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『社会に出たくない』と叫ばせろ!

    どうかこの場で、叫ばせてください。

    本当はもっと大きな舞台で叫びたいのです。

    社会とか世界とか、そういうものの中心で叫びたい。

    でも、まだ私にはそこまでの資格が無いような気がして勇気が出ないので、この場を借りて叫ばせてください。


    社会に出たくない!



    「社会に出たくない」と思い始めてから、かれこれ30年以上が経ちました。

    記憶が定かではありませんが、10歳前後にはそのようなことを考えていましたので、社会に出たくない歴30年超となります。

    子どもにとって「社会に出たくない」というのは、「大人になりたくない」と同義です。

    10歳の時点で既に、自分は大人になっても上手くやっていけないだろうという予感がありました。

    その予感は見事に的中です。

    私は現在41歳。

    おばさんと呼ばれる年齢になり毎月介護保険料の支払いもしておりますが、いまでも毎日思っています。「社会に出たくない」と。

    社会に出るとは狭義の意味で、外に出て人と関わりながら働いてお金を稼ぐこと。多くの大人達が、社会人達が、当たり前にやっていることです。

    この当たり前の行為に、私はいつまでも馴染むことができません。

    こういう話をすると、

    「みんな同じだよ」
    「みんな我慢して頑張ってるんだよ」
    「働く場所があるだけでも幸せだよ」

    そんな答えが返ってきます。

    私は思います。

    (少々汚い言葉を使いますね)

    吐き気がします。

    反吐が出ます。

    ク◯くらえ、です。



    しかし私は、社会に出たくないからといってずっと引きこもっていたわけではありません。

    不登校(約2年間)や鬱休職(約1年半)などがありましたので、社会との繋がりが薄い期間、空白期間はあります。

    でも、基本的にそれ以外の期間は就学し、就労もしてきました。

    中学での出席日数が足りず高校は通信制サポート校でしたが、大学は通信ではなく通常の4年制大学をきっちり4年で卒業しています。浪人も留年もしていません。

    23歳で働き始めてからは18年が経ちました。どの仕事も長続きせず職を転々としましたが、無職の期間は通算しても2年程度です。つまり社会に出たくないと思い続けてきたにも関わらず、社会に出て16年も働いてきました。

    立派です。自画自賛するしかありません。よく頑張った。

    だからこそ、私には叫ぶ資格があると感じたのです。

    社会に出たくない! と。



    叫ぶ資格とは、なんでしょうか。

    何を思って何を言うかは本来個人の自由です。社会に出たくないという趣旨の発言は、特定の誰か、つまり他者を傷つけることはないでしょう。傷つく人間がいるとしたら、それは言葉を発した私自身です。

    頑張っていない人、頑張っていないように見える人に対して、世間は時に冷たいものです。

    例えば、私がいま不登校の中学生だとします。

    そして、不特定多数の人が閲覧できるSNSに「べつにいじめられているわけじゃないけど、教室にいるのが息苦しくて学校に行けなくなった。もう行きたくない」と投稿したとします。

    するとどうなるでしょうか。

    もちろん共感や同情の声もあるでしょう。「いまは無理せずゆっくり休んでね」といたわるコメントをくれる人もいるでしょう。でも、きっとそういう人ばかりではありません。必ず否定的な意見をぶつけてくる人がいるはずです。

    なぜなら学校も社会であり、行きたくないと思いながら我慢して行っている子は多いからです。

    学校に行っていないという事実だけならまだしも、開き直って自信満々に「行きたくなければ行かなくていい。学校なんてつまらない。」などと投稿してしまったら最悪です。

    不登校の渦中にいる人間が、不登校を肯定する発言をする。大炎上の予感です。予感というか、かつて実際に大炎上した少年がいましたね。私はひそかに彼のことを尊敬していますが。

    世間とはそういうものなのです。自分がしてきた苦労をしていない人間に対してうっすらと嫌悪感を抱く。苦労していないことを肯定するような言動があれば、嫌悪感を通り越して反感を抱き、結果として相手を攻撃する。多くの場合、匿名で。

    そして「そんなことじゃ大人になって苦労する」「社会に出て恥をかく」などと、突然現在の話から未来の話に飛躍してお説教めいたことを言い出すのです。

    私が中学生の頃にはSNSというものが無かったので、良くも悪くも気持ちを吐き出せる場所が限られていました。厳しい意見を目にする機会も限られていたので、そういう意味では恵まれていたのかもしれません。

    そのような環境にいても「世間の声」の欠片のようなものに触れてしまったことがあります。中学生だった私にとってのそれは、精神科医のそれであり、文通友達のそれでした。


    私は中学2年生の4月に不登校になりました。新学期が始まってすぐの頃です。きっかけというか、休み始める引き金となったのは、5月に予定されていた宿泊学習です。どうしても行きたくなかった。

