ほんとですか?」
    「たぶん」
     レクトは少しだけ安心した。
     その時だった。
     グゥゥゥゥ。
     静かな森に、大きな音が響く。
    「…………」
    「…………」
     レクトのお腹だった。
     ガルドが吹き出す。
    「早ぇよ!」
    「だ、だっていっぱい走ったので……!」
     リシェルも思わず笑っていた。
     レクトは顔を赤くする。
    「うぅぅ……」

     ガルドは袋を投げた。
    「ほら、パン」
    「ありがとうございます!」
     レクトは目をキラキラさせた。
     すぐ食べ始める。

     ものすごく幸せそうだった。
     リシェルはその様子を見ながら、小さくつぶやく。
    「……本当に誘拐された感じがしません」
    「えっ!?」
     レクトはパンを落としそうになった。
    「だ、だめです! もっと危機感持ってください!」
    「なぜ誘拐犯がそれを?」
    「だってなんか僕だけ変みたいじゃないですか!」
    「実際かなり変だぞ」
     ガルドが言った。
     レクトはショックを受けた。
     するとリシェルが少し笑いながら聞く。
    「ところで」
    「はい?」
    「魔王城って、どんな場所なんですか?」
     レクトはきょとんとした。
    「えっと……寒いです」
    「感想が雑ですね」
    「あとご飯がちょっと固いです」
    「生活感あるなぁ……」
     ガルドが笑う。
     レクトは真剣だった。
    「でも猫いますよ」
    「増やしたのお前だろ」
    「かわいいです」
     リシェルはクスッと笑った。
     その時だった。

     ガルドの顔が急に真面目になる。
    「……静かにしろ」
    「え?」
     レクトもリシェルも止まる。
     森の奥。
     暗い木々の向こうから。
     ガサ……ガサ……
     何かが動く音がした。
     レクトの顔が青くなる。
    「えっ……な、なに……?」
     ガルドはゆっくりオノを持ち上げた。
    「獣だ」
    「ひぃっ」

     次の瞬間。
     木々をかき分けて、大きな影が飛び出してきた。
    「グルルルル……!!」
     赤い目。
     長い牙。
     黒い毛におおわれた巨大な獣だった。
     リシェルが息をのむ。
     レクトは完全に固まった。
    「お、大きっ……」
    「下がってろ」

     ガルドが前へ出る。
     獣は低くうなりながら、一歩ずつ近づいてきた。

     空気がピリッと張りつめる。
     そして。
     グォォォォッ!!
     獣が飛びかかってきた。
    「ぎゃああああっ!!」
     なぜか最初に叫んだのはレクトだった。
    「ぎゃああああっ!!」
     レクトは反射的にリシェルの前に飛び出した。
     だが腰が引けている。
     めちゃくちゃ怖がっていた。
    「レクト! 下がれ!」
     ガルドが叫ぶ。
     巨大な獣が牙をむいて飛びかかってくる。
     近い。
     でかい。
     怖い。
    「うわあああっ!!」
     レクトは半泣きで剣を振った。
     ガキィン!!
    「えっ」
     偶然、獣の牙に当たった。
     獣がひるむ。
    「……当たった?」

    「今の偶然だろ」
    「はい!!」
     レクトは正直だった。
     獣は怒ったようにうなる。
    「グルルル……!!」
     赤い目がギラギラ光った。
     リシェルは息をのむ。
     ガルドはオノを構え直した。
    「チッ……腹減ってるタイプか」
    「わ、分かるんですか!?」
    「目見りゃな」
     獣が地面をける。
     また来る。
     レクトはブルブル震えた。
    「む、無理ですこれぇ……!」
    「なら逃げろ!」
    「姫置いて逃げれませんよ!!」
     ガルドは一瞬だけ目を丸くした。
     そのすきに。
     獣が再び飛び出す。
    「来るぞ!!」
    「ひぃっ!!」
     レクトはとっさにリシェルをかばった。

