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皐月窓

    幸せは、
    ハンバーグから溢れる肉汁のようだ。
    自分で作ったハンバーグを大学帰りの空腹に勢いよく流し込もうとしたとき、ふと、そう思った。
    温かい。じわっと染みる。そして、手間暇をかけたからこその旨味がある。欲張ろうとするほどに、こぼれ落ちてしまう。お皿に流れ出たその全ては吸収できない。そうとわかっていても、必死に絡めようとする。
    隠し味なんてあったら、さらに美味しい。

    この春、大学へ入学した。世界は広いな。
    「社会」というものの入り口に突如押し出されたように感じた。
    憧れの大学へ入学することへの胸の高鳴りは、次第にリズムを変えて、手から原因不明の汗を発生させた。

    「さあ、君はここでどう過ごす?」

    そんな、大きくて不明瞭なハテナを私は受けとってしまった。
    新歓のビラを配る先輩は、いろんな光を宿した目をしていた。それぞれがそれぞれの方向に、横に並んだ仲間と一緒に軽快に歩んでいるように見えた。


    文脈が切られた世界に足を踏み込んだ。
    それは、未知の変容への希望でもある。
    でも、今の私には険しい道に思えた。
    初めてに溢れた世界では、自分の手で、自分の歩む道のマニュアルを作らねばならない。

    人間関係も、一新した。
    全く新しいコミュニティのなかで、自分という人間を知ってもらうまで、どのくらい時間がかかるのだろか。
    きっと、私は人よりたくさんの時間を要するのだろう。
    外交的ではないけど、はじめましての人に話しかけるのはすき。
    たくさん話すわけじゃないけど、同じ場にいる人は仲間だろうと思っている。
    クールそうと言われるけど、話したことを怖いくらい覚えている、そのくらい興味を持っている。
    そんなよくわからない性格だから、人間関係を築くのは、よく難しいと感じる。
    でも、いずれ収まる所に収まるのだろうと、どこか楽観的でもある。





    これからの人間関係の編み方がわからないのなら、と、これまで編んできたものの跡をたどってみる。






    私のなかで、人と生きることの幸せを感じたのは高校生の時だ。それも、最後の最後。
    高校の卒業式はあまりにも綺麗だった。
    自分の「これまで」を肯定できた。
    ここでよかった、そう自然に思えた。


    高校3年生の2月、私は母を亡くした。
    それは急だった。
    そして、私は大学受験の真っ只中だった。
    ひとことで言えばカオスだった。
    感情の遠心力で吹き飛ばされてしまうくらいに。
    それでも、私は受験生だ。
    もっとも、私は母の娘だ。

    夏頃に、万が一のことがあるかもしれない、とだけ、母から聞いていた。
    それがどういう病気で、どれほど深刻なのかはあまり言いたくなさそうだった。
    私もふわっとよけてしまった。
    そんなこと、ないだろうって、思うことにした。




    自分の決めたことは、納得するかたちで終わらせたい。望んでいた通りでなくても。自分の人生の責任は自分がとりたい。
    自分に自信があるわけじゃない。でも、自分の直感は誰よりも信じていたい。


    ただそれだけ。それだけを地面に突き刺して、教科書やら参考書やらを必要以上に詰め込んだカバンを背負って、擦れてきたローファーを履いていた。




    起こった出来事をあまり美化したくはない。というか絶対。
    ポジティブに捉えることと、美化することは違うと思っていて。
    美化とは美しく変えること。
    ポジティブに捉えるとは、起こったことをそのままに、光の当て方を変えること。だから、どんなこともそのままに、そしてポジティブにも、捉えられたらいい。




    高3の秋くらいから、なんだか、不思議な、過酷な時間軸で過ごしていた。
    受験をする、ということについて、方式から、学校から、何から何まで選択肢なんて無数にあった。それも知っていた。
    でも、なぜ、その険しい道を選んだのか。自らハードモードに突っ込んだのかは、今になるとよくわからない。1度冷静になってしまえば、未来なんてどこかに捨てていたかもしれない。
    ずっと、どこかからか湧き出た火種が燃えていた。


    人生が1度であると知っていたから、知っていなければ選べなかった。
    18歳だし、ここで1つ踏ん張って、大きな賭けをしてみたっていいじゃないか。18歳だし。
    大人と子供の狭間で、その両A面をヒラヒラさせながら生きてみたっていいじゃないか。
    わかっているけど、わからないふりをして、周りの人を頼ってみたり。
    わかってもいないのに、わかったふりをして猪突猛進してみたり。
    それでいい、何度も重ねた思考は、それはもう芸術性を極めたぐちゃぐちゃな針金みたいなもので。
    さまざまな最終決定をした秋には、母が家にいなかったから。
    ちょっとくらい、意地を張る必要があった。
    塾の外のベンチで、震えを抑えながら、その選択を伝えたことは今でも鮮明に覚えている。
    夕日が眩しかった。周りの人も眩しかった。



