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想海-omoumi-不恰好な想いをぶら下げ、生きている。





    「何してんだろ、俺…」


    手術後のベッドの上、
    最初に頭をよぎったのは、そんな予想外の言葉だった。

    これまでずっと待ち望んでいた、悲願の達成。
    きっと、喜びや感動が心の奥底から込み上げてくるだろう、
    そう思っていた。


    だけど現実は――。
    胸の両脇から延びる長い管。
    尿意の度に感じる、気持ち悪い異物感。
    手術着一枚の身体にかけられた気休め程度の軽い布団では、ガンガンに効いたクーラーの風がベッドの隙間から入り込んで、容赦なく体温を奪っていく。
    手も足も、すでに感覚がなくなるほど冷え切っていた。

    寒い。

    部屋の中だというのに、このまま凍死してしまうんじゃないかと思うほどだった。
    助けを呼ぼうとナースコールに手を伸ばしてみるが、身体が思うように動かない。


    こんなはずじゃなかった…はずだ。


    幼い頃から今日まで、夢にまでみてきた性別適合手術。
    その理想と現実の落差は、あまりにも大きすぎた。“後悔”とはまた別の、何ともいえない感情が私の心を揺さぶった。

    取ったり、切ったり、繋げたり。
    まるで、フランケンシュタインにでもなった気分だ。
    人体実験のあとみたいに、自分の身体が自分のものではない感覚。

    「何やってんだろ…」

    静まり返った病室に響く、呆れ混じりの溜め息。

    手術を受けて望む性になれたとしても、人生が一気に変わることはない。
    そんなこと、もう十分すぎるくらいに分かっていた。
    一度負った心の傷が癒えることはないし、
    トラウマに悩まされる日々が終わるわけでもない。
    予想外の事態にぶつかったり、起き上がれないくらいの傷を負ったりすることは、この先も変わることなく続いていく。

    変わることと、変えられようのない現実を何度も何度も考え、悩み続けた末に、選んだ手術。
    高額な費用を払い、慣れない異国に怯えながらも、臨んだ手術。
    にもかかわらず、自分の口からこぼれ落ちたあまりにも意外な言葉に、驚きつつも可笑しささえ感じて、呆れ笑いしながら一人、天井を見上げた。



    そもそも、“男になる”って一体なんだろう…。

    これは、私が手術に至るまでにずっと考え続けてきたことだった。



    物心ついた頃から20代まで、とにかく自分の身体が大嫌いだった。
    嫌いすぎて、自分で自分の身体を幾度となく傷つけたことだってある。

    父や同級生の男の子にあって、私にはないもの。
    それは、いつまで待っても生えてくることはなかったし、
    女の子にしかない膨らみは、私の不安を嘲笑うかのように成長していった。
    中でも、女の子にしか来ないという特別な日が来てしまったあの日のことは、いまでも決して忘れることはない。

    “来ないでほしい”

    目をギュッと瞑って、小さな手のひら同士を目いっぱい押しつけ合いながら、何度も何度も、毎日神棚に祈り続けた。
    しかし、その願いは届くはずもなかった。

    何の前触れもなくやってきた、あの日。
    目の前に突きつけられた赤黒く染まった下着。

    心臓の鼓動が激しさを増し、息が詰まった。
    “絶望”とは、まさにこんなことを言うのだろう、と思った。
    そして同時に、この気持ちは誰にも打ち明けてはいけないものだ、と幼いながらにもすぐ確信した。
    不安と恐怖を小さな身体いっぱいに詰め込んで、布団の中で声を押し殺しては泣き続けた夜。
    薄い壁越しに、私の“大人の女性への第一歩”を喜び合う家族の声が響いていた。

    自分は普通じゃない。
    私がなりたい私と、母が望む私。
    それは決して交わることがないのだ、と知った。

    消えてしまいたい。
    死んでしまいたい。

    そう思うようになるまでに、それほど時間はかからなかった。




    病弱だった私は、中学生になるまで登校日数よりも通院日数の方が、はるかに多かった。
    夏休みや冬休みのような長期休暇は、たいてい入院。
    それだけでも、クラスで浮くには十分の理由だった。