     ガルドのオノが横から振り下ろされる。
     ドゴォッ!!
     ものすごい音が森に響いた。
     獣の体が吹っ飛ぶ。
    「グガァッ!?」
     木にぶつかり、葉っぱがバサバサ落ちた。
     レクトは口を開ける。
    「つ、強っ……」
    「今さらかよ」
     ガルドはニヤッと笑った。

     だが獣はまだ倒れない。
     低いうなり声を出しながら立ち上がる。
    「タフだな」
     ガルドが顔をしかめる。
     その時だった。
     レクトがふと気づく。
    「……あれ?」
    「ん?」
    「この子……」
     獣の後ろ。
     木の根元で、小さな影が震えていた。
     子どもの獣だ。

    「えっ」
     レクトは目を丸くした。

    「子ども……?」
     リシェルも気づく。
     小さな獣は、親の後ろに隠れて震えていた。
     ガルドは舌打ちする。
    「なるほどな」
    「え?」
    「子ども守ってんだ」

     レクトは獣を見る。
     獣は威嚇している。
     でも近づいてこない。
     追い払おうとしているだけだった。
    「……お腹減ってたんじゃ」
    「子どもに食わせるためだろうな」
     レクトは少し黙った。

     獣も必死なのだ。
     生きるために。

     その姿が、少しだけ魔族に重なって見えた。
    「……ガルドさん」
    「なんだ」

    「倒さないとダメですか?」
     ガルドはレクトを見る。
    「甘ぇな」

    「うぅ……」
    「だが」
     ガルドはオノを下ろした。
    「今回は時間ねぇ。さっさと離れるぞ」

     レクトの顔がパッと明るくなる。
    「いいんですか!?」
    「子連れの獣は無茶して追ってこねぇこと多い」
     ガルドはゆっくり後ろへ下がった。
     レクトもリシェルを連れて下がる。

     獣は低くうなっていたが、追ってこなかった。
     ただ子どもの前に立ち、こちらをにらんでいる。

     やがて距離が開く。
     森の奥へ、獣の姿が消えていった。

     静かになった。

    「……助かったぁ」
     レクトはその場にへたりこんだ。
     全身汗だくだった。

    「腰抜けそう……」
    「抜けてたぞほぼ」
     ガルドは笑う。
     リシェルは少し驚いた顔をしていた。
    「……倒さないんですね」
    「ん?」
     ガルドは肩をすくめる。
    「腹減って暴れてるだけなら、わざわざ命かけて戦う意味ねぇしな」
     レクトもうなずく。
    「子どもいましたし」
     リシェルは静かに二人を見た。

     人間の国で聞いていた魔王軍とは、少し違った。
     もっと残酷で、恐ろしい存在だと思っていた。
     でも目の前の二人は。
     怖いというより。
     なんだか、不器用だった。

