メインコンテンツへスキップ
見出し画像

短編小説 | 手紙


    - 1 -

    あなたは、酷ひひどい人です。奥さまだってお子さまだって有あるのに、わたしは手籠てごめにされて、穢けがされました。それどころか、奥さまだってお子さまだって有あることを、お隠しになっておられました。わたしはなんにも知らなかった。其それでも、なんにも知らなかった間は、わたしはあなたの想ひ人おもいびとになったのだと、そう思っていられたから幸福でした。

    本当のことなど、知りたくありませんでした。知らない方が、幸せでした。知らなひほうがいろいろと想像できました。待ちました。待ってゐいる間も幸せを想像できたから幸福でした。思へおもえば、莫迦ばかでした。せけん知らずだったのですね。あなたのようなお歳で、おひとりなはずはないもの。と今ならわかります。

    だから、或ある人から、あなたには奥さまもお子さまも有おられると聞いたときは、驚きました。驚いて涙がでました。ふしぎに、悲しくも、くやしくもなくて、ただ、ただ驚いてしまって涙がでたのです。わたしの気持ちがお解りになるでせうかしょうか。解るはずです。だってこんなに狂うしいのだもの。あなたは、たぶん、赦ゆるして繰くれと、仰おっしゃるることでせうねしょうね。でも、赦ゆるすも、赦ゆるさぬも、有ありはしません。

    ひとは死んだ後に、閻魔えんま様にその罪を暴あばかれると申します。わたしは生きてゐいるし、閻魔えんま様では有ありません。そして閻魔えんま様だって、人が亡くなるまで罪を暴くのをお待ちになります。あなたは生きているし、わたしは閻魔えんま様でもキリスト様でもありません。そんなわたしがどうしてあなたを赦ゆるしたり、裁いたりできるとお思いでせうかしょうか。だからどうしようもない。どうしようもない気持ちがただ、ただ有あるだけです。


    - 2 -

    或ある人から聞きました。あなたが奥さまとお別れしてしまったと。或る人から聞きました。とても、とても哀しひかなしいことだと思ひました。

    怒らないでください。けっして怒らないでください。わたしは其それを聞ひて哀しひかなしいことだと頭ではわかっているのに、嬉しくなって仕舞ひしまいました。大切なあなたの仕合しあわせが、無くなってしまったのだから、哀しひかなしい筈なのに、嬉しくなって仕舞ひしまいました。でも、まへえの手紙で書きましたとおり、わたしはあなたに裏切られていたのだから、この気持ちはわかるでせうしょう。

    だからわたしは、まつことにします。また、あなたをまちます。まってゐいるあいだは、いろいろと想像できて幸福だから。いつもわたしは家事とお仕事ばっかりで、幸福なことなんてあんまりないから、待っているだけでも、あなたの顔を思ひおもい浮かべるだけでも幸福です。

    でも、心配なこともあります。あなたは奥さまが居ないのだから、ちゃんと御飯をたべているのかとか、シャツのアイロンがけはどうしているのだろうとか、そういうことが心配です。

    だいじょうぶ。大丈夫です。あなたがわたしのところへ来るのだったら、大丈夫です。わたしのところへ来たら、こゝろを込めた温かい御飯も、シャツのアイロンがけも、ぜんぶぜんぶわたしがしっかりやります。

    だから安心。安心なさってくださひ。わたしがいるから。


    - 3 -

    また、ききました。或ある人から聞ひてしまひました。あなたが年下の、若い女性と交際しているとききました。その方は熱愛と、評しておりました。としの差カップル、とも評しておりました。なぜ。なぜなのでせうしょう。わたしはこんなにあなたを想って、待っているのに。なぜわたしじゃないのでせうしょう。

    はじめてあなたにお会ひあいしたとき、あなたはわたしの目をじッと見つめて、そのおおきな手で、わたしの手を握ってくださひました。わたしをじッと見つめてくるあなたの目に、わたしは紛れもなく愛の囁ささやきを聴きました。

    あなたの目はこう謂いっておられました。このビルの外でまって居おってくれ、と。そこでまって居おれば、かならず行くから、と。だからわたしはお待ちしました。雨の日も風の日も、そのビルの前で待ちました。でもあなたは来ませんでした。あなたはひどいことをした。わたしは手籠てごめにされて、穢けがされた。

    でも、きっとあなたはお忙しい身だから、なにか重大な事情でこられないのだろう、と思ひおもいました。だからわたしは、ビルの守衛さんに手紙を渡して、あなたに届けるよう、お願ひねがいしました。手紙に住所を書いて家で待っておりました。毎日、まいにち、あなたの為に温かい晩御飯を用意して待っておりました。でも、いつまでたってもあなたは現れませんでした。

    こんなことが、有って良ひよいものでしょうか。赦ゆるされて良ひよいものでしょうか。もう閻魔えんま様も、キリスト様も、ありはしません。地面に捨てられたわたしの破れたこゝろがあるだけです。何故あなたは、わたしの手を握ったのでせうしょう。わたしの目を見つめたのでせうしょう。


    - 4 -

    【速報】俳優の矢吹条 五郎さん、刺される
    20XX年02月21日 Yaboo! Japan NEWS

    2月21日夜9時30分頃、俳優の矢吹条 五郎さん(46)が都内の自宅マンション前で刺されて倒れているのを、同じマンションに住む男性が発見し、警察に通報しました。

    矢吹条さんを刺したのは都内に住む女(34)で、矢吹条さんとはサイン会で一度だけ面識があったとのことです。

    女は矢吹条さんの所属する芸能事務所に数百通のファンレターを送っており、警察はストーカーによる傷害事件とみて、動機と経緯について詳しく捜査を進めています。


    (2026/02/19 : 手紙の内容、誤字脱字については原文まま)


    あなたへのおすすめ