
「人生は無理ゲー」と悟った虚弱女、30代で最高の「余生」を手に入れる
プロローグ:30代で余生を生きる
「あぁ……これが余生かぁ」
ここ数年、私はふとした瞬間にそう感慨深くなる。
現在、私は37歳。
世間一般の基準に照らせば、30代という時期は「人生の盛り」であり、キャリアを積み上げ、馬力をかけて働くべき「頑張り時」だと見なされるのが常だろう。
しかし、私は35歳を過ぎたあたりから、すでに自分自身の人生を「余生」として捉え、その感覚の中で日々を過ごしている。
普通の人からすれば早すぎると思われるかもしれないが、私はこの年齢にしてすでに、「残りの人生をいかに生きるか」という静かな問いと向き合い始めているのだ。
37歳虚弱女にとっての「余生」とは
私にとっての「余生」とは、決して隠居のような寂しい生活を指すのではない。
それは、一切の荒波が立たない「凪(なぎ)」のような生き方のことである。
凪とは、風がぴたりと止み、海や湖の水面が鏡のように静まり返って波が消えた状態を指す言葉だ。
物事が落ち着いて穏やかであり、心や人間関係が平和に安定しているその様子こそが、私の理想とする人生の在り方である。
これまでの私を苦しめてきたあらゆる悩みの原因から解き放たれ、自分だけの時間を平穏に享受するイメージ、それこそが私にとっての余生なのだ。
生きづらさから「凪な余生」を求めるように
私が30代で「余生」という凪の状態を熱望するようになったのには、明白な理由がある。
それは、私が生まれ持った「生きづらさ」と、それゆえに激しすぎた感情の起伏から逃れ、真の平穏を求めていたからに他ならない。
振り返ってみれば、これまでの私の人生は、どうあがいても波風が立たざるを得ない環境だった。
私は幼い頃から繊細気質、感覚過敏で、常に他人の目を過剰に気にして生きてきた。
周囲の人々が当たり前にこなしていることが、自分にはどうしてもできない。そんな自分を責め続け、慎重すぎる性格と脆弱なメンタルに苦しむ日々が続いた。
私の心のキャパシティはあまりに狭く、普通の人と同じように振る舞おうとするだけで、すぐに限界を超えてしまうのだ。
まず、学生生活。
それは、私にとってサバイバルゲームだった。
学校という場所は、クラスという極めて狭い閉鎖的な集団の中で、否応なしに「なかよしのお友達」を見つけ出さなければならない場所だった。
もしそこで気の合う相手を見つけられなければ、最低でも1年間、毎日地獄のような生活になる。
わずか十数人という限られた選択肢の中から、魂が共鳴するような友人に巡り会うことなど、本来は奇跡に近い難業であるはずだ。
それなのに、無理をしてでも「なかよしグループ」を作り上げ、そこに属さなければ学生生活というサバイバルを生き抜くことができない。
今になって思えば、それはあまりに理不尽で、個人の尊厳を削り取る「無理ゲー」のようなシステムであったと言わざるを得ない。
高校生の頃には、完治が難しいとされるメンタル疾患とうつ病を患い、死にかける経験もした。
生きているのに、身体も心も死んでいた。
「生きることはこれほどまでに辛いのか、一体何のために自分は存在しているのか」という問いが、常に頭を離れなかった。
学生生活というサバイバーゲームを卒業してからも、私の心に平穏が訪れることはなかった。
会社での人間関係は、学生時代の人間関係以上に過酷で、私の精神を摩耗させた。
上司の些細な機嫌を伺い、たとえ生理的に受け付けないほど嫌いな相手であっても、同じ空間で何時間も一緒に過ごさなければならない。
さらに、上司からの執拗なモラハラや、顧客からの理不尽なカスタマーハラスメント。
こんな会社員という名の会社の奴隷のような生活をあと40年も続けなければならない、という事実を突きつけられたとき、私は心底絶望した。
こんな不安定な環境の中で、心が凪の状態を保てるはずがなかった。
さらに、人生に最も激しい波風を立てるのが「恋愛」という嵐である。
相手の何気ない一言や挙動に一喜一憂し、夜も眠れないほど悩み抜く。
そして別れが訪れるたびに振り出しに戻り、またゼロから他人と関係を築き直さなければならず、深い落胆に襲われる。
