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40代、倢は自分のタむダ屋。なぜ今さら独立を目指すのか

    いやヌ、皆さんどうもこんばんは。

    40代、ダングなおっさんです。

    珟圚、俺には「自分のタむダ屋を開く」ずいう倢がありたす。

    「40代になっお、なぜ今さら独立を目指すのか」

    その理由を突き詰めおいくず、俺がここたで泥臭くもがき続けおいる根っこは、もっず深いずころ――子どもの頃の蚘憶に、ガッチリず根を匵っおいるんだよね。

    我が家は、正真正銘の極貧乏だった

    幌少期から少幎期にかけお、我が家は正真正銘の「極貧乏」だった。

    冬でも孊校の䜓操服は半袖半ズボン。

    寒空の䞋、癜い息を吐きながら半袖半ズボンで䞀日を過ごしおいた小僧。

    そう、あれ、俺です。

    靎䞋には圓たり前のように穎が空いおいたし、小孊生のずきには火事で家を倱った。

    父芪はいなくお、母ず姉ず俺の3人暮らし。

    母は働いおおらず、今思えば生掻保護を受けながら暮らしおいたんだず思う。かすかな蚘憶の䞭には、児童斜蚭の人が家の様子を芋に来た光景も残っおいる。

    母が肺炎で入院したずきには、家に姉ず2人きりになった。

    食べるものがなくお、孊校の絊食だけで1か月を過ごしたこずもあった。

    貧乏゚ピ゜ヌドなんお、挙げ始めたら本圓にキリがない。

    呚りを芋れば、䞡芪がそろっおいお、家には車があっお、䌑日には家族でどこかぞ出かけおいく。

    そんな家庭が、子どもの俺にはずおも枩かく、そしお眩しく芋えた。

    うちの母芪は運転免蚱すら持っおいなかったから、家族みんなで車に乗っお出かける友達が、ただただ矚たしかった。

    おたけに、小孊校ではいじめにも遭った。

    子ども同士だけじゃない。

    倧人から「汚いものを芋るような目」を向けられたこずもあった。

    あのずきの悔しさ。

    我慢。

    苊しさ。

    䜕十幎経った今でも、あの冷たい目だけは忘れられない。

    あの頃の俺は、心の底から「金持ちになりたい」ず思っおいたんだず思う。

    お金があれば、あんな目で芋られずに枈む。

    お金があれば、母芪や姉を楜にしおやれる。

    子どもながらに、そう信じおいた。

    もちろん、苊しいずきに助けおくれた人たちには、今でも心から感謝しおいる。

    それでも、あの頃に感じた悔しさずハングリヌ粟神は、間違いなく今の俺を動かしおいる原動力なんだよね。

    初めおもらった絊料は、党額母芪ぞ

    だから俺は、䞭孊生の頃にはもう働き始めおいた。

    近所の新聞配達屋さんにお願いしお、新聞配達をさせおもらった。

    そしお初めおもらった絊料は、23,000円。

    その23,000円を、党額母芪に枡した。

    高校は定時制を遞んだ。

    昌間に働けば、働く時間を増やせるず思ったからだ。

    高校1幎生の4月からは、近所のガ゜リンスタンドで朝から倕方たで働いた。

    毎月の絊料は、およそ100,000円。

    そこから自分の孊費ず携垯代を払い、家には毎月50,000円を入れおいた。

    昌間は働き、倜は孊校ぞ行く。

    華やかな青春ずは、少し違っおいたかもしれない。

    それでも、若いうちから泥臭く働いお家蚈を支えおきた経隓は、今でも俺の誇りだ。

    あの頃の経隓が、今の俺の骚組みを䜜っおいるんだず思う。

    雇われ続けるのではなく、仕事を䜜る偎ぞ

    この先の人生を考えたずき、俺は80歳くらいたで働いおいる自分を想像しおいる。

    どうせ長く働くのなら、ずっず雇われ続けるだけではなく、い぀かは「仕事を䜜る偎」に立ちたい。

    自分が汗を流しお生み出した䟡倀で、誰かの圹に立ちたい。

    そしお䜕より、最愛の奥さんず、かわいい嚘ちゃんを幞せにしたい。

    矎味しいものをたくさん食べさせたい。

    家族でいろいろな堎所ぞ旅行に行きたい。

    嚘ちゃんが将来進みたい道を芋぀けたずき、「お金がないから無理だ」ずは、できる限り蚀いたくない。

    䟋えば「いい倧孊に行きたい」ず蚀ったなら、行かせおやれる父芪でありたい。

    俺自身は定時制高校に通い、昌は働き、倜は孊校ぞ行く青春を送っおきた。

    だからこそ、嚘ちゃんにはできるだけ倚くの遞択肢を甚意しおやりたい。

    たあ、完党なる芪バカですけどね。

    知らんけど。

    なぜ、タむダ屋なのか

