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日本の皆さん、小椋藍選手の快挙、おめでとうございます。ーー22年ぶりの優勝を、あなたのスマホは知らせなかった

    2026年6月30日。
    日本の皆さん、小椋藍選手の快挙、おめでとうございます。
    ・・・。
    「誰ですか、それ」
    という方も、たぶん少なくないと思います。
    それも無理はありません。
    この日、日本の夜明け前、多くの国民の視線はワールドカップに集まっていました。
    日本対ブラジル。
    日本が前半に先制、
    もしかしたら。
    いや、もしかするかもしれない。
    そんな空気をつくりながら、後半に追いつかれ、最後はアディショナルタイムに逆転されました。
    試合終了後は、ニュースもSNSも日本代表の話でいっぱい。

    当然です、ワールドカップですから。
    しかし、その少し前。
    オランダでは、もうひとつの世界選手権が行われていました。
    オートバイレースの世界最高峰、MotoGPです。
    そこで日本人ライダーの小椋藍選手が、初優勝を果たしました。
    日本人がMotoGPで優勝するのは、2004年の玉田誠選手以来、22年ぶりです。
    22年間、誰も立てなかった表彰台の真ん中に、ついに日本人が立ちました。
    あらためて、おめでとう!
    大きなニュースです。

    日本にはホンダがあります。
    ヤマハ、スズキ、カワサキもあります。
    世界中で愛されているオートバイメーカーが、ひとつの国にこれだけ集まっている。
    その国のライダーが、世界最高峰の舞台で、22年ぶりに優勝した。
    国を挙げて祝ってもよさそうな快挙です。
    ところが、驚くほど話題になっていません。
    ここまで徹底されると、メディアの態度が潔すぎて、もはや小気味よくさえあります。

    ニュースは、ありました

    もちろん、ニュースが存在しなかったわけではありません。
    検索すれば出てきます。
    専門メディアの記事も映像もあります。
    小椋選手のコメントもあります。
    ただ、多くの人のスマホ画面には現れませんでした。
    情報は、あった。
    しかし、届かなかった。
    ここが、今回の話です。

    検索すれば見つかる。
    しかし、存在すら知らないことは検索できません。
    小椋藍選手をあなたはご存じですか。
    MotoGPという名前さえ、知らない人は多いでしょう。
    そこで日本人が勝ったことなど、当然知りようがありません。
    存在を知らないものは、探せません。


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    バリ伝風にレタッチ

    新聞を読まなくなった、というだけの話ではありません

    スマホが普及する以前、新聞を開けば、自分が興味を持っていないニュースも目に入りました。
    野球の結果を見ようとして、政治の見出しが目に入る。
    天気予報を探している途中で、海外の事件を知る。
    経済面は読まなくても、株価が大きく動いたことくらいは分かる。
    文化欄に興味がなくても、どこかで大きな展覧会が始まったことは目に入る。
    高級外車の広告も、夏のファンデーションの広告も、私の属性を無視して届く。
    もちろん、新聞が世界のすべてを公平に伝えていたわけではありません。
    新聞社がニュースを選び、新聞社が決めた大きさで並べていました。
    それでも、一枚の紙の上には、
    政治も、経済も、国際情勢も、文化も、スポーツも、広告もありました。
    自分の関心とは関係のない情報が、勝手に視界へ入ってきたのです。

    いま、新聞を日常的に開く人は、若い世代ではほとんどいません。
    総務省の「令和6年度情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」によると、平日に新聞を読んだ人の割合は、
    10代で0.0%。
    20代で1.4%。
    30代で4.6%。
    40代でも6.9%です。
    一方、インターネットを利用した人は、10代から40代まで、すべて9割を超えています。
    私たちが情報を見なくなったのではありません。
    むしろ、以前よりも大量の情報を見ています。
    ただし、情報を見る場所が変わりました。
    そして、場所が変われば、届き方も変わります。