    森の中を、夜風がゆっくり抜けていく。


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    少し歩いたところで、リシェルが足を止めた。

    「……何故私をさらいに来たの?」

    レクトは一瞬固まる。

    「えっと……魔王様の命令で……よくわからないです……」

    言いながら、視線をそらす。

    「でも……さっきみたいに、放っておけない気もして」

    ガルドが短く言った。

    「俺は仕事だ」

    それだけ。

    リシェルは少しだけ息を吐いた。

    「……変ですね」

    そして、ほんの少し目を細める。

    「でも、少し安心します」

    レクトはきょとんとする。

    「え?」

    「怖い人たちじゃないので」

    そう言うと、リシェルはまた歩き出した。

    「行きましょう」

    ガルドが後ろからぼそっと言う。

    「おい、置いてくな」

    「す、すみません!」

    レクトは慌てて追いかけた。


    森を抜けた先、魔王軍の隠れ道に馬車が止まっていた。

    「ここまで来りゃひとまず安全だな」

    ガルドが荷台を見上げる。

    「乗れ」

    リシェルは少しだけ周囲を見てから、静かに馬車へ乗った。

    迷いはなかった。

    レクトも慌てて後に続く。

    「し、失礼します……」



    しばらく走ると、森の向こうに巨大な影が見えてきた。

    黒い城。

    鋭い塔。

    重い空気。

    「……あれが魔王城ですか」
     リシェルがつぶやく。

    「はい……」
     レクトの声は少し小さい。

    門が開くと、中から魔族たちが一斉に出てきた。

    「姫だ!」「本当に連れてきたのか!」「すげぇ……」

    ざわつく空気。

    その中心で、重い足音が響く。

    ドン……ドン……

    現れたのは、魔王だった。

    巨大な影。

    圧のある視線。

    空気が一気に張りつめる。

    「……よくやった」

    短い言葉。

    それだけで場が支配される。

    レクトは震えながら前に出る。

    「れ、レクト……任務、完了しました……!」

    魔王は姫を見る。

    リシェルはまっすぐ視線を返した。

    「……ここが魔王城ですね」

    魔王は少しだけ目を細める。

    「度胸はあるようだな」

    そのまま、くるりと背を向ける。

    「連れて行け」

    「えっ」

    レクトが固まる。

    「どこにですか!?」

    「部屋だ」

    「え、僕がですか!?」

    魔王は振り返らない。

    「お前が一番扱いを間違えないだろう」

    「理由それですか!?」

    ガルドが横で笑う。

    「適任だな」

    「嫌ですよ!!」

    こうしてレクトは半ば強制的に、姫の“世話係”になった。


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    それから、、


    城の中。

    レクトは妙に忙しくなっていた。

    「これ、食事です……固いですけど……」

    「ありがとうございます」

    「ここ、あんまり出ない方がいいです……迷うので……」

    「わかりました」

    「えっと……あと、窓は一応あります」

    「いい部屋ですね」

    「僕もそう思ってます……」

    気づけば、リシェルは普通に城で過ごしていた。

    怖がる様子もない。

    むしろ落ち着いている。

    その様子を見て、ガルドが言う。

    「お前、完全に世話係だな」

    「なんでこうなったんですか……」

    レクトは頭を抱える。


    ある日。

    リシェルは窓の外を見ながらぽつりと言った。

    「ここ、思ったより静かですね」

    「そうですか?」

    「はい。……嫌いじゃないです」

    レクトは少しだけ驚く。

    「え、魔王城ですよ?」

    「だからです」

    リシェルは少しだけ振り返る。

    「怖い場所だと思っていました。でも……」


    少し間を置いて。


    「案外、ちゃんと生活してるんですね」

    レクトは変な顔をした。

    「えっと……魔王軍も一応人(?)ですし……」

    「(?)」

    そこはスルーされた。

    その時、廊下からドタドタと音がする。

    「おいレクト! 書類どこだ!」

    「ガルドさん! 今それどころじゃないです!」

    「いやそれどころだろ!」


    騒がしい日常。


    リシェルはそのやり取りを見て、少しだけ笑った。

    「賑やかですね」

    レクトはため息をつく。

    「毎日こんな感じです……」

    「少しだけ、安心します」

    その言葉に、レクトは固まる。

    「え?」

    「ここも」

    リシェルは静かに言った。

    「怖いだけの場所じゃないので」

    レクトは何も言えなくなる。

    ただ、ちょっとだけ頬をかいた。

    「……それなら、よかったです」

    城の中で。

    奇妙な日常が、少しずつ始まっていった。


    画像


    数日後。


    夜の魔王城。


    外では、激しい戦いが始まっていた。

    爆発音。

    叫び声。

    兵士たちの声が夜に響く。

    「姫様を助けろ!!」



    リシェルは窓の外を見つめていた。

    人間軍は、何度退けられても攻めてくる。

    自分を助けるために。


    レクトは小さく言った。

    「……本気ですね」

    リシェルは静かにうなずく。

    「私のために、戦っているんですね」


    ガルドが腕を組む。

    「まあな」

    その時だった。

    ドォン!!

