十七年の創作生活の末にたどり着いた、売れる作品の基礎的理解
第一回 はじめに
ぼくは売れない作家だ。作家と言っていいのかも分からない。作品が本当に売れていないからだ……。
こういう始め方をすると、この次に、「運良く賞をもらって、本を二、三冊出したがほとんど売れず、今はカルチャーセンターで講師をしながら何とか食いつないでいる状況で」みたいに続きそうじゃないですか?
ぼくは違います。ぼくの作品は本当に売れていません。
具体的に言うと、創作を十七年続けて、稼いだのは300円くらいです。ちなみに利益ではありません。売上です。
それでも「売れているじゃないか!」と思う人もいるかもしれません。どこまで売れたら売れたと言えるのかは、人それぞれです。300円分しか売れなかったのか、300円分は売れたのか。
でも、300円って、のり弁ですよ。十七年続けて、のり弁一個です。アルバイトを20分すれば稼げる金額を、十七年かけて稼ぎました。どう考えても売れていないでしょう。
その十七年の間に、何とかして売りたいと思って、「ヒットする作り方について具体的に書かれた本」を何冊か読みました。それでその通りにやってみたこともあるのですが、売れませんでした。きっと、その本をきちんと理解していなかったか、実力が足りなかったのでしょう。
そもそも、その本を読みながら「自分が知りたいのはこんなことではない」みたいな気持ちがあったような気がします。
今思うと、ぼくが知りたいのは「作り方」ではなく、もっと手前のことだったのでしょう。手前のこと、というのは、つまり「なぜ自分の作ったものが売れたり、評価されたりしないのか」ということです。
今から書こうとしていることは、その疑問が出発点になっています。
これを読めば、売れている作品が、なぜ売れているかが分かります。売れていない作品が、なぜ売れていないかも分かります。そうすれば、自分の作品がどうすれば売れるのか分かってきます。
注意してほしいのですが、「作り方」は書かないです。書けないです。
だから「ヒットする作り方について具体的に書かれた本」が読みたい人にはおすすめできないかもしれません。
それでも、読めば、何かの役に立つのではないかと思います。というか、そう願っています。
第二回 なぜこれを書くのか
・売り方が分かるまで
今から、どういう作品が売れて、どういう作品が売れないのかについて、基礎的なことを書いていきます。
基礎的なことというのは、ほとんどの人が分かっているが、きちんと言語化はされていない(とぼくが勝手に思っている)ことです。
自分が作ったものを売りたい、というのは創作をする人であれば誰しも思ったことがあるはずです。そして実際に行動した人もいると思います。ぼくもそうです。
でも、売れません。当たり前ですが、そんなに簡単じゃありません。ぼくの作ったものは、ほぼ売れていません。
どうすれば売れるのか。ぼくはずっと悩んでいました。こんなにいいものを作っているのに、どうして売れないんだ。ありえない。考えられない。あいつらはバカだ。社会はクソだ。みたいな過激なことまで思っていたこともあります。
それくらい真剣だったとも言えます。
ですが、その真剣さというのは、振り返ってみれば、ただのわがまま、言い換えれば、「あわよくば」の精神をグツグツ煮込んだ結果なのだと分かります。
行動して、失敗して、悩んで、今はそこまで売りたいと思っていません。
それはなぜかというと、現実を知ったからなのですが、実感として「遠いな」という言葉がしっくりきます。
現実を知るとは、距離が見えることです。距離が見えると、自分の欲の大きさが分かります。ぼくには、その長い距離を歩いてまで売りたいという欲はありませんでした。そこまで売りたいとは思っていない自分に気付いたのです。割に合わないことに気付いたと言ってもいいでしょう。
現実を知ったことで、売れるまでの道が以前より明確になりました。つまり、どうすれば売れるかが分かったのです。俯瞰できるようになったのかもしれません。
皮肉ですね。
現実を知らなければ道は見えないが、現実を知ってしまうと歩きたくなくなるなんて。
・売り方が分かったとしても
売り方が分かれば、売れるんだから、売ればいいじゃん。
単純に考えればそうなのですが、事はそんなに簡単ではありません。
まず、売り方が分かることと、実際に売れることの間には、大きな壁があります。その壁を越えるには、望まない努力が必要になってきます。望まない努力をすることが、作品を売るためには必要なのです。
これはあくまで、ぼくの場合です。
売ることが大好きで、とにかく売りたいと思っている人にとっては、望まない努力ではありません。
あと、運も必要なのですが、そのことについては後で書きます。
ぼくは、望まない努力はなるべくしたくありません。望まない努力というのは、やりたくないことを無理してやることです。
