
ゴミ収集車を追え! (エッセンシャルワーカーの方々に感謝を込めて)
同い年の絵里ちゃんは、岐阜に住んでいた時の幼なじみです。
パパはとっても素敵な画家さん、ママはいつもお洒落なロングスカート姿のクリスチャン。絵里ちゃんはヴァイオリンが上手で、おしゃべりが大好きな元気いっぱいの女の子でした。今でもそうです。
これは、2019年の2月、その絵里ちゃんに起こったお話。
お互い別々の街に住むようになり、めったに会わなくなって、話を聞いたのは翌年になってからでしたが、名も知らぬ方々の優しさに心揺さぶられ、思わずブログに書いたものです。
その人たちのことをもっと知ってもらいたくて、noteにも載せていい?と、聞いてみました。
「いいよー」とひと声。
ありがとう、絵里ちゃん。それでは、いざ、コロナ禍の前の世界へ⋯。
ある冬の日のことでした。
絵里ちゃんは、バッグの中の埃を払おうと、財布などを出してから、ゴミ箱の上でバッグを逆さにし、底をパンパンと叩きました。
ん? なにか落ちなかったよね?
一応、ゴミ箱の中をちらっと見て確認。
よし、OK。
翌日。ゴミの収集日。
絵里ちゃんは朝、ゴミを出してから仕事に向かいました。
車を運転しながら、突然、「あれ?」
なにか妙な予感がします。
もしかして、バッグのポケットに、実印を入れてなかったっけ? まさかそれ、パンパンってはたいたとき、落ちなかったよね?
信号で停まったとき、急いでバッグを確かめました。あろうことか。ちゃんと閉めていたはずのバッグのポケットが全開に!
実印を持ち出すときには、亡くなったママからもらった印鑑入れに入れて、そのポケットに入れていたのに…。
その瞬間、絵里ちゃんには、バッグのポケットから音もなく落ちるママの印鑑入れの映像が見えたそうです。
小さいから、ゴミとゴミのすきまにするっと入っちゃったんだ。だから、ゴミ箱を確かめたときに、見えなかったんだ。
ガ〜ン!
急いで引き返しましたが、すでにゴミは回収されていました。念のため、はかない期待をいだきつつ、印鑑を入れている引き出しを見たけれど、ありません。やはり、ゴミに出してしまったのです。
市の収集所に行ってしまったら、それこそ大変!
絵里ちゃんは、すぐにゴミ収集車を追いかけました。夢中で運転して、ついに追いつき(よくぞ、その車両を見つけたものです)、ゴミを回収している男性に、間違って実印を捨ててしまったことを話し、自分の家のゴミ袋を探していいですかとたずねました。
でも、ゴミ収集車って、回転しながらゴミを集めているし、中を探すのは大変です。聞かれた男性は、こたえました。
「いまこの中から探すのは無理だなぁ。ゴミ収集所までついておいで」
そこで絵里ちゃんは、市の収集所まで、ずっとゴミ収集車のあとをついていって、車を停めました。彼女が外に出ると、彼は収集所の入り口で待っていてくれたそうです。
「こっちにおいで」
ほかの車のゴミと一緒になると、わからなくなるからと、彼は、ゴミ収集車に積んでいたゴミを、同じ収集車に乗っていたほかの男性と三人で、だだっ広い部屋に、ダーッとすべてあけてくれたそうです。
ここまで話したとき、絵里ちゃんは言いました。
「知ってた? ゴミ収集車には、ものすごい量のゴミが入るんだよ」
それはそれは、恐ろしいほどの大量のゴミだったそうです。しかも、ゴミ袋はもう、半分くらいはビリビリに破れ、ゴミが飛び出してしまっています。その中から印鑑を探すのは、文字通り、干し草の中から針を探すようなもの。
なにしろ、絵里ちゃんの印鑑入れは、こちらの写真の私の印鑑入れと同じ大きさです。会ったとき、持っていたので(空き家になった実家の売買契約に岐阜に行き、実印が必要な日だったと思います)、見せてもらいました。模様は違うけれど、形もサイズも同じです。

それでも、男性に、赤と黒の格子模様の印鑑入れだと伝えると、ほかの二人とともに、さっそく大量のゴミの中を探してくれたそうです。もちろん、絵里ちゃんも探しました。
いつのまにか、話を聞きつけたほかの人たちが次々と来てくれて、最後は、20名余りの方が、ゴミの山の中で一生懸命探してくれたそうです。
1時間が経過し、さらに30分が過ぎました。
すごい臭いのなか、絵里ちゃんも頭からブーツまで、ドロドロです。それでも、印鑑入れは見つかりません。実は、印鑑入れには、ご主人の実印も入っており、それで必死に探したのだそうです。
「燃えるゴミに出しちゃいけないゴミもいっぱいあったよ。木切れもいっぱいあって、怪我しそうだったよ」絵里ちゃんは言いました。
「なのに、みんな文句のひとつも言わずに、一緒に探してくれたんだよ。本当にありがたくて泣きそうだったよ。だから、あきらめたの。こんなにしてもらって、充分だって。もう出てこなくてもいいって」
そうして絵里ちゃんが、「もういいです」と言ったそのときでした。最初に話を聞いてくれた男性の手が、高々と上がりました。
「あったー!」
絵里ちゃんは、まさか、と思ったそうです。
でも、彼の手には、確かに、赤と黒の格子模様の印鑑入れが!