    城が大きく揺れる。

    今までとは違う魔力の光が外に広がった。

    ガルドの顔が少し変わる。

    「……本気の部隊か」

    レクトは青ざめる。

    「まずいですよね、これ……」


    外では兵士たちが叫んでいた。

    「姫様を返せ!!」

    その声を聞いて、リシェルは目を閉じる。

    少しだけ苦しそうに。

    やがて、静かに言った。

    「……私が行きます」

    レクトが振り向く。

    「えっ」

    「これ以上、私のせいで戦わせたくありません」

    「で、でも……!」

    レクトが止めようとした時だった。

    部屋の扉が開く。

    そこにいたのは、魔王だった。

    空気が一瞬で静まる。

    レクトとガルドがすぐ頭を下げる。

    「魔王様」

    魔王は窓の外を見る。

    激しい戦い。

    燃える炎。

    叫び声。

    そして、静かに言った。

    「……行きたいなら行け」

    レクトが目を見開く。

    「ま、魔王様!?」

    魔王はリシェルを見る。

    「だが、お前が見たものを偽るな」

    低い声だった。

    「人間も、魔族も、生きるために戦っている」

    リシェルは静かにその言葉を聞く。

    魔王は続けた。

    「お前は、その両方を見たはずだ」

    短い沈黙。

    やがて、リシェルは小さくうなずいた。

    「……はい」

    そして歩き出す。

    レクトは慌てた。

    「ま、待ってください!」

    ガルドがレクトを見る。

    「行くんだろ?」

    「え?」

    「一人で行かせる気か?」

    レクトは少し止まる。

    それから、慌ててリシェルを追いかけた。

    「待ってくださいよー!!」

    ガルドも後ろから歩き出す。

    魔王だけが、その場に残った。

    窓の外では、まだ戦いが続いている。

    魔王は静かに目を閉じた。


    画像


    城の外。


    夜の戦場は、炎と煙に包まれていた。

    「押し切れぇぇ!!」

    「姫様を助けろ!!」

    人間軍が前へ出る。

    魔王軍も迎え撃つ。

    剣と魔法がぶつかる音が響いた。

    その時だった。

    「……やめてください!!」

    声が、戦場に響く。


    その瞬間。

    戦いが止まった。


    兵士たちが振り向く。

    魔王城の門から、リシェルが出てきていた。

    白い服が、夜の中で目立っている。

    「姫様!?」

    兵士たちがざわめく。

    レクトは慌てて後ろから追いついた。

    「はぁっ……はぁっ……速いです……!」


    ガルドが後ろから来る。

    人間軍の前にいた隊長らしき男が叫んだ。

    「姫様!! ご無事でしたか!」

    リシェルは静かにうなずく。

    「はい」

    兵士たちの顔が少しだけ緩む。

    だが次の瞬間。

    「今すぐお助けします!!」

    再び魔法陣が光り始めた。

    レクトが青ざめる。

    「わぁっ!? また始まる!?」

    しかし。


    「やめてください」

    リシェルの声が、再び響いた。

    今度は、さっきより静かだった。

    でも、誰も動かなかった。

    リシェルはゆっくり前へ出る。

    「私は無事です」

    「ですが……」

    少しだけ視線を落とす。

    「ここで、たくさんの人が傷ついています」

    人間軍が静まる。

    魔王軍も黙って見ていた。

    リシェルは続ける。

    「人間は、私を助けるために戦っています」

    そして今度は、魔王城を振り返る。

    「魔族は、生きるために戦っています」

    夜風が吹いた。

    誰も声を出さない。

    リシェルは小さく息を吸う。

    「……どちらも、悪いだけではありません」

    その言葉に、空気が少し揺れた。

    隊長が苦しそうに言う。

    「ですが……魔王軍は今まで多くを奪って……!」

    「はい」

    リシェルは否定しない。

    「だから、人間は怒っている」

    今度は、魔王軍の方を見る。

    「でも、魔族も生きるために必要だった」

    静かな声だった。

    でも、ちゃんと届いていた。

    レクトはその背中を見つめている。

    リシェルはまっすぐ前を向いた。

    「奪うから、争いになるんです」

    そして。

    「なら、奪わなければいい」

    兵士たちがざわつく。

