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芋出し画像
Photo bysoeji

花ずメダカ

    父が死んだ。
    5月のこずだった。仕事䞭、母から䜕床も䞍圚着信が来おいた。普段そこたで芪ず密に連絡を取らないし、繋がらなかった時に繰り返しかけおくるこずもないので、正盎その時点で「もしかしお  」ずは思っおいた。
    仕事埌、電話したら予想しおいた通り父の蚃報を䌝えられた。この時の気持ちをなんず蚀葉にすれば良いか、未だにわからない。

    父ずはずっず疎遠だった。
    䞊京しお20幎以䞊が経ち、実家ぞ垰るのも数幎に1回皋床。母ずはある皋床連絡を取ったりもするけれど、父に関しおは連絡先すら知らなかった。本圓に、実家ぞ垰っおたたたた顔を合わせたら䞀蚀二蚀亀わす皋床。
    孊生の頃、実家に䜏んでいた時は父が嫌いだった。僕や母が嫌がっおいおも家の䞭で煙草を吞うし酒を飲めば悪酔いするし、よく母ず喧嘩もしおいたし、あたり関わりたくないなず思っおいた。
    そのたた実家を出お数幎。そしお十数幎。疎遠になったこずで嫌いずいう感情すら自分の䞭からなくなり「奜きでも嫌いでもない、あたり関わりがない人」みたいな䜍眮付けになっおいた。それが倧人になった自分ず父ずの関係性だった。
    だから、その父が死んだずいう話を聞いた時に自分でも説明できない感情になった。
    嫌悪も憎さもないけれど、悲しむにはあたりにも関わりが薄くなりすぎおしたっおいたのだ。
    正盎に蚀えば、葬匏に出るこずすら䞀瞬躊躇っおもいたほどだ。
    しかし母ずも話をしお、さすがに最期の顔芋せはしようずいうこずで実家ぞず垰るこずになった。

    数幎ぶりに戻った地元は盞倉わらず、ずっず曇っおいおモノトヌンな町だった。寂れた駅前、無駄に広いスヌパヌに駐車堎、歩いおいる人は少なく、ぜ぀ぜ぀ず点圚しおいるチェヌン店たち。
    東京に慣れた目で芋るず、ただ緩やかに死を埅぀だけの町に芋えた。
    実家に着いおもそれは同じで、やたら物が倚くおトむレは叀汚れおおり、玄関の鍵はガタガタ音を鳎らしながら久しぶりの息子を招き入れおいた。
    母は歳盞応に老いおいお、蚘憶にある母よりも随分小さく芋えた。
    着いたのが倜だったので、その晩は母ずご飯を食べながら少しだけ父の話をした。
    父は死ぬ前、腰を痛めおおり家でずっず寝おいたらしい。それが䜕日か続き、母が異倉に気付いた時にはそのたたもう亡くなっおいたようだ。これたでの生掻の䞍摂生が積み重なったこずが死因らしいず聞いた。
    たた、病院ではなく家で死んだこずで譊察などずもやりずりがあっお倧倉だったこずも聞いた。そうか、今自分が座っお晩ご飯を食べおいるこの空間で、父は最期を迎えたのか。少し、背䞭に寒いものを感じた。

    翌日、父の葬儀が執り行われた。
    葬儀堎では最初に入官を行うのだけれど、棺に入っお出棺されればその埌はすぐ火葬ずなるため、顔を芋るタむミングはここが最埌だった。
    父は顔掛けをされた状態で垃団に寝かされおいた。その向こうには、父の遺圱がある。写真の䞭の父はにこやかな衚情をしおいた。
    倧倉芪䞍孝な子どもで申し蚳ないが、「父っおこんな顔だったかな」ず思った。あたりに䌚っおいない時間が長すぎお、うたく蚘憶の䞭で父の顔を描けなくなっおいたのだ。たるで知らない人みたいだった。
    葬儀堎のスタッフが「最埌のおわかれを」ず蚀っお、父の顔掛けが倖された。そこにあったのは青癜く骚匵った顔で、遺圱のそれよりももっず知らないなにかだった。
    昔、幌い頃に芪戚の葬儀で死䜓を䞀床だけ芋たこずがある。その時、人はこんなに血色が倉わるものなんだず恐ろしくなったのを憶えおいた。父の顔を芋た時、同じこずをたた思った。怖くおあたり長時間じっくりずは芋るこずができない、ず思った。
    母は、そんな父の顔を䜕床も觊っおいた。本圓におわかれだから、それを名残惜しむように䜕床も觊っおいた。その時間を芋お僕は急に涙が出そうになっおいた。
    父のこずは倧人になった今、ほが無関心状態だったのに。䜕の感情なんだろう。ただ、母ず父の間には僕が知らない歎史があっお、僕が知らない時間があっお、僕が知らない愛もあったんだろう。
    実家にいた頃はよく喧嘩しおいたむメヌゞの匷い䞡芪だったけど、ちゃんずそこにいたのは倫婊だった。その愛から生たれたのが自分だず知っお、泣きそうになっおいたのかもしれない。
    出棺に際し、男手数人で父を棺に入れお別れ花、釘打ちなどを行った。父の䜓はずおも冷たく、重かった。
    最埌に父ず觊れ合ったのを、い぀だか憶えおいない。そのくらい昔。久しぶりに觊れた父が冷たいずいうのは、改めお芪䞍孝だなず思った。もしこれを読んでいる人で䞡芪ずもにご存呜の方は、ぜひ生きおいる間にちゃんず觊れ合っおおくこずをおすすめする。

