
キャリアコンサル-心音のノート 第9話
相談者 佐藤美咲のコンサル
心音のノート
人はときどき自分の中にあるものをずっと見ないままにしている。見えないのではなく、見ないようにしているのだと思う。
ショッピングモールの照明は少しだけ明るく、買い物をする家族の顔を彩っている。
人の気配と、音と、色。
それらが混ざり合って、現実よりも少しだけ軽い世界をつくっている。気分転換のつもりで立ち寄っただけだったけれど、気がつくと文具店の前で足が止まっていた。手の中には新しい手帳がある。佐藤美咲に勧められたものだった。ページを開く。まっさらな紙。何も書かれていないはずなのに、
そこにはもう、いくつかの言葉が浮かんでいる気がした。
今日はここに書いてみよう。ペンを走らせる前にふと、ある顔が浮かぶ。
母だった。
ずっと思い出さないようにしていたはずの顔。
「いいんだよ、そのままで」
そんな言葉を本当に言ってくれたことがあったのかどうかも、もう曖昧だった。けれど、不思議と今は、その言葉がどこか確かなものとして、胸の中に残っている。
もし、あの人がここにいたら。
少しだけ考えてみた。そして、すぐにその思考を閉じた。まだそこに触れる準備はできていない。
ペンを持ち直す。
「佐藤美咲」名前を書く。
それだけで、さっきまでの時間が静かに戻ってくる。彼女は優しい人。だからこそ、誰にも深く届かなくなりかけていた。だけど、たった一人を思い出したとき、彼女の言葉に色が灯った。人は、ときどき自分の中にあるものをずっと見ないままにしている。見えないのではなく、見ないようにしている。
“喜んでほしい人”
その言葉は簡単なようでいて、とても個人的なもの。他人のために見えて、実は自分の中にしか存在しない。彼女はそれを見つけた。少しだけ羨ましいと思った。
ページの端に小さく書き足す。
「光」
それが何を意味しているのか、自分でもはっきりとはわからない。けれど、確かに彼女との時間の中でほんのわずかに、景色が変わった気がした。
色が戻ったわけではない。それでも“色があるかもしれない”と思えたことは初めてだった。
手帳を閉じる。
外の通路には相変わらず人の流れがあり、誰も立ち止まらない。みんな、それぞれの場所へ向かっていく。その中に私もいる。まだどこへ向かうのかはわからないけど。
もう一度、誰かと話してみてもいいのかもしれない。
そんなことを少しだけ思うのだった。