    ガルドが目を細めた。

    リシェルは続ける。

    「魔族が人間を手伝い、人間が必要なものを分ける」

    「それでは、だめですか?」


    静まり返る戦場。

    誰もすぐには答えない。

    そんな中。


    「……簡単に言うなぁ、、」

    ぽつりと声がした。

    レクトだった。


    全員が振り向く。

    レクトは半泣きみたいな顔で言う。

    「でも……その方が、ずっと楽だと思います……」

    ガルドが吹き出した。

    「締まらねぇなぁお前」

    少しだけ。

    ほんの少しだけ。

    戦場の空気が変わった。


    静まり返った戦場に、夜風が吹く。

    兵士たちは戸惑っていた。

    魔王軍も同じだった。

    今まで剣を向けていた相手に、急に「協力しろ」と言われても、すぐには飲み込めない。

    人間軍の隊長が低く言う。

    「……そんな簡単な話ではありません」

    「はい」

    リシェルはうなずいた。

    「簡単ではありません」

    そして、少しだけ視線を落とす。

    「でも、このまま戦い続ける方が、もっと苦しいと思います」

    誰も反論できなかった。

    その時。

    重い足音が響く。

    ドン……ドン……

    魔王だった。

    巨大な影が、戦場へ現れる。

    人間軍に緊張が走った。

    剣が向けられる。

    だが魔王は気にしない。

    静かに、リシェルの隣まで歩いてくる。

    「……魔王」

    隊長が険しい顔になる。

    魔王は低い声で言った。

    「奪わなければ生きられなかった」


    戦場が静まる。


    「だが、それで憎まれることも理解している」

    レクトは少し驚いた顔をした。

    魔王がこんなふうに話すのを、初めて聞いた気がした。


    魔王は人間軍を見る。

    「もし他に道があるなら、こちらも無意味な争いは望まん」


    隊長は黙っていた。

    苦しそうな顔で。

    長い戦いだった。

    仲間も傷ついた。

    簡単に許せるわけがない。


    でも。

    目の前の姫は、泣きながら助けを求めてはいない。

    魔王軍も、今は剣を下ろしている。


    静かな空気の中。

    レクトが恐る恐る手を上げた。

    「あの……」

    全員が見る。

    レクトはビクッとなった。

    「ひぃっ」

    ガルドが頭を押さえる。

    「今びびるな」

    レクトはおそるおそる言う。

    「その……いきなり仲良くは無理でも……」


    言葉を探す。

    「ちょっとずつなら、できるかもしれません」

    隊長はレクトを見る。


    弱そうな魔族。

    姫をさらった張本人。

    なのに今、一番困った顔をしていた。


    レクトは続ける。

    「僕も、正直まだ怖いですし……」

    「でも」


    小さく息を吸う。

    「戦うよりは、いいと思うんです」

    また静かになる。


    やがて。


    カラン。

    人間軍の兵士が、剣を下ろした。

    一人。

    また一人。

    完全な終わりではない。

    許したわけでもない。


    でも。

    戦場の空気は、少しだけ変わっていた。

    ガルドが静かに前を見る。

    「……できるかもな」

    レクトはきょとんとする。

    「え?」

    「共存」

    短い言葉だった。

    レクトは、剣を下ろした人間たちを見る。

    魔王軍も、もう戦っていない。

    そして小さく笑った。

    「……はい」

    夜明けの光が、ゆっくり戦場を照らしていく。


    夜が明けはじめていた。


    戦場だった場所に、朝の光が少しずつ広がっていく。


    煙の向こうで、人間軍と魔王軍が距離を取っていた。


    もう誰も剣を振っていない。

    不思議な静けさだった。


    レクトはその場にへたりこんでいた。

    「つ、疲れた……」

    ガルドが笑う。

    「最後だけ頑張ったな」

    「最後が一番怖かったんですよ……!」

    リシェルはそんな二人を見て、小さく息を吐いた。


    その時。

    人間軍の隊長が、ゆっくり前へ出る。

    リシェルの前で止まり、静かに頭を下げた。

    「……姫様」

    リシェルも静かに見る。

    隊長は少し迷ってから言った。

    「お迎えに参りました」

    その言葉に、空気が少しだけ止まる。

