
犬たちの時計に合わせると、暮らしから余計なものが削ぎ落とされていく
気がつくと、夜の街が遠いものになっていた。
かつては「今夜はどこで何を食べようか」、毎日妻とワクワクしながら話していたのだが、我が家の外食事情はすっかり変わってしまった。
というか、夜に外食することがまったくない。まったくだ。行くとしたら休日の昼に買い物のついで。選択肢は、近所の「餃子の王将」か「丸亀製麺」の二択。
ポイントは味や雰囲気ではない。圧倒的な「スピード」である。滞在時間はどちらも20分ほどだ。
なぜそんなに急ぐのかと聞かれれば、理由は決まっている。家で、あるいは階下の店で待っている犬たちが気になるからだ。
今の仕事について20年以上になる。仕事柄、愛犬の糸とロンとは、365日ほぼ24時間ずっと一緒だ。それなのに、たった一時間の外出ですら「悪いこと」をしているような、妙なソワソワ感がつきまとう。
妻も同じらしい。丸亀製麺でうどんを啜りながらスマホのペットカメラを確認している。画面の向こうにはいつも、ロンと糸が寝ずに玄関の方を見つめ、ひたすら私たちを待つ姿が映し出される。
だから結局、私たちは彼らと一分一秒でも長く一緒にいたくて、中古のキャンピングカーまで買ってしまった。
わざわざ燃費が悪く重たい車を転がして旅に出る。窓の外を流れる景色を彼らと同じ温度で眺められるなら、私たちにとってそれは高級ホテルのディナーよりもずっと価値がある。
考えてみれば、人と犬は残酷なほどに時間の速度が違う。
私たちには「あっという間の10年」が、彼らにとっては幼少期から老後までを駆け抜ける「一生」そのものに近い。
彼らの時計に合わせようとすると、自然とこちらの暮らしからも余計なものが削ぎ落とされていく。派手な外食も、面倒な人付き合いもどうでもよくなった。
代わりに残ったのは、床に転がる彼らの体温を感じながらただ静かに流れる時間だ。
犬と暮らす上で、よく「しつけ」が大事だと言われるけれど、それよりも大切なのは「観察」。彼らが今、何を望んでいるのか。たとえばお腹が空いているとか、それともただ、隣に座ってほしいだけとか。
その小さな変化に気づける空間と時間を持つことが、彼らの「一生」を預かる私たちの、唯一できる恩返しだと思っている。
日が暮れてきた。ごはんの時間、足元に二つの期待に満ちた気配を感じる。
高級レストランで流れるどんなBGMよりも、このカサコソという音の方が心地いい。
犬と生きる日常の風景を月水金の朝6時に発信しています。
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