    なのに、何度練習しても覚えられない文字や運動。
    周りの人たちが当たり前に出来ることが、私には難しい。
    おまけに、元々の外見だって良いわけではない。

    なりたい自分と、母が望む私。

    そのちぐはぐなバランスの容姿が、カッコよくも可愛くもなれるはずがない。
    いじめられない理由を見つける方が難しかった。

    小学生から中学生に上がる春。
    ギリギリだった私の心をさらに追い詰めた“制服”と“大人の下着”。

    もう何もかもが嫌でたまらない。
    地獄の日々だった。

    高校3年の冬。
    本気で死んでやろうと思ったことがある。
    死んでしまいたい、
    消えてしまいたいと思ったことは、それまでにもあった。
    だけど、その中でもこの時の本気度はなかなかのものだったと、いま振り返ってみても思う。

    誰もいない夜の砂浜。
    冬というだけでも寒いのに、潮風が当たった肌がピンと突っ張って、刺さる感覚。
    人も街灯もない静かな暗闇の中、ただ波の音だけが響いていた。

    どうせ死ぬなら、海が良い。
    これは、死んでしまいたいと思った時から、密かに決めていたことだった。
    誰にも見つからないくらい遠い場所まで流され、鳥や魚の餌になって消えてしまいたい。
    お墓なんて固定の場所に縛られず、深い海の底で誰にも邪魔されることなく、いつまでも静かに眠っていたい。

    簡単ではないことくらい、分かっていた。
    それでも、最後の最期くらいは自分で選びたい。
    そんな想いを胸に、裸足で一人、波打ち際を行ったり来たりしていた。

    寄せては返す波の音に合わせ、足の指の間を、細かい砂が通っては抜けていく。
    そのなんとも言えない愛らしさに、自然と笑みがこぼれて、砂浜に座りこんで空を見上げた。

    三日月と、無数の星だけが広がる空。
    空と海との境界線が曖昧になる夜は、なんとなくそれだけで、自分すらも肯定されているような気がして好きだった。
    水平線の奥では、小さな光の粒が滲んでいた。

    「絵本の世界みたいだ…」

    いつかこの景色を、大切な誰かと見られたら…。
    許されるのなら、一度でいいから“俺”として生きてみたい。

    自分の心の奥深くから、クラゲのように浮かび上がってきた微かな願い。
    もちろん、海に願いを叶える力なんてないけれど、当時の私には、何度も寄せては返す波が「いっておいで」と、私の背中を優しく押し出してくれたような気がした。

    こうしてギリギリ繋ぎ止められた命で、私はなんとか社会へ出た。
    ただ、その代償はあまりにも大きかった。

    社会へ出るために払った代償――。
    それは、“自分を殺すこと”だった。

    あの日、あの砂浜で死ぬことが出来なかった私は、来るかもわからない“いつかの未来”のために自分自身を殺した。
    自分らしく生きることを諦め、母の望む私=女性として生きる道を選んだ。

    辛かった。

    辛さを少しでも紛らわすために、ささやかな抵抗として職業と土地だけは自分で選んだものを無理やり押し通した。

    人に喜んでもらう。
    誰かを笑顔にすることが好きだった私が最初に選んだのは、ホテルでの仕事だった。
    ピシッとした黒服姿と立ち振る舞い。
    落ち着きのあるトーンでお客様を迎え入れ、かけがえのない時間を提供する “ホテルマン”に、ずっと憧れていた。
    ホテルマンになることは叶えられないけれど、誰かを笑顔に出来れば、もうそれで良いやと思った。

    甘かった。
    ペチャンコに潰して隠しておきたい胸元の膨らみを包みこむ、女性用の下着。
    薄肌色のストッキングに、膝下ギリギリのスカート。
    “社会人のマナー”として求められる、最低限の化粧。