奇跡だと思ったと、彼女は言いました。あんな中で、あの小さな印鑑入れが見つかったのは、ほんとに奇跡だと。ママにもらった印鑑入れ。亡きママが助けてくれたのかなと思ったそうです。
でも、なによりも、2時間近く探してくれたみなさんのおかげだと、彼女は言っていました。その優しさに本当に胸を打たれたと。だって、業務外のことだし、上司に叱られるかもしれない。そのリスクを承知で、探してくれたのです。
彼らは絵里ちゃんに、感染症になる恐れもあるから、ちゃんと消毒をして帰ってね、と言ってくれたそうです。
消毒を済ませて、お礼を言おうとしたときには、みなさん昼食に行かれて、誰もいなかったそうです。たぶん、お昼休みをけずっていて、急いで行かれたのでしょう。それでも、全員にお礼を伝えたくて、頭からブーツまでドロドロのまま、夢中でお菓子屋さんに急いだそうです。
店員さんも、自分の姿を見て驚いたと思うけど、気迫に押されて(?)売ってくれた、と絵里ちゃんは言いました。
理由はわからずとも、彼女が必死だということだけは、わかったのだと思います。
そうしてお菓子を届けたときも、清掃員の方は一人しかおられず、あとの方にはお礼が言えなかったのが、とても心残りだったとのこと。
絵里ちゃんはそれ以来、ゴミ収集車を見ると、頭をさげているそうです。
話を聞いて、そんな小さな印鑑入れが見つかったことと、清掃員の方たちのあまりの優しさに、びっくりしました。
自分のことは顧みず、ルールにもしばられず、重労働で疲れているのに、大切なお昼休みをけずって印鑑入れを探してくれた、名前もわからない20人余りの男性。なんて温かく素敵な人たちでしょう。本当に、胸がいっぱいになりました。
清掃員の方たちは、私の住む名古屋でも、てきぱきとして、チームワークも素晴らしいです。車から飛び降りてゴミを回収したあと、さっと掃除をしてきれいにしたり、車に乗らずに猛然と駆けていくメンバーもいて、車が着く頃には次々とゴミを積み入れ、坂の多い名古屋の街を、また颯爽と走っていかれます。
常々すごいと思っていましたが、絵里ちゃんの話を聞いたあとでは、一段と尊敬の念が強まりました。
絵里ちゃんの印鑑事件のあと、コロナ禍が世界を襲いました。
印鑑をなくしたのが一年遅かったら、ゴミの中を探してもらうことなどできなかったでしょう。
そのコロナ禍のさなかも、彼らのような清掃員や医療従事者、福祉関係者、インフラの維持にたずさわる方、公務員や物流関係者、スーパーやコンビニで働く人など、エッセンシャルワーカーの方々は、黙々と働き続け、大変な思いをされました。
当たり前のように思っていた私たちの日常は、そういう方々に支えられ、守られていたのだと、そのとき初めて気がつきました。
絵里ちゃんの印鑑入れを探してくれた方々をはじめ、エッセンシャルワーカーのみなさんに、心から感謝を込めて、大きな声で伝えたいです。
「いつも本当にありがとうございます。どうぞくれぐれもお身体に気をつけて、お仕事をなさってください。」
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記事のタイトルは、トム・クランシー原作の映画『レッド・オクトーバーを追え』へのオマージュです。ソビエト連邦が存在した東西冷戦時代、最新鋭の原子力潜水艦がアメリカへ亡命を試みるという物語は、戦火が絶えない今の時代にも、平和とは何か、国とは何かを考えさせられます。
追いかけるのは、ゴミ収集車だけにしたいですね。
いえ、冗談です! そんなことにならないよう気をつけましょう。
絵里ちゃんはその後、実印はご主人のものとは別々に、大切にしまっているそうです。