ぼくは「自分にとっていいものを作る」ことを大切にしているので、売り方が分かったとしても、それを実行するのは嫌なのです。
なぜなら、売れる方法に沿って創作をしたり、売ったりすることは「やりたいこと」ではないからです。
やりたくないことをやるのは、創作というより、労働のような感じです。しかも、誰にも頼まれていないことなのに。
誰にも頼まれていないのだから、好きなようにやるのがデフォルトで、好きなようにやれないならやりません。
・売れないことは「そんなこと」
純粋にものを作ることと、売るためのものを作ることと、売ることは、共通する部分はありますが、基本的には別だと考えた方がいいでしょう。
それをごっちゃにしてしまうと、「こんなにいいものを作ったのに、どうして売れないんだ!」と嘆いたり、時には誰かや社会のせいにしたりすることがあります。
あるいは、「このまま続けていれば、いつか誰かが認めてくれるはず」という幻想にすがって、いつまでも売れたり評価されたりする可能性の低いものを作り続けてしまうかもしれません。
断っておきますが、売れないものを作ることを否定するつもりは全くありません。
好きだから、楽しいから、夢中になれるから、作らずにはいられないから。みたいな理由で創作をしているなら、勝手にすればいいのだし、勝手にするだろうと思います。
「それはどうなの?」とぼくが今思うのは、勝手にしているだけなのに、それが売れないだとか、評価されないだとか、「そんなこと」に悩んだり嘆いたり怒ったりすることです。
勝手にしているのだとしたら、売れないだとか、評価されないだとかは、「そんなこと」なのです。
・やりたいからやっている
ぼくは過去の自分や、過去の自分に似た人に「それはどうなの?」と余計やお世話だったりお節介だったりつまらない助言みたいなことをしてみたくなって、これを書いています。
誰にも頼まれていないことを、ただやりたいからという理由で、勝手にしています。
でも、そうは言っても、正直、ぼくにもまだ、自分が作ったものが売れなかったり評価されなかったりしていることに対して、不満がないわけではありません。というか、全然あります。
仮にこれを書き上げたとして、誰にも読まれなかったり、評価されたりしなかったら、ぼくはきっと落ち込むでしょう。
そんなに簡単に「そんなこと」だと割り切ってしまえるほど、ぼくはものわかりのいい人間ではありません。
だから、過去の自分だけでなく、現在の自分に対してもアドバイスだったり整理だったりをするつもりで、書き進めていきたいと思います。
どうか皆さん、最後までお付き合いください。よろしくお願いします。
第三回 売るために何をしてきたか
・自分がしてきたこと
今回は、ぼくが作ったものを売ったり、評価を得るために何をしてきたかを書いていきます。まあ興味がないと思うので、できるだけ簡潔にまとめたいと思います。読み飛ばしてもらってもかまいません。
ちなみに、ぼくが作っていたのは絵と詩と小説です。
・個展を開くために、ギャラリーに電話やメールをしたり、実際に足を運んだりする。
・絵の仕事をもらうために、出版社に電話をかける。
・出版社に絵を持ち込んだり、データをメールで送ったり、コピーを郵送で送ったりする。
・個展のためにチラシを作成し、本屋や美術大学で配る。
・個展を開く。
・賞に絵を応募する。
・一般の人に絵を見てもらえるイベントに参加する。
・ブログで詩を書く。
・詩の雑誌の投稿欄に投稿する。
・詩集を作って賞に応募する。
・詩集を出版エージェントに読んでもらう。
・詩集のPDFをネットで販売する。
・詩集をネットで公開し、ネットの賞に応募する。
・詩集をKindleで販売する。
・Kindleが知名度のある詩人に新着ランキングでなぜか勝っていたので、それをTwitterでアピールする。
・賞に小説を応募する。
・詩集を読んでもらえないか出版社にメールを送る。
他にもあるのですが、八割か九割くらいは書けているのではと思います。ちなみに、これらは大体10年間での出来事です。
次回は、これらのぼくの行動が、作品を売るために効果的だったかを考えていきます。よろしくお願いします。
第四回 何者か
・売るには「何者か」が大事
前回はぼくが売ったり、評価を得たりするためにした行動を書きました。
今回は、それが正しかったのかについて書こうと思います。
結論から言うと、正しくはなかったです。というより、ほとんど意味がありませんでした。
説明します。
作品を売ったり、評価を得たりするために大事なのは、ざっくり言うと「何者か」と「コンテンツ」です。
まず「何者か」から。
当時のぼくは、言わずもがな何者でもありませんでした。今も何者でもありません。
となると、基本的には門前払いなわけです。
