
「時の流れと、変わらない思い」〜残しておきたい 大好きな祖父母と過ごした日々〜
おじいちゃん、おばあちゃん、私もう24歳になったよ。
私は小さい頃から、おじいちゃんおばあちゃんっ子だった。
学校が終わると、まずは祖父母の家に直帰する。
ランドセルを脱ぎ捨て、棚の引き出しを開けると、
「こら!ちゃんと端に置きなさい!」
祖父の声が飛ぶ。
でもこれは怒っているんじゃない、笑いながらだ。
私の小さい頃のルーティーン。
それは、祖母が用意してくれているお菓子とアイスを食べることだった。
学校が終わったあとに食べるそれは、格別の美味しさだった。
「今日は何のお菓子かな~」と、わくわくしながら戸棚を開けることが、私の毎日の楽しみだった。
祖母のご飯はいちばん美味しい。
「おふくろの味」と聞くと、大抵の人は母のご飯を思い浮かべるだろう。
でも、私の「おふくろの味」は、祖母がつくるオムライスだ。名前は「おふくろ」というのだから、この答えは間違っているのかもしれないけど。
母の帰りが遅い日は、決まって祖父母の家でご飯をたべた。
夏には祖父がスイカを切ってくれて、いちばん大きいサイズの一切れを私にくれる。それがとても嬉しかった。
冬にはコタツに入り、3人でよく鍋を囲んだ。
私の食卓の思い出の全ては、祖父母の家に詰まっているといっても過言ではないだろう。
夏の思い出といえば、家の近くの公民館で行われていたラジオ体操だ。
ラジオ体操は朝がとにかく早かった。
早起きが苦手な私は、祖父母の家に泊まり、朝6時に起こしてもらった。
祖父とはそのまま一緒にラジオ体操に行き、終わったら帰宅し、祖母が作ってくれていた朝ご飯を3人で食べる。
小学生の頃は、この一連の流れが定番化していた。
中学生、高校生になっても、祖父母との関わりは一切変わらなかった。
そんな中、思春期になると親と喧嘩することが増えた。
家にいたくない私は、すかさず祖父母の家に走る。
自分でも訳の分からない涙を流しながら、大袈裟にドアを開けて乗り込んでいた。それも、夜の10時とかにだ。
「ねえきいて!お母さんがさ…」
あの頃は、親に対する愚痴をよく聞いてもらっていたものだ。
今思うと、とんだ大迷惑な話だけれど。
高校卒業後、私は一人暮らしを始めた。
といっても、寂しくなると、よく実家に帰るのだが…
地元に帰ると、実家よりも先に祖父母の家に行く。
いったい私は、祖父母にとっていつの年齢のままで時が止まっているのだろう。
「ひなちゃん、おかえり~!」
帰りすぎだと思うくらい帰っている私だが、毎回数年ぶりに会ったかのように歓迎してくれる。
私は祖父母に名前を呼ばれるのが大好きだ。
子どもの頃のように、ちゃん付けで呼んでくれるのが一番の大きな理由だろう。
数年が経ち、私も大人になり、祖父母も歳を重ねた。
変わらないこともあれば、少しづつ変わったこともある。
実家に帰っていたある日、私は風邪を引いた。
母も父も仕事でいない中、私の面倒を見てくれたのは変わらず祖父母だった。
「ひなちゃん体調どんげね」
「食べるもんはあると?果物でん買うて行こうか?」
祖父母は、私がちゃんとご飯を食べているのか、よく心配をしてくれる。
この日は、シャインマスカットを買って届けてくれた。
「おじいちゃんおばあちゃん、私もう24歳だよ…」
小さい頃のように、いつまでも心配して電話をかけてくれる祖父母は、やっぱりあの頃と何も変わっていなかった。
そして、少しづつ変わったことといえば祖父母の姿だ。
人間というものは儚いもので、歳をとればとるほど見た目は変わっていく。
「あれ、おじいちゃん達また背低くなった?」
会う度に感じることだ。
自分の身長が伸びただけなのかもしれないが、毎回そう感じてしまう。
祖母は毎回「愛美…恵…絵里…」娘全員の名前を呼ぶ。
私の母の名前は、一番最後の絵里なのだけれど、
なかなか1回では、娘の名前が出てこなくなったみたいだ。
最近では、2人とも耳が遠くなってしまって、「何を言っているのか聞こえない」と、お互いによく喧嘩をしている。
私はそれを見ることが、たまらなくつらい。
祖父母も80歳を超えるのだから、当たり前なのかもしれないけれど、その事実が怖くて怖くてしょうがない。
祖父母がいつまでも、私のことを小さい子どものようだと思っているように、私も祖父母のことを、いつまでもあの頃と変わらない元気な祖父母だと思い込んでいるのかもしれない。
「じいちゃんもばあちゃんも、いつまで元気でいられるか分からないからね」
この前母からそう言われ、少しずつ時間の大切さを改めて感じるようになった。
祖父母にはずっと元気で、2人仲良く笑っていてほしい。
また3人で、一緒に美味しいものでも食べに行こうか。
お金は心配しなくても大丈夫だよ、全部私が出すからね。
だって私、もう24歳の大人だから。