    化け物みたいだ。

    鏡に写る自分の姿を見ては、毎朝、気味悪く感じていた。

    男性として生きることを諦めて、誰も自分のことを知らない土地で、母や家族の笑顔のため、女性としての自分を演じきろう。
    そう固く決めたはずだったのに…。

    簡単に崩れ落ちた自分の決意が、どうしようもなく情けなかった。

    自分は一体、何者なんだろう…。
    なんでこの世に生まれてきてしまったんだろう…。

    自分のことがもっと、嫌いになった。

    どんなに気分転換がしたくても、新天地として選んだ場所に海はなかった。
    だから代わりに、一人になれる場所を見つけては空を見上げた。

    どこまでも続く青々とした空。
    空を見上げている間だけは、少しだけ気持ちが楽になった。
    けれど、手の届かない空は、やっぱり私には遠すぎた。

    海が恋しい…。
    側に居てくれる存在が出来ないのなら、せめて海だけには側に居て欲しい。

    自分にとって海が、無くては生きていけない存在なのだということを、改めて実感した。

    結局、私の社会人デビューは半年という短い期間で幕を下ろした。

    ホテルでの仕事を辞めてからは、地元に近い街で一人暮らしをしながら“制服がなくて化粧をしなくて済むところ”という安易な条件でバイト先を決めた。

    いま思い返せば、この経験は当時の私が自分を取り戻すために出来た精一杯の“最初の一歩”だったのかもしれない。
    職場内でのイジメは絶えることがなかったけれど、当時の私にとっては、少しでも自分らしく居られることの方が大事だった。
    それに、どんなに辛くなっても海がある。
    心のよりどころがあると思えるだけで、なんとか自分を繋ぎ止めていた。

    そんな私の人生に大きな影響を与えた出来事があった。
    祖父の死と大震災。
    そして、一人の女性との出逢いだ。

    これらは全て別々の出来事だったけれど、後にこの3つの出来事がひとつに繋がって、私の人生を大きく動かす出来事となった。


    家庭環境が少し複雑だった私にとって、祖父の死は「爺ちゃんが死んだ」以上の特別なものだった。
    しわくちゃの笑顔。
    舌足らずの口調で語られる“大切な何か”に気付かせてくれるような昔話。
    私はきっと、身内が思っている以上に祖父のことが大好きだった。

    もっと話したかった。
    もっと会いに行きたかった。

    だけど、「大人の都合」というなんともクダラナイ一言のために、祖父とは疎遠になったまま、亡骸を前に泣き崩れることになった。

    家族や身内、誰かの笑顔のため、このまま自分を偽り続けて生きるのか。
    自分を生かすために、自分以外の全てを悲しませる覚悟をするのか。
    それとも――。

    祖父の死は、自分の未来に背を向け続けていた私に、最後に語りかけてくれているようだった。

    きっと、このままじゃダメだ。
    これからの人生を真剣に考えよう。

    そんな時に出逢ったのが、彼女だった。
    彼女とは、当時流行っていたネットの掲示板で知り合った。
    自分と同じように、身体が女性なのに心が男性(以下、FTM)の当事者や、当事者と関わりのある人との繋がりを求めていた時に出逢ったのが、彼女だった。

    彼女の彼氏は、私と同じFTM当事者だった。
    自分が当事者でないからこそ、何気ない言葉で彼を傷つけてしまうことがある。
    だからもっと、彼の気持ちを理解するために当事者の話が聞きたい。
    彼女のそんな真っすぐな言葉が、当時の私にとっては、とても新鮮だった。

    「FTMと付き合うことに抵抗ってなかったの?」

    恐る恐る尋ねる私に、

    「ん~、ないかも!だって、神様がちょっと間違っちゃっただけでしょ?それか、お母さんのお腹に大きな忘れ物しちゃっただけじゃん?」

    そんなことを、あっけらかんとした口調で話すような人だった。

    自分にもこんな彼女が居てくれたら…
    彼女と彼との間に空いた距離の分だけ縮まっていく、私と彼女との距離。
    罪悪感が全く無かったわけではない。
    だが、それ以上に嬉しさが上回っていた。

