
唐揚げを食べるとき〜2026.5.3 実家にて〜
ゴールデンウィークに実家に帰った。荷物を部屋に置きリビングでお茶を飲む。ひと段落した頃、母が食べたいものを聞いてくれた。
「そうだなぁ…。」
私はたっぷり時間をかけて考える。出てこないわけではない。むしろ、食べたいものは湯水のように浮かぶ。だからこそ、細心の注意を払って選択しなければならない。母のご飯を食べるために実家に帰っていると言っても過言ではないのだ。
散々悩んだ挙句、その日私は唐揚げをリクエストした。
「そうかと思った。」
母は満足げに言って冷凍庫から鶏もも肉を取り出す。
母の唐揚げが、唐揚げ界で一番だと思う。出来上がるまでの間、私は部屋とキッチンを行ったり来たりしながら様子を伺う。見かねた母が、「出来たよ」と声をかけてくれた。私の期待を一心に受けて、唐揚げたちはテーブルの真ん中に積み上げられた。衣の表面で、まだ油がじゅうじゅうと音を立てている。いただきますもそこそこに、その中の一つに箸を伸ばす。硬すぎず柔らかすぎず、衣はサクサクと小気味のいい音を立てる。噛んだ瞬間に醤油と生姜の香りが鼻に抜けて、間髪入れずに白飯を頬張らずにはいられない。外食や自炊の唐揚げには、マヨネーズやらスイートチリやら甘酢やらをつけて食べるのが好きなのだが、これはそのままが1番美味い。つい1時間前までレンジの中で解凍されていた鶏肉に、なぜこんなに味が染みるのか。母の料理は魔法のようだ。ほのかに体型維持を心がけている私だが、この唐揚げの前には理性など無力。欲望に屈服し、ご飯のお替りまでしてしまう。極め付けには食後の果物なんかも並びはじめるから、実家にいるときは常に満腹だ。とにかくふくふく過ごしている。
母の唐揚げを食べると毎度思い出すのが、母方の祖母のことだ。祖母は札幌に住んでいて、私が5歳の時に亡くなった。5歳と言うとだいぶ記憶も朧げなのだが、とにかく私を可愛がってくれていたことをはっきり覚えている。外出先でおもちゃを少し眺めようものなら、すかさず「欲しいの?」と聞いて私をあせらせたし、絵を描いてみせると大げさなくらいに褒めてくれた。私のランドセル姿をだれよりも楽しみにしてくれていた。小学校の入学式でランドセルを背負ったとき、一番に思い浮かべたのは祖母の顔だった。おばあちゃんに見てもらいたかったなあ、そう思った記憶がある。
祖母の料理で唯一覚えているもの。それが唐揚げだった。今でこそ食べるのが大好きな私だが、子供のころはお菓子以外の食べ物にそこまで興味がなかった。そんなに空腹でもないのに食べなければいけない、ご飯の時間は正直億劫だった。それでも祖母の唐揚げは夢中になって食べた。祖母は学校の給食室で働く調理員だった。クリームシチューを除き、すべての料理が美味しかった、と母は言う。(クリームシチューだけは私が作った方が美味しかった、と笑う。)祖母の料理を食べているときの母の笑顔と、そんな私たちの姿を見ている祖母の笑顔。どれもが嬉しかった。おばあちゃんはママのママなんだ、なんて今思えば当たり前のことを考えた。でもそれが、私と祖母の繋がりをもっと強めてくれている気がしていた。
祖母は癌で亡くなった。闘病中の姿はほとんど覚えていない。お見舞いには多分何度も行ったし、自宅療養をしている際には母と一緒に泊まりに行ったはずだ。私はきっと怖かったのだ。葬儀の記憶もほとんどない。ただ、火葬が終わって納骨をする時、呆然としながら父の手を強く握っていたことは覚えている。
母の唐揚げの味は、記憶の中の祖母のそれとよく似ている気がする。祖母を思い出すことも含めて、私は母の唐揚げが好きなのかもしれない。ひと口齧ると、遠くなっていた記憶がふと近付いてくる。気がつくと私は夢中になっていて、お腹いっぱいになるまで食べてしまうのだ。「美味しい、美味しい」と食べる私を見て、母はいつも嬉しそうにしてくれる。その母の笑顔で、札幌の祖母の家での、あの食卓のあたたかさが蘇る。記憶が、味を通じて生き続けていく。
次に帰った時には、母に唐揚げの作り方を聞こうと思う。きっと喜んで教えてくれるだろう。「そんなに大したことはしてないよ。」なんて言って、照れたように笑うに違いない。