だって、何者でもない人の作品なんて、好きな芸能人が紹介していたとかでもない限り、見ようとは思いません。それはもちろん人によりますが、大多数の人にとっては、普通のことです。大多数の人は、その人が何者なのかということを、とても大事にします。
もちろんぼくも、受け取る側としては作り手が「何者か」を大事にしています。
何を見るか、何を読むか。その選択の基準になっているのは、ほとんどの場合、その人が何者で、誰が、どんな評価をしているのかということです。というか、それくらいしか情報がありません。
なぜなら本であれば、結局本を読まないと、その本が面白いかどうかは分からないわけですから。
なのですが、自分が発信する側、評価される側になった時には、「自分が何者かどうかなんて関係ない。作品で評価してくれ」となってしまうのです。矛盾してますよね。都合が良すぎます。……少し脱線しました。話を戻します。
・好きなように作って、認められたい
売り込みや自己宣伝というのは、何者でもない人にとっては、「基本的には」無駄なわけです。
まともな作家はそのことを知っているので、肩書きや受賞歴、実績を大事にするのです。どこの大学を出て、どんな仕事をして、どんな賞をもらったか。そういうのが大事。
純粋に表現者としてありたい、芸術家としてありたいといった、若者にありがちないわゆる理想主義的なスタンスの人にとって、この事実というのは受け入れがたいのではないでしょうか。
作品そのもので評価しないのはおかしい、となってしまうわけです。
これは明確に間違いです。
なぜなら、何者かでなければ、作品が売れたり、評価されたりする以前に、見てもらえない可能性が高いからです。
まともな作家はそれを知っているので、愚直に新人賞に応募するなどして、何者かになろうとしているのです。本気で何者かになろうとする人は、新人賞を獲得するために、努力をして、勉強をして、傾向を調べて、対策をするでしょう。
しかし理想主義的な人は、そういう何者かになるための懸命な積み重ねを嫌ったり、否定したり、抵抗したりします。
理想主義的な人は、好きなように作って、それが認められて、何者かになっちゃいたいのです。
もちろんそれは不可能ではありません。
その場合、何者かになるというのは、「おまけ」くらいの認識でいるべきです。
メインで狙っているのが「何者かになること」なのか、それとも「好きなように作ること」なのかを、自分に問うてみるといいでしょう。
何者かにならなければ、売れる可能性はぐっと低くなります。
・もちろん「コンテンツ」も大事だが……
もう一つは、「コンテンツ」です。
売り込みをしても意味がない、と先ほど書きましたが、作品を見てくれる場合もあります。新人賞だと、何者でもなくても作品を見てくれます。新人賞なので、ほとんどの応募者が何者でもありません。
そこで大事なのが「コンテンツ」、つまり作品です。
作品がハマれば、賞をもらえたり、仕事をもらえたり、何者かになれたりします。
言わずもがなですが、「コンテンツ」は売るためにはとても大事な要素です。当たり前すぎるくらい当たり前なのですが。
ただ、それと同じか、あるいはそれ以上に、「何者か」というのも大事です。
簡単に説明します。
数年前に、きゃりーぱみゅぱみゅがTwitterに松屋の牛丼の写真をアップしたんです。
それが3000いいね位ついてました。
松屋の牛丼の写真に3000いいねほどのコンテンツパワーはありません。
でもアップしたのが、何者かになった人気アーティストであるきゃりーぱみゅぱみゅだった。
これで分かると思います。
何者かになれば、コンテンツパワーはそんなになくても、それなりに評価されるんです。極端な話、「きゃりーぱみゅぱみゅが見つけた石」とかでも、普通に売れると思います。
これが、何者かになったパワーです。
だから、売りたいのであれば、「コンテンツ」も大事だし、それと同じくらい「何者か」も大事なのです。
今回はここまでです。
次回は「コンテンツ」について書いていこうと思います。よろしくお願いします。
第五回 コンテンツ
・何者かになる方法
前回は、何者かになることが作品を売るためには大事だということを書きました。
今回はもう一つの大事な要素、「コンテンツ」について書いていきたいと思います。
その前に、どうすれば何者かになれるのかについて、少しだけ。
何者かになるには、コンテンツが認められないといけません。
でも、コンテンツが認められるには、何者かであることが、必須ではないにせよ、とても大事です。そして何者かになるには、コンテンツが認められないといけません。
無理ゲーですよね。
何者かにならなければ、コンテンツが認められず、何者にもなれない。
つまり、基本的に(ここ大事です)、何者でもない人は、頑張っても、何者にもなれないのです。
