洋書と歩んだ20年間|私の不器用な多読遍歴
すべては一冊の本から始まりました。
20年前の冬、フィラデルフィア。
アメリカの友人Johnが、私にプレゼントしてくれた一冊の本。
エピクテトスの『The Art of Living』。
当時の私は、英語の本など一冊も読んだことがありませんでした。
でも、彼がくれたその本をどうしても自分の力で読みたかった私は、分厚い英和辞典を片手に、一語一語の意味を確かめながら、少しずつ少しずつ読み始めました。
そんな不器用な一歩から、私の英語多読は始まりました。
あれから20年。
当時一冊の短い本を何か月もかけてなんとか読み切った私は、今ハリー・ポッターシリーズの最終巻を読み終わろうとしています。
今日は、私の20年間の英語多読遍歴をすべてお話しします。
挫折も、発見も、立ち止まった時期も、すべて含めて。
なぜなら、その「不器用な道のり」こそが今の私を作ってくれたからです。

私の多読の原点です。
第1章:多読の旅の始まり(2004年〜2007年頃)
最初の一冊
Johnがくれた『The Art of Living』を、どうしても自分の力で読み解きたい。
その一心で私は、分厚い英和辞典を片手に、一語一語確かめるようにしてページをめくり始めました。
一冊を読み終えるのに、途方もない時間がかかりました。
本の内容よりも、1単語1単語の意味を追いかけることに必死だったように思います。
それでも、「Johnからもらったこの本を何とか自分の力で読み切りたい。」
そう考えた私は、何か月もかけて『The Art of Living』を読破しました。

辞書をどう使うか
そんな「精読」の日々の中で、私は大きな問いにぶつかりました。
「辞書をどう使うか」という問題です。
巷では「多読は辞書を引かないのが基本」とよく言われます。
でも、分からない単語をすべて無視して読み進めると、物語の筋が追えなくなってしまう。
大切なのは「辞書を使うか使わないか」の二択ではなく、
自分にとっての「心地よいバランス」を見つけることなのかもしれない。
そう考えるようになりました。
そのバランスを探すために、次に手に取ったのが、
以前から何度も日本語で読んでいた、J. D. サリンジャーの『The Catcher in the Rye(ライ麦畑でつかまえて)』でした。
日本語で何度も読んでいたので、単語がわからなくてもある程度ストーリーを追うことができ、「英語を英語で楽しむ」という経験ができました。
そして、辞書の使い方に関しては、「物語の大きな流れを理解する上でどうしても必要だと感じる言葉だけを調べる」という新しいルールを、自分に課してみたのです。
辞書との付き合い方を少しだけ変え、100%の理解を目指すのではなく物語を楽しむことをいちばん大切にすると決めたこと。
この2つの変化が、私の読書をより自由なものへと変えてくれました。
難しすぎる本への挑戦と挫折
そんな小さな発見がありながらも、私は相変わらず「難しい本」に挑戦し続けていました。
大学の英語の先生におすすめしてもらったクリントン元米国大統領の自伝『My Life(マイ・ライフ)』は、あまりにも長すぎて途中で挫折しました。
いわゆる「古典的名作」と呼ばれる作品にも、次々と挑戦しました。
ヘミングウェイ『The Old Man and the Sea(老人と海)』、
スタインベック『Of Mice and Men(二十日鼠と人間)』、
ハーパー・リー『To Kill a Mockingbird(アラバマ物語)』。
どれも素晴らしい作品だと言われている本ばかりです。
でも、当時の私にはどれも難しすぎました。
当時の私は「難しい本を読めるようになるべきだ」「名作を読むべきだ」という、誰に言われたわけでもない「べき論」に縛られていました。
挫折を繰り返すうちに、英語の本から少しずつ遠ざかっていきました。
「英語で楽しむ」という経験
そんな中、Johnにもう一冊おすすめしてもらった本がありました。
パウロ・コエーリョの『The Alchemist(アルケミスト)』です。
この本を読んだとき、私は驚きました。
「英語でも、こんなふうにすらすら読める本があるんだ」と。
難しい本と格闘することだけが、英語の勉強ではない。
自分が楽しめる本を読むことこそが、大切なのかもしれない。
その小さな発見が、次の扉を開いてくれたのです。
第2章:村上春樹との再会(2008年〜2014年頃)
英語で読む「喜び」の再発見
そして、私はある選択をしました。
すでに日本語で何度も読んでいた、村上春樹の作品を、英語で読んでみることにしたのです。
『羊をめぐる冒険』
『ダンス・ダンス・ダンス』
『海辺のカフカ』
どの作品も、私が愛してやまない物語でした。
だからこそ、英語で読んでも物語の大きな流れを見失うことはありませんでした。
そして、私は気づいたのです。
それは、「難しい本を読む」ことよりも「読む喜びを感じる」ことの方が、ずっと大切だということでした。
そして、その喜びは、必ずしも「未知の作品」からだけ生まれるわけではない。
むしろ、すでに愛している物語を、英語で味わう。
その体験は、新しい本を読むのとはまた違った、深い楽しみを与えてくれたのです。
この時期、私は少しずつ、自分なりの「多読のスタイル」を見つけはじめていました。
第3章:運命の本との出会い(2015年頃)
そして、2015年頃のことです。
ちょうどこの時期、私は転職に失敗し、失意のどん底にいました。
仕事のことを考えると、胸が苦しくなる。
そんな日々の中で、私は洋書を読むことで、なんとか気を紛らわせていました。
そして、その暗い時期に出会った四冊の本が、 私の多読人生を決定的に変えてくれたのです。
どれも、以前日本語で読んで大好きだった作品でした。
だからこそ、英語で読んでみたいと思ったのです。
何度も読みたい四冊
一冊目は、カズオ・イシグロの『Never Let Me Go(わたしを離さないで)』。
静かで抑制された文体の中に流れる、深い悲しみと優しさ。
その美しさが、つらい現実からほんの少しだけ私を解放してくれました。
二冊目は、同じ作者の『The Remains of the Day(日の名残り)』。
こちらも、静かな美しさに満ちた作品でした。
三冊目は、ロバート・B・パーカーの『Early Autumn(初秋)』。
私立探偵スペンサーを主人公としたこのシリーズは、 テンポの良い会話と、温かみのあるストーリーが魅力でした。
英語で読むスペンサーの言葉は軽快でユーモアがあって、 読んでいると少しだけ心が軽くなりました。
自分も頑張ろうと、ちょっとだけ前を向くことができたのです。
四冊目は、村上春樹の『Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage(色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年)』。
英語版で読むことで、日本語で読んだときとはまた違った発見がありました。
再読の力
つらい時期に、私は気づいたのです。 「未知の本」に挑戦することだけが、多読ではないのだと。
自分が好きな本を、英語で再読する。
それは、古い友人に再会するような、安心感と喜びをくれました。
そして、その「すでに知っている物語」が、つらい現実の中で、私の心の支えになったのです。
そして、私は初めて、こう思ったのです。
「この本をもう一度読みたい。もっと何度も読み、深く物語を味わいたい」と。
一度読み終えた本を、また最初から読み直す。
さらに、Audibleで音声版を聴く。
同じ物語を、何度も何度も味わう。
それまでの私は、どこかで「たくさん読むことが大切だ」と思い込んでいました。
「次の本、次の本」と、冊数を追いかけていました。
でも、この時、私は気づいたのです。
多読において最も大切なのは、「何冊読んだか」ではなく、「心から愛せる一冊に出会えたか」なのだと。
そして、その一冊が、つらい時期に自分を支えてくれるのだと。
Kindle Paperwhiteとの出会い
このころ、私はKindle Paperwhiteを使い始めました。
分からない単語があれば、タップするだけで意味が表示される。
辞書を引く手間が減り、読むことがより「自由」になりました。
2004年、分厚い辞書を片手に格闘していた私。
そして2015年、Kindleの中で瞬時に単語の意味を確認できる私。
11年という時間は、私自身だけでなく、「読む」という行為を取り巻く環境も大きく変えてくれました。
こうして私の多読は、ようやく「持続可能なもの」になりました。
好きな本を好きなだけ何度でも読む。
その喜びを、私はようやく手に入れたのです。

