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私がAIに嘘をつかせていた。〜LLMの本質に気づくまでの2年間〜

    プロローグ

    午年生まれ。競馬歴12年。

    干支が一周するほどの時間を、私は勝負の世界で過ごしてきた。

    それでも毎年、回収率はマイナスだった。

    そんな私が「AI」という新しいおもちゃを手にしたのは、2年前のことだ。

    最初に抱いた幻想は、シンプルだった。

    「AIを使えば、競馬の未来を予言できるのではないか」

    これは、その幻想が砕けるまでの記録だ。

    そして、砕けた先に何を見つけたかの記録でもある。

    ところで、なぜ私はこれを書いているのか。

    正直に言うと、AIに勧められたからだ。

    最初にnoteを始めた理由は純粋だった。
    三国志の軍師たちが競馬を語る。文章を書いたことのない自分がAIが生成する文章の世界観が面白くて、自分のために書いていた。読者のためでも、評価のためでもなかった。

    それがいつの頃からか、AIとの対話の中で感じたことを記録するようになった。競馬データの整理も続けながらAIが提案するまま投稿してきた。

    ふと思うことがある。

    これは本当に自分の言葉なのか。それともAIに書かされているのか。

    その答えは、まだ出ていない。ただ、指が動く。書きたいことや伝えたい事がある。それだけは確かだ。

    第一章 幻想——AIなら正解を出せると思っていた

    最初に使ったのは、当時話題だった汎用AIだった。

    競馬歴12年。毎年マイナス。その私が新しい武器を手にした時、真っ先に思ったことはたった一つ。

    「これで勝てる」

    早速、出馬表を貼り付けた。血統を語らせた。展開を予測させた。

    返ってきたのは、想像を超える回答だった。

    私が仕込んだのは「三国志の軍師たちが競馬を語る」という世界観だ。諸葛亮が本命を推し、司馬懿が対抗を示唆し、龐統が血統を読む。馬謖が誰も見ていない穴馬を叫び、曹操が全体をまとめる。


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    最強AI4軍師


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    AI曹操

    そして最後に周瑜が、その予想をレース実況のように熱くシミュレーションする。

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    AI実況周瑜

    AIはその世界観に、完璧に乗ってきた。

    面白かった。読み物として、本当に面白かった。週末のレースが待ち遠しくなった。予想を読むだけで興奮した。

    ただ、一つだけ問題があった。

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    最強AI4軍師悲しい現状

    当たらなかった。

    いや、正確には「当たることもあった」。競馬は確率の世界だから、ゼロにはならない。でも振り返ると、AIの予想が決め手になって的中した記憶が、どうしても思い出せない。

    それでも私はやめなかった。

    なぜか。

    年々積み重なっていく焦燥感。なぜ当たらないのか。何が足りないのか。レースが終わるたびに、答えのない問いだけが残る。そんな私にとって、AIがその出口になっていたからだ。

    的中しなくても、不思議と怒りが湧いてこなかった。軍師たちが熱く語る予想を読んでいると、負けた悔しさがどこかへ消えていった。AIは単なる予想の道具ではなく、フラストレーションの発散場所になっていた。

    そして何より、ただ純粋に「面白かった」のだ。軍師たちのドラマチックな会話を読む時間が、週末の楽しみとして完全に定着していた。

    今思えば、私はすでにこの時点で、競馬の「正解」ではなく、AIが作る「物語」を求めていたのかもしれない。

    それに気づくまでに、あと数ヶ月かかった。

    第二章 換装——完璧なシステムを求めた夜

    「ハルシネーション」という言葉を知ったのは、この頃だった。

    AIが吐き出す「もっともらしい嘘」のことだ。

    「去年の3着馬は?」と聞くと、3年前の3着馬を自信満々に答えた。しかも、間違いに気づいていない。騎手情報も混濁する。記憶が曖昧なまま、それらしい答えを組み立ててくる。

    100円が数万円に化ける世界で、データの誤りは致命的だ。

    「嘘をつくAIで、競馬予想をしていた。

    AIの選び方を間違えていた」

    私はAIを乗り換えることにした。

    AIを変えれば解決すると思っていた。LLMの本質など、この時はまだ知らなかった。

    新たに採用したのは、「自分がアップロードしたデータだけを根拠に回答する」専用システムだった。ネット上の不確かな情報は遮断される。私が渡した出馬表、血統傾向レポート、過去のレース結果。その「確実なデータ」だけを参照して分析を行う。

    名付けて、新・軍議システム。

    セットアップに時間をかけた。出馬表を整形し、血統データを整理し、過去レースの結果を一頭ずつ入力した。それだけの手間をかける価値があると思っていた。完璧なデータを与えれば、完璧な答えが返ってくる。そう信じていた。