そう考えると絶望的ですが、もちろん、何者でもなくても、コンテンツが認められる場所があります。前回にも書いた「賞」がその場所です。公募とか、コンペとかも同じです。
賞をもらえれば、何者かになれます。
でも、言わずもがなですが、賞をもらえるのは一握りです。
もう一つは、SNSです。
SNSでは、誰でも作品を発表できます。だからSNSを使えば、賞に応募しなくても、何者かになれる可能性があります。
賞に応募したり、SNSで作品を発表したりすれば、何者かになれるかもしれません。
でも、誰でも分かると思いますが、そんなに簡単ではありません。無理ゲーではないにせよ、個人差はありますが、大多数の人にとっては、鬼ハードモードであることは間違いないでしょう。
何者かになれたら、作ったものが売れる可能性がぐっと高くなります。
・売れるコンテンツの要素
何者かになるためでも、何者かになった後でも、とにかく作品を見てもらえることになったときに大事になってくるのが、当然、作品そのもの、つまりコンテンツです。
コンテンツには二つあります。
コンテンツと、コンテンツを売るためのコンテンツです。前者はそれ自体が商品になるもので、後者は商品を買ってもらうためのものです。SNSでは特に、後者の、コンテンツを売るためのコンテンツが大事になってくるように思います。売り込みで使うことがある企画書なども、コンテンツを売るためのコンテンツと言えるでしょう。
どちらのコンテンツにも共通する、売るために大事な要素が四つあります。
四つ全ての要素がある必要はないですし、めっちゃ有名になれば(めっちゃ何者かになれば)、どの要素もないとしてもそれなりに売れると思います。
その四つとは、「エンタメ」「共感」「学び」「素敵な自分」です。
「エンタメ」は、それが面白かったり、笑えたり、泣けたり、かっこよかったり、かわいかったりすること。
「共感」は、わかる、となること。
「学び」は、ためになること。
「素敵な自分」は、それが好きな自分が好き、と思うこと。
自分が作ったものを、見たり読んだりする人が、それぞれ0〜10点、合計40点満点でどれくらいの点数をつけるか、考えてみるのも面白いかもしれません。
ただ、当たり前ですが、自分で考えた点数と、実際の点数は一致しません。一致する人がいたら、それはもうプロです。
最後に、これら四つの要素「エンタメ」「共感」「学び」「素敵な自分」をまとめて、「外部価値」と呼ぶことにして、今回は終わります。
次回はこの「外部価値」について書こうと思います。よろしくお願いします。
第六回 外部価値
・外部価値は「他者の評価」
前回の最後に、コンテンツが売れる要素である「エンタメ」「共感」「学び」「素敵な自分」の四つをまとめて、「外部価値」と呼ぶことにしました。
今回はその、外部価値について書いていこうと思います。
早速ですが、外部価値というのは、作った段階では自分には分かりません。誰かに作品を見てもらって、講評や感想やいいねなどをもらって初めて、その価値が分かるのです。
外部価値とは、他者の評価です。
なので、自分ではすごく面白いエンタメの作品を作れたと思っていても、他者にとってはそうでもないのであれば、その作品の外部価値は低いのです。
逆に、全然ためにならない作品を作ってしまったと思っていても、作品を見た人がためになったと思ったり、予想外に共感してくれたりすれば、その作品の外部価値は高いと言えます。
なので、外部価値を知ろうと思ったら、誰かに作品を見てもらわないといけません。外部価値というのは、自分では判断できないのです。
また、外部価値というのは、他者によって違います。Aさんにとってはめちゃくちゃ面白い作品が、Bさんにとってはそうでもないとき、 Aさんに対する作品の外部価値は高いですが、Bさんに対する作品の外部価値は低いです。
・外部価値の予測
出版社には、編集者がいます。
詳しくはないのですが、編集者というのは、著者と読者をつなぐ存在だと思います。編集者は、その作品がたくさんの人にとって、外部価値が高いかどうかを見極めていると思います。
著者が「何者か」というのが、作品を売るためには大事とはいえ、「コンテンツ」の外部価値がたくさんの人にとって高くなければ、ヒットは生まれにくいでしょう。
編集者は、編集者にとっての外部価値ではなく、ターゲットにした属性の人たち(サラリーマン、主婦など)にとっての外部価値を予測するのです。
編集者がしている外部価値の予測を、自分でもすることはできます。
外部価値というのは自分では判断できないですが、予測はできます。「こういう作品がウケるだろう」と思って作品を作るのです。
新人賞に応募するなら、たくさんの人よりも、審査員にとっての外部価値を予測する方がいいかもしれません。
いずれにせよ外部価値の予測は、とても難しいです。それはどうしても、自分の好みや主観が入ってしまうからです。「これは絶対に面白い!」と自分では思っていても、他者からすればそうでもない、というのは創作をする人にとってはあるあるでしょう。
