
あらすじ
自傷行為をやめられない女子高校生・伊澤菜乃葉。
菜乃葉は、忘れてはならない罪を心の奥で抱えながら、恋愛好きで明るい高校の友人・持田美玲と過ごすことで、平凡な日常を取り戻しつつあった。
ある日、菜乃葉たちが通う高校の近くで、連続放火事件が発生する。独特な雰囲気をもつ塾講師・井田聖哉が怪しいと踏んだ菜乃葉は彼に迫るが、やがて事件は思いもよらぬ形で彼女の日常を蝕んでいく。
後戻りのできない“音”に魅入られた者たちが辿り着く結末とはーー。
プチン
その音は2種類存在する。
何度も繰り返せるものと、不可逆なもの。
その内、不可逆なものへの魅力に取り憑かれる人間が一定数いる。取り憑かれてしまえばもう、後戻りはできない。
へその緒が切れて、私たちが生まれるように。
・・・
「ねぇ、伊澤さんそれやめなよ〜」
私の左腕を見て、塾講師の永野歩美は軽々しく言った。
「何を?」
わからないふりで、私は講師室のドアに寄りかかる。
季節は冬。
受験シーズンで、自習室では受験生たちがピリピリ勉強しているなか、私は呑気に英語の宿題を解いていた。
受験まではあと1年ある。
中学にきちんと行けていない私を心配した親が、高校進学と同時に私をこの塾にいれた。だが、勉強をサボるのもお手のものだった私は、講師室の前で先生と話をするのが日常である。
「見てるこっちが痛いんだよね〜」
「だから何が?」
「んも〜わかってて言ってるでしょ〜」
歩美先生はこの塾に半年前に入ってきた新しい先生だ
。彼女は初めて会った時、私の腕の傷に気づくと目を見開いて、理解できないというような悲しい顔をした。
この人は、幸せな人だ。
そこそこ可愛くてチヤホヤされて、そこそこ普通に勉強したらいい大学に受かって、そこそこ親がお金もってて。近い将来、結婚して家庭を築いて、そうやって一般的な幸せのレールに沿って生きていくのだろう。
講師用の白衣から覗く花柄のワンピースが、彼女の全てを物語っている。
「っていうか、敬語使いなさいよ〜。あなたより後に入ったとはいえ先生なんだよ〜」
「いや、大学生でしょ?」
「まぁ、そうだけど〜。も〜可愛くないなぁ〜。ほら、そろそろ授業はじまるんだから、あなたも教室向かいなさ〜い!」
彼女はそういうと、丁寧に巻かれた髪をなびかせて、講師室を出ていった。彼女の言葉を反芻し、改めて自分の腕を見る。
「これは…やめれないよ……。」
中1の冬、頭の中でそれは鳴った。
私なんかより、辛いのはあの子だったはずなのに。
カッターを手にして、左手首にあてた。自分の痛みなんてどうでもよかった。
この傷たちは、彼女の苦しみを一生抱えなければいけないという戒めだ。
「おい、授業はじまるぞ。」
その言葉に振り返ると、井田聖哉がだるそうな顔をして立っていた。
彼は私の授業のほとんどを受けもっており、中高のどの教科も教えることができる聡明な講師だ。誰もが知る有名な大学を卒業しているそうだが、なんでこんな田舎の塾で講師なんてしてるのだろうか。やる気があるならまだしも、いつもダルそうだ。そんな態度なのに、誰よりも授業がわかりやすいのが少し癪である。
「えー、勉強なんて、何のためにするの?」
「何のためかなんて俺も知らねぇよ。したくないならしなくていい。勉強できる環境があることは、何より贅沢なんだからな。」
「冷た。え、冷た。凍え死にそう。…で?次の授業なんだっけ?現代文?」
「ばか、数学だろ。早くしろ。」
雰囲気のある瞳が、私から視線を外した。聖哉先生はカッコつけているわけではないが、妙に独特なオーラのようなものを放って、颯爽と教室へ向かう。
その後ろを私は、おちゃらけた態度でついて行った。
・・・・
「あーーー!誠くん!愛しのイケメン!どうしよう!」
放課後の誰もいない教室で、クラスメイトの持田美玲は恥ずかしげもなくそう言った。
窓からは夕日が差し込み、彼女はその光を定規に反射させて、黒板に書かれた「日直:蓮華誠」の文字を照らしている。
私たちが通う羽上高校では、二学期末の試験がもうすぐはじまる。一緒に勉強しようと言ってから1時間。まともに勉強したのは最初の10分くらいだっただろうか。いつの間にか美玲お得意の恋バナがはじまっていた。
