
短編小説| いつも通りの一日
目が覚める。
そのまま天井を眺める。
なんかスッキリしない。
階下で妻が、
「早く食べなさい」と、子供たちに言っている。
心なしか、声がいつもより柔らかい。
身体が重く、まだ眠い。
渋々起き上がり、カーテンを開け、ブルっと小さく震える。
今日はやけに寒そうだな…。
「おはよう」
妻と娘たちに声をかける。
ついでに、珍しくソファの下から尻尾だけ出してる我が家の猫にも。
「おはよう。危ないぞ」
ツンツンとつつくと、尻尾はすぐに引っ込んだ。
顔を洗い、朝食の席につく。
子供たちは、すでに食べ終わり幼稚園の制服と格闘中だ。
「おはよう。コーヒーでいい?」
「えっ。あ‥うん」
「朝ごはん。しっかり食べてね。
今日も一日頑張ってくれるんだし、パワー出ないでしょ」
「う‥うん」
妻が入れてくれたばかりのコーヒーを手に取り、新聞で顔を隠す。
どうしたんだろう…。
新聞の上からチラッと妻を盗み見る。
いつもなら、
「ほとんど食べてないじゃない。
作ったほうの身にもなってよ」
とか言われたり、残った朝食を
ため息混じりで見るだけなのに。
なにかあるな…と、ちょっとだけ警戒態勢にはいる。
身支度を整え、出発しようとすると
「今日も冷えるらしいから」
と言いながら、いつもならその辺に、ポンポンと投げられている手袋と、マフラーを手渡してきた。
「あぁ。ありがとう…」
と受け取り、手に持ったまま玄関の扉を開く。
「行ってらっしゃい。頑張ってね」
「パパ、行ってらっしゃい」
娘たちには申し訳ないが、今日は振り返らずに扉を閉めた。
通りに出るとお隣の奥さんが、
玄関先の花たちに水をあげている。
いつも、大きな声で
「あら。おはようございます。今日も一日頑張ってね」
と声をかけてくれる、ちょっと年配の女性だ。
けれど、今日はこちらに気づく様子もない。
「おはようございます。寒いですね」
と私から挨拶すると、ちらっとこちらを見たあと、すぐに顔を伏せ、
「あぁ。おはようございます」
とボソボソとした挨拶が帰ってきた。
いつも、無駄に元気でちょっと苦手だなと思っていたけれど、元気がなければないで気になる。
そのまま駅に向かい、いつもの満員電車に乗る。
満員って、定員数があってのものじゃないのだろうか。これは超定員だ。
皆、同じようなスーツ、同じような覇気のない顔、同じような姿勢で、
スマホを見ているのが怖い。
新しいゾンビ映画みたいだなと思う。
怖いと言えば、今朝の妻はなんだったのだろう…。
会社に到着し、受付の前を
「おはよう」と通り過ぎると
「おはようござーす」
雑な挨拶が、無表情で返ってきた。
まだ、仕事モードのスイッチが入ってないのかな。
いつもとのギャップがおかしくて、ちょっと笑った。
「おはよう」
「おはようございます」
そこかしこで朝の挨拶が飛び交う。
私も、デスクに座っていた持田さんに声をかける。
持田さんは、今年入社したばかりの女性社員だ。
「おはよう」
「おはようございます」
とこちらも受付の女性同様、いやそれ以上に無表情。いつもは、これでもかとニコニコ愛想を振り撒いているタイプなのに。
ぼけっとしてると、
「おぅ。おはよう」
と同期の笹倉から肩を叩かれた。
同期とはいえ、いつも何を考えているか分からず、正直ちょっと胡散臭い奴だと思っている。
「あぁ、おはよう」
今朝の違和感をちょっと話してみようかと思ったが…やめておこう。
こいつは、きっと気にしすぎだと
笑うだけだ。
そんなことより、期日が迫っている仕事がいくつもある。
そのうち、少し余裕があるものは
相沢に任せてみよう。相沢とは5期下の後輩だ。
仕事は早いし正確にこなすが、無愛想で何を考えているのか分からない。自分以外の人間は無能だとか思っていそうだ。
まぁ、あいつのコミュニケーション能力が高かったら、あっという間に追い抜かれているだろうな。
ちょっと安心する自分の小ささったらない。
「相沢、ちょっといい?」
「はい」
おっ。いつもは死んだような目でこちらに顔を向けるだけなのに、珍しく返事したぞ。
「この仕事、君にお願いしたいんだけど。期日まで、まだ少し余裕あるし、急がなくていいから」
と、説明しながら書類に目を通す。
「分かりました。任せていただきありがとうございます。頑張ります」
えっ⁉︎と思わず顔を上げる。
笑ってる…。
困惑のまま、情報集めの仕事を持田さんにお願いすると、
「自分でやれよ」ぐらいの表情で、
無言で書類をひったくられた。
いつものニコニコ笑顔は1ミリもない。
胸の中が妙に落ち着かなくなってくる。
みんなどうしたんだ…。
俺が変なのか…。
困惑のまま仕事をこなす。気がつくとパソコンの時刻がお昼休みを告げていた。
顔を上げ、伸びをする。
たまたま笹倉が通りがかり、
「昼行くけど?」
と立てた親指が出口を指している。
一緒に行くか?の顔。
いつもだったら、断っているだろうが、
