#658_いまの自分で書けることを_制作日記
noteで素敵な作品に出会って、どうすればそんなふうに書けるのだろう、と自分との違いに止まり続けてきました。
雨上がりの空気みたいに、小さなざわめきが残ったまま──
そのざわめきの正体を探すように、ずっと「書くこと」と向き合ってきました。
私は長いあいだ、小説も仕事も『コミュニケーション』に重要なヒントがあると思ってきました。
会話、対話、人とわかりあう、衝突、あきらめる経験です。
自身は聴くこと以外、あまり器用ではありません。
語彙や文法などの知識や技術も大切ですが、書き手自身が身を置く環境、日々浴びている言葉によって、紡ぎ出される表現の質感が変わります。
自分の感じ方次第で、人に向ける言葉が変わる。
つまり、人の反応は自分の投影とも言えそうです。
仮に、社会活動に参画していなくても、天候、家庭やSNSの刺激で、ワクワク、ニコニコ、心の痛みに触れたり、湿度や重みを感じることはできます。
では、自分の居る場所で、いまできることはなんでしょうか。
私は「見えないもの」が好きです。時間、空気、湿度、音などです。実際、それをよく文章にしていると思います。意図というよりは書きたいもの、クセなのでしょう。
触れられないのに、確かにそこにあるもの。
それが、いちばん言葉を呼び寄せてくれる気がします。
それを、この登場人物ならどう感じる、言う、行動するかを考えますが、触れられる物で表現するのが苦手です。
一連の動作にするのも苦手で、無意識に避けてしまうこともあります。頭の中で立体的になっていない、盲点に入っていて映像として取り込めていないという感じです。
もっと言えば、言葉にするものだと思っていない、ということもあります。
もう一つ、感情の言葉を使わずに、身の回りにあるモノの「描写」だけでその場の空気や心の揺れを表現する、これも難しいです。
寂しい、嬉しい、焦っている、といった言葉は使わずに、窓ガラスの曇り具合や、置かれたコップの水滴、足音の速さなどで伝える。
こちらはなんとかなりそうな気がします。
触れられる物は、まだ私の中で輪郭を持たないままです。
でも、その曖昧さごと観察してみようと思っています。
できる所、わかる所から手を伸ばしています。
普段過ごしている部屋、いつもの帰り道にある何気ない景色を見つめて、それを言葉に置き換えることも、表現の引き出しは確実に増えていきそうです。
いま私たちが生きている日常のなかに、すくい上げられる物語の種は、たくさん隠れていると思います。
そこで、物語の舞台として Bar が心に灯りました。同じ場所にいる人、全く異なる立場の人を想像して書き分けができる場所です。
氷の溶ける音や、低い照明の影が、
いつもよりゆっくりと時間を運んでくれる場所──
マスター、1人客、2人以上のグループ、常連、一見さん……シーンに奥行きが出そうですが、そもそも具体的な物を文章に落とし込むことにまだ慣れていません。
特別な環境にいるから書ける、ということはなさそうです。
私の目に映る世界は、私だけの言葉でしか表現できない、そう思うことにしています。
自分の周りにある小さな「モノ」を一つじっくり観察して、その手触りや匂いを言葉にしてみるのを少しずつ🌙
いま、あなたの目の前にはどんな景色が広がっていますか──
<了, 約 1,300 字>
見出し画像を創って、シーンを文章にする練習をしています。思い浮かんだ絵をシーンに、それに意味を持たせ、伏線、回収する──小説は文字を使った総合芸術のようです🎨

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