    “俺”として彼女の側で必要とされたい。
    そんな気持ちが芽生えて、バイトを掛け持ちしては昼夜問わず働いた。

    その矢先に起きた、大震災だった。
    幸い、私の周囲の被害は最小限で済んだ。
    しかし、それはあくまでも“誰が見ても分かる被害”の話だ。

    「こんな時だから、仕方ない」
    その言葉で、人知れず“心”や“自由”を奪われた人たちもいた。
    私もその中の一人だった。
    職場や身内の前では出来うる範囲で女性を演じて、プライベートでは自分が好きなように振舞い、心を守る。そうしてなんとか保っていた心のバランスが、大震災をきっかけに崩れ落ちた。

    「緊急事態なんだから、家族揃っているべきだ」
    という理由で実家に呼び戻され、奪われた自分の居場所。

    離れた場所にいる時、家族に万が一のことがあったら…
    そう考えると、確かにワガママを言っている場合ではないことくらい分かっていた。
    だからこそ、当時は実家への緊急招集を渋々ながらも受け入れた。
    だが、実家に戻ることで自分の心が壊れてしまうこともまた、私には分かっていた。

    ユニセックスな下着やメンズ服を身に着け、鏡の前に立って短髪をツンツンにセットする娘のことを、家族が快く受け入れるはずもなかった。
    私を見つめる家族の怪訝そうな表情。
    あの光景は、十数年経った今でも、私の頭にこびりついて離れない。
    耐えきれず、何度も自分のアパートに戻ろうとしては言われた「自分勝手」という言葉。
    自分を守ろうとすればするほど開いていく、家族との距離。

    どうして、必要とされる命ばかりが消えて、自分はいつまでも生きているんだろう…

    あの震災の後、考えない日はなかった。

    「生きたくても生きられなかった人がいる」 と聞く度に、
    “代わってあげたかった”と、心の底から思っていた。

    震災によって、生きたくても生きられなかった命と、
    これまでの心の傷ゆえに、生きたくても生きる希望を持てずに死にたいと願いながら生かされてしまった命。
    その残酷すぎる運命を、毎日のように憂いていた。

    そして、私の気持ちに追い打ちをかけるかのようにラジオやテレビから聞こえてくる、各地の被害状況。
    私の住んでいた場所以上に、彼女の住んでいた地域の被害は凄まじかった。
    ライフラインが止まり、数日の間、彼女とは連絡を取ることさえ出来なかった。
    彼女は無事なのか。
    メディアから伝えられる情報を見聞きする度、不安で頭がいっぱいだった。
    ようやく彼女と連絡が取れた時、私は思い切って彼女に提案をした。

    「一緒に住もう。俺がそっちに引っ越す。だから、一緒になろう」
    目まぐるしく過ぎていく日々の中、精一杯の覚悟の表れだった。

    だけど彼女から返ってきた言葉は、予想もしていなかった言葉だった。
    「本当に必要な時、あなたは側にいてくれないじゃない。彼よりもあなたへの気持ちの方が大きいけど、必要な時に隣に居てくれた彼を大切にしたい。ごめんね、会いたい…本当はあなたに、側に居て欲しい」

    祖父の死、大震災、そして彼女の言葉…。
    自分の人生はこのままで良いのか。
    これ以上、誰かのために自分を偽って、大切なものを失い続けては後悔ばかりする人生。
    そうして終える人生に、何の意味があるのだろう。

    もう二度と、後悔したくない。

    翌年、私は職場に退職届を提出して、バイトで貯めたなけなしの現金と共に、彼女の住む街へと引っ越した。

    この引っ越しで私が最初に学んだこと。
    それは、人生をドラマのようなハッピーエンドにすることは難しいということだ。
    ちっぽけな勇気を振り絞っても、その行動が必ず報われるわけではないし、誰もが奪い去られるヒロインに憧れているわけでもない。

    引っ越しをして数か月後、彼女との関係はあっけなく終わった。
    理由は色々あったが、きっと誰も悪くない。
    ご縁が無かったのだろう。
    ただ、当時の私はそんなに聞き分けが良かったわけではない。