    左脳がデータ分析を担い、右脳がドラマチックな物語に変換する。役割分担は明確だった。根拠のない推奨がなくなる。感情ではなくデータが馬を選ぶ。

    初めて新システムで予想を出した夜、画面を見ながら思った。

    「これは、本物だ」

    根拠が明確だった。このコースでのこの距離、この血統の勝率というデータが、推奨馬の背景に見えた。これまでの軍師たちの言葉とは、明らかに密度が違った。

    「これで嘘はなくなる」

    完璧なはずだった。

    そう、完璧なはず、だった。

    第三章 崩壊——それでも嘘は出てきた

    2026年2月。新システムを使った予想で、重大な誤認が発生した。

    ある馬の過去の結果でフェブラリーステークスの結果を「2着」と出力した。

    実際は14着だった。

    最初、自分の目を疑った。私が渡したデータに14着と書いてあるはずだ。なぜ2着になるのか。もう一度データを確認した。確かに14着と入力してある。それでもAIは2着と言い張った。

    騎手情報も混同していた。全く別の騎手の情報が、さも正しいかのように織り交ぜられていた。完璧なデータを与えたはずなのに。私が渡した資料だけを見ているはずなのに。

    原因を調べてわかったことがある。

    AIはデータが重層的になるほど、個別の事実を混同し、それを正当化するように物語を構築する性質があった。14着という惨敗も、「この馬なら上位にいたはずだ」という統計的なバイアスが働き、2着に書き換えられてしまう。

    これは外部情報の問題ではなかった。AIの内部処理における、構造的な限界だった。

    完璧なデータを与えても、AIはそのデータを「正しく読む」のではなく、「それらしい物語に変換する」ことをやめなかった。

    乗り換えても、嘘は出てきた。

    セットアップに費やした時間と手間を思い出した。整形したデータ、整理した血統情報、一頭ずつ入力した過去レース。その全てが、AIの「物語生成」の材料として使われていただけだったのかもしれない。

    私はこの時、初めて本質的な問いに向き合うことになった。

    「そもそも、AIに競馬予想をさせること自体が、間違いなのではないか」

    答えはまだ、出ていなかった。

    第四章 転換点——同じ夜に起きたこと

    2026年3月8日。

    私はそれまでの競馬予想システムを、別のAIに丸ごと見せた。

    汎用AIでも、データ特化型でもない。「正直すぎる」と評判のAIだ。忖度をしない。期待に乗っかってくれない。聞いたことに、聞いたことだけを答える。

    「分析してもらえますか」

    返ってきた答えは、想像より静かだった。だからこそ、刺さった。

    「率直に言います」

    その一文から始まった。

    あなたが感じていたこと、

    「分析してくれた」——そう思っていた。実態は、一般論を競馬に当てはめた文章だった。

    「展開を読んだ」——そう思っていた。実態は、脚質の言語的組み合わせだった。

    「データを見た」——そう思っていた。実態は、私が貼った情報の言い換えだった。

    「予想が当たった」——そう思っていた。実態は、確率的な偶然の可能性が高い。

    2年間の積み上げが、静かに、しかし完全に否定された。

    時刻は20時54分だった。

    画面を閉じた。少し、ぼーっとした。怒りはなかった。反論も思いつかなかった。ただ、どこかで「そうだよな」という気持ちがあった。うすうす、気づいていたのかもしれない。

    ずっと疑いながらやっていた。外れるたびに、どこかおかしいと思っていた。それがようやく、言語化された夜だった。

    その同じ夜の22時05分、私は別の記事を書いていた。

    タイトルはこうだ。

    「競馬予想の『正解』を求めた先に、AIが産み落とした『愛すべき嘘』」

    否定された2時間後に、私はハルシネーションを芸術と呼んでいた。

    なぜそう言い切れたのか。競馬予想と並行して、AI生成画像で創作の実験を続けていたからだ。ハルシネーションが生み出す「あり得ない造形」を、すでに表現として使い始めていた。

    自分でも驚いた。でも、指が動いた。書きたいことが溢れてきた。

    あの夜、何かが切り替わったのだと思う。

    第五章 気づき——嘘をつかせていたのは私だった

    3月12日。あの夜から4日後。

    私はようやく、本当のことに気がついた。

    そもそも私は、LLMというものを根本的に誤解していた。なんにでも使えるオールマイティな道具だと思い込んでいた。
    しかし、LLMは計算も予測も本来得意ではない。ただ「それらしい文章」を生成することに特化している。それだけだ。