これらは世間一般的な社会人生活を送る普通のあれば、誰もが抱える悩みかもしれない。
しかし虚弱な私にとっては、その一つひとつが耐えがたい波風に感じられたのだ。
病んでいく心の中で、私は何度も「何のために生きているのか」を自問自答した。
その果てに辿り着いた答えは、至極シンプルな真理だった。
「私は幸せになるために生きているのだ」と。
そして私にとっての幸せとは、華やかな成功などではなく、「健康、平穏、自由」の3点に集約されることに気付いたのである。
盾としての資産、平穏への戦術
感覚過敏でキャパが狭く疲れやすい虚弱女にとっては、平穏こそが人生において最も重要な要素である。
私がメンターとしている哲学者ショーペンハウアーも、その哲学において、「感情を一定に保つこと」こそが人生のあらゆる苦悩から逃れ、幸福を手に入れるための最大の鍵であると説いている。
では、具体的に平穏な人生を手に入れるためには、何をすべきか。
私が出した結論は、「十分な資産を貯めること」「不労所得を得るシステムを作ること」であった。
平穏な日々を送るために、お金は必要不可欠な道具である。それは贅沢を謳歌するためではなく、人生における「苦痛」や「不幸」を避けるための盾として機能する。
資産を作るため、20歳の頃から息をするように倹約を続けた。
月5万円で楽しく暮らせる仕組みを作り、手取り20万円の低収入でも毎年200万円程貯金。
28歳からは、貯めた2,000万を元手に資産運用を開始した。
基本のインデックス投資に加え、日本高配当株投資で定期的に配当金がもらえるシステムを構築。
資産形成をした結果、37歳の現在、資産は7,000万円を超えるに至った。
この資産や不労所得があるからこそ、私はお金に困ることなく、不快な環境や不幸を避けることができ、凪のような心を保てるようになったのだ。
「いつでも仕事を辞められる」「働かずに生きていける」という絶対的な選択権を握っていること。この事実こそが、私を理想とする平穏な人生へと近づけてくれている。
お金そのものが私に直接的な幸せを運んでくるわけではない。
しかしお金があれば、人生から「不幸」や「苦痛」を取り除くことができるのだ。
だからこそ、凪のような余生を生きるためには、資産形成は避けて通れない必須のプロセスだったのである。
エピローグ:30代で辿り着いた理想の「凪な余生」
今の私の日常は、かつての嵐が嘘のように静まり返っている。
職場の人間関係は良好。
仮に明日会社を早期退職したとしても、十分に生きていけるだけの資産と不労所得を築き上げることができた。
もし職場の環境が悪化し耐えがたい状況になれば、すぐにでもその場を立ち去る自由が私にはある。
人生の選択肢をもっていると、心に余裕ができる。
また、私の性格を理解し、共に歩んでくれる生涯のパートナーにも巡り会うことができた。
お金に対する根源的な不安も、もはや存在しない。
それは単に7,000万円という数字があるからだけではなく、定期的に入金される配当金という仕組みがあるからだ。
そして何より、「たとえ少ないお金でも楽しく暮らしていける」という、確固たる自信を自分の中に育てることができたからだ。
私のこれまでの歩みは、決して強者の歩みではない。
むしろ、人より弱く、人より疲れやすく、人よりキャパシティが狭い、そんな不器用な人間としての歩みだった。
けれど、そんな「弱い自分」なりに、今日まで十分に頑張って生きてきたのだと、今は自分自身を認めてあげたいと思う。
37歳、ここから先の時間は、私にとってのご褒美のようなものだ。
誰にも邪魔されず、誰の機嫌も伺わず、自分が一番息をしやすい環境で、穏やかに時を刻んでいく。
かつての荒れ狂う海を乗り越え、ようやく辿り着いたこの「凪」の海で、私は私らしく、より平穏な余生を静かに生きていこうと思う。
読んでいただきき本当にありがとうございます🍀
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🌷FIREめざすちゃん🌷
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