    結局、自分なんかが何をどう頑張ったって、誰かの特別な存在になることも出来ない。
    自分は誰からも必要とされていない。

    そんな考えが、私の心に根付き始めていた。
    唯一救いだったことは、この引っ越しが彼女のためだけではなく、男性として生きるためのものでもあったことだ。

    今度こそ、新しい地で男性として生きていく。
    後悔しない生き方をするんだ。
    都会ならきっと、理解してくれる人に出逢えるはずだ。

    就活用に購入した女性もののパンツスーツに、性別欄未記入の履歴書。
    緊張と不安が入り混じった少しの希望を抱え、人生で初めてのカミングアウト込みの就活が始まった。

    結果は、最悪だった。
    理解を求める度に、自分という存在そのものが否定されていくような毎日。
    何度挑もうが、変わることなんて出来ない。
    希望を持つ度に削られていく自分と、どんな状況であっても生きるために働くしかない現実。
    結局、ようやく決まった勤め先は、カミングアウトせずに採用された場所だった。
    生きるため、必要とされるために犠牲にしたものの数だけ、何もかもがどうでもよくなっていった。

    “いっそ人間も、リサイクル出来れば良いのに”と、考えてしまうほどだった。

    見るものすべてが羨ましくも憎らしい。
    街ですれ違う誰かの幸せそうな笑顔。
    あの人たちにはきっと、帰りを待っている人がいるのだろう…。
    全部壊れてしまえば良い。
    そう考えてしまうたびに、こんなことを考えてしまう自分こそ早くこの世から消えてしまえば良いのに、と何度も思った。

    “誰とも関わりたくない”という口癖は、
    “本当は誰かと繋がりたい”
    “もう誰も傷付けたくないし、傷付きたくもない”
    という切実な願いの裏返しだった。

    そんな自暴自棄の時代に出逢った二人の人間がいた。
    彼女たちを例えるなら、
    そう…私にとっての「海」だと思う。

    彼女たちの優しさは、特別な何かをしてくれることではない。
    相手と自分の境界線がハッキリしていて、それ以上踏み込んでくることも、踏み込ませることもしない。
    怒られたり、突き放されたりしているようにも感じる言葉で、
    「きっといつか、愛想を尽かされてしまうのではないか」と不安に思わされることもある。

    でも、彼女たちの言葉には、嘘がない。
    “寄り添い”という言葉を無闇に振り回すこともなければ、守る気のない約束を交わすこともない。
    ストレートに投げられたように感じる言葉の裏には、いつだって様々な感情が込められていて、それはまるで本当の意味での“命の重み”を知っているかのようにも感じる。

    だから私は、彼女たちの前では私として居られる。
    どんな惨めな姿も曝け出して、自分を偽らずに居られる。

    呼吸をすることが出来る。

    付かず離れず、寄せては返す波のように。
    いつも変わることなく。
    私がそこに存在することを認め、私を他の何者でもない“ただの人間”にしてくれる。

    彼女たちとの出逢いはまさに、真っ暗な私の人生に突然現れた月あかりそのものだ。
    彼女たちに出逢えたから、私の明日は繋がった。
    彼女たちがくれた未来が、その後も沢山の出逢いへと導いてくれた。

    そして、長い時間をかけて、“私は男性である前に一人の人間になりたかった”という気持ちにも気付かせてくれた。

    心と身体が一致せず、自分が何者かも分からないまま送り続ける生活や、
    どうあがいても取り返すことの出来ない男性としての未来。
    その痛みを、簡単に言葉で表すことは出来やしない。

    だけど、それ以上に苦しいことは、
    好きなものを、好きと言えない。
    美しいものを、美しいと言えない。
    痛いことや辛いこと、苦しいことに涙を流すことも出来ない。
    憧れや夢を語って、当たり前のようにくるはずの明日を描くことも出来ない。
    「常識」という名の下に、私がどんなものであるのかさえも表現することが出来ない。

