
【エッセイ】光の子。
これはずいぶん前に書いた原稿なのだけれど、
いま読み返すと、自分の見ていたものはあまり変わっていない気がします。
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長い休み。子ども達と遊びに出かけたり旅行に行ったりするたびに目を見張るのは、その体力快復のすばやさである。
「つかれた〜」「くたびれた〜」と半泣きで眠たがりグズる間は悪魔のように扱いづらいのだが、スイッチオフするや否やストンと深く落ち、2時間もスヤスヤ寝ればもう天使。すっかりご機嫌になってしまうのだから、すごい。
大人ではこうはいかない。もはや転寝程度では疲れが増すばかりの親は、外出毎この快復のさまに驚きつつ心底ウンザリさせられる。
HP(ヒットポイント)もMP(マジックポイント)も元通りか、より強化した子どもを扱うだけの余力が、こちらにはない。そしてそんな子ども達の快復についてゆけない自分の中に老いを見てしまう……などといったら、「なにを若輩者が!」と、どこかからお叱りを受けてしまうかもしれないが。
この春、小学校に上がった6歳の長女は、学校のある期間は毎日14時半の下校時から17時までを、学校内にある放課後児童クラブで過ごしている。保育にあたってくれている先生の話によれば、ほぼ毎日ランドセルを置くやいなや校庭に吹っ飛んでいき、鬼ごっこのような外遊びに興じているらしい。
娘の服や靴が日々微細な泥土にいつもまみれているところからも、その程度は伺える。幼い頃はてっきりインドア派だと思っていたのだけど、単に不精な母親につきあってくれていただけなのだろう。ここに来て本領発揮しているようである。
そして姉の小学校入学と同時に保育園に入った2歳の次女も、毎朝片道800メートルの道のりを自分で歩いて登園し、みっちり散歩したり体操したりして過ごしている。だが2時間のお昼寝を挟んで迎えに行く頃には完全復活の様子で、疲れは微塵もない。
またも800メートルを小走りに駆けて帰宅。この妹娘は、姉娘の迎えにも同行し、姉妹一緒に校庭を駆けずり回ってから校門に急ぐ習い。タフなのである。
かくして子どもたちは、毎日17時過ぎまでせっせと走り回っており、親としてはさぞかし疲れるだろうと思うのだが、その帰途すら同じ児童クラブで同じマンション(さらに同じフロア)に住む友達と玄関ドア前で別れるまで全力でじゃれ合いながらなのだから、まことに恐れ入る。
ただし、18時ごろ帰宅した後は、もう宿題と夕食と入浴を怒涛のスピードでこなさなければならない。娘たちはほぼ、20時半から21時までのあいだに意識を失ってしまうからだ。
たまに、ふとんまで辿りつけず、廊下やリビングの片隅で行き倒れている姿を発見する。悪趣味な母はその姿を携帯電話のカメラで撮影しては、仕事中の夫や友人のみ公開のブログにアップして笑いのネタにする。
なんともはや、子ども達の口は半開きで必ずヨダレが一筋垂れている。「全部使い果たした!」という潔い眠り方。そのまぬけぶりに母は笑いながらも、実はちょっぴり感動しているのだ。
かれこれ7年近く子どもを育てている中で、子どもという生きものは夏にぐっと成長するものだということに気づいた。背丈はもちろん、こころもあたまもひと夏を過ぎるとまるで別人のようになる。
この夏、たっぷりご飯を食べさせ、お水を飲ませ、日光に当てて休ませ、を繰り返す日々……なんだか育児というものはどこか植物を育てる方法に似ているなと思ってクスリと笑ってしまう。
そうこうするあいだに、ぐんぐん伸びて葉を繁らせていく我が家のベランダジャングルの植物達の様子と、あれよあれよというあいだにぐいぐい大きくなる娘たちの育ちが重なる。
「育てさせていただいている者」である私は、その生長や成長のダイナミックな変化に喜び目を細めつつ、この激しいまでのいのちの勢いに気圧されてしまう。青くさい草いきれと、子ども達が皮膚から発散する蒸気の熱さや匂いに噎せ返ってしまう。
「まずいな、うかうかしていると負けちゃうぞ」。焦るが、「まあ負けてもいいかなあ」とも思う。勢い強いいのちに対しての畏怖と敬意、プリミティヴな感動。これらを「感じる」機会を与えられたことに感謝したい。子育ての醍醐味ここにあり、である。
じっと見ていれば気づくことだが、夏の植物も、子どもらも、不思議な光を身体の内側に湛え、しじゅう周囲に放散している。
なんというか、彼らは同じく日がな生きつつ、強い太陽光線をその身にせっせと蓄光しているような気がする。そう光を溜めて溜めて養分とし、その燃焼のさいに再び発光して周囲をあわく、しかし確かにキラキラと照らす。そして照らされたものは、なんとも言えず心楽しくさせられる。いわばパワーをおすそ分けいただいたような感じだ。
その発光するさまはエネルギッシュではあるのだが、植物や子ども達のまとうその光自体は決してどぎつくなく、印象としては崇高とすら言える。気高い種類のものだ。
ただやはり疲労の極地に至ると、切れかけた蛍光灯のように鬱陶しい点滅を繰り返す、光と子どもは似ている。植物と子どもは、似ている。
光は植物を活かし子どもの心を明らめる。子どもは光を希望に、夜の闇に打ち克つ。子どもは朝を待ちわび、日の出とともに動き出す。そして夏の陽を一身に受けて今日の一日にも、育つ。
児童クラブも保育園も休みとなる盆の一週間。姉妹はゆるくエアコンをかけたマンションの一室で、ひまとパワーを持て余し、がじゃがじゃ遊び、ときどき喧嘩している。もう、じつに五月蝿い。その周囲だけ気温も湿度も明度も10度ほど高いような気がしてならない。
けれども母は旅の疲れ残し、騒ぐ子ども達の姿を目の端に置きながら今しも午睡に落ちそうだ。汗ばんで発光というよりもう発酵しかけたような体臭をまとう子らが、よってたかってそんな傾いだ母の背を揺する。おかあさん、起きて、起きて、寝ないで……
初出:2009年6月10日 『住まいとでんき』