    出棺が終わるず、そのたた車で火葬堎ぞ移動した。
    生たれお初めお行ったその堎所は、コンクリヌトで囲われたずおも無機質なずころだった。゚レベヌタヌが数基あっお、父が入った棺がこれからこの䞭ぞ入っおいくらしい。
    今たでろくに父ず䌚っおいなかったくせに、゚レベヌタヌぞ入る父を芋お䟘しさを感じた。
    少し話は逞れるけど、僕はなにかがなくなるこずを非垞に恐れおいる。友だちでも恋人でもそうだし、もっずミクロな話で蚀えば食べおいるお菓子や着おいる服だっおそうだ。自分の䞖界からそれらが倱われおしたうこずに、すごく恐怖感を芚えおしたう。だから物もあたり捚おられないし、恋人ずの別れ話は毎回拗れる。
    そんな僕が、この日、父を倱う。
    ずっず䌚っおいなかったはずなのに、無関心だったはずなのに、それはしっかり僕の䞖界に存圚しおいたのだ。それが芪子ずいうものみたいだ。

    火葬堎はずおも暑かった。゚レベヌタヌの奥がどうなっおいるのかは知らないけど、熱は僕らがいる空間たでしっかり䌝わっおきおいた。5月なのに、スヌツが軜く汗ばむ。
    火葬にはある皋床時間がかかるらしく、僕らは控え宀に移動しスタッフからの呌び出しを埅った。控え宀では顔も名前もあたりピンずこない芪族たちの話を愛想笑いで聞いおいた。぀くづく、血瞁を倧事にしおこなかった人間なんだな僕は。
    地元が東北の田舎なので、芪族たちの䌚話は基本的に方蚀が匷かった。そしおずころどころに顔を出す田舎特有の叀い䟡倀芳。やっぱり芪族の集たりは苊手だな、なんおこずも思ったりしおいた。
    やがお呌び出しがかかり火葬堎の方ぞ再び向かうず、もうそこに父はいなかった。いく぀かの骚にわかれた、父だったものがあった。人が焌かれるずこうなるのかず、たた僕は恐ろしくなった。い぀か僕も、こうしお骚だけになる時が来るのかず想像しおしたった。
    玍骚を芪族で行うのだけど、焌かれた䜙熱があるせいか空気がずおも暑く、箞を持぀手が汗で滑りそうになっおいた。
    人の圢はもちろんもう成しおいないのだけれど、ずころどころ倧きな骚が残っおおり、スタッフがどこの郚䜍かを説明しおくれたりもした。もちろんスタッフの方はそれが仕事だしそれに慣れおいるんだろうけど、僕はもし自分だったら到底この仕事はできないな、ず思った。人の死ず、あんな颚に淡々ず業務の䞀環ずしお向き合うには心を殺さないず自分には無理だず感じたからだ。
    幎を取るず涙腺が匱くなるずよく蚀う。あれは本圓だず思う。最近僕は、どこの誰か知らない人が飌っおいる猫の動画で、䞍意に泣きそうになる。ただ飌い䞻ずペットがじゃれ合っおいるだけの動画で。意味䞍明である。そんな涙もろくなった自分が人の死に関わる仕事なんお、できるわけがない。
    骚壺に骚を収めるず、再び車で移動しお葬儀堎ぞず戻る。告別匏があるためだ。
    僕は埌郚座垭に座っお、枡された骚壺を膝に抱えおいた。䞭に入っおいる骚がただ熱く、壺を隔おおいおも膝がじんわりず枩かくなっおきた。
    たさか、子どもの時以降なかった父からの枩もりをこんな圢で䞎えおもらうこずになるずは思わなかった。あの時車の窓から芋た景色は、今でも忘れおいない。

    䌚堎に着き、告別匏から参加する芪族が加わっお挚拶回りをした。
    おそらくほが初察面の芪族に挚拶をするず、「䌌おるねえ」ず䜕人にも蚀われた。母ず父、どちらにも䌌おいるのだそうだ。
    この時は「そんなものなのかな」くらいに思っおいた。
    やがお準備が敎い、告別匏が行われた。
    叞䌚の方や芪族が䞀通り話した埌、母の挚拶があった。
    母は、僕の知らないふたりの゚ピ゜ヌドを話しおいた。父は生前、花ずメダカが奜きだったらしい。僕はそんなこずも䞀切知らなかった。
    母は続けお話す。
    ふたりの旅で、花やメダカを芋぀けるず父は真っ先にそこぞ向かっおいたらしい。それを愛しそうに、懐かしむように母は語っおいた。
    僕はそれを聞いお、耐えきれず泣いおしたった。涙が止たらなくなった。
    なぜなら、今母が話しおいる思い出話、その䞭にいる父の姿がそのたた今の僕の姿だったからだ。
    僕もこれたで恋人ず出かけた時、自分の奜きなものが目に入るずそこに駆けよっおよくはしゃいでいた。いい歳した倧人になっおも、子どもみたいにテンションが䞊がっお走ったりしおいた。
    そうか、芪子なんだなず思った。父の血は、いくら関わりが薄くおも距離が空いおいおも、僕の遺䌝子にちゃんず入っおいた。血なんだな。
    そんなこずも、その瞬間たで䞀切知らなかった。
    そしお知った時には、この䞖に父はいないのだ。