「やっぱイケメンていいよね!目の保養!」
「そう…?」
「え?花の女子高生が、イケメン男子に興味ないの!?」
「誠は1年の頃、同じクラスだったけど、別に普通の男子高校生だよ。てかむしろイケメンは苦手。」
「えー!そうかなー?けど、その考えは菜乃葉っぽーい笑」
顔がいい人は、自己肯定感が高い。生まれた時から可愛がられ、周囲の人間から自然と好かれていく。その過程で性格は悪くなるか、無自覚に周りを傷つける良い奴風になるのが筋だ。誠はどちらに属すのかなんて、あまり話したことない私にはさっぱりわからない。というかあまり興味が無い。
「菜乃葉は好きな人とかいないのー?」
「うーん。恋愛かどうかは置いといて、気になる人がいないことは無いけどねー」
「え!いるの!だれ!」
「美玲は知らない人だよ」
「なにそれ!教えてよ!どんな人ー!」
「えー、どうしよっかなー。まぁじゃあ
勉強も飽きたことだし、カフェで続き話そ!」
「やった!行く!聞く!」
美玲は参考書とノートをしまい、流行りのうさぎのキーホルダーをつけたカバンを揺らした。ミーハーな彼女は流行に敏感で、いつも広く浅い情報をたくさん共有してくれる。私は流行に疎いため、半分聞き流しながら、半分聞いた振りをしている。つまり何も聞いていない。だが美玲のこの明るさに助けられることが多いのも事実だ。
性格は似ていないのに、なんだか分かり合える部分が多く、一緒にいると落ち着く存在だ。
学校から徒歩15分ほど、羽上駅の改札前通路を北口から南口へ抜けてすぐの所に、美玲のお気に入りのいつものカフェがある。そこに着くといつもの店員さんが、窓際の席に案内してくれた。水はセルフで注ぐタイプで、机に置いてあった為、コップを取ろうと左手を伸ばしかけ、袖がめくれてしまうことに気づいて、右手でとることにした。学校ではこの傷のことは隠している。あくまで、普通でいるために。水を注いで美玲の前に置く。
「…ありがと〜。てか、さっきの店員さん、やっぱイケメンだよね〜」
「あぁ、だからよくここのカフェになるのか」
「あたりー!あわよくばを狙い中〜」
「すごいねそのメンタル。羨ましいわ。」
「えへへ〜!で!菜乃葉の気になる人って!?誰?教えて!」
「褒めてないよ?私の気になる人ね〜、美玲は知らない人なんだけど、なんか独特な雰囲気してて、ミステリアス?で、目が合うと吸い込まれちゃいそうな人なんだよね〜。」
「なにそれ、気になる!何処であった人?今度会わせてよ!」
「どこかは秘密〜会わせることはちょっと難しいかなー?」
「うぇぇえ!菜乃葉のケチ!」
気になるというのは、気になるというだけで、単純に好きというのとは少し違うような気がしている。だから美玲にはハッキリと伝えないことにした。まぁ、聖哉先生の事なのだが。普段何を考えているのか分からなくて、何が好きで、何が嫌いで、どんな過去があって、どうやって生活するのか、彼女はいるのか、いたらどんな接し方なのか。…なんだ、結局恋愛かよ。と自分にツッコミをいれた。
少し経って、美玲のいちごシェイク、私のカフェラテがテーブルに置かれた。美玲はまた別の話をし始め、小一時間程カフェに滞在した。
空っぽになったグラスを見つめあい、帰る雰囲気になった。高校から徒歩3分という羨ましいほど高校に近いマンションに住んでいる美玲は、羽上駅の改札までついてきた。私が改札を抜けて振り返ると、美玲が笑顔で手を振っていた。
「また明日ね〜」
「はーい、またね〜」
「あ、私忘れてないからね!菜乃葉の気になる人!」
「しー!声でかい!」
「あはは!またね〜!」
恥ずかしいったらありゃしない。いたずらっぽい笑顔のまま美玲は南口方面へ走って逃げた。その後ろ姿を軽く睨みながら、まぁ美玲のことだから仕方ないと、ホームへ向かった。
・・・・
家に着くと、弟の柚斗が、ソファに腰掛けながらプリンを口に流し込んでいた。
「あ、ねーちゃんおかえり。冷蔵庫にプリンあったから、食べれば?」
「お、いいね。食べる。」