第4章:揺れ動く心(2016年〜2024年初頭)
英語と日本語の間で
それからしばらくは、英語の本と日本語の本を行ったり来たりする日々が続きました。
正直に言えば、英語の本だけをずっと読み続けていたわけではありません。日本語の小説をメインにしていた時期の方が、ずっと長かったのです。
2022年、私は「読書は英語をメインにしよう」と決意しました。
『Wonder』『Holes』などの児童文学を読み、Robert B. Parker作品に再挑戦し、『The Catcher in the Rye』を再読しました。
でも、2022年後半からは、また日本語メインの時期に戻ってしまいました。
「英語をメインにしよう」と決意しても、また日本語に戻ってしまう。
そんな自分に、当時は少し失望していました。
でも、今なら思います。それでよかったのだと。
多読は自分を追い込むためのものではありません。
人生には、英語を読む余裕がない時期もある。
それを認めることもまた、「自分ごと」の学びなのだと。
第5章:新たな旅の始まり(2024年3月~)
2024年3月。私は再び、英語の本を手に取りました。
正直に言えば、何か明確な理由があったわけではありません。
ただ、ふとこう思ったのです。
「もう一度、英語の本を読みたいな」と。
かつてのような「たくさん読まなければ」という焦りも、「こうあるべきだ」という強迫観念も、ありませんでした。
ただ、シンプルに、「英語が読めるようになりたい」と思ったのです。
そして、私が最初に手に取ったのは、あの本でした。
Johnがくれた『The Art of Living』。
20年前、辞書を片手に格闘したあの本を、今の私はどう読めるだろう?
そんなささやかな好奇心から、私の新しい旅は始まりました。
『The Art of Living』の再読
20年前、一語一語を辞書で確認しながら読んだ『The Art of Living』を、今の私はとてもスムーズに読むことができました。
その事実が、私に静かな自信を与えてくれました。
「ああ、私は確かに、少しずつ前に進んできたのだな」と。
そして、『The Art of Living』を通して知ったストア哲学への興味が、再び湧いてきました。
YouTubeでストア哲学について調べてみると、アメリカでストア派の思想が人気を集めていることを知りました。現代を生きる多くの人たちが、エピクテトスやマルクス・アウレリウスの教えに、心の支えを見出しているようでした。
そこで手に取ったのが、『Lessons in Stoicism』です。
20年前の私にとって『The Art of Living』は、辞書なしには読めない難解な本でした。
でも、この『Lessons in Stoicism』は驚くほどスムーズに読むことができました。
その読みやすさが、この20年の私の成長を実感させてくれました。
加速する多読
そして、私の読書は加速していきました。
ロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズを、続けて5冊。
『Mortal Stakes』
『Promised Land』
『The Judas Goat』
『Looking for Rachel Wallace』
『A Savage Place』
R.J.パラシオの『Wonder』、ルイス・サッカーの『Holes』。
児童文学の世界に足を踏み入れると、そこには温かくて力強い物語が待っていました。
カトリン・アリフィレンカとマーティン・ガンダの『I Will Always Write Back』。
ジョン・チョーの『Troublemaker』。
そして、ジェームズ・ボーエンの『A Street Cat Named Bob』とヴィッキー・マイロンの『Dewey』。
猫の物語は、私の心を温かくしてくれました。
気づけば、次から次へと本を手に取っている自分がいました。
「次は何を読もう」というわくわくした気持ちで、Kindleのページをめくる。 そんな日々が、当たり前になっていました。
ハリー・ポッターシリーズ読破へ
そして、2024年11月に、ハリー・ポッターシリーズを読み始めました。
『Harry Potter and the Philosopher's Stone(賢者の石)』から始まり、 『Chamber of Secrets(秘密の部屋)』
『Prisoner of Azkaban(アズカバンの囚人)』
『Goblet of Fire(炎のゴブレット)』
『Order of the Phoenix(不死鳥の騎士団)』
『Half-Blood Prince(謎のプリンス)』
そして今、最終巻『Deathly Hallows(死の秘宝)』の半分まで読み進めています。
20年前、辞書を片手に『The Art of Living』と格闘していた私。
一冊の薄い哲学書を読むのに、何ヶ月もかかっていた私。
その私が、今ハリー・ポッター全7巻を、ほぼ読み終えようとしている。
この事実が、自分でも信じられません。
ハリー、ロン、ハーマイオニーと共に冒険し、 ホグワーツの廊下を歩き、 魔法の世界に没頭する。
それを、英語で体験できている。
これは「奇跡」ではありませんでした。
これは、20年間の不器用で遠回りな、 でも確かに続けてきた小さな一歩の積み重ねだったのです。
原点の再読
そして、2025年8月。
14年ぶりに、Johnと再会できることになりました。
場所はニューヨーク。
再会を前に、私はあの二冊の本をもう一度開きました。
『The Art of Living』と『The Alchemist』。
20年前にJohnがくれた、あの本たちです。

