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びわとキス

     定時より一時間早く帰る時短の日。

    少し気ままに寄り道をと思い、いつもはあまり使わない駅ビルのスーパーを見に来た。

    店頭には忙しそうに陳列する店員さんの後ろ姿があった。

    身がつまってぷっくりしていて黒くてピカピカに光った茄子が、袋にぴっちり入っている。見るからに美味しそうだ。

    それをせっせと隙間なく並べている。

    「茄子いいな」店員さんが作業していてまだ手が出せない。

    あとで取りに来ようと茄子の周りの陳列を物色していると、きゅうり4本198円、ブロッコリー一房298円、など店頭には他にも魅力的な商品が並んでいた。

    そのなかにひときわ私の心を掴んだものがあった。

    びわだ。

    ひとつひとつが大きなオレンジ色の実が3個セットで鎮座している。大きくてしっかりした実は見るからに美味しそうで、食べ応えがありそうだ。

    ひとつひとつの身がくっつかないように配置され緩衝材も敷かれている。丁重な包装だ。

    瞬時にびわが好きな娘の顔が浮かんで、手が伸びる。

    3個で598円。ちょっと高いかな。

    すでにカゴに入れたキウイを見やる。こっちは3個で498円。こっちにしようか。

    迷って一旦びわを陳列棚に戻す。

    娘が喜ぶ顔がまた頭を横切る。罪悪感に似た感情が湧く。

    たいして値段変わらないじゃないか。娘が喜ぶならこの太って美味しそうなオレンジのやつ買ったほうがいいよな。

    美味しそうなのにさほど高くないこのびわはお買い得だった。

    それに、このびわを逃したらまたどこかのスーパーで見つけても美味しくないびわかもしれない。

    このびわは見た目から包装から絶対に美味しい気がした。

    戻したびわをまた掴んでカゴにいれた。


     
     家に帰り、買ってきた食料品をしまっていると仕事を終えた夫がやってきた。

    「お、びわやん。よろこぶぞぉ」

    びわを発見した夫も娘がびわが好きなのをよく知っているのでニコニコした。

    びわは冷蔵庫に入れて冷やしておいた。

     夕飯が終わり、夫はお茶をすすり、娘は宿題のノートを持ってきたリビングで、びわを出し損ねた私がいた。

    「タイミング逃した」

    でも今日が一番美味しい食べごろのはず。

    せっかく宿題のノートを持ってきた娘に悪いが、びわのパックをそろそろと出し、夫に見せる。「ね、これ、今からまだ食べられる?」

    「食べられるで」

    即答がかえってきた。

    傍らで見ていた娘はびわを見つけて歓喜の声をあげた。

    「ね、ね、おかあちゃん!」

    腕を引っ張る娘。

    「何?何?」

    私はかがむと、娘が私の頬にキスをした。柔らかくてむにゅっとした唇を感じた私は照れながらも娘の喜びに満ちた感謝の行動が嬉しかった。

    私はびわを陳列棚に戻さなかったあの時の自分に猛烈に感謝した。


     また食卓に座り、三人でびわに向き合う。

    小さな卵くらいはあるふくよかに育ったオレンジ色のびわの皮を剥いて、あらわれたつやつやの実を、まだ剥くのに格闘している二人をよそに私は口にほおばる。

    瑞々しくてさっぱりしたびわの味が口に広がる。甘味が強くて美味しい!よかった当たりだ!心の中でガッツポーズをした。

    「美味しいよ」

    私は二人に感想を伝える。

    夫は私の感想にニコリとしながら視線はびわのまま、娘は無心に皮剥きに向き合う。

    二人は丁寧に皮を剥く。夫は爪楊枝で少しずつめくり、娘は小さな手でコツコツ剥いていた。

    元来二人は似ている。丁寧でゆっくりなタイプ。私はざっくりでせっかちなタイプ。こんなところにもいつも性格の差が出る。

    娘に「むいたげようか?」と聞くと、ぶんぶんと頭をふる。

    続きを食べたかった私は、これを良しとまた自分のびわに向き合う。

    あっという間に実がなくなってあらわれた種は、向かい合わせに数個くっついていた。

    洗ってティッシュの上に置いた。

    種は6個。

    座り直したところでやっと二人の皮剥きが終わり、それぞれが口にびわを含む。

    夫は豪快にジュルりと言わせ、娘は小さく食べた。

    夫は「んー」と口を閉じたまま歓声をあげ、目を驚いたように開いた。娘は目を閉じ味を噛み締めているようすで、両手にびわを持ったまま、昇天といった顔をした。

    嚥下すると口々に美味しい!と言う二人。

    よかったーー。私は胸を撫で下ろす。やっぱり買ってよかった。二人の食べる姿をゆっくり眺める。

    美味しいものを家族に届ける喜びは格別だ。

    「美味しいものを食べさせて喜ぶ顔を見るのが好き」という、料理人の常套句のような言葉は料理が得意ではない私には長年意味がわからない、腑に落ちないことのひとつだった。

    結婚して、家庭に入り、食事を作ることは私にとってずっと義務だったからだ。

    体の不調が続いた時期、仕事があまりできなくて稼ぎが減ったことがあった。

    そのころ、満足に家族にものが買えないことの辛さが骨身に染みた。

    あの体験があったからこそ、美味しいものを食べさせられる喜びを知った。

    美味しいものを食べさせて喜ぶ顔を見たい。私もついにそう思うようになれた今日この頃だった。

     夫は食べ終えると、私に言われて種を洗い、ティッシュに種を置く。

    種は5個。

    娘も手をびわの汁だらけにして、やっと食べ終えて、また私に言われて、手と種を洗って、ティッシュに種を置く。

    種は7個。

    並べた種を見比べて、娘は自分の種が一番多いのを喜んだ。

    娘は、今食べたびわの絵日記を宿題のテーマにした。

    ノートにはびわを見つけて目を丸くした娘と、びわをティッシュに広げて置いた2コマが描かれた。

    文末には「わたしはびわが好きなのでこれからたくさん食べていきたいです」とあった。

    よしよしかーちゃんがんばって稼いで食べさせたるでー。


     びわも娘のキスも甘味でした。
    今日の糧に感謝します。ごちそうさまでした。







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