
「どう生きたいか」の希望なんて人に言えないことしかない
「自分軸や多様性を大切にしよう」
この言葉のとおり、最近は生き方を自分で選べるようになった。
そして、選んだ生き方は人それぞれ尊重されることが必要な考え方だと、広まっている。
どんな仕事をして、どこに住んで、いつ結婚して、いつ子どもが欲しいか。人生の選択だけではなく、趣味だって推しだって自由に選べる。
一人ひとりが「どう生きたいか」の希望を持てる時代。
しかし「どう生きたいかの希望を誰かに話して否定されたり理解されなかったりしたら…」と感じると、その選択は選びづらくなる。
ただ、ここで大事なのは、誰かに希望を諦めろと直接言われたわけではないことだ。
あくまで「誰かに話したら否定されるかもしれない」という予測なだけ。
希望する選択が他者に受け入れられないだろうと思うとき、そもそも自分自身がその希望に対して否定的な場合が多い。
たとえば、年収アップのために転職したくなったと同時に、心の中では「え、今から?年齢的に難しいよ…そもそも無謀じゃない?失敗したらどうする?せっかく今が安定しているのに…」と、不安がる自分がいるかもしれない。
この不安に対して、もし他者から「諦めろ」とまでは言われなくとも、「難しいと思う」「高望みかもしれないよ?」などと指摘されたら。
「そう、私も難しいと思ってる」「やっぱりそうだよね」と希望をなかったことにしてしまうだろう。
ここでやっかいなのは、自分のした選択に後悔する未来がある場合だ。
後悔する理由は多くの場合、納得できていないことだと感じる。
「人に難しいと言われたから」(自分はどうだった?)
「自分も難しいと思っていた」(それで納得できた?)
ここで納得できたと言い切れるなら後悔はしないだろう。
「難しかったかもしれないけど挑戦すればよかった…」と思ったとき、過去の自分への後悔につながる。
私は大学を卒業してから30半ばまでの約10年、何度もこうした「人には言いづらい人生の希望」と向き合い、悩んできた。
得られた喜びもあれば、失ってしまった喜びもある。
「あのとき挑戦せずにいたら、こんな苦しさはなかったかもしれない」なんてことがあると、新しい選択を不安がっていた自分から「ほら、言ったのに」なんて言われてしまうだろう。
最初に人生を変える大きな希望を抱いたのは31歳になる直前のこと。