なので、売りたいのであれば、信頼できる人に見てもらって、意見を聞いたりしながら、作品を作っていくことをおすすめします。
あるいは、どんな作品がウケているのかを調べるのもいいでしょう。インプットですね。
もちろん、それだけで上手くいくわけではないので、賞に応募するのであれ、SNSにアップするのであれ、売り込みをするのであれ、作品を作っては評価を他者に委ねるという、トライアンドエラーを繰り返しながら、実力とともに予測の精度を高めていくしかありません。
・現実を知る
仮に、予測の精度がある程度高まったとしましょう。
そうすると、自分の好みや実力では、相当努力したり、自分を曲げたりしなければ、売れたり評価されたりする作品は作れそうにない。そう思う時が来るかもかもしれません。
それが「現実を知る」ということです。そこから先どうするかは、自分次第です。それはある意味「終わり」ですが、「始まり」でもあります。
夢が終わって、人生が始まる。
それがいいことなのか悪いことなのかは、ぼくには分かりません。でも、何でもそうですが、いい面もあるし悪い面もあると思います。
外部価値の反対を、「内部価値」と呼ぶことにします。
「内部価値」は言葉としては外部価値の反対ですが、対立するものではありません。
次回はこの「内部価値」について書いていこうと思います。よろしくお願いします。
第七回 内部価値
・内部価値は「自己満足」
前回は外部価値について書きました。
今回はその反対、「内部価値」について書こうと思います。自分で勝手に作った言葉を多用するので、読みづらかったらすみません。
前回の最後にも書きましたが、外部価値と内部価値は対立しません。外部価値が高ければ内部価値が低いということでは必ずしもないですし、その逆もまた同じです。
ただ、対立はしませんが、両立させるのは難しいです。
外部価値が高くて内部価値も高い作品を作れるのは、才能のある人です。
では、内部価値とは何か。
それは「自己満足」です。自分がその作品にどれだけ満足しているか、あるいは、作品を作っている最中にどれだけ充実感があるか。その満足度や充実感のことを内部価値と呼びます(呼ぶことにします)。
一方で外部価値とは「他者評価」です。
自分が満足して、他者の評価も得るというのは、才能がないとできません。才能のある人は、自分がいいと思うものを作れば、それが売れます。ですが、ほとんどの人にとってはそうではありません。ほとんどの人にとっては、内部価値と外部価値の一方をある程度犠牲にしなければ、もう一方を得ることはできません。
妥協ですね。
「こんなにいいものを作っているのにどうして売れないんだ!」と思っている人は、内部価値と外部価値の区別が付いていないのだと思います。
自分がどれだけいいと思っていても、言い換えれば、内部価値がどれだけ高くても、それは売れるかどうかとは一切関係がありません。
売れるかどうかに関係があるのは、内部価値ではなく外部価値です。
・内部価値と外部価値、どちらを優先するか
「自分にとっていいものを作ることを大切にする」というのは、内部価値を優先するタイプです。
「自分がどう思うかに関係なく、とにかく売りたい」というのは、外部価値を優先するタイプです。
どちらのタイプになるかは、その人の気質(芸術家寄りか、ビジネスマン寄りか)や、経済的な状況や、周囲の環境によります。気質や状況や環境が変われば、タイプも変わるでしょう。
あくまで「どちらを優先するか」なので、内部価値を優先する人でも、外部価値を高めたいと思うことも当然あります。「自分にとっていいものを作りたいし、それを売りたいとも思っている」とか、「たくさん売りたいと思っているが、自分にとっていいものであることも大事」というのはごく普通の、ありふれた気持ちです。
ただ、自分のタイプがどちらかというのは把握しておいた方がいいでしょう。でなければ、たとえば、自己満足を優先して作っているのに、それが売れないと過剰に落ち込んだり、憤ったりしてしまいます。あるいは、売ることを優先して作っているのに、「自分が作りたいのはこんなものではない!」となって、作るのを止めたり、開き直って、好きなように作ったりしてしまいます。
そうなることは必ずしも悪いことではないですし、逆に上手くいって、結果的に、内部価値と外部価値の両方を高められるようになるかもしれません。
ただ、ぼくの経験上、上手くいかないことの方が多いです。上手くいかないと、八つ当たりをしたり、逆恨みをしたり、こじらせたりしてしまいます。
なので、自分がどちらの価値を優先しているのかを把握しておくメリットはそれなりにあります。把握していれば、「まあ自分はこっちのタイプだししょうがないよな」と、甘くない現実を受け止めやすくなります。把握していない場合よりも、深刻にならずに済むのです。
