メインコンテンツへスキップ
見出し画像

「人生はチョコレートの箱と同じ」とキム・サムスンは言った

    義姉の言葉、その夜

    電話を切った。夫はまだ知らない。
     
    リビングに一人で 座って、とりあえずテレビをつけた。韓ドラがついて いた。気づいたら、泣いていた。
     
    「きっと私は、この家の一員には含まれていない、 多分」という感覚だけがあった。 なぜ泣いているのか、自分でもよくわからなかった。
     
    怒りでもなく、悲しみでもなく、ただ何かを 口の中に放り込まれたような感覚だけがあった。
     
    チョコレートは、ミルクチョコが好きだ。色々な高級チョコもあるが、やはり定番のミルクチョコ(少し甘みが強いアレ)が好みだ。
     
    でもこの日は、あまり得意ではない苦いお酒がつまったチョコレートボンボンを、いきなり口の中に放り投げられたような気分になった。
     
    吐き出したい感覚はあったが、厳格な両親のもと一度口にしたものは嫌いなものでも食べきりなさいと言われ育った私なので、このチョコレートボンボンを静かに飲み込んだのである。

    2006年、キム・サムスンとの出会い

    みんなが「冬のソナタ」に夢中だった頃、私が選んだのは別の作品だった。
    義母はヨン様の大ファンで、韓ドラの話でよく盛り上がった。
     
    お笑い芸人がヨン様のかつらとマフラーをつけて、ドラマのパロディをやっていた頃、義母は本気で怒っていた。
     
    「こんな風に変じゃない。なんでこうするんだろうね」その横で笑っていたら「笑えないよ」と私まで怒られた。
     
    そんな義母と、キム・サムスンの話はしなかった。冬のソナタ派と、サムスン派。でも韓ドラが好きだ、という気持ちは同じだった。 
     
    「冬のソナタ」は嫌いではないが、ついつい・・・

    喫茶店の中で話すとき、なぜ上着とマフラー取らないの? とか、「今すぐ行く」と言って、場所も聞かずに相手の場所になんでいけるの?

    シーンごとに突っ込みどころが多くて、ドラマを見ながら「ヨン様」に問いかけてしまうところがあったからだ。

    私が夢中になったのは「私の名前はキム・サムスン」だった。

    30歳、ちょっとぽっちゃりしたパティシエ。彼氏に振られ、婚期を逃した等身大の女性が主人公。

    細くてきれいでキラキラした「完璧ヒロイン」ではない。ブリジット・ジョーンズを彷彿とさせる、いやそれ以上か。
     
    このドラマの核心は、チョコレートの箱のセリフだと思っている。
    「チョコレートの箱は人生と同じ。甘いものも、苦いラム酒入りも入っている。でも自分の箱だから、自分で全部食べきるしかない」
     
    フォレスト・ガンプの「人生はチョコレートの箱」をベースに、サムスン流にアレンジされたこのセリフ。

    チョコ=出来事、箱=自分の人生。与えられる人生ではなく、自分で選んで味わう人生、というテーマ。
     
    冬のソナタを見ながら「なぜ上着を脱がないの?」と画面に問いかけていた私には、このドラマのヒロインの方がずっとリアルだった。
     
    東日本大震災の翌年、私たちは勝浦へ移った。
    ーーー
    引っ越し当日、荷物を運んでくれた業者さんが、ベランダから海を見て言った。

    「メチャクチャオーシャンビューじゃないですか。うらやましいっす」
    その言葉で初めて、ここに来てよかったかもしれない、と思った。

    エルマーのぼうけん

    独身時代、年長クラスを担任していた頃の話。持ちあがりの4月から毎日少しずつ読み聞かせた絵本があった。

    9歳の男の子が、機転をきかせて危機を乗り越えていく冒険物語「エルマーのぼうけん」である。1冊読み終えたら子どもたちが、また読んでとリクエストした。そしてまた読み終えるとリクエスト・・・

    正直「えっ?また読むの?」と、こちらがうんざりするぐらいその話が子どもたちの心の中に深く入り込んでいったのには驚かされた。
     
    もともと私が本を読むことが好きだったこともあり、年中組の時から、読み聞かせに色々な本を読んできた。

    「ぐりとぐら」「はじめてのおつかい」「グリーンマントのピーマンマン」等々どれも子どもたちは大好きだったのだが、当時の子どもたちにとって、この本だけは少し違っていたようだった。
     
    この時期、私は読み聞かせの本は毎回違わないといけないと思っていた。たくさんの物にふれさせることが、子どもの感性を育てると信じていたからだ。
     
    でもそれは大人の考え方だと、この一年で気づいた。

    子どもは同じ絵本の中で、毎回違う世界を見ている。同じストーリーを繰り返す中で「なぜこの子は怒っているの?」「ここで怖いって思ったのかな?」と、登場人物の気持ちや因果関係を自分なりに組み立て直している。

    好きな絵本は、食いつきが違う。目の輝きが違う。結局1年間、同じ本を読み続けた。

    秋には制作展というのがありクラスごとに作った作品を展示して保護者に見てもらう展示会があるのだが、その年は段ボールで、物語に出てくる「竜」を作り盛り上がった。

    部屋のほぼ半分のスペースを使う様な大掛かりな「竜」が出来ていた。
    発表会でもエルマーをやりたいというリクエストがあり、「エルマーのうた」を私が自作して、みんなで踊った。