    世界は広がったのに、見える範囲は狭くなりました

    インターネットには、世界中の情報があります。
    新聞とは比較にならないほど膨大です。
    知ろうと思えば、ほとんど何でも知ることができます。
    ところが、私たちが毎日見ているのは、インターネットの全体ではありません。
    スマートフォンの小さな画面に、その都度並べられた情報です。
    日本代表の記事を読む。
    ワールドカップの動画を見る。
    気になる選手の名前を検索する。
    友人が試合について投稿する。
    すると、次もワールドカップの記事が現れます。
    試合結果。
    選手のインタビュー。
    海外の反応。
    関連動画。
    小さなスマホ画面の中に、巨大なワールドカップが出来上がっていきます。
    それはとても便利です。
    知りたいことが、次々に届きます。

    一方で、MotoGPを検索したことがないあなた。
    バイクの記事を読んでいないあなた。
    モータースポーツの動画も見ていないあなた。
    SNSでも、その話をしていないあなた。
    そのスマホに、小椋選手のニュースが現れる理由は、ほとんどありません。
    これまでの行動から、あなたが関心を持ちそうなニュースだと判定されなかったからです。
    何でも知ることができる時代に、
    自分が知っていること、それに関することしか目の前には現れない。
    不思議な時代です。

    人は自ら世界を狭くしているのか

    「最近の人は、自分の興味のあることしか見ない」
    と言われます。
    私は、少し違うと思っています。
    人が強い意志を持って、自分の外にある世界を拒絶したわけではありません。
    目の前にできた環境に、普通に適応しただけです。
    スマートフォンを開けば、自分が関心を持ちそうな情報が並んでいる。
    自分で探さなくても、次に見るべき動画まで用意されている。  
    知らない話より、少し知っている話の方が理解しやすい。
    当然、そちらを見ます。
    その方が速いし楽です。

    人は、いつだってそうしてきました。
    冷蔵庫が普及すれば、毎日食材を買いに行かなくなる。
    カーナビがあれば、道を覚えなくなる。
    検索があれば、電話番号や漢字を記憶しなくなる。
    推薦機能があれば、自分で探さなくなる。
    人は、その都度、環境に合わせて生活を変えます。
    しかも、多くの場合、自分が変わったことには気づきません。
    いつの間にか、その環境で最も自然な行動をするようになっているだけです。

    読み方まで、環境に合わせて変わりました

    情報の流れ方に慣れきると、情報の読み取り方も変わります。
    長い文章を読む前に、見出しを見る。
    見出しの中から、自分が反応しやすい言葉を探す。
    「知らない」
    「落ち度」
    「若者」
    「新聞」
    そんな単語が目に入っただけで、文章全体を読む前に、少しイライラし始める人もいます。
    「だから何?」
    「自分には関係ない」
    「また若者批判か」
    「新聞を読めと言いたいのか」
    書かれていないことまで、自分の知っている文脈に当てはめて、先に反応してしまう。
    本文を読むのは、その後です。
    あるいは、読まないまま終わります。
    情報が多すぎる以上、すべてを丁寧に読んでいる時間はありません。
    だから人は、短い言葉から意味を推測し、瞬時に賛成か反対かを判断するようになります。
    それは、単純に人間の思考力が落ちたという話ではありません。
    いまの情報環境を生きるために、思考の仕方まで最適化されたのでしょう。
    ただ、その適応の結果として、思考は少しずつ狭くなります。
    自分が知っている話。
    自分が怒りやすい話。
    自分の仲間が反応している話。
    そうしたものだけを拾うようになり、その外側にある話を、ますます異物として扱うようになります。

    同じ社会で、別々の現実を見ています

    ある人のスマホでは、ワールドカップが最大のニュースです。
    ある人のスマホでは、株価と為替が一日の中心です。
    ある人のスマホでは、育児と教育の情報が流れ続けています。
    ある人のスマホでは、政治への怒りが毎日積み上がっています。
    そして、バイク好きの人たちのスマホでは、小椋藍選手の優勝が大事件になっています。
    どれも、その人にとっては日常的に流れてくる現実です。
    ただ、見ている現実が違います。

