
Epi.019|婚活優良物件vs老舗料理人
隠し味のロンド
「これなんです!僕の心を完全に射止めたのは」
若手実業家として名を馳せる安武トオルは、35歳にして誰もが羨む結婚相談所の「最優良物件」だった。そんな彼が緊張の面持ちで頭を下げている。場所は、年季の入った吉岡家の居間。対面に座るのは、元一流料亭の料理人である吉岡和雅、62歳だ。
和雅の傍らには、地味な眼鏡の奥の目を泳がせている35歳の娘、ゆかりが小さくなっていた。
「ゆかりさんがデートの度に作ってくれたお弁当。あの出汁の引き方、どこか懐かしい卵焼きの甘み……。激務に疲れた僕の胃袋は、彼女の優しさに完全に掴まれました」
熱弁するトオルを前に、和雅は眉間の皺を深くした。
(待て。あのお弁当は、娘の婚活を応援するために俺が毎朝『これを持っていけ』と持たせた料亭仕込みの特製弁当だ)
和雅が娘を横目で睨むと、ゆかりは「だって、お弁当が美味しすぎるってトオルさんが勝手に盛り上がっちゃって……言い出せなくて……」と、声に出さず口パクで必死に弁明している。実際のゆかりは、包丁を握れば指を切り、掃除をすれば物を壊す、壊滅的に家事が苦手なオタク女子だった。
吉岡家にとって、トオルという超優良物件は逃したくない千載一遇のチャンス。しかし、このまま結婚すれば「胃袋の詐欺」が即座に露呈する。和雅の脳裏に、職人としてのプライドと、親としての打算が火花を散らして交錯した。
和雅はゴホンと咳払いをし、鋭い眼光でトオルを見据えた。
「安武さん。『娘の味』が、それほど気に入りましたか」
「はい!一生、あの味と共に生きていきたいんです!」
真っ直ぐなトオルの瞳に、和雅は腹を括った。娘がダメなら、俺が婿を養う。職人の意地と親バカが限界突破した瞬間だった。和雅は静かに告げた。
「……分かりました。では、条件があります。新居はこの家のすぐそばに構えること。これを受け入れられますか」
トオルは一瞬呆然としたが、すぐに深い感動に震えた。(なるほど!お義父さんは、娘に家事の負担をかけさせないよう、自らサポートを申し出てくれているんだ。なんて家族想いの温かい父親なんだろう!)
完璧な勘違いに胸を熱くしたトオルは、和雅のゴツゴツした両手を力強く握りしめ、この日一番の声を張り上げた。
「喜んで!お嬢さんを僕に下さい!」
「……ああ、娘をよろしく頼む。ただし、厨房には絶対に近付けるなよ」
常識人である和雅の、それが精一杯の警告だった。トオルがその真意を知るのは、新婚初夜の真っ黒に焦げたトーストを見た瞬間のことである。