
「つまり、こういう機能ですね」と言いたくなる前に
ユーザーの曖昧な言葉を、すぐに機能や画面やナレッジベースへ変換してしまう。システムエンジニアリングでは、その速さがかえって本質を見えにくくすることがあります。
※執筆にあたり生成AIとの対話を活用しています。
※公開後、タイトルとリード文を一部見直しました。初出時のタイトルは「答えが出る前に、失われるもの」でした。
「2」には、もう結果しか残っていない
「1+1」を式として評価すると、答えは「2」になります。だから、計算結果としては同じです。けれども、意味としては同じではありません。
「1+1」には、「1と1を足す」という途中の姿が残っています。一方で、「2」には、もう結果しか残っていない。
「2」からは、それが「1+1」から来たものなのか、「3-1」から来たものなのか、「6÷3」から来たものなのかはわかりません。
式を評価するということは、答えを得ることです。しかし同時に、そこにあった過程や意図の多くをそぎ落とすことでもあります。しかも、それはかなり不可逆な操作です。
早く答えるように、私たちは慣らされてきた
私たちは長いあいだ、問題を早く正確に解くことに慣らされてきました。
「1+1=?」
そう問われたら、なるべく早く、「2です」と答える。
計算ができること、問題を解けること、正しい答えにたどり着けること。それらは確かに、ひとつの能力です。
けれども、その反射神経をそのままシステムエンジニアリングに持ち込むと、少し危ういことが起きます。
ユーザーは、まだ式を探している途中かもしれない
ユーザーが、「こうやって、こうやって……」と、自分のしたいことを話し始める。
まだ輪郭ははっきりしていない。言葉も揺れている。本人も、何に困っているのかを、完全にはつかみきれていない。
そのとき、こちらがすぐに、「はいはい、つまり2ですね」と言いたくなる。
もちろん、整理が必要な場面はあります。どこかでは形にしなければならない。ただ、それが早すぎると、まだ見るべきものまで落としてしまう。
たとえば、「暗黙知の継承が課題です」と聞いた瞬間に、頭の中ではもう解法の棚卸しが始まっている。
ナレッジベース、業務手順の整理、AIの活用。
どれもそれらしい。そして実際、どれも役に立つ場面はあります。
けれどもその時点では、継承したい暗黙知が何なのかを、まだ問えていない。作業手順なのか、判断基準なのか、異常を察知する感覚なのか。それによって、必要な式はまったく変わります。
「暗黙知の継承」という言葉は、まだ答えではありません。それどころか、問題文ですらないのかもしれない。
そこにいきなり「2」を置いてしまうと、何かを解いたような気持ちにはなります。しかし、本当に見なければならなかった式は、その手前に残されたままになります。
答えの中に沈んでしまう問い
なぜ、その人は1と1を足そうとしたのか。なぜ、それを今、足さなければならなかったのか。足した先に、何を期待していたのか。そもそも、その二つは本当に足すべきものだったのか。
そういう問いが、「2」という答えの中に沈んでしまう。
問題を解くことに慣れた人間は、しばしば「考えること」と「問題を解くこと」を同じものだと思ってしまいます。
けれども、システムエンジニアリングの入口では、まだ問題が問題の形をしていないことが多い。あるのは、業務の流れの中で生じている違和感や、手間や、言葉になりきらない期待です。
答えにする前のものを、持ちこたえる
必要なのは、答えを出す力だけではない。答えにする前のものを、持ちこたえる力です。
曖昧な話を、すぐに仕様にしない。揺れている言葉を、すぐに機能名にしない。ユーザーのつぶやきを、すぐに自分の知っている解法へ回収しない。
少し立ち止まって、「いま、この人は何を式にしようとしているのだろう」と見る。
早く答えなさい、正しく答えなさい、迷わず答えなさい。そう訓練されてきた人間にとって、答えを急がないことは、案外むずかしい。
「2」と答えたくなる体質を、少しだけ脇に置く。そして、そこにどんな「1+1」が生まれようとしているのかを、もう少しだけ見てみる。
持ちこたえることが、すでに入口に立つということなのかもしれません。
※似た問いを、別の記事でも考えています。ノーコード/ローコードという便利な道具に、私たちはつい早く答えを見てしまうことがあります。作れることと、見えていること。その間にある距離について書いた記事です。