私は一旦自分の部屋に戻り、カバンを置き、制服から部屋着に着替えた。リビングに戻り、お皿とスプーンを用意する。冷蔵庫からプリンを取り出し、蓋を開け、ひっくり返してお皿に乗せる。
音を立てて、プリンがお皿の上で踊る。
「ねーちゃんってなんでプリン食べる時、いつも皿の上に出すの?片付けるのめんどくさくない?」
「えー?この音がプリン食べる時の醍醐味なんじゃないの?そのまま食べたらこの底の突起の意味が無くなっちゃうじゃん。」
「そうなのかな?考えたこと無かった。」
柚斗は今流行りの配信者『なぞ謎クッキング』、通称「なぞグー」の動画を動画配信サイトで見ている。顔は非公開の配信者だが、テンポの良い話し方、料理がメインなのに、時折謎解きを混ぜてくるという新しいスタイルで年齢を問わず大人気である。
ちょうどプリンを作る動画が昨日アップされていたらしく、柚斗がテレビにスマホを繋いで再生すると、なぞグーの声がリビングに流れた。
『今日は謎解きチャレンジデーです!まずはじめに、謎を出題します!プリンを作り終えるまでに、謎を解けたらクリアです!プリンを作る過程で謎解きのヒントをちょいちょいだしますので、是非諦めずに解いてみてください!あ、プリンもつくってね?』
仲のいい兄弟だと思う。父、母、私、柚斗の四人家族。父は自分の学歴がないのがコンプレックスなのか、大変な学歴厨で、小学生の頃は100点以外取ろうもんなら、拳が降り掛かってきた。一方母は、無関心だ。母自身の迷惑になることにだけ敏感で、ヒステリックになるが、特に母に迷惑がかからなければ何をしても怒られなかった。
そんな家庭で生きてきたが、私は中学1年生の頃から不登校になった。そんな私に父は怒鳴りつけた。
「不登校なんてみっともないだろう!いじめがあったって、お前は無関係だったそうじゃないか!学校へ行きなさい!」
「お父さんに分かるわけない!黙って!」
「なんだその口の利き方は!」
手を挙げた父に私は左手首を見せつけた。
父は振り上げた手を静かに下ろし、目を泳がせて、何も言わずに自分の部屋へと戻った。それからというもの、父は勉強だ、学歴だと一切言わなくなった。
柚斗は勉強勉強言われなくなって、ねーちゃんには感謝してるなんてブラックジョークをたまに挟んでくるが、私にはそんな気楽で居てくれる弟の存在が有難かった。家族で唯一の味方は、柚斗だけだ。
「ねーちゃん、このプリンつくろうよ、美味そう。」
「それよりこの謎解きが分からない。解きたい。」
「もうそろ解説はじまるんじゃない?」
「やばい、思ったよりムズい!」
『それでは解説…の前に、まだ解いているあなたのため、来週の生配信スペシャルについてお話しちゃいます!』
なぞグーが私の心を読んだかのように、生配信の予告でおまけの時間をくれた。他の配信者とのコラボで、キャンプ飯を紹介しつつ、キャンプ場から謎解き脱出という大規模な企画の説明だった。面白そうだな、なんて予告情報に見入っていたら謎解きの解説が始まってしまった。結局謎は自力では解けなかったが、そんなのはどうでもいい。
柚斗が私のように思い悩むことが無いことをただ願うばかりだ。
・・・・
『昨夜未明、羽上市桜ヶ丘の住宅街で火災が発生し、木造二階建て住宅一棟が全焼しました。火はおよそ二時間後に消し止められ、周辺住宅への延焼はありませんでした。
この火事で、この家に住む三橋雄一さん一家四人の死亡が確認されています。
警察と消防によりますと、現場からは灯油のような液体が検出されており、放火の可能性が高いとみて捜査を進めています。
近隣住民は、「夜中に窓の外が明るくなり、外を見ると家が燃えていた」と話しているとのことです。』
テレビを付けると、火災現場の映像が流れた。
学校のある羽上市で、そこは美玲と行ったカフェの近くにある住宅街だった。
身近なところで事件が起こるのは珍しく、犯人がいるかもしれないと少し警戒しながら学校へ向かうと、校門の前で美玲とばったり会った。
「あ!おはよ!菜乃葉!」
「おはよー、昨日大丈夫だった?火事あったじゃん?」
「あーね!怖かったよー!消防車と警察のサイレンすごかったし。まぁうちの家は駅挟んで反対だから全然無事だけど。」