・作品を売るのに内部価値は関係ない
作品を売るために、内部価値は関係ありません。内部価値がどれだけ高くても、外部価値がないなら、その作品を売ることは難しいです。反対に、内部価値がなくても、外部価値が高いのであれば、その作品は売れやすいです。
でも、内部価値がない作品なんて、作っていても虚しいだけでしょう。
自分が少しも満足せず、他者評価のためだけに作品を作るくらいなら、いっそ、誰かに作ってもらうか、AIに任せます。誰かに作ってもらったり、AIに任せたりするのであれば、それはもう自分の作品ではありません。
作品を売るために内部価値は必要ないというのは事実です。ですが、作品を作るためには内部価値(自己満足)がとても重要なのです。
そう思うのは、ぼくが内部価値を優先するタイプだからなのかもしれません。
前回と今回で、二つの価値について説明してきました。作品にまつわる価値は、もう一つあります。
それは作品そのものの価値ではなく、作品を売るための作品以外の価値です。次回はそのことについて書こうと思います。よろしくお願いします。
第八回 フィルター価値
・フィルター価値は「作品を売るための作品以外の価値」
前回は内部価値について書きました。
今回は外部価値、内部価値に続く、第三の価値について書いていきます。
作品を売るために必要なのは、外部価値だと前回書きました。でもそれだけではありません。何度か書きましたが、その人が「何者か」というのが大事なのです。
山田孝之という俳優が、出版社から詩集を出したことがあります。
詩集というのは、売れないジャンルです。それに、本というのは、読むまでは何が書いてあるのか分かりません。それなのに、山田孝之は詩集を商業出版できました。つまり、出版社がある程度は売れると判断したのです。
それは、山田孝之が人気俳優だからです。
詩集の中身がどうであれ、山田孝之のファンは買うでしょう。ファンでなくても、山田孝之のことが気になっている人は買うかもしれません。山田孝之という俳優の知名度や印象が、山田孝之の詩集を売れるものにしています。
要するに、山田孝之は「何者か」になった人なので、外部価値に関係なく、コンテンツが売れるのです。
この「何者か」というのを「フィルター価値」と呼ぶことにします。
フィルター価値というのは、作品を売るための作品以外の価値です。なので、「何者か」だけがフィルター価値ではありません。
知名度、受賞歴、フォロワー数、学歴、職業、家柄、所属、実績、年齢、性別、容姿、発言など、コンテンツではなく、それを作った人の情報が、フィルター価値になります。
作った人との関係性、というのもフィルター価値になるでしょう。作った人と知り合いや友達であれば、その人の作品に興味が出てくるでしょう。家族でも、ファンでも同じです。
誰がおすすめしたか、誰に紹介されたかというのもフィルター価値です。本に帯コメントを付けるのは、「有名人のおすすめ」というフィルター価値をコンテンツに与えるためです。
また、ピコ太郎のPPAPがジャスティンビーバーに気に入られたことでバズったように、有名人にフックアップされてコンテンツが世間に広がるというのも、「有名人が気に入っている」というフィルター価値がコンテンツに与えられた結果です。
「作品のタイトル」や「煽り文」も重要なフィルター価値です。たとえば「これであなたもお金持ち!」というフレーズがタイトルや煽り文にあれば、お金持ちになりたい人はその作品に興味を持つかもしれません。
フィルター価値とは、作品そのものの価値ではなく、作品を見るまでに通過する、あらゆるフィルターの価値のことです。
ある人は、「フォロワー10万人」や「東京大学卒業」というフィルターを通って、そのコンテンツを買うでしょう。
ある人は、「友達が作ったもの」や「好きな芸能人が作ったもの」というフィルターを通って、そのコンテンツを買うでしょう。
ある人は、「インフルエンサーのおすすめ」や「口コミ」というフィルターを通って、そのコンテンツを買うでしょう。
ある人は、作品のタイトルや煽り文に惹かれて、そのコンテンツを買うでしょう。
広告や宣伝というのは、フィルター価値を高めるための仕事です。
コンテンツを売るために必要な価値は、外部価値とフィルター価値です。この、外部価値とフィルター価値の合計が、コンテンツを売るためのパワーです。
なので、作品を売りたいと思ったら、外部価値を高めたり、フィルター価値を高めたりしなくてはいけません。
・なぜ詩集は売れないのか
これは余談ですが、詩集を買う人のほとんどは、「素敵な自分」を求めています。
「詩集を買う自分が好き」というのは、詩集というコンテンツの価値のなかで、かなりの割合を占めていると思います。
