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間に合ってしまった

    間に合ってしまった

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    ■第一章 見ていたつもり


    ふと思い出す、同僚に言われた言葉がある。

    「最善を尽くした結果でしょう。割り切るしかないんじゃないですか。」

    そう言ってから、彼は少しだけ間を置いた。

    「……でも」

    カルテを閉じながら、続ける。

    「あなた、あの患者のこと、ちゃんと見てましたか。」

    私は、すぐには答えられなかった。

    何を指しているのか、わからなかったわけではない。
    ただ、その問いに答えるだけの確信がなかった。

    その言葉は、今でも時折思い出す。

    あの患者のことを考えるとき、
    決まって一緒に浮かんでくる。


    助かったはずの人間が、
    救われていなかった。

    余命は半年だと伝えた。

    検査結果から見ても、妥当な判断だった。

    患者は、しばらく沈黙していた。

    長く、何も言わなかった。

    「ご家族には、ご説明を——」

    「いえ」

    男は、かぶせるように言った。

    「一人で大丈夫です」

    私は一度うなずいたが、そのまま言葉を続けた。

    「今後のこともありますので、いざという時に連絡が取れる方は決めておいてください」

    男は少しだけ視線を落とした。

    「……必要になったら、考えます」

    そう答えたが、それ以上は何も言わなかった。


    その後の外来で、彼は落ち着いていた。

    以前よりも穏やかで、どこか整理されたような印象だった。

    生活についても、少しずつ手をつけている様子があった。

    終末期の受容としては、自然な経過に見えた。

    当時の私は、それを疑わなかった。
    終末期の受容として、ごく自然な経過だと判断していた。

    穏やかさは、諦めの形だと。

    ——本当にそうだったのかどうか、
    あのときの私は考えなかった。

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    ■第二章 すれ違う選択

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    診断は、その後修正された。

    新たな治療の可能性が示された。

    ただし、それは確立されたものではなかった。

    治験段階の薬であり、
    効果がどこまで見込めるかはわからない。

    それでも、私は提案した。

    可能性がある以上、試すべきだと考えた。

    「はっきりしたことは言えません」

    「効果が出ている方もいますが、出ていない方もいます」

    「ただ、改善する可能性はあります」

    「まだ治験段階で、今後の治療データになるものです」

    彼は黙って聞いていた。

    「つまり」

    一度、言葉を区切る。

    「助かる可能性はあるけど、どうなるかはわからないってことですよね」

    私はうなずいた。

    「はい」

    私は“可能性”の話をしていた。

    だが彼は、別のことを確認しているようにも見えた。

    「半年なんですよね」

    「現時点では、その見立てです」

    彼は、小さく息を吐いた。

    「じゃあ、今やりたいことをやろうと思ってます」

    少しだけ、口元が緩む。

    「ちょうどいい区切りかなと思って」

    「仕事も、辞めました」

    私は、その言葉に一瞬だけ間を置いた。

    止める理由はなかった。
    むしろ、自然な整理だと受け取った。

    彼は続ける。

    「行きたかったところもあるし、やりたかったこともあるので」

    「どうせなら、そっちを優先したいなと」

    その言い方は、どこか軽かった。

    「ただ」

    「動けるうちは動いていたいので」

    「寝たきりになるのは、ちょっと嫌で」

    「通院は続けます」

    「薬も、使ってみます」

    「もし、それで少しでも長く動けるなら、その方がいいので」

    私は、それに異論はなかった。

    彼は理解しているように見えた。

    だが今思えば、
    同じ言葉を使いながら、見ているものは違っていた。

    私は「延びる未来」を見ていた。

    彼は「終わるまでの時間」を見ていた。

    それでも私は、それで十分だと判断した。

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    ■第三章 診察室の外

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    彼が通っていた店があると知ったのは、その後だった。

    きっかけは些細なことだった。
    看護記録の端に残っていた、何気ない一文。

    「外来後、近隣の喫茶店に立ち寄る様子あり」

    それだけだった。

    だがなぜか、その一文が引っかかった。


    診察室の中で完結していたはずの彼の時間が、
    そこには含まれていない気がした。

    私は、その店に足を運んだ。

    「その方なら、よくいらしてましたよ」

    店員は、すぐに思い出した。

    当たり前だが、診察室とは違う時間が流れていた。

    紹介された女性は、落ち着いた様子で話した。

    「最初は、たまたま隣の席だったんです」

    「私も、その頃はよく来ていて」

    「介護が終わったばかりで、急に時間ができてしまって」

    「何をしていいのか、わからなかったんです」

    「だから、ここに来ると少し楽で」

    「誰とも話さなくてもいいし、でも一人でもない感じがして」

    「無理に話そうとする人じゃなかったので、ちょうどよかったんだと思います」


    「あるとき、言われたんです」

    「余命の話」

    私は、何も言わなかった。

    「半年だって」

    わずかな沈黙。

    「本当に嬉しそうで」

    彼女は、少しだけ遠くを見る。

    「やっとだって、そういう感じでした」

    「ずっと何かを終わらせたかった人が、やっと終われる、みたいな」

    少しだけ間を置く。

    「それでいて」

    「なんでも始められるみたいな」

    「不思議でしたけど、すごく軽そうに見えました」

    私は、その意味をうまく理解できなかった。

    ——あるいは、理解しようとしていなかったのかもしれない。

    「最後に会ったとき」

    「余命の話、間違いだったみたいだって言われました」

    「少し、困っているようでした」

    「嬉しい、じゃなくて」

    「どうしたらいいのかわからない、っていう感じで」

    「また来ますよね、って聞いたんです」

    「答えてくれませんでした」

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    ■第四章 間に合ってしまった

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    彼に、再び会ったのはその後だった。

    外来の診察室だった。

    検査結果は、明らかに改善していた。

    私は、それをそのまま伝えた。

    「治療の効果が出ています」

    「余命の見立ても、修正されます」

    「少なくとも、半年ということはありません」

    「……よかったですね」

    そう言った。

    正しい言葉だと思った。

    彼は、少しだけ間を置いた。

    それから、こちらを見た。

    「わたしの人生を、返してください」

    声は、静かだった。

    「もう、終わるつもりでいたんです」

    「仕事も辞めて」

    「全部、整理して」

    「やりたかったことも、やって」

    「やっと、終われると思ってました」

    その言葉に、私は息を止めた。

    「それでいて」

    彼は、少しだけ笑った。

    「なんでも始められる気がしてたんです」

    私は、あの女性の言葉を思い出していた。

    「でも」

    彼は、言葉を切った。

    「終われなくなった」

    私は、何も言えなかった。

    同僚の言葉が、ふと頭をよぎった。

    ——ちゃんと見ていましたか。

    目の前の数値は、確かに改善を示している。

    私は、彼を救ったはずだった。

    だが。

    彼が手にしていた“終わり”を、
    その先にあった“自由”を、

    私は、奪ってしまったのかもしれない

    あのとき、何を見ていなかったのか。
    それだけが、今も残っている。


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    朝倉 相(あさくら あい) 日常にまぎれた不思議や、小さな怖さの短編を書いています。 ぞわっとするのに、どこかやさしい物語。 短編中心/1話数分で読めます。 フォローしていただけると、とても嬉しいです。

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