    ただそれは1つのきっかけにすぎません。もっとずっと前から、私にとって学校という場所は、息苦しくて不安な気持ちになる場所でした。悪質ないじめを受けていたわけではありません。どうしてこんなにも憂鬱で苦しくなってしまうのか、当時は言語化することができませんでした。

    何年か前から、「HSP気質」という性格特性に関する言葉を目にするようになりました。HSP向けの生き方に関する本も多数出版されています。私はおそらくHSP気質を持っています。

    HSPとはHighly Sensitive Personの略称で、感受性がきわめて高く、刺激に対し敏感に反応しやすい、対人関係などでもストレスを感じやすい人のことです。

    病気でも障害でもありません。全人口の15〜20%で存在するといわれているので、珍しい気質でもありません。HSPだからといって、すべての人が不登校になったり社会不適合者になったりするわけではないのです。

    でも、私にとっては学校という場所で目にするもの、耳にするもの、起こる出来事のすべてがストレスでした。

    四六時中クラスメートや教師とともに過ごし、一人になれる時間がない宿泊学習は地獄としか思えませんでした。積もり積もったストレスに耐えきれなくなったタイミングが、この中学2年生の新学期、宿泊学習に向けた話が出始めた時だった、というわけです。


    精神科医の話をしましょう。

    学校に行けなくなったときの私は、精神的なストレスから、吐き気、頭痛、腹痛などの身体症状も出ていました。心配した母は、私を精神科へ連れていきました。

    学校へ行けなくなったきっかけが、宿泊学習へ行きたくない、というものだったので、その話をしました。その時の医師の態度が、私にとっては印象の悪いものでした。細かい部分までは覚えていないのですが、口調や表情などから「そんなことで?」という空気が滲み出ていたのです。

    甘やかされて育った打たれ弱いガキが来たな、という空気です。

    もちろん直接言われたわけではありません。でも、子ども心にも、子どもを見くだす大人の態度というのは分かるものです。私はとりわけ感受性が強かったので、すぐに分かってしまいました。

    子どもの世界はとても狭いです。当時の私にとっての精神科医は、親や教師以外の外の世界の大人代表のような存在でした。

    ある意味でこの精神科医の態度は、私の中で「不登校になった自分はこういう風に世間から見られているんだな」というモデルケースになりました。

    25年前の時点で、不登校はすでに社会問題になっており、テレビで取り上げられることもありました。社会問題。社会の問題。そう、私は不登校になることで、社会が抱える問題児になったわけです。


    次は文通友達の話をしましょう。

    私の実家は北関東の某県なのですが、当時私は関西地方に住む同い年の女の子と文通をしていました。文通友達として知り合ったので、会ったこともない女の子です。文通、懐かしいですね。

    何度か手紙のやり取りをする中で、私は自分が不登校であることをカミングアウトしました。

    学校生活の中でストレスに感じることは無数にあって、少しでも理解してもらいたくて、なにか一つ具体的なエピソードを書かなくてはと思いました。

    ストレスの一つが、毎朝クラスメートに宿題を見せることだったので、そのことを手紙に書きました。

    でも、理解してもらえなかった。

    もう手紙の詳細はうろ覚えですが、彼女からの返事は以下のようなものでした。

    宿題を見せるのってそんなに嫌なことかな?
    私も時々見せてあげるし、見せてもらうこともあるよ。

    中学は義務教育だし、不登校は良くないことだと思う。



    中学に登校していた頃の私は日々のストレスに押しつぶされる寸前で、いつも無表情で心を閉ざし、クラスメートと雑談をすることもほとんどありませんでした。昔でいうネクラ、今でいう陰キャです。

    でも、勉強だけは得意でした。定期テストで学年1位を取ったこともあります。田舎の公立中学なので勉強嫌いな子が多く、少し頑張れば良い成績を取れる環境でした。私自身も勉強が好きで、勉強をすることで現実逃避をしていたようなところがあるので、筆記テストの成績だけはずば抜けていたかもしれません。

    クラスメートもそれを知っていたので、毎朝私の周りには人だかりができました。宿題のノートを見せてもらうためです。一人にノートを手渡すと、今度はその子の机の周りに人だかりができます。私のノートを書き写すためです。