なぜなら、ほとんどの人は、詩に興味がないからです。たまにSNSで流れてくるバズった詩にいいねをする、その程度の興味なのです。
詩を積極的に読む人というのはレアです。なので、レアじゃない普通の人が詩集を買うとしたら、「詩集を買う自分って何だか素敵」くらいの理由しかないのです。
谷川俊太郎くらいの知名度(フィルター価値)があれば、「谷川俊太郎が書いたものだから」という理由で買う人もいるでしょう。
売られている詩集は基本的に、フィルター価値が足りていません。詩を読む人が少ないので、フィルター価値は必然的に不足しがちです。
そこで提案なのですが、山田孝之を目指すのはどうでしょう。山田孝之でなくても、アイドルでもお笑い芸人でも、別の分野で有名になれば、フィルター価値が高くなります。有名になって詩集を出せば、ある程度は売れるでしょう。冗談です。そんなに簡単に有名にはなれないし、そこまでして詩集を売りたい人も中々いないと思います。
また、詩を書く人は、不特定多数にとっての外部価値をあまり意識していません。それで全然いいのですが、もし売りたいと思うのであれば、詩を読む人ではなく、読まない人にどうすればウケるかを考えるといいでしょう。
数少ない詩を読む人にとっての外部価値を追求するのではなく、たくさんの詩を読まない人にとっての外部価値を追求するのです。
ただ、詩を読まない人に詩を読んでもらうのですから、難易度はかなり高いです。
・最果タヒという詩人
売れる詩集、ということを考えた時に、浮かぶのは最果タヒという詩人です。
最果タヒは若くして現代詩手帖賞や中原中也賞を受賞しフィルター価値を高め、その後Twitterで「共感」や「素敵な自分」といった(詩を読まない人にとっても)外部価値の高い詩を投稿し、フォロワーを集めてさらにフィルター価値を高め、投稿した詩などをまとめた詩集を出版してそれがヒットしています。
すごいです。
何者でもなかった人の作品がヒットするまでの理想的な道のりのように思えます。普通はこんなに上手くいきません。
まず、賞がもらえません。
賞をもらうには、才能や実力だけでなく、運も必要です。
運が必要なのは、賞だけではありません。
フィルター価値を高めるためにも、外部価値を高めるためにも、内部価値を高めるためにも、運は必要です。
次回は「でもなんだかんだ結局、運じゃね?」という話をしたいと思います。よろしくお願いします。
第九回 運
・価値を高めたいなら
第六回、第七回、第八回と、創作における三つの価値についてそれぞれ書いてきました。
作品を売るためのパワーになるのが、外部価値とフィルター価値です。
作品を作るために重要なのが、内部価値です。
外部価値を高めたいなら、色んな作品を見てインプットをしたり、作ったものを他者に見てもらったりして、実力とともに予測の精度を高めましょう。絵であれば美術館に行くとか、文章であれば本を読むとかしましょう。賞に応募したり、雑誌に投稿したり、SNSやブログにアップしたり、知り合いや友達に見てもらったりしましょう。
外部価値を高めるのが苦手であれば、フィルター価値を高めましょう。
フィルター価値を高めたいなら、作品だけではなく、自分(の他者にとって価値がありそうな部分)を見せましょう。自分を見せたくないのであれば、賞をもらいましょう。賞がもらえないのであれば、リアルでもネットでもいいので、知り合いや友達を増やしましょう。
自分を見せたくなくて、賞をもらえなくて、人付き合いが苦手なのであれば、作品が売れることはあくまで「おまけ」だと考えて、内部価値を高めていきましょう。
内部価値を高めたいなら、自分がいいと思うものが作れるようになりましょう。作れるようになったら、いずれ飽きます。そうしたら自分がいいと思うものを更新して、ネオ自分がいいと思うものが作れるようになりましょう。その繰り返しです。
実は、内部価値を高めるためには、外部価値が欠かせません。内部価値は、外部価値に支えられています。
でも、たくさんの人にとっての外部価値である必要はありません。たった一人にとっての外部価値でいいのです。
自分にとっていいものを作って、それが誰かにとってもいいものだと分かった時は、気持ちがいいです。その気持ちよさが、創作のモチベーションを高めてくれます。
・やりたいようにやる
内部価値でも、外部価値でも、フィルター価値でも、それを高めようと思ったら、どうしても運が必要です。
自分がいいと思うものが、最後まで作れないかもしれません。自分がいいと思うものが、見つからないかもしれません。自分がいいと思うものを作っても、それをいいと言ってくれるたった一人に出会えないかもしれません。自分の作ったものが、誰にも見てもらえないかもしれません。見てもらえたとしても、評価されないかもしれません。どれだけ頑張っても、賞をもらえないかもしれません。どれだけ頑張っても、知り合いや友達が増えないかもしれません。