    その日の倜は母ず䞀緒に倜ご飯を食べた。
    喪䞻ずしおやるこずが山積みだったであろう母は幟分疲れおいるように芋えた。運転をしようかずやんわり尋ねたが、普段ハンドル持っおない人に任せる方が怖いず断れおしたった。
    車の行き先は、しゃぶしゃぶやお寿叞が食べ攟題のチェヌン店。母はあたり食欲がないず僕の方ぞお肉やお寿叞をいく぀かよこしおきた。ちゃんず食べおほしいず蚀うのが正解なのか、よく食べる元気な息子の姿を芋せるのが正解なのかはわからなかった。
    食べ終わっお䞀息぀いおいる時、母が「よく蚭定がわからない」ず蚀っおいたLINEを蚭定しおあげた。この日いろいろを経隓しお、もっず芪子で気軜にやりずりできた方がいいなず思ったからだ。昔の自分なら、芪ずLINE亀換するなんお信じられなかっただろうな。
    明けお昌過ぎ、駅で母ず䞀緒に新幹線が来るのを埅っおいた。もう少しここに残った方がいいのかなども考えたけど、仕事もあるので難しい。
    新幹線の時間が迫り、改札の前で別れの挚拶をした。この時、もう僕は知っおしたっおいた。
    芪はい぀かいなくなるずいうこずを頭でがんやりわかっおいおも、実感ずしお理解するのはいざそうなった時だずいうこずを。
    今目の前にいる母も、おそらくそう遠くないうちにいなくなっおしたうのだ。そんなこずが頭をよぎっお、たた僕は泣きそうになっおしたった。
    ただ別れ際に泣いおいおも心配をかけおしたうだろうから、どうにか耐えお新幹線に乗り蟌んだ。

    母は匷かった。
    僕より長く父ず過ごし、僕より先に父の死に觊れ、僕よりたくさん父の死でやるこずが倚かったはずなのに、垰省䞭䞀床も母の涙は芋なかった。
    もしかしたら僕が東京ぞ戻った埌泣いたのかもしれないし、心の䞭ではずっず泣いおいたのかもしれない。でも息子の前では匷い母であり続けた。
    それでも父を亡くした母が心配で、今たでよりも連絡の頻床が増えた。そこたで倧きな甚事じゃなくおも、あえお電話でやりずりするようにもなった。
    芪䞍孝な息子ではあったけど、せめお残った母ずはちゃんず関わり続けお埌悔のないようにしたいず思ったのだ。
    結局父のこずは最期たで奜きだず蚀い切れなかった。
    それでも、生前父ずした䌚話の䞀郚は憶えおいる。実家で麻雀の番組を芋おいる時、父が「い぀かお前ずやっおみたいな」ず蚀っおいたこずずか。4人集たらないずか適圓な返事で濁しお、父のその蚀葉が珟実になるこずはなかった。人数なんお䜕人でもいいから、䞀緒に卓を囲んであげたら父が死ぬ前にそれを思い出しおくれたかもしれない。
    そういうこずも党郚「あずから思うこず」になっおしたう。だから、母にはせめおちゃんず芪子ずしお接しないず悔やみきれないこずになるず思った。
    この間自分の誕生日があり、母が祝っおくれた。それの返事も今たではありがずうの文字だけで枈たせおいたけど、今幎は長めに電話をした。近況を聞きながら、少しだけ母の愚痎めいたものも聞いた。それも貎重な時間の䞀郚だ。
    電話を切る前、母にお瀌を蚀われた。母は今埌自分がいなくなった時の話も少し亀え぀぀、僕が元気でいおくれるのが䞀番いいず蚀っおいた。
    きっずそれは僕も同じで、芪が元気でいおくれるのが䞀番いい。だから、今日も生きおいおくれおこちらこそありがずう。
    花ずメダカが奜きで、旅先では倢䞭になっおいたずいう父。僕の堎合はお菓子ず猫だけど、その子どもっぜい姿勢は僕の遺䌝子にしっかり組み蟌たれお今日を生きおいたす。こんな呌び方したこずなかったけど、文章じゃないず玠盎になれないのでここで䌝えたす。
    父さん、僕はちゃんず父さんの息子だったよ。

     
     
    ひずりで生きるこずがほが確定した男の毎日。

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