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『こわがりのすん』11井戸に落ちてしまった‼︎

    あれは、たぶん初夏のことだったと思う。

    玄関先のライラックの樹には、薄紫色の花が咲き乱れ、甘い香りが漂っている。

    「すん」は「ばりちゃん」と「よしこちゃん」と三人で、庭でままごと遊びをしていた。

    「すん」はプラスチックのお茶セットを持っていて、「ばりちゃん」と「よしこちゃん」におもてなししようと思った。

    プラスチックのやかんに水を入れたいのだが、家まで水を汲みに行くのは面倒だ。
    ちょうど庭の真ん中に、古い井戸がある。

    そうだ!あそこの水を汲もうっと。

    「すん」は、井戸を覗き込んだ。

    井戸の中は、暗くてよく見えない。
    水に届きそうなのに、なかなか届かない。

    「すん」は、うんと身を乗り出した。

    その瞬間、

    トポ〜〜ン

    と音がして、何も見えなくなった。

    あれっ?どうしたの?

    そこから先は、覚えていない。



    気がつくと、「おかさん」がお風呂に入れてくれていた。

    お風呂でしっかり温まり、「おかさん」がバスタオルで拭いてくれる。

    「すんちゃん、井戸に落ちたの覚えてる?」

    「うううん」

    「すん」は、首を振った。

    「ようちゃんが助けてくれたから、本当に良かった」

    「おかさん」は、「すん」をぎゅっと抱きしめた。

    そうだったんだ。井戸に落ちたのか。

    身を乗り出した時に頭から落ちたらしいが、小さな井戸だったので上半身がハマって身動きが取れなくなったのだ。
    そして顔が水に浸かって、息ができなくなった。

    たまたま「ようちゃん」が近くにいたので、すぐに「すん」を引っ張り上げてくれる。

    「ようちゃん」がいなければ呼吸することが出来なかったし、もがいて下まで落ちていたかもしれない。

    いつも「すん」は迷惑ばかりかけているのに、ちゃんと「ようちゃん」は助けてくれた。
    感謝しても感謝しても、感謝しきれない。

    大人になってその話をしたら、「ようちゃん」はすっかり忘れていた。

    「そんなこと、あったっけ?」

    えぇ〜?

    「すん」が生きるか死ぬかの一大事だったのに、忘れてるの?

    まぁ、そんなもんか。


    あの日から井戸には木製のフタがされ、フタの上には重石が置かれた。

     
     

    子葉

     
     
    日々の暮らしの中で心が震えたことや、湧き上がるとりとめのない感情を書き留めています。 九州男児の父と関西女の母に育てられ、北から南まで日本の各地に移り住んだので、 様々な土地の方言や文化が私の思い出に存在しています。

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