自分でどうにかできる部分は限られていて、自分ではどうにもならないことが価値に大きな影響を与えます。そういうことを考えた時、運はどうしても必要なのだと分かります。
運が良くないと売れないですし、自分がいいと思うものも作れないのです。
運も実力のうち、と言いますが、ぼくは、実力も運のうちだと思います。
だから、ぼくは思います。
どうせ運に左右されるなら、もう、やりたいようにやるしかないでしょう。
内部価値を高めるにしても、外部価値を高めるにしても、フィルター価値を高めるにしても、それがやりたいならやればいいし、やりたくないならやらなければいいのです。
・無理をしないのが基本
「いいものが作りたいなあ」とか「作品が売れたらいいなあ」とか「有名になりたいなあ」とか思いながら、行動に移さないのだとしたら、それは「一億円が空から降ってこないかなあ」と思っているのと同じです。
それは、願望はあるが、やりたくないことを無理してやるほどの願望ではない、ということです。であれば、無理してやる必要もないでしょう。
無理をするには、それなりの理由が必要です。ぼくは、相当な理由がない限り、無理はするべきではない思います。なぜなら、無理をするというのはリスクだからです。無理をすれば、経済的に困窮したり、心身の健康を損ねたり、周囲との関係が悪化したりする可能性があります。
なので、行動に移すとしても、無理をしないのが基本です。
やったとしても、どうせ運に左右されます。割に合うかどうかで言えば、合わないことの方が多いでしょう。
「一億円が空から降ってこないかなあ」というのは、「怠け者の夢」です。これを否定する人もいるかもしれませんが、まあいいじゃん、とぼくは思います。夢を見るのは自由です。やりたくないことを無理してやるよりは、全然いいと思います。
でも、夢が叶わなかった時に、八つ当たりをしたり、逆恨みをしたり、こじらせたりしないように注意しましょう。所詮は「怠け者の夢」なのです。「一億円が空から降ってこなかった」という理由で、怒る人はいないでしょう。それと同じです。
また、売れることは怖いことでもあります。変化ですから。それに、誰に何を言われるか分かりません。そういう意味でも、「怠け者の夢」で留めておく方が、行動に移すより賢明な場合もあるでしょう。
・活動そのものの中にある喜び
ものを作るのも、売れるものを作るのも、売るのも、やりたくなったらやればいいし、やりたくなくなったらやらなければいいのです。
当たり前ですが、やったとしても上手くいくとは限りません。でも、やりたくてやっているのだとしたら、上手くいくことはメインではなく「おまけ」です。
結果だけではなく、活動そのものの中にも喜びはあります。その喜びがメインなのです。
ぼくは長年詩を書いてきましたが、机に向かっている時、静寂に包まれたような感覚になることがあって、その瞬間は満たされていました。
また、「いいものができそうだぞ」という手応えがある時は、プラモデルを組み立てる少年のようになっていました。
つまり、充実感があることや、熱中したり没頭したりすること自体が報酬なのです。
このことをどう捉えるかは、その人次第です。
イベントや同人誌に参加して、仲間と出会い、交流する喜びだってあるでしょう。
大きな成果でなくても、友達にウケた時の喜び(気持ちよさ)だって、かけがえのないものです。
たとえ売れなくても、自分なりの喜びを見つければ、創作を続けていくことができます。
第十回 さいごに
創作のいいところは、作品が残ることです。
作品は、自撮りみたいなものです。その時々の好みや思考や能力や感情やアイデアが込められた、内面の自撮りです。
誰かにとっても、自分にとっても、なくてはならないものではありません。あったらいいかも、くらいのものです。
つまり、人生において、作品というのは「おまけ」なのです。
朝起きて、仕事に行って、家に帰って、ご飯を食べて、気が向いたら創作をして、お風呂に入って、テレビを見て、寝る。これは一例に過ぎず実際はもっと多様ですが、そういう日々の生活というのが人生のメインです。
ぼくはその「おまけ」が好きというのもあって、創作をしています。
「おまけ」はプレゼントです。作品ができること自体が、自分から自分へのプレゼントなのです。
プレゼント(作品)がもうあるんだから、欲をかいて売ろうとしなくてもいいじゃん。面倒くさいし。そう思っていても、売りたい、認められたいと思ってしまうのが人間です。
人は、怠けたいし、頑張りたいのです。
やりたいし、やりたくないのです。
そして、どっちが本心なのか分からなくなる時もあるでしょう。
人は矛盾します。
創作の悩みというのは、結局、自分の欲や矛盾とどう付き合っていくかなのだと思います。
無理せず、あまり落ち込まず、気楽にいきましょう。