    彼らの書き写しが終わると、私のノートは別の子の手に渡り、その子の周りに人だかりができます。書き写しグループその2です。

    2つのグループ合わせて10人くらいでしょうか。彼らは毎朝私の宿題を書き写しました。毎日同じ子達というわけではなく、多少のメンバー入れ替えはあったかもしれません。

    朝のこの時間が、私はとても嫌だった。でも、言えませんでした。嫌だなと思いながら、毎日誰かにノートを渡しました。

    暴力を振るわれたわけではありません。お金を脅し取られたわけでもありません。無視をされたわけでもありません。

    いわゆる陰キャだったので、多少の陰口のようなことは言われていたでしょう。それでも、あからさまな「いじめ」はなかったと思うのです。

    でも私は苦しかった。

    勉強が得意なのは、時間をかけて勉強していたからです。地頭がいいとか、要領がいいとか、特別な才能を持っていたとかじゃない。分からないことがあれば時間をかけて調べました。

    そうやって積み上げた私の静かな努力が、当たり前のように毎日毎日奪われていく。消費されていく。

    それに勉強が得意だといっても、間違えることもあります。それらの私のミスが、宿題を書き写した子達の間で共有されているのも嫌だった。恥ずかしかったし、プレッシャーでした。


    文通の手紙の中では、上記のように詳細に書いたわけではありません。中学生の自分にそこまでの文章力はありませんでした。

    友達でもないのに毎朝宿題を見せなくちゃいけないのが辛かった

    その程度の表現だったと思います。

    結果として、伝わらなかった。伝わったかもしれないけど理解はしてもらえなかった。

    私が辛いと感じていることは大したことではないし、義務教育なのに学校に行かないなんて良くないことだと、そんな風に受け止められたのです。

    彼女からの手紙を読んで、私は虚しい気持ちになりました。勇気を出して伝えたのに分かってもらえなかった。毎日こんなに苦しいのに、私の言葉も気持ちも届かない。胸のあたりをスースーと風が通り抜けていくような、大きな虚しさを感じました。でも、虚しいだけであって、傷ついたわけではありません。

    彼女が時間をかけて、言葉を選んで返事を書いてくれたことが文面から伝わってきたからです。聡明で健全な子だったのでしょう。健全すぎて、精神的に滅入っていた当時の私とは波長が合わなかったのです。

    私は彼女に返事を書きませんでした。



    前述した精神科医に対しては今でも嫌な印象を持っていますが、文通の彼女に対しては当時も今も嫌な気持ちは湧いてきません。

    彼女も41歳。あのまっすぐな健全さで社会に出ていったならば、きっと素敵な女性になっていることでしょう。


    長々と昔話をしてしまいた。

    何を言いたいかというと、問題の渦中にいる者の言葉は軽視されやすいということです。現代には自己責任論が蔓延しているので、大抵の問題は自己責任で片付けられてしまいます。

    「社会に出たくない」という発言に関しても同じです。

    もしも私が不登校を経てそのまま実家に引きこもり、進学もバイトもせず、何の職歴もないまま40代になった人間だとしたらどうでしょうか。

    社会人経験を積まないまま年齢だけを重ねてきた人間が「社会に出たくない」などとSNS等で呟こうものなら大火傷をすることでしょう。匿名での正論や誹謗中傷の嵐が巻き起こることは間違いありません。

    だから私はずっと機会を窺ってきたのです。社会に出たくないという熱い気持ちを内に秘めたまま、神経をすり減らしながら社会に出て働き続けました。「社会に出たくない」などということを、軽々しく口にしないよう細心の注意を払ってきました。



    前半部分で、社会に出て16年も働いてきたという話をしました。もう少し詳しくお話すると、16年のうち11年はフルタイム勤務、5年は扶養内の時短勤務です。結婚して最初の5年は扶養内勤務で、2年ほど前から再びフルタイム勤務で働いています。

    フルタイム勤務はきついです。パートなので正社員ほど責任の重い仕事は任されないし、残業もしていません。1日8時間の週5日。それでもきつい。そろそろ限界だなと毎日感じてしまうのです。毎日MPがガンガン削られていく感覚があります。7〜8時間寝たくらいじゃ回復しません。

    正社員で残業もして家庭や私生活を犠牲にするような働き方をしてきた人から見れば、「こいつは何甘えたこと言ってるんだ」と思われることでしょう。

    そんなことは分かっています。だからこそ冒頭でも述べましたが、大きな舞台で人目を憚らず「社会に出たくない」と叫ぶ勇気はまだ持てないのです。

    でも、HSP気質というハンデを持ちながら10年以上もフルタイム勤務で働いてきたのです。大きな舞台は無理でも、この場を借りて叫ぶことくらいは許されるはずです。

    さて、気分が盛り上がってきたのでもう一度叫ばせてください。

    社会に出たくない!