    私が私で居て良いと思える場所が、どこにも見当たらないこと。
    それは何よりも辛く、苦しいことだと私は思う。


    手術を受けて性別が変われば、目の前の問題は全て解決する。
    昔は私も、そんな幻想をどこかで抱いていた気がする。

    だけど実際は、ほとんど変わらない。
    それどころか、完全に傷口が塞がって修復するまでの間、グロテスクな自分の傷口と向き合いながら生活する日々や、思うように動かない身体。
    感染症になる可能性。
    健康な身体から異常のない臓器を摘出したことで起こるリスクと、それに伴う覚悟など。
    むしろ、大変さは増す一方だ。

    たしかに、胸が無くなったことは大きい。
    保険証や住民票、公的に“男性”になったことで気持ち的に楽になった部分もある。
    だが今度は、“男性”として見られるからこそ、最初から男性として生まれてきた人とは決して同じになることはない“交わらない現実”に打ちのめされることもある。

    では、手術をしたのは無駄だったのか。
    そうじゃない。

    性別適合手術は、結婚のように「ゴール」ではなく「スタート」だと、私は思う。
    心と体がちぐはぐなまま生きてきた私が、性別適合手術によってようやく手に入れたもの。
    それは、自分の人生行きの電車に乗るための乗車券でしかない。

    上手く説明することは出来ないけれど、手術後のベッドの上で感じた違和感は、ここがゴールではないことを心のどこかで分かっていた自分と、ひとつの区切りをゴールと捉える自分との葛藤の末だったのではないかと思う。



    「幸せになりたい」

    ひとしきり考えを巡らせた後、天井を見上げながら振り絞るように出てきた言葉。

    「自分なんか」が口癖になって、自分を犠牲にしてでも“誰かのシアワセ”を優先するのが当たり前になっていた。そういう生き方しか知らなかった私が、まさか、自分の幸せを願う日が来るなんて思ってもいなかった。
    きっとこれは、自分で選べるようになったからこそ抱けた感情で、ここからようやく、私の人生が本当の意味で始まる。

    選べることや表現することは、一見、とても些細で当たり前のことだ。
    それは本来、誰もが当たり前に平等に持つべき権利だからだ。
    そんな当たり前のことを、当たり前にする。
    そのために、私には性別適合手術が必要だった。
    ただ、それだけ。
    ただそれだけのことが、私の人生では、とても大きな決断であり、出来事だったのだと思う。

    私がいま手にしたシアワセは、間違いなく35年という月日の中で私が心から望んでいた願いのひとつだ。
    でも正直、そのシアワセが私にとって“心からの幸せなのか”は、また別の話だと思っている。

    私が本当に心の底から望んでいる“私にとっての幸せ”とは、なにか。
    その答えを出すのは決して簡単ではなく、まだまだ時間がかかりそうだ。

    身体や性別が変わった今でも、私の悩む日々は変わらない。
    社会に上手く溶けこめないことや、他の人が当たり前に出来て私には出来ないこと。
    私にとっての課題は、まだまだ山積みだ。


    だから今日も私は、嘆きながら朝を迎える。

    社会に生きづらさを感じ、
    やり場のない想いやトラウマを抱え、
    何が正解かも分からない世界で迷子になりながら、
    ただ毎日を、カッコ悪く無様に生きていく。

    そしてその過程の中で、

    男性として生きるとは、
    自分らしさとは、
    幸せとは、なにか。
    自分なりの答えを求め、想いを馳せながら、また、ぼんやり海を眺める。



    最後にもし、
    この文章を最後まで読んでくださった方で、私と同じように何かしらの生きづらさを抱えながら生きている人がいるのなら。
    こんな不器用で馬鹿な人間が、今日もどこかで海を眺めながら、不恰好な想いをぶら下げて生きている。

    そのことを、どうか知っておいて欲しい。

    #創作大賞2026 #エッセイ部門


     
     
    FTM当事者(女性として生まれ、心が男性)の俺が人生の分岐点を前に手術を決断するまでのエッセイと手術後のリアルを時々ふざけながら紹介。 FTMだから必ず注射や手術をしなくてはいけないわけじゃない。色々な生き方があるからこそ、じっくり考えて自分なりの生き方を探せればそれで良い。

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