    配役を決める時にエルマーになりたい子たちが多くて人選に苦戦した思い出がある。発表会後もしばらくそのダンスがクラスで流行っていた・・・懐かしい・・・

    卒園後、しばらくして保護者から「エルマーのおかげで、うちの子、本読むのが大好きになりました。先生のおかげです。ありがとうございました」と言われた。

    思ってもいなかった言葉だった。「先生のおかげです」という言葉は、照れくさくて、でも胸の奥がじんわりとあたたかくなる不思議な響きだった。

    ページをめくるたびに紡いできた時間は、ちゃんと子どもたちの中で物語になって生きている。

    一冊の本が、子どもの世界を広げていく・・・その小さな奇跡のそばにいられたことを、 今でも誇りに思っている。

    そんな私が、保育の仕事を一度離れることになるとは、 この頃は思ってもいなかった。

    働く場所がなくて、保育園へ

    結婚してからは、近所の蕎麦屋でパートをしながら、午後からは韓ドラを満喫するライフスタイルが定着していた。

    周りからの「きちんとした会社で働いた方がいい」という圧力もあり、船舶会社で正社員として働くことになり、韓ドラ漬けの昼下がりタイムは終わりを迎えた。

    この頃は、もう子どもと関わる仕事にはつかないだろうと思っていた。

    2011年、東日本大震災。

    「人っていつ、どうなるかわからないよね」という夫の言葉に、単純に「確かに」と思った。

    海の近くで穏やかに暮らしたいという夫の夢と縁が重なり、私たちは勝浦へ移った。そこで思いもかけないことがあった。働く場所がなかった。
     
    パートを探しながらまた韓ドラ三昧を味わおうと計画を練っていたが、失敗した。免許を使うしかなかった。近くの保育施設への就職は、保育士不足もありすんなり決まった。

    望んで選んだわけじゃなかった。それが正直なところだ。気づいたら、13年経っていた。独身時代の5年と合わせると、18年間、子どもの前に立ち続けていた。

    消極的に始めたライター

    アフィリエイトを始めたのは、お金のためだった。
    転居して初めて知ったのだが、都会と田舎では給料がまるで違う。保育所のボーナスが、正社員時代の月給より低かった。
     
    正直、少しショックだった。インターネットを使ってできる仕事、「書く」仕事しかなかった、というのが本音だ。
     
    やっているうちに気づいた。「書くこと、嫌いじゃないかも」と、嫌なことなら続かない。「書く」ことと「韓ドラを見る」こと、この二つだけは私の中でずっと続いている。
     
    数年後、子ども向け学習教材の記事公募があった。保育士だから書けるかもと、試しに2本応募したら2本とも受賞してしまった。

    「してしまった」のは、受賞するとは思っていなかったからだ。 
    えっ、私もしかして書く才能あるの?すっかり調子に乗った。
     
    その後、バズ部(株式会社ルーシー)の契約ライターとなり、ライティングとSEOを基礎からみっちり叩き込まれ、「もしかして才能あるの?」という自己満足は、あっけなく打ち砕かれた。
     
    しかし、そのしごきが、今の私のライティングの財産になっているのもまぎれもない事実だ。保育士も、ライターも、全部消極的に、なんとなく、始まったことだった。

    義姉の言葉とキム・サムスン

    電話を切り、再放送のキム・サムスンをつけた。
    ——あの夜の続きだ。
     
    義母が亡くなった。葬儀を済ませしばらくして、
    「実家に戻らなくてはいけないね」と夫がつぶやいた。
     
    私はずっと言い出せずにいた。
    あの日、電話口で言われた言葉を。
     
    「子どもがいないんだから、あなたたちは、継ぐ資格なし」
    嫁いで、家族として長年接してきた人から突然かかってきた電話で言われた言葉としては、アクが強すぎた。
     
    苦すぎて、食べきれないと思った。電話を切り、再放送のキム・サムスンをつけた。画面の中でサムスンが、チョコレートの話をしていた。

    人生はチョコレートの箱と同じ。
    開けてみるまで何が入っているか分からない。
    いつ、どのチョコレートを食べるか。
    それを決めるのは、私自身なのよ。

    ——韓国ドラマ「私の名前はキム・サムスン」より

    亡くなった義母は、どう思っていたのだろう。
    そういえば昔、義母と一緒に見て笑ったセリフだった。
    そう思ったら、涙があふれてきた。
     

    私の箱の中のチョコレート


    私が手にした箱の中にも、たくさんのチョコレートが入っていた。
     

    エルマーを1年間読み続けた子どもたち。
    田舎への移住。
    好きで選んだわけじゃない保育士の仕事。
    消極的に始めたライター。
    義姉の言葉。
     

    ラム酒入りのチョコもあった。ナッツ入りのチョコもあった。
    保育園では18年間、確かに私はそこにいた。
    子どもたちは本を好きになり、「韓ドラの館」は今日も小さく回り続けている。
     
    エルマーは機転をきかせて竜を助けた。9歳の男の子の冒険物語を、私はあの一年、何度も何度も読み聞かせていた。

    振り返れば、あの頃からずっと、私もまた自分の物語を手探りで進んできたのだと思う。
     
    ラム酒入りでも、ナッツ入りでも、どんなチョコレートを口にするかを選ぶのは、他の誰でもない、この私だから。

     
    今夜もきっと、韓ドラをつける。


     
     
    Webライター歴7年×現役保育士|SEO検索1位・リピート率80%|記事コンテスト最優秀賞。 「現場の解像度」が高い記事で企業様より指名依頼多数。 ※画像はAI生成+独自編集で制作 👇実績・執筆依頼(ポートフォリオ) https://babysnugle.com/

    あなたへのおすすめ