    仲間が変われば、流れてくる情報が変わります。
    流れてくる情報が変われば、知っている言葉が変わります。
    笑うポイント、怒るポイント、うれしいポイントも変わります。
    人と人の距離は、意見が違うから遠くなるのではないのかもしれません。
    同じものを見なくなったから、遠くなるのです。

    以前なら、
    「昨日のニュース、見ましたか」
    で、会話を始めることができました。
    いまは、その「ニュース」が何を指しているのか、私には分かりません。

    私が当然のように知っていることを、あなたは知らない。
    あなたが毎日はまっている動画を、私は一度も見たことがない。
    相手が何を考えているのか以前に、
    相手が何を知っているのかがまったく分からない。
    そうなると、
    私はあなたと、何を話していいのか。
    その入口さえ、分からなくなってきます。

    マーケティングも、まったく同じです

    ここで、いつものマーケティングの話になります。
    人は、市場にあるすべての商品を並べて、ひとつずつ公平に比較しているわけではありません。
    目の前に現れたもの。
    何度か見たことがあるもの。
    周囲の人が使っているもの。
    それを選んでおけば、仲間内で浮かないもの。
    そうした、すでに自分の生活環境に入っているものの中から選びます。
    企業がどれだけ優れた商品をつくっても、その商品が生活者の情報環境に入れなければ、比較の対象にすらなりません。
    小椋選手の優勝と同じです。
    世界最高峰で勝った、22年ぶりの快挙。
    ニュースも存在している。
    それでも、多くの人の視界には入らなかった。
    価値を知る前に、候補にすらならなかったのです。

    人は、価値を知ってから選んでいるのではありません。
    視界に入る。
    何度か触れる。
    自分に関係があるものとして認識する。
    その後で、ようやく価値を考え始めます。

    だから、マーケティングで考えるべきなのは、
    何を言えば人を説得できるのか、だけではないのです。
    その人が、普段どんな情報環境で暮らしているのか。
    何を見て、何が見えていないのか。
    人の意識を変えようとする前に、
    人が適応している環境を見なければなりません。
    人は、見たいものだけを見るようになったのではなく、
    見たいものしか届きにくい環境に、あたりまえに適応しているだけです。

    人は分断を選んだのでもありません。
    共通の情報が届きにくい環境の結果、
    誰かと分かり合うことが、少しずつ難しくなってきたのです。

    2004年9月19日から、7952日。 

    小椋藍選手の22年ぶりの優勝を、今も多くの人が知らずに通り過ぎています。
    そのこと自体が、私たちの暮らす情報環境を、実によく表しています。
    だから最後に、もう一度だけ。
    日本の皆さん、小椋藍選手の快挙、おめでとうございます。



    参考資料


    このnoteについて

    このnoteでは、AI・広告・Web戦略・人の行動を、「選ばれる構造」から読み解いています。

    今回は、小椋藍選手のMotoGP初優勝という22年ぶりの快挙を入口に、インターネットとスマートフォンがつくった情報環境について考えました。

    私たちは、自分の見たい情報だけを選んでいるようで、実際には、これまでの行動から「関心がありそうだ」と判定された情報に囲まれて暮らしています。

    その結果、価値のあるニュースであっても視界に入らない。
    同じ社会にいながら、別々の現実を見る。
    そして、人と人のあいだにあった共通の話題まで、少しずつ失われていく。

    人はいつだって、目の前の環境に適応して生活しています。

    それはニュースも、商品選びも、マーケティングも同じです。

    この視点から、今後も人の意思決定と、その背後にある環境の構造を考えていきます。

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    AI・広告・Web戦略を、“選ばれる構造”から読み解く note。流行や話題を追うだけでなく、人や市場がなぜそれを自然に選ぶのかを分解。広告担当者、経営者、Web担当者が、考えを整理するための視点を発信します。 (株)フルドライブhttps://fulldrive.co.jp/

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