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Photo byshigekumasaku

双極性感情障害の母/今の私/エッセイ/気持ち/114 休みの理由を考える数秒のこと


    不妊治療という、簡単には言葉にできないテーマについて、少し書いてみようと思う。

    結婚が遅かったこともあり、私はずっと「子どもを産み育てる」ということに、人よりも少し重い責任のようなものを感じていたのかもしれない。

    傷つけたくない。苦しませたくない。そんな気持ちが先に立って、自分は子どもを育てるような“ちゃんとした人間”ではないのではないか、とどこかで思っていた。

    だから正直なところ、子どもはいなくてもいい、とさえ思っていた時期もある。

    不妊治療というものは、子どもを強く望む人が、痛みや辛さを抱えながら進んでいくもの——そんなイメージだった。

    そして実際、それは身体にも心にも、そして経済的にも簡単なものではない。

    それでも今、私はクリニックに通っている。

    自分の体を見つめ直してみると、筋腫やポリープ、嚢腫など、妊娠を妨げるものがいくつも見つかった。

    「そりゃ、自然に授かりにくいわけだ」と、どこか静かに納得してしまう自分がいる。

    そこにさらに、今年39歳という現実も重なる。

    時間は、ゆっくりではなく確かに流れている。

    職場のことを考えると、どう伝えたらいいのか少し身構えてしまう自分がいる。

    休みを取るとき、理由をどうしようかと一瞬だけ考えるあの時間。ほんの数秒のことなのに、少しだけ息が詰まるような感覚がある。

    きっとそれは、このテーマそのものが重いからというより、まだ気軽に言葉にできる空気ではないと感じているからなのだと思う。

    もしもう少しだけ、体調のことや治療のことを自然に言葉にできて、当たり前に受け止めてもらえる環境だったなら、ここまで構えずにいられるのかもしれない。

    不妊治療は、もっと肩の力を抜いて、もう少しだけ笑いながら向き合えるものでもいいのではないかと思う。

    私のように、重く抱え込みすぎず、淡々と、時々冗談を言いながら進んでいく人がいてもいい。

    そして、できることをやったうえで、もし授からなかったとしても、その先の人生の楽しみ方をちゃんと選んでいける自分でいたい。

    すべてが、必ずしも「辛さ」で塗りつぶされる必要はない。

    もちろん、苦しいと感じる瞬間はある。

    そのときには、夫や友人にそのままの気持ちを話せる関係でいたい。

    我慢して飲み込むのではなく、静かにでも、正直に言葉にできること。

    心くらいは、もう少し自由でいていいのかもしれない。

    未来のことはまだ分からない。

    でも、どんな結果になったとしても、

    自分の人生を「足りなかったもの」だけで見つめ続けなくていいように。

    いつか、自分なりの幸せをちゃんと抱きしめながら暮らしていけたらと思う。



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    ri.yu.

     
     
    はじめまして。 30代後半の会社員のri.yu.です。 母の双極性感情障害と向き合う中で見つけた過去の小さな気づきや心の晴れ間をゆるっと書いてます。最近は私の日常の中の幸せも書き留めています。 補足︰約18年前の事を思い出しながら書いています。母は現在も闘病中です。

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