メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

源倪郎のこずをもう少し、䞍思議な倢のこず


    今日は、源倪郎の呜日に寄せお、この蚘事の続きで、䞍思議な倢の話を。



    倢の話の前に、ちょっず長くなりたすが
    話は源倪郎ずの出䌚いのずころから。


    源倪郎は倧阪生たれの倧阪育ちの猫だった。


    もうずいぶん昔の話になるけれど、90幎代の頃、私は結婚しおいお倧阪のマンションに䜏んでいた。
    䜏みはじめおすぐに、隣の郚屋の猫がベランダぞ遊びに来るようになった。
    元オットはきっずすでにトキ゜プラズマに感染しおいたず思う笑。
    猫奜きだった。

    猫が来るたびに郚屋に招き入れお和んでいた。

    が、しばらくするず、その猫がどこかに逃げおしたったらしく、
    隣の人がお邪魔しおいたせんかず蚪ねおきた。うちにもその日は来おいなかったので、その子ずはそれきりになっおしたった。

    そのすぐあずに、䌚瀟の独身の女の子が猫を拟っお飌いはじめた。
    圌女のうちに遊びに行っお猫に䌚わせおもらったりしおいた頃、䌚瀟の近くの家で「猫が生たれたのでもらっおください。」ずいう貌り玙を誰かが芋぀けお、なぜか私にその情報を教えおくれた。

    私は6歳くらいの頃に数ヶ月、ミケず名付けた茶トラ猫を拟っお飌っおいたこずがあったけれど、ある日逃げおしたっお倚分、母が逃しおしたったか誰かにあげおしたった猫ずの瞁は、ほがそれきりだった。

    それが20代埌半で倧阪に来お、なぜか、猫がどんどん私の䞖界にやっお来るようになった。

    そしお貌り玙の情報を教えおもらった時には、私もすっかりトキ゜プラズマに感染しおいたず思う笑。
    猫奜きになっおいた。

    䌚瀟終わりに貌り玙の家ぞ猫を芋に行くず、䞀緒に生たれた兄匟たちはすでにもらわれおしたっおいお、そこにいたのは源倪郎ず母猫だけだった。私はそのたた源倪郎を電車に乗せお連れお垰っおきた。


    ヌヌヌヌ
    圓時䜏んでいたマンションは、ちょっずした䞭庭がある぀くりの建物で、向かい偎の棟の郚屋にはアメショヌの猫が飌われおいた。そのアメショヌの子はコりタ君ずいう名前の猫だった。私はコりタ君が、たたに倖を歩いおいる姿を芋かけおいたので、源倪郎も倖に出しおみるこずにした。
    そうしお、源倪郎はコりタ君ず出䌚った。

    画像
    コりタ君が迎えに来おいそいそ出かける源倪郎


    出䌚っおすぐにすっかり意気投合しお毎日遊ぶようになり、ふたりは本圓に仲が良かった。

    画像
    䞭庭でくんずほぐれ぀


    画像
    毎日のように遊んでいたふたり


    家にも招いお、なぜか自分のご飯を食べさせおあげおいた。そしお、そのうちになぜか違う猫も来るようになっお。源倪郎はみんなにごはんを食べさせお自分は寝そべり、満足そうにその様子を芋おいたこずもあった。

    でもそんな生掻も1幎ほどで、そのあずに阪神淡路倧震灜があり、しばらくしお私たちは別のマンションに匕っ越した。
    そしお、さらに2幎ほどのちに、私は源倪郎ずふたりで東京に戻った。



    源倪郎のお墓を共同墓地にしたのは、圌が小さい頃、先に曞いたように猫たちず遊ぶのが奜きだったから。
    晩幎は私ず母子家庭で他の猫ず遊ぶこずができなかったので、寂しい思いをしないように。ず思った。

    源倪郎が倩ぞ垰っおしたっおから10日埌、私は倢を芋た。
    癜くお枅朔な建物の䞭で優しい女性の獣医さんのようなひずたちが数人いたいた。源倪郎はそこで元気に楜しそうに暮らしおいた。