「あっ俺も行くわ」
と立ち上がる。
「今日は蕎麦だな。蕎麦の気分。
なぁ、蕎麦でいい?」
昼飯を決めるだけで、わちゃわちゃとうるさい。
けれど、こいつはいつもと全然変わらない…。
2人で蕎麦屋に入り、ちょっと贅沢に天ざる蕎麦を注文する。
「蕎麦屋の天ぷらって、サクサクで美味いよなぁ。」
相変わらずうるさい笹倉に、今朝の相沢の様子を話してみる。
けれど笹倉は、
「あぁ、あいつか。不器用な奴だよなぁ。」
と笑うだけだ。
そういえば笹倉は、あまりに不躾な態度のせいで、なにかと批判の的になる相沢のことを、可愛がってるふしがある。
よく絡んでいるのもみるし、仕事を頼んでいるのも見かける。
調子よく褒めて、自分の仕事を後輩に押し付けているのをみては、胡散臭い奴だなぁと思っていた。
笹倉があれやこれやと、話すのを聞き流し、天ぷらと蕎麦を食べ、外に出た。
「じゃあ俺、午後は外回りだから、準備もあるし先行くわ」
小走りしかけた笹倉が、ふと立ち止まる。
「お前はやっぱりすごいよ。
仕事もできるし、同期でも1番の出世頭じゃん?」
「ただ、真っ直ぐすぎるんだよな…。
まっ、そこもいいところなんだけどさ」
1人で勝手に頷き、「じゃっお先」と走り去る。
笹倉に適当に褒められるのは初めてじゃないので、こちらも慣れっこだ。
実は、そういうところも俺が
「コイツ胡散臭いなぁ」と思う理由の一つである。
お昼休みが終わるまで、まだ時間があったので、缶コーヒーを買って近くの公園へ向かう。
そのまま開けることなくベンチに置き、何を見るでもなく、今日の不思議な感覚を思い出す。
日差しがあれば、少しは暖かい……
ーーーふと目を上げると、なんだか景色がぼんやりと見えた。
少し先に、なんだろう…扉?
こんなところに、扉なんてあったかな…。
いや、ここは公園の真ん中だ。扉なんてあるはずがない。
でも、あの扉…どこかで見たような。
あれは、どこだっただろう…。
‥‥そうだ。
昨日の夢であの扉を見た。
でも色が違う…。
扉のプレートには何も書かれていない。
周りを見渡してみるが誰もいない。
いや、違う。
誰もいないどころか、この空間には扉と自分だけだ。
周囲は暗いのに、扉と自分の周りだけはぼんやりと明るい。
開けてみる‥?
昨日の自分はどうしたのだろう。
覚えていない。
ーーー開けてみよう‥。
ノブに手をかける。見た目に反してがっしりと重い。
手前に引くと、ゆっくりと扉が開いた。
扉の向こうにも、何もない‥。
恐る恐る、一歩踏み出す。
2歩目を踏み出した時、扉が一人でに閉まった。
振り返った扉の色は、昨日夢で見たのと同じだ。
プレートには、『心』‥?
だが、確かめようにも
扉はもう消えかかっている…。
ーーー「‥‥さん‥‥きて」
「お兄さん!起きて!」
ハッと目が覚めると、
目の前に知らないおじさんの顔があった。寒い。
「お兄さん、こんなところで寝てたら風邪ひいちゃうよ」
そう言って、歩きさる。
反射的に腕の時計を見る。
公園に来て、20分ほど経っている。
ホットで買ったはずのコーヒーは、すっかり冷えていた。
「戻らなきゃ…」
ぽそっと呟き立ち上がる。
会社に着くと、笹倉がちょうど外回りに出て行くところだった。
「何お前、今戻り?じゃ俺行ってくるわ。」
いつもの調子で出て行く。
受付の前を通ると、
「あっおかえりなさい。おつかれさまです」
満面の笑顔で声を掛けられ、思わず苦笑いになる。
デスクに戻ると持田さんから、
「頼まれた資料、データで送ります」
いつもの笑顔で声がかかる。
相沢に進捗を確認する。
「相沢、分からない箇所ない?」
「はぁ」
パソコンを覗き見ると、完璧すぎるほど進んでいる。
「頑張ったな。ありがとう」
伝えて行こうとすると
相沢はまた
「はぁ」とだけ言った。
にしても、午後は皆いつもと変わらない。
なんとなく相沢のほうを振り返る。
気のせいか、パソコンに映っていた彼の顔が、すごく誇らしげに喜んでるように見えた…。
まっすぐ帰る気になれず、駅前で一杯だけ飲んだ。
店を出る時に妻へLINEを送り、また寒い帰途につく。
歩きながら、例の扉のことを考える。あれは結局、なんだったのだろう‥。
外は寒いけれど、アルコールのせいか体は暖かく感じる。
「早く帰ろう…」そう呟いて、
温もりを逃さないよう、マフラーをグイッと口まで引き上げた。
「ただいま」
「パパおかえり〜」
猫を追いかけ、走り回りながら叫ぶ。いつも通りだ。
お疲れ様の眼差しを猫に送る。
キッチンにいた妻は
「また、飲んできて。いい加減にしないと知らないからね」
洗い物をしながら、言葉だけを飛ばしてくる。
けれど、なぜか今日はその言葉を聞いても小言には聞こえなかった。
リビングに沸かし直しの終了を知らせる音が鳴り、
冷えた身体を温めに風呂場へと向かう。
いつも通り、洗い立てのパジャマと柔軟剤の香りがするタオルが無造作に置かれていた…。