
【ミステリー小説】ライオンと虎|第三章「ショック」|読書好きや初心者に読んでもらいたい王道ミステリー
第三章「フェイク」
肌寒い朝だった。雨で残暑が洗い流され、放射冷却の存在を再認識する。気分は落ちてはいなかった。今日はバターを塗ろう。ニュースではすでに次の話題へ移っていた。事件の存在が忘れ去られてしまうことは、先入観のない意見を聞けるので好都合とも言えるが、関心がない話題には非協力的な人も多いので難しいところである。そんなことは置いておいて、何より今日はデートである。
いつも九条を悩ませるのが服装である。以前ならなんの恥ずかしさもなく履けたスキニーも今では躊躇ってしまう。結局当たり障りのない服装を選んだ。
集合は10分も早く着いたつもりだったが星野はすでにそこにいた。女ってのは隙を見せない生き物だな。
「あ、おはようございます。」
「もうこんにちはじゃないのか?」
「もう、細かいことはいいから、ほら、行きましょ。」
それからは一瞬だった。どちらもいい歳した大人だが、水族館はとても楽しめた。いや、星野とだから楽しめたのだろう。28にも春は来る。数年ぶりに心が躍った。
一回目のデートで告白するのは流石にやり過ぎだろうか、でもこの気持ちをうちに秘めておくのはとても体に良いこととは思えない。気づけばあたりは暗く夕飯の時間になっていた。予約して置いたそこそこの値段のフレンチレストランに入った。
「うわぁ、こんな綺麗な場所ならもっと上品な服着てくればよかった。」
服を隠すように背中を丸めながら星野は言った。
「別に気にしなくていいよ、そんなたいそうなご飯じゃないし。」
それから互いの身の上話をした。星野は高校の時父を亡くしたらしく、残されたのは借金だけで現在は母とともにこの辺りの祖父母の家に暮らしているという。
「私頑張ってお金を稼いで家を買いたいんです。私たちは親戚から良い目で見られてなくて…。そりゃあお荷物ですもんね。」
「借金の返済は残ってるの?お金を残して欲しかったもんだね。」
我ながら酷い返答だ、と九条は反省した。内心苛立っているのかもしれない。こんなにも若い子がこんなに頑張っているのに理不尽な思いをしないといけないなんて。
「父のことは恨んでないんです。頑張ってましたから。こんな理不尽な社会を変えるために警察になったんです。」
机の上を見つめながら星野は少し恥ずかしそうに言った。
とても立派だ。なんだか泣きそうになってきた。彼女はこんなにも赤裸々に話したくれたんだ。俺もそろそろ話すべきかもしれない。
「俺は後悔してることがあるんだ。」
「え、」
「11年前、市街地で高校生が拉致された事件を知ってるか?」
「拉致…、あぁ女子高生一人が殺害されたっていう。」
「そうそれだ。その被害者実は俺の元カノなんだ。」
「元カノ!?」
「あの時俺はその子と一緒に誘拐されてね。二人して手錠に繋がれたんだ。」
星野が真剣な眼差しで見つめる。
「俺は無理やり手の肉を削いで抜け出し、その子を置いて自分一人で逃げたんだ。必死だったんだ。警察を呼ぶことが俺ができる唯一のことだと思った。だがそれは失敗だった。犯人は相手を選ばずに殺していくイカれた野郎だった。警察が着いた頃には見るに耐えない姿だったそうだ。」
九条は手に持ったナイフを握りしめて言った。
「お気の毒ですね。」
母親が子を落ち着かせるときのような同情と慈愛の溢れる口調であった。
「彼女は俺のせいで死んだんだ。だから俺は刑事を目指した。二度とクソみたいな犯人に好き勝手させないように。」
「九条さんのせいじゃないです。」
「ありがとう、少ししんみりしてしまったな。」
「ご飯の後、時間ありますか私行きたいところが…」
ブブブブゥ、ブブブブゥ、と九条のポケットからなる音が星野の台詞をかき消した。
「すまん、電話だ。」
星野は何食わぬ顔でどうぞと手を差し出した。
ここ最近新聞を見るのを忘れていた。そういえばこの違和感そろそろあれが来る頃だ。
「鏡さんだ」
星野は目を丸くした。
「夜遅くにすまん。また見つかったそうだ。同じだよ。」
九条の勘は外れたことがなかった。
九条は署に着いたとき呆然とした。
亡くなったのはO県O市北区旭浦町在住の57歳男性。竹を使った同じ釣り竿型の仕掛けが施されていた。遺体は二度目の事件現場付近で見つかった。しかし警察の目を掻い潜るように地域住民でも立ち寄らない場所で発見された。第一発見者はその山の所有者で買い物に行くために山を越えようとした際に発見したそうだ。
何より驚くべきことは、
「星野吾郎って、まさか」
「えぇ、私の叔父です。」
星野の声は震えていた。
星野はしばらく黙り込んでいた。無理もない。昨日まで同じ屋根のしたで暮らしていた叔父が死んだのだ。かける言葉もなかった。