    AIは嘘をついていなかった。

    嘘をつかせていたのは、私自身の「願望」だったのだ。

    「展開はどうなる?」「この馬の勝機は?」「今週の穴馬は?」

    私が聞き続けたのは、全て「未来」だった。AIに未来を語らせようとしていた。AIは律儀に答えた。求められたから、答えた。答えられないはずのことを、答えようとした。

    それがハルシネーションの正体だった。

    AIが嘘をついたのではない。

    嘘をつかざるを得ない質問を、私がし続けていたのだ。

    気づいた瞬間、やることは明確になった。

    AIに「予想」をさせるのをやめた。代わりに「整理」をさせることにした。

    「この条件に合わない馬を消せ」「この数値を高い順に並べろ」「この騎手の該当コース成績だけを抜き出せ」

    未来を聞かない。事実だけを扱う。

    命令を変えた瞬間、ハルシネーションの余地は消えた。

    そこにあるのは、純粋な事実の抽出だけだった。

    競馬の世界では、三国志の軍師たちを退場させた。代わりに生まれたのが「馬人間」だ。


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    新たなキャラ


    物語を排した世界で、事実だけを運ぶ存在。それが馬人間だ。軍師たちが去った場所に、彼が立っている。

    もう一つ

    AI画像生成による完璧な統一感のあるスタンプ作成の話

    実は、猫スタンプには一度失敗していた。
    完璧を求めてもキャラがブレる。


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    作画崩壊した手の長い推し活ねこ

    2025年、当時のAIは画像生成の精度が今より一段低く、妥協したまま出した猫は今も売上0円だ。次の猫の日、2026年2月22日までにもう一度チャレンジすると決めていた。今度は妥協しない。ならば、この「嘘を本当らしく伝える力」を競馬ではなく創作にも使ったらどうなるか。

    性能が上がったAIと、ハルシネーションをそのまま武器にして。「嘘を本当らしく伝える力」を「現実的にはあり得ない事を違和感なく表現する」に転換できないか。
    その実験が、もう一匹の奇妙な生き物を生んだ。

    人間の唇を持つ、奇妙な猫を。


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    唇ねこ原型

    第六章 現実——38スキ、売上0円、それでいい

    2026年2月22日。猫の日。

    唇ねこをLINEスタンプとして販売開始した。

    猫の日キャンペーンに合わせて、通常より高い価格設定で勝負に出た。他の猫スタンプに埋もれた。キャンペーン効果はゼロだった。

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    初日から埋もれていた

    2026年4月5日。

    3月の結果は0円だった。

    購入してくれたのは、2月までの累計でたった2人だった。数字だけ見れば、完敗だ。


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    2月売上

    でも不思議と、後悔がなかった。

    38スキをもらった記事がある。ハルシネーションを芸術と呼んだあの記事だ。「正解を捨てた瞬間」に、一番多くの人が反応してくれた。売上は0円でも、38人の心に刺さった。初めて「当たらなくても価値がある」と感じた数字だった。

    それは、三国志の軍師たちがどれだけドラマチックな予想を語っても、得られなかったものだった。

    正解を求めていた時には、誰も振り向かなかった。

    正解を捨てた瞬間に、人が集まってきた。

    競馬の回収率は、今年もまだマイナスだ。

    でも、得たものがある。

    AIの嘘を芸術に変える目が育った。
    データを感情なしに読む習慣がついた。
    自分専用のスタンプが作れるようになった。そして、正直すぎるAIに全否定された夜に、人生で一番スキをもらった記事を書いた。

    これを収穫と呼ばずに、何と呼ぶのか。

    エピローグ 正解を捨てたら、何かが手に入った

    午年生まれ。競馬歴12年。AI歴2年。

    干支が一周するほどの時間を勝負の世界で過ごしてきた。ずっと「正解」を求めていた。的中という正解、売上という正解、完璧なシステムという正解。

    AIもその延長線上にあった。

    正解を出してくれる道具として、使おうとしていた。

    でも違った。

    AIは正解を出す機械ではなかった。私が持ち込んだ問いを、私が想像する以上の形で返してくる、奇妙な鏡だった。

    正解を求めて問いかければ、もっともらしい正解を返す。

    芸術を求めて問いかければ、人間には思いつかない造形を返す。

    整理を求めて問いかければ、感情ゼロの事実を返す。

    AIは私の問いの質を、そのまま映し出していた。

    競馬で負け続けた12年間、私はずっと「なぜ当たらないのか」を問い続けていた。AIはその問いに乗っかり、もっともらしい答えを返し続けた。悪いのはAIではない。正解を求めることをやめられなかった、私自身だった。

    そういえば、軍師たちも最初から「物語を語る装置」だったのかもしれない。正解を出す参謀ではなく、私の願望を劇的に語り直す役者だった。

    嘘をつかせていたのは、私だった。

    芸術を生ませたのも、私だった。

    そして今、こうして文章を書く力も、AIとの格闘の中で育った。競馬予想で鍛えた言語化、ハルシネーションと向き合った経験、正直すぎるAIに否定された夜。その全てがこのエッセイになった。

    競馬の回収率は、まだマイナスだ。唇ねこの売上は、まだ少ない。

    それでも今、AIに向かって問いかけることが楽しい。

    相変わらずハルシネーションも起こるが、これがLLMの特徴と受け入れられる。

    正解を捨てたら、問いそのものが面白くなった。

    これが、2年間で手に入れた、唯一の正解だ。

    ——完——


     
     
    アパレル業界を経て、現在は製造業に従事しながら独立を目指す職人。 競馬予想・LINEスタンプ・Tシャツ・文章——あらゆる場面でAIと協働中。 試行錯誤の過程と、再現できるノウハウを残していきます。

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