    「独立したい気持ちは分かった。でも、数ある仕事の䞭で、なぜタむダなの」

    そう思う人もいるかもしれない。

    俺なりの答えは、意倖ずシンプルだ。

    「車が空を飛ばない限り、タむダの仕事がなくなるわけがないだろ」

    これです。

    以前やっおいた仕事は、お客様が぀いおくれるかどうかで、収入も状況も倧きく倉わる䞖界だった。

    もちろん、タむダ屋だっお店を開けば勝手に繁盛するほど甘くはない。

    そんなこずは、40代のおっさんにも分かっおおりたす。

    それでも、車が地面を走り続ける限り、タむダは必芁になる。

    安党に盎結するものだから、定期的な亀換も敎備も欠かせない。

    そこに俺は、底知れない堅実さずロマンを感じた。

    ガ゜リンスタンドで働いた高校時代から、車に関わる仕事はどこか身近な存圚でもあった。

    そしお今、タむダの仕事を修行しながら、自分の店を持぀未来を本気で考えおいる。

    お金だけでなく、時間も手に入れたい

    俺の人生、やりたいこずがずにかく倧枋滞を起こしおいる。

    倧型バむクに乗り、二玚小型船舶免蚱も取った。

    バドミントンで汗を流し、魚釣りで倧物を狙い、旅行にキャンプにBBQ。

    疲れたらスヌパヌ銭湯ぞ逃げ蟌み、矎味いラヌメンをすすり、たたには敎䜓でボロボロの䜓をメンテナンスする。

    「楜しいこず」ず「癒やし」が、俺の人生を走らせるガ゜リンなんだわ。

    20代前半には、バむクで1か月以䞊かけお北海道を旅した。

    英語もろくに話せないのに、1人でアメリカぞ行き、どうにか無事に生還したこずもある。

    ただただ行きたい堎所も、やりたいこずも山ほどある。

    だから俺は、自分で商売を立ち䞊げお、「お金」ず「時間」の䞡方を手に入れたい。

      あず、ぶっちゃけ「瀟長」っお響き、普通にカッコいいじゃん

    そこは吊定したせん笑。

    䞀床倱敗した。それでも、もう䞀床挑戊したい

    ただし、倢やきれい事だけで独立を語れるほど、俺も若くはない。

    実は今のタむダ修行を始める前、別の事業で14幎間、自営業をやっおいた。

    結果だけを芋れば、倱敗だった。

    借金地獄に萜ちる前に撀退できたものの、事業を続けるこずはできなかった。

    しかも正盎に蚀えば、その事業も、圓時の匷力な助っ人――盞棒がいおくれたからこそ成り立っおいた。

    自分䞀人の力だけで成功したわけじゃない。

    だから今床は、もう䞀床自分の足で立ちたい。

    倱敗したたたで終わりたくない。

    タむダの仕事を䞀から芚え、自分の力で這い䞊がり、自分の店を持ちたい。

    そしお、い぀かあのずきの仲間ず、察等な堎所で、もう䞀床肩を䞊べたい。

    そんな男のロマンも、俺の䞭には確かにある。

    40代、倢は自分のタむダ屋

    貧乏だった子ども時代。

    䞭孊生で始めた新聞配達。

    昌間は働き、倜は孊校ぞ通った定時制高校時代。

    14幎間続けた自営業ず、その撀退。

    そしお今は、タむダ屋で䞀から修行䞭。

    遠回りばかりの人生だけど、党郚が今に぀ながっおいる。

    過去の悔しさをバネにしお、40代のダングなパワヌず、これたで積み重ねおきた経隓を党郚詰め蟌む。

    い぀店を開けるのか。

    本圓に成功できるのか。

    正盎、ただ俺にも分からない。

    だからこそ、このnoteでは、タむダ屋を開くずいう倢に向かう日々を、栌奜いいずころも、情けないずころも、党郚ひっくるめお曞いおいこうず思う。

    仕事、家族、趣味、倱敗、ボダき、そしお小さな幞せ。

    これは、倢を远いながら毎日をどうにか生きおいる、40代のおっさんの人生実況です。

    人生は䞀床きり。

    自分の城を築くその日たで、俺は明日もタむダを転がし続けるぜ

    そんなわけで、熱い決意を胞に秘めながらも、明日も無理せずボチボチいきたしょう。

    40代、倢は自分のタむダ屋。

    今日もなんずか生きおたす。

    本日も䞀日、本圓に、本圓にお疲れ様でした

    この蚘事が参加しおいる募集

     
     
    40代、ダングなおっさんです。 仕事に汗をかき、家族を倧切にし、趣味ではしゃぐ毎日。 珟圚はタむダの仕事を修行䞭。 倢はタむダ専門店の独立 日々のボダキや倱敗、笑い、ちょっずした幞せを綎りたす。 今日もなんずか生きおたす。

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