メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo bycactuses_manga

人と違うことをしたい自分、同じでいたい心理


    小学校に入学する頃、入学式で切るセレモニースーツにとても凝ったのを、昔の写真を見つけて思い出しました。
    時代は昭和50年頃、その当時だって今の子供のように、入学式はセレモニースーツを着て晴れ晴れとした気持ちで入学式に臨んだものでした。



    🌸他の子と違うセレモニースーツ

    真新しいランドセル、新しく買ってもらったセレモニースーツ。
    そのどれもが、新しく小学校に入学する事への期待をさらに膨らませ、学校生活への楽しみになっていたものです。

    セレモニースーツはもちろん、気に入った物を着るのだろうけれど、また幼い年齢、大抵は母親が買って着せていたと思います。
    けれど私は、他の子たちと違った考えを持っていました。

    幼稚園も卒園近くなると、私は中学生や高校生のセーラー服を見て知っていて、それを着てみたくて仕方がなかったのです。
    それで、小学校の入学式には「セーラー服が着たい!」と母にねだりました。

    母はお店で探すも、小学生になる子供向けのセーラー服などあるはずもない。
    やむを得ず紺色の生地を買ってきて、母は私のために手作りしてくれました。

    どうにも私は、小さい頃からか人と違った事をしたがる傾向があるようで。
    その手作りセーラー服も私なりのこだわりがあり、母にこういう風に作って欲しいとあれこれ注文して作ってもらったのです。

    セーラーの襟と袖口のカフスは白線が2本ずつで、スカーフは白で長めに垂らして。
    また母が、スカートはまだ小さい子供なので、細かいプリーツにするとごちゃごちゃになってしまうからと、太めのプリーツスカートにしてくれました。

    髪はその当時長かったので(周りの女の子たちの影響で長くしていた)、母にツインテールにしてもらい、赤いランドセルを背負って、入学式当日の朝、家の前で誇らしげに写真を撮ってもらいました。

    🌸人と違うことをしても…自分なりのこだわり

    何故セーラー服だったのか?
    どうも私は、他の女の子とは違っていたのかもしれないです。
    別に普通の子だったけれど、どこか人と違うことをしていた傾向がありました。
    それが人と違うという自覚がなかったのです。
    自分の好みにこだわりがあったり、気持ちに正直だったのではないかと思います。

    その後、小学2年生くらいまで、そのセーラー服で登校していた記憶があります。
    人と違う格好をしていたけれど、そのちょっと変わった格好のせいでいじめられたことはなかったのが未だに不思議です。

    また今にして思えば、母は私の我儘なくらいの願いをよく聞いてくれたものだと思います。

    🌸中学高校の頃、思春期特有の症状にかかって

    その後、中学高校の頃になると、人目を気にしたり羨ましく思ったりする感情が出てきました。
    そうなると、人と違った事をすることが気になります。
    みんなについていく為に「みんなと同じがいい!」と考える女の子もいたりしました。

    私はその頃には、みんなと同じ自分を演じながらも、何故か同じにはなれない自分が仮面の裏に隠れていました。
    思春期特有なのでしょうか、自分って何なんだろう?のような考えに囚われ悶々としていたこともあります。

    人目を気にし、人と違うのはどう思われるだろう、普通ってどんななの?と気にしました。
    その当時の普通、私が中学高校の頃は、今と違い制服のスカート丈がヒザ下5cmと長かったのです。
    その為、靴下は足首までのショートソックスでした。
    その方が長いスカートにはバランスが良く、かつ足首が細く見えるからという理由で中高生の定番ファッションだったのです。

    恐らく今の中高生も同じかと思いますが、みんなと同じがいい、という心理が思春期の頃になると出てくるのかも。
    人と違っていたり違った事をすると目立ちますし。
    学生カバンは分厚くパンパンだとやぼったく感じ、わざと潰して薄くしたりして、生徒の間ではその方がカッコいいという風潮もありました。

    🌸自分がどこか人とは違うという自覚

    それでも、何故か私は、人とはどこか同じになれない、ならない部分があるのを気にしていました。
    他の人のまねをしても、髪型とか服装とか流行り物を取り入れたりしても、何かどこかが違う。
    いつの間にか、自分の世界というか個性が形作られていたのかもしれません。

    みんな同じがいいよね、という暗黙の了解?が当たり前だった年頃。
    そんな中学高校の頃に、表面上同じようにしながらも違和感を感じていた自分がいて、そんな自分に悩んだりしていました。

    🌸異質な存在は社会になじむのが難しい?

    これ、大人になって一般社会でも人と違うというか異質な人は、時と場合によって理解を得られないのを見かけたりします。
    又は親に、否定的な事を言われて育ったりする人もいます。

    私は、親も自分の子供の事を否定したり支配し、子供が自己意思を持てなくなったりしてしまうことを、好きではないし良いことだとは思いません。

    けど、その人がダメなのではなく、その環境が合わない、又は本来の自分を否定してしまっていて社会との関りの上で支障になっているなどがあると思います。

    そんな場合は、思い切って環境を変えてみる、理解者や味方になってくれる人を見つける、自分を否定しないよう、就寝前などに自分が一日頑張った事をメモに書きだしてみて自分を褒め、自己肯定感を上げるなどの対策を取ってみるのです。

    社会やコミュニティーから疎外された気分になると、自分に自信が持ちにくくなると思います。
    けれど、決して自分がダメなのではないことを強く持つことが大事です。

    🌸新たな自分を見つけて好きになる

    自分を嫌いにならない事、自分を褒め認めることが本当は大事です。
    私は子供のころと違って20代の頃、ありのままの自分を認められなくなり、好きになれなくなっていました。
    けれど、いろいろな経験をしてきて今の自分があるわけで。

    普通ってなんだろう?自分自身はどこにあるんだろう?のような、考えても答えの出にくい問題に葛藤しながらも、やんちゃで元気で繊細だった自分は、様々な経験を通して今の私の土台となっているのです。

    私は若い頃に自分が嫌いになったけれど、人との関りの中で自分が唯一無二の存在だと気付けるようになってきてるかな。
    そんな自分もまた、好きだと思える部分もあるなと思う今日この頃です。

    あなたへのおすすめ