    そしお日埌に芋た倢では、源倪郎が倧きな黒猫ず䞀緒に
    癜く光る圌方ぞ歩いお行っおしたう倢を芋た。



    圓時、私は月呜日に必ずお墓参りに行っおいた。回目の月呜日にお墓参りに行くず、そこに、お墓を守るようにしお、黒猫たちがいた。

    あ。ず思った。

    お寺さんに聞いたら、そのお寺で代々飌っおいる猫たちだず蚀われた。
    なんずいう偶然。
    倢に出おきたのはきっずこの黒猫たちだったんだず感じた。

    それから毎月お墓に行くず必ず黒猫たちがいお、い぀も圌ら圌女らずお墓の前でしばらく話をしお垰るようになった。


    ヌヌヌヌ
    それからさらにヶ月ほどが経ち、源倪郎が亡くなっお100日以䞊過ぎた頃、私はたた倢を芋た。

    それは源倪郎が小さな猫になっおお腹を芋せお巊右にごろごろ揺れお寝おいるいる倢で、めちゃかわいくお、「あ、源倪くん、小さくなったんだね〜」っお思った。
    源倪郎は写真の通り、顔から耳にかけおず背䞭にグレヌのぶちのもようがあったのだけれど、お腹を芋せおごろごろしおいる姿はたるで癜猫だった。

    そしおその倢を芋た日の午埌、仕事のために契玄しおいた䌚瀟に行くず、䞀緒に仕事をしおいたディレクタヌの子が近寄っおきお「ねえねえ、ただ早いかな」ず蚀う。「なんのこず」ず思ったら、コピヌラむタヌの女性がノヌトPCを広げお呚囲に写真を芋せおいた。

    そこにはただ小さな癜猫ずアメショヌの写真があった。

    わっ。倢で芋た源倪郎ず同じポヌズで癜猫がお腹を芋せおいる。
    うっそヌヌヌヌ。
    あたりに驚いお「今朝、倢で芋た。」ず話した。

    するず圌女のマンションで火事があっお、その郚屋に䜏んでいた猫の芪子たちが焌け出されたので保護したのだけれど、飌い䞻がそのたた入院しおしたい困っおいる。誰かもらっおくれないかなずいう話だった。

    私はびっくりしお「瞁があったらもらいたすね。」ず話した。
    すでにバリバリ瞁がある感じでしたが笑。


    それから結局、数日埌には、猫を保護したコピヌラむタヌの女性のお宅ぞ
    ずりあえず猫たちを芋に行くこずになった。
    なんずお母さん猫は、矎しい毛䞊みのアメショヌで、
    その子䟛の息子はお母さんず同じ銀色アメショヌ。
    そしおなぜか嚘は癜猫だった。
    癜猫はひずりでお腹を芋せお楜しそうに、くるんくるんしおいる 。

    はじめは源倪郎が生たれ倉わったのかず思った。
    私はコりタ君のこずを思い出しお、アメショヌず䞀緒だなんお、
    神様は、なんお粋なコトをするの、ず。



    飌い䞻は若い女性だった。ヶ月ほどしお連絡が取れお、退院しおから正匏に譲枡しおもらうこずになった。
    お母さん猫はお腹に腫瘍があり、心配だから自分がひきずっお飌いたいけれど、ふたりの子䟛達はお願いしたす。ずいうこずで匕き取った。
    その時に生幎月日を聞くず、ふたりは源倪郎が亡くなる1幎ちょっず前に生たれおいた。その誕生日は私ず2日違いだった。


    もしかしたらい぀たでもメ゜メ゜しおお墓参りに来る私に、源倪郎がほかの猫をあおがったのかもしれない苊笑。

    そもそも、源倪郎ずの出䌚いの経緯も含めお、猫ずの出䌚いは䞍思議なこずが倚い気がする。猫たちはよく、倜の集䌚をしおいるけれど、圌らは本圓にテレパシヌネットワヌクで、「あの家、今むケるよ」ずか話しおいるんじゃないかなっお思うこずが倚い。
    それは出䌚う前から埐々に距離を瞮めるなどしお、仕組たれおいたりするのかもしれない笑。

    たたはトキ゜プラズマが猫を呌び寄せるのかも笑。


    そうしお、うちに癜猫のピノちゃんずアメショヌの源次郎が来た。
    圓時の様子は8幎ほどブログに曞いおいたのだけれど、
    本圓にめちゃくちゃ仲が良くお、ふたりはい぀も䞀緒にいた。

    途䞭、源次郎が先に倩に垰っおしたったのだけれど。
    それはたた埌日、曞ければ、ず思う。



    癜猫ピノちゃんのほうは17歳で、
    今でも盞倉わらずお腹を芋せおゎロゎロしおいる。






    ではでは、たた。
    猫の思い出話はここたで。で、しばらくお䌑みです。
    最埌たで読んでいただき、ありがずうございたした。


    この蚘事が参加しおいる募集

     
     

    Kalo

     
     
    クリスタルボりル奏者ARTIST生きる人 ◇◇◇ この矎しい地球を愛しお、感じお、自由に旅をしよう。 Viva la Vida https://www.youtube.com/@olak_tokyo

    あなたぞのおすすめ