    レクトは思わず顔を上げた。

    リシェルはしばらく黙っていた。

    やがて、小さく口を開く。

    「……帰れば、また戦いますか?」

    隊長は答えられなかった。

    リシェルは続ける。

    「魔王軍も、人間も、生きるために戦っていました」

    「それを知ってしまった以上、私は前と同じではいられません」


    朝の風が吹く。

    静かな声だった。

    でも、ちゃんと届いていた。

    隊長は苦しそうな顔をする。

    「ですが……」


    「はい」

    リシェルはうなずく。

    「簡単ではありません」

    そして、少しだけ笑った。

    「だから、少しずつです」

    レクトが目をぱちぱちする。


    リシェルは振り返った。

    「レクト」

    「は、はい!?」

    「あなた、来てください」

    「えっ」

    突然だった。


    レクトは固まる。

    「ど、どこにですか?」

    「人間の国です」

    「ええっ!?」

    ガルドが吹き出した。

    「ははっ、お前今度は人間側に連れてかれんのか」

    「嫌ですよぉ!! 絶対怖いですって!!」

    リシェルは少しだけ楽しそうに言う。

    「大丈夫です」

    「何がですか!?」

    「私が説明しますから」

    レクトは半泣きだった。

    でも。

    その顔を見て、人間軍の兵士が少しだけ笑う。

    魔王軍も、つられて笑った。

    ほんの少しだけ。

    世界はまだ何も変わっていない。

    でも。

    昨日よりは、少しだけ。

    お互いを知っていた。


    後日。

    人間の王国。

    城の中は、まだ少し落ち着いていなかった。

    「本当に魔族を入れるんですか!?」

     「危険です!」 「ですが姫様が……」

    あちこちで声が飛び交っている。


    その真ん中で。

    レクトは小さくなっていた。

    「帰りたい……」

    完全に場違いだった。

    人間たちの視線が痛い。

    怖い。

    めちゃくちゃ見られている。

    そして、その後ろでは。

    ガルドが堂々と腕を組んでいた。

    「お前だけ行かせたら絶対倒れそうだからな」

    「子ども扱いしないでくださいよ!」

    「実際してる」

    リシェルはそんな二人を見て、小さくため息をついた。

    「大丈夫です」

    「全然大丈夫じゃないです……!」


    その時。

    大きな扉が開く。

    王だった。

    重い空気が広がる。

    レクトは反射でビクッとなった。

    王はゆっくりリシェルを見る。

    「……無事でよかった」

    「ご心配をおかけしました」

    リシェルは静かに頭を下げる。

    そして。

    「ですが、お話があります」

    城の空気が変わる。

    リシェルは真っ直ぐ前を向いた。

    「魔族との争いを、変えたいのです」

    ざわめきが広がった。

    王は黙って聞いている。

    リシェルは続ける。

    「魔族は、生きるために奪っていました」

    「人間は、守るために戦っていました」

    「人々が、魔族を許せないのも分かります」

    城の中が静かになる。

    「でも、このままでは、ずっと変わりません」

    「戦いも、憎しみも、きっと終わらない」

    静かな声だった。

    それでも、部屋中に響いていた。


    レクトは後ろでオロオロしている。

    「だ、大丈夫かなこれ……」

    ガルドがぼそっと言う。

    「今さら逃げんなよ」

    リシェルは続ける。

    「だからまず、小さく始めたいんです」

    「食料を分ける代わりに、魔族にも働いてもらう」

    「少しずつ、お互いを知ることから」


    城の中は静まり返っていた。

    簡単な話ではない。

    でも。

    前より、“無理だ”とは聞こえなかった。

    王はしばらく黙っていた。

    やがて、ゆっくり口を開く。

    「……難しい道だ」

    「はい」


    「だが」

    王はリシェルを見る。

    「お前は、向こうを見てきたのだな」

    リシェルは静かにうなずいた。

    王は目を閉じ、小さく息を吐く。

    「まずは、話を聞こう」


    その言葉に。

    レクトは「ふぇぇ……」と力が抜けた。

    ガルドが小さく笑う。

    「……良かったな」

    「ぼ、僕もう足ガクガクです……!」