    数年前に村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読み、下記の記事を書きました。

    本作は冒頭の数ページで希死念慮についての描写が続いており、そこだけでも読む価値ありです。村上春樹が希死念慮を書くとこうなるのかと、とても勉強になりました。

    この小説を読んでいるとき、希死念慮と性欲は似ているなと感じ、私は記事内で以下のような感想を書きました。

    希死念慮というのは、一部の人々にとっては、非常に身近なものだと思う。常にそこにあって、上手くやり過ごしながら、時に戯れながら共生している。

    性欲に似ている。公共の場ではあまり表に出さないし、個人差も大きい。村上春樹は性欲を真正面から書くことが多いから、同じ性質を持つ希死念慮を書くのも上手いのかもしれない。エロスとタナトスを書くのが上手いということ。

    「社会に出たくない」という発言も、仲間かもしれません。

    死にたい発言と、性的な言動と、社会に出たくない発言。どれも公共の場(社会)では控えるのが無難でしょう。

    生きている状態で死にたいと発言することは不謹慎と捉えられるかもしれませんし、恋愛関係にあるパートナー以外の相手に性的な言動をすることは相手に不快感を与え、最悪の場合発言者は社会的信用を失うかもしれません。

    社会に出たくない発言はどうでしょうか。

    病気や障害のため社会に出て働きたくても働けない人から見れば、不謹慎でないものねだりだと捉えられるかもしれません。こんな私を雇ってくれた会社から見れば、恩を仇で返されたような不快感を覚えるかもしれません。

    そうだとすると私は、ここまで6000字以上も費やして不謹慎で不快な文章を綴ってきたことになります。大人げないという言葉は自分のためにあるのではと思うことが多々あります。自分の内面の幼稚さに嫌気がさすこともあります。

    でも、もう止められないのです。私の価値観は40年以上かけてこの場所に落ち着いてしまったのです。この価値観を携えて、残りの人生も社会の荒波の中を泳いでいかなければならない。どこかで叫ばなければやっていけないし、やってられません。

    さあ、もう一度叫ばせてください。

    社会に出たくない!



    ここまで散々叫ばせてもらいましたが、基本的に社会の中で「社会に出たくない」という話をすることはタブーです。もしも社会に出たくない発言が市民権を得てしまったら、社会が機能不全に陥る危険性があるからです。

    「社会」という言葉を逆から読むと「会社」です。会社は仕事をする場所です。「社会に出たくない」を「仕事に行きたくない」「仕事を辞めたい」に置き換えてみると、かなりの多数派になるのではないでしょうか。みんな心の中では思っているけど、生活のため家族のために頑張っているのです。

    頑張っている人たちで社会は成り立っています。彼らが一斉に「社会に出たくない」と言い出したら大変なことになります。不登校、引きこもり、ニート、少子化などが社会問題とされているのも同じ理由です。頑張る人が減ったら社会は成り立たないのです。少なくとも現在のような社会は成り立たなくなる。

    そして社会や働くことに対する負の感情は、時に悪用されてしまうこともあるので注意が必要です。

    試しにX(旧Twitter)で、「仕事行きたくない」「仕事辞めたい」というワードで検索をかけてみました。すると検索結果の先頭に、以下のような注意が表示されました。

    画像

    闇バイトへの注意喚起です。案外身近なところに入口があるのかもしれません。そして興味本位で一歩でも足を踏み入れてしまったが最後、もう後戻りはできなくなっているのでしょう。

    私はまだ闇バイト経験はありませんが、低単価の在宅ワークをいくつか受注しているうちにマッチングアプリのサクラの求人を紹介された経験があります。皆様もお気をつけください。


    「社会に出たくない」をテーマにここまで書き綴ってきました。

    私は「社会に出たくない」だけであり、決してこの社会が嫌いなわけではありません。

    万が一にもこの記事が大バズりした場合、私の思想に影響を受けた社会人たちが一斉に職務放棄し、社会が機能不全に陥る可能性があるのです。

    それにも関わらず、私は何の検閲を受けることもなくこの記事を公開することができるでしょう。言論の自由を謳歌することができる素晴らしい社会です。

    私のような人間が存在し好き勝手に発言することを許してくれる日本社会の懐の広さを、愛おしいとさえ思います。出たくないなんて言ってごめんなさい。でもやっぱり出たくないです。

    最後までお読みいだだきありがとうございました。

    このふざけたテーマの長文を最後まで読んでくださる方がいるのかどうか、正直自信がありません。もしもあなたが最後まで読んでくださったのなら、あなたは私と同類に違いありません。コメント欄は解放しておきますので、ぜひ何か一言叫んでいってください。

    では最後にもう一度、叫ばせてください。



    社会に出たくない!







     
     

    䟽弈

     
     
    読書と勉強が好きな40代。現在は社労士試験合格を目指して勉強中。YouTubeは勉強記録など。HSP。社会に出たくない系の人です。記事はメンバーシップ限定が多いですが、どの記事も前半部分は無料公開しています。

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