
三十数年の憧れを諦めなかった自分に拍手
白いデニムが欲しい。
いまだかつて、履いたことがない。
「白いデニム、履いてみたいんだよね。でもなかなか勇気が出なくってさ。背が低いしスタイルがいいわけでもないし、それに、すぐ汚れちゃいそうじゃん。」
「白ってかっこいいよね。俺も欲しいんだよ。汚れるのはこなれ感というやつじゃない?」
実家に帰省中の私と、そこに遊びに来ていた大学生の息子との会話。
汚れることを気にする私を笑ってはいたが、こなれ感という言葉で妙に私を安心させたうえに、息子は私の夢を否定しなかった。
これって私も履いていいってことかな。
5月、街は初夏の装いだ。
ショーウィンドウは眩しいくらいに色とりどりで、どの店もこちらへどうぞと招き入れようとするかのようだ。迷う。
そうだ、手頃な値段で色々揃ってる、あのショップに行ってみよう。
白い、最近流行りの太めのデニムを見つけた。棚から合いそうなサイズを引っ張り出して、ちょっとその場で合わせてみる。
太い。長い。引きずってしまう。丈を詰めてくれるとは言うが、こんなに切ったら細長い長方形が短い正方形に近づいてしまう。ガッカリだ。
他のタイプを探す気力も失って、店を出た。
ちょっとひと休み。
オープンしてまだ間もないそのカフェはいつも混んでいるが、今日は運良く窓側の席に座れた。
あ、空が見える。
青空を見ながらコーヒーを飲めるって、なんだか嬉しい。当たり前のようで当たり前じゃない。
温めてもらったキッシュを堪能し、コーヒーを飲みながら、ゆっくりと流れる雲を眺める。
ふと斜め前の席を見ると、恐らくシニア世代と思われる女性が座っていた。
白いデニムを履いている。さりげなく、かっこいい。シンプルなトップスは艶のある黒。身長はきっと私とあまり変わらなそう。
母娘でショッピングの合間のティータイムだろうか。大人の風格、その佇まいが美しい。
そう、あんな風に着こなしたいのよ。やっぱり白いデニム、履いてみたい。
もう一度、探してみよう。
気分を変えて、あの素敵な女性も行ったことがありそうな、デパートの婦人服の階にあるジーンズ専門店に行ってみる。
店員さんが話しかけてきた。どんな反応するか、試しにちょっと聞いてみよう。
「白いデニムにも憧れるんですけど、どうしようかな、と思って。ちょっと勇気いりますよね」
「そうですね、白はパキッとしちゃうから、抵抗があるならこんな感じの色がこれからの季節にはいいと思いますよ」
あっさりと淡いブルーを勧められた。
白に抵抗があるわけではないのに、憧れてると言ってるのに、「いえいえ、大丈夫ですよ。白は明るい色が映えて、特に夏はかっこいいですよ」なんて歯が浮くようなセリフの一つも言ってくれなかった。白を試す勇気が出るように、背中を押してくれる一言が欲しかっただけなのに。
そうか、白は勧めないんだ。
私には似合わないということか。それとも買いそうもない客だということがバレていて、まともに対応するのが面倒だったのか。
今日は探すのやめよう。
とりあえず、少し頭を冷やす。
美味しい魚屋さんで夕飯の食材を買って帰ろう。
先日初めて挑戦してみたエビマヨはとても美味しくできた。今までカロリーを気にしてマヨ料理は避けてきたけど、献立全体で工夫すればいいだけだと、この歳でようやく気が付いた。また作ろうかな。むき海老買っていこう。
夕飯の後、兄との会話。
「白いデニムが欲しくてお店で見てみたんだけど、履いてみる勇気が出なくて結局履かずに帰って来ちゃった」
「白いのかっこいいよね。前に履いてたことあるよ」
「え、そうなの?」
こんな身近にいたのか。
やっぱり断然、欲しくなってきた。
夜、布団の中で考えた。
そういえば「あのショップ」の店員さんがお客さんに、隣の駅の超大型店舗に行けばあるかもしれないですよ、と何かの色違いを紹介していたのを思い出した。
太くない白いデニムもあるかもしれない。
よし、せっかくだから、明日はちょっと遠出しよう、一駅分。
ゴールデンウィークの超大型店舗は家族連れでとても賑わっていた。
さすがに超がつくだけあり、広くて天井も高い。棚の背が高く、圧倒される大きさだ。服の種類が多すぎて、探すのが大変そうだ。ちょうどいい太さの白いデニムはあるのだろうか。
表示を見ながら広い通路を歩く。
この辺りがボトムスか。
あ、見つけた。
意外とあっさり、太くない、ストレートの白いデニムが見つかった。
1時間後、遅い昼食を済ませた私は、裾上げの済んだ白いデニムと水色のデニム2本を受け取った。
とうとう、思い切った。思い切ってしまった。しかも色違いで2本も買ってしまった。
20代の頃から憧れ続けて三十数年。息子と兄の言葉に背中を押され、遂に。
迷いに迷ったが、これなら裾上げしても正方形にはならない自信がある。履いたときの形が気に入って、あまりゆとりのないピッタリサイズにしたのはかなりの冒険だ。油断するとお腹の肉がベルトの上にはみ出てしまいそうだ。夫に見せたらなんと言うだろう。
また毎日筋トレだ。あの素敵なご婦人のように、格好良く着こなしたいから。少なくとも、太ってる場合じゃない。
しばらくやっていなかったあの筋トレ、復活だ。
大安吉日、今日は晴れ。
よし、白いデニムを下ろそう。
初めて着る服は晴れてる日がいい。大安なら気分もいい。結婚式並みのお祝いだ。
片道15分ほどのスーパーまで、新品の白いデニムを履いて歩く。途中、ショーウィンドウに映る自分の姿を見ては姿勢を正す。
そうか、白いデニムが自分に似合うかな、ではなくて、白いデニムが似合う自分になれるかな、それが問題なんだ。
なんだか気持ちが前向きになってきた。
三十数年の憧れパワーはかなりのエネルギーだ。この熱量が背筋をしゃんとさせ、歩幅を大きくしてくれる。
ちょっと無理したサイズだったが、憧れパワーのお陰で、ここ数日の筋トレが続いている。おやつも心なしか控えめになった気がする。
一緒に買った水色のデニムを普段から履いていれば、お出かけ用の白いデニムがきつくて入らないということも、多分おそらく、きっとないだろう。そうありたい。
還暦を目前にして思い切った自分を褒めよう。
何かを学んで資格を取ったとか、資格を活かして何かを始めたとか、一世一代の高い買い物をしたとか、そんなんじゃないけど、三十数年の憧れを諦めなかった自分に拍手。挑戦する自分に、大いに拍手。
なんだかとっても幸せだ。
次は何を思い切ろうか。