    「あなたが納得する方を選びな、生きていくのはあなただから」


    永遠に、いや、永遠ではなくとも、今ここからは見えないとこまで、絡んでいくはずの2本の糸の、その一方の終わりを嫌なほどにその声から感じた。
    一度玉結びをしたら、大丈夫って、そう思ってた。



    自分の人生は自分のもの。自分の人生の責任は自分が取る。
    そういうもんなんだ。きっと。
    颯爽と歩くサラリーマンも、教壇に立つ先生も、こどもを自転車に乗せて幼稚園へ送る母親も。夏の日の部活帰りに汗が輝く学生も。
    誰もがみんな、それにいつかのタイミングで気がついて、それに狼狽して。でも、いつからかそんなことは当たり前だよ、と、世の中を悟ったような顔で次の世代に伝えるのだろうか。とか考えて、横断歩道を渡り損ねる。



    「人は一人では生きていけない」

    というのは、感動もののドラマでよく主軸メッセージになる。
    「なんかクサイ」、ひねくれを極めている私は、そういう類いのことを果汁100パーで浴びることに抵抗があった。



    でも、それはホントウなんだね。
    そんなことをぼーっと考えていると、飼っている犬が構って欲しそうな顔でこちらをみる。君もそうか。「みんな」なのね。



    そういう言葉の輪郭しか知らなかった私が、その奥の奥のホントウを知れた、それがどういうことなのかを知った。




    毎日、19:00、私の携帯には学校からの着信があった。
    東京で大学入試を受けて、サラリーマンの帰宅ラッシュの中、押しつぶされながら帰ると、家に着くのはそれくらいになる。
    眠気で潤った目を通した世界はモザイク画のようだった。
    二人の高校の先生が母の命日から、電話をかけてくれた。
    平日毎日、毎日。
    「今日どうだった?ってあんま聞かれたくないか、、」
    「毎日こんなの鬱陶しいよね、笑」
    「簡単にはいうべきことじゃ、ないけど、でもきっとできるよ」
    定まり切らずに揺れる語尾は、何よりも信頼できた。
    重大なことを毎日話すわけではない。
    なんてことないこと、ペットの名前とか、今日の夜ご飯とか、そういうこと。普通のこと、普通すぎること。それが毎日の楽しみだった。
    電話を切る頃には、少し口角が上がっていた。
    「ちゃんと、ご飯食べてる?」
    その言葉は、最大の愛情表現だと、どこかで聞いたことがある。


    代わり、とかそんなことではないし、それを先生たちもよくわかっていてくれた。
    ただ、誰かに、また明日、と言われることは何よりもの幸せなのだと思う。
    一本の糸が取り残されて、渦を巻かず、真っ直ぐに伸びていける。
    今日を生き延びることが精一杯の時に、
    また明日が始まる方角を教えてくれた。

    太陽は東から昇るんだよ、

    6:00くらいにね。

    ご飯を食べることは、そこへ向かうエンジンでしょ。



    優しさ、とかそんな言葉では足りないくらい、よくわからないくらい、とんでもない人達だなと思った。
    先生と一口に言っても、このご時世いろんな人がいる。
    そんな中で、こんなタイミングで、こんな人たちと出会ってしまった。
    何かが染み込んでいくように満たされていくように、それでも掬いきれないものがあって。分解できない、手を回そうにも回しきれない。
    でも、それが幸せなんだとおもった。









    今もそうだよ。

    毎日新しい人に出会う。
    その出会いは、これからどうやって編まれていくのだろうか。 
    「はじめまして」、から「2度目まして」から、人のことを知っていく過程がとても好き。
    よくその人のことを知らないけど、何かを一緒にうまくできた時も、とても幸せ。




    高校時代はとびきり特別だった。
    でも、今もそう悪くないよ。





    過去に引きずられることはあまりなくて、サクサク進んで行く私も、この頃ちょっと後ろ重心だった。
    でも、少しずつ少しずつ、今も悪くないなって。
    明日は、もっと先の未来は、どうなるかなって、ときめきが再起動してきた。
    そう思えたことが、何より嬉しくて、何より自分に安心した。


    また、日常を生きていける。




    だから、日々はブツギリじゃなくて、案外ずっと続いてて。
    24時間たったら、勝手に明日は始まっていって。
    生き延びた今日は苦痛でも、生き延びた先の今日は案外楽しかったりする。


    きっと、うまくいく。






    つけっぱなしのテレビで夕方のニュースが流れる。これは、夜ご飯準備の合図。
    キッチンから差す西陽はスポットライトのように、私を待ち構える。
    今日は、ハンバーグ。




    よくこねた挽き肉にナツメグとクミンをふりかける。
    「美味しくなりますように。」

    ほんの少し先の未来に希望を込めて。



    これからも、どうか、
    おいしいハンバーグを作れますように。














     
     

    Sen.

     
     
    大学1年(19) 写真撮ったり、文を書いたり、料理したり 日々の記録を残してます。 表現のお仕事がしたいです。

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