    そのやり取りを見て。

    リシェルは、少しだけ笑った。


    それから。

    少しずつだった。

    本当に、少しずつ。

    最初は、人間たちも魔族たちも距離を取っていた。

    目が合うだけで警戒する。

    子どもが泣く。

    兵士がにらむ。

    レクトは毎回ビクッとしていた。

    「ひぃっ」

    「お前が怖がってどうすんだ」

    ガルドが呆れる。

    レクトは半泣きだった。

    「だって怖いんですよぉ……!」

    でも。

    少しずつ、変わっていった。

    魔族たちは、人間の畑を手伝った。

    力仕事は得意だった。

    重い荷物を運び、壊れた壁を直す。

    人間たちは最初こそ戸惑っていたが。

    「……助かった」 「意外とちゃんとしてるな」

    そんな声も出始める。

    逆に。

    人間側は、食料や道具を分けた。

    魔族たちは最初、かなり驚いていた。

    「本当にくれんのか?」

     「奪わなくても?」

    レクトはそのたびに、

    「だから言ったじゃないですかぁ……」

    と、なぜか少し得意そうだった。


    リシェルは、その様子を静かに見ていた。


    ある日。

    城下町の広場。

    人間の子どもが、魔族のツノをじっと見ていた。


    魔族の男は困った顔をする。

    「……なんだ?」

    子どもは目をキラキラさせた。

    「かっこいい!」

    「え?」

    周りが静かになる。

    魔族の男は固まっていた。

    そして少しして。

    「……お、おう」

    なんだか照れていた。

    その様子を見て、周りから少し笑いがこぼれる。

    レクトも笑っていた。

    「なんか、変な感じですね」

    隣でリシェルがうなずく。

    「はい」

    広場には、人間と魔族がいた。

    まだぎこちない。

    でも。

    前みたいな空気ではなかった。

    レクトは空を見上げる。

    青空だった。

    「……できるかもしれませんね」

    リシェルは小さく笑う。

    「最初から、そう言っていたじゃないですか」

    レクトは少し照れた。


    遠くでは、ガルドが荷物を運ばされていた。

    「なんで俺がこんな重労働を……!」

    「ガルドさーん! がんばってくださーい!」

    「お前も来い!!」

    平和な声が、町に響いていた。


    画像

    その後。


    城下町は、少しだけ賑やかになっていた。

    人間と魔族が同じ場所にいる。


    少し前なら、考えられない光景だった。

    もちろん、まだ全部うまくいっているわけじゃない。


    少しケンカもする。

    にらみ合いになることもある。


    でも。

    前みたいな空気は、少しずつ減っていた。

    広場では、子どもたちが走り回っている。

    その中には、小さな魔族の子どももいた。

    一緒になって遊んでいる。


    リシェルは広場をゆっくり歩いていた。

    前なら、城の外をこんなふうに歩くことはなかった。

    屋台の匂い。

    人々の声。

    夕方の風。

    その全部が、少し新鮮だった。


    「姫様ー!」

    子どもが手を振る。

    リシェルも小さく手を振り返した。

    その様子を見て、レクトがぽつりと言う。

    「……普通に出歩けるようになって、良かったですね」

    リシェルは少し目を丸くする。

    それから、小さく笑った。

    「はい」

    その笑顔は、前よりずっとやわらかかった。

    その時。

    後ろからガルドの声が飛んだ。

    「レクトォ!! 休んでねぇで荷物運べ!!」

    「ええぇっ!?」

    レクトは慌てて振り返る。

    リシェルが思わず吹き出した。


    人間と魔族。


    まだ簡単に分かり合えるわけじゃない。

    それでも。

    少しずつ、世界は変わり始めていた。

    夕暮れの空の下。

    笑い声が、静かに町へ広がっていった。

    、、、。


     
     
    写真を撮ることと、物語を書くこと。 趣味で撮った写真の撮影日記、 小説とエッセイ。 そしてMr.Childrenの音楽から受け取った気持ちを、言葉にしています。 gachapic(ガチャピック) - Masashi Photography

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