20年前、私は三色ボールペンで線を引いていました。
当時の私の心に響いた言葉に。
そして今回、私は新たに蛍光ペンを手に取り、今の私の心に響く言葉に改めて線を引きました。

同じ本。でも、線を引く場所が、少しだけ違う。
その変化が、私に教えてくれました。
この20年で、私は確かに変わったのだと。
でも同時に、変わらないものもあるのだと。
Johnとの再会
2025年9月、ニューヨークで私はJohnと再会しました。
彼に私の20年間の歩みを語りました。
あの本から始まった、私の長い旅のことを。
挫折したこと、立ち止まったこと、そして、また歩き出したこと。
すべてを、ありのままに。
Johnは静かに聞いてくれました。
そして、こう言ってくれたのです。
"I am most proud of the good man that you are and have continued to become."
(私が最も誇りに思うのは、君がこれまでずっと素晴らしい人間であり続けてきたこと、そしてこれからもそうであり続けることだ)
その言葉を聞いた時、私は思いました。
この20年間の旅は、Johnにこの言葉をもらうためにあったのかもしれない、と。
おわりに
私の20年間の多読遍歴は、挫折し、立ち止まり、また歩き出す。
英語をメインにしようと決意しても、また日本語に戻る。
でもまた英語を読む。
そんな行ったり来たりの不器用な旅でした。
でも、その不器用な道のりが今の私を作ってくれました。
大切なのは、今日目の前の一冊と向き合うこと。
そしてその積み重ねが、いつか思いもよらない場所へ連れて行ってくれるということ。
私はそのことを20年かけて学びました。
これからも、また一冊また一冊と、ゆっくりと楽しみながら多読の旅を続けていきます。