「良かったよ無事で。何かあったら連絡してね。」
「うん!大丈夫だよ!うちマンションだし!」
マンションだから大丈夫ということはないと思うが、美玲が無事で何よりだ。本当に放火で犯人がいるのだろうか。そんな疑問をかかえて、学校の授業は上の空だった。
「おい、菜乃葉。当てられてるぞ。」
「え?」
隣の席の蓮華誠に小声で囁かれ我に返った。
「伊澤ー?ここの答えはー?」
「…15度だよ。」
「あ、はい。えっと15度です。」
「ぼーっとすんなよー?はい、15度なー。」
美玲お気に入りの誠はイケメンで頭も良くて立ち回りもうまい。ぼーっとしていたせいで助けられてしまった。なるほど、モテるのはこういう事かと感心した。
「ごめん、ありがと。」
「気にすんな。それより昨日の放火事件怖いな。気をつけろよ。」
「私は別に近くに住んでる訳じゃないし。」
「そっか。まぁ、でも何があるか分からないし…」
「はい、そこ。私語は後でな、蓮華と伊澤。」
「「すみません。」」
誠からごめんねの目配せを貰ったあと、ふと美玲の方を見ると、頬をふくらませてこちらを見ていた。やってしまったと思ったが遅かった。
授業が終わると、美玲が駆け寄ってきた。
「何話してたの!ずるいずるいずるいー!」
「別に放火事件怖いねーって話しかけられたから、それに返してただけだよ。なんもないから。」
「私も誠くんとそういうたわいも無い会話したいー!」
たわいもなくはないだろ、物騒だろと思いながら、美玲をなだめ、ちょうど塾の日だったのを良いことに、逃げるように塾へ向かった。
塾でも放火の事件の話題が飛び交っていた。受験生たちも気が気では無さそうで、少し可哀想だった。
チャイムがなり、講義室の空いている席に座ると、数学は聖哉先生のはずなのに、歩美先生が入ってきた。
「はーい、聖哉先生がしばらくお休みらしいので、その間は私が数学を担当します!よろしくねー!」
そう言って綺麗に巻かれた髪をたなびかせて、黒板に数式を書き始めた。聖哉先生がお休みなんて何かあったのだろうか。
気が気ではないまま、あゆみ先生の講義を受け終わると、一緒に講義を受けていた生徒達が噂話をし始めた。
「なぁ、聖哉先生怪しくね?」
「えー?なんでなんで?」
「うちのかーちゃんがさ、見ちゃったんだよ。」
「何を?」
「聖哉先生がホームセンターで灯油買うところ。」
「え…やべぇじゃん。それ絶対犯人じゃん!」
「しかも、それで俺思い出したんだけど、俺らが小学生の頃さ、連続放火事件あっただろ?あの犯人、当時未成年。もしかして、それも実は同じ犯人で、少年院から出てきたサイコパスの再来とか!?」
「10年近く前じゃんその事件…でも待って、聖哉先生って25、6歳とかだったよね?当時未成年で…やばい有り得る!こわ!それだったらすげぇじゃん!天才かよお前!」
「まぁな!あくまで仮説だけど!」
私は、盛り上がる男子達の噂話に聞き耳をたてていた。そんなわけないと思いながら、気になって少年院について調べていた。長期処遇でも10ヶ月から2年少年院にいることになる。ただ、現住建造物等放火と呼ばれる、人の住んでいる家に故意に放火すると、罪が重く大人と同じ刑に処されることもある…。法律なんて、難しそうでよく分からない。それより事件のことを調べた方が早いと思い、「連続放火事件 10年前」と検索サイトに打ち込んだ。すると、当時の記事がたくさん出てきたため、ネットって凄いなと思いながら、取り敢えず1番上にあったサイトを開いた。
ー当時の犯人は小学生。母親の虐待によるストレスから放火。医師は病的放火と判断。また、14歳以下の犯行のため、保護監督処分となった。
そもそも、犯人は少年院に入れる歳ですらなかったらしい。しかも当時小学生なら、聖哉先生では無い。少しほっとしたが、以前の事件と今回の事件が同じ犯人と決まったわけではない。聖哉先生が、放火犯なのだろうかという疑念をかかえて、私は塾を後にした。
・・・・
次の月曜日。学校に行くと美玲が何やら箱を持って近づいてきた。
「はいこれ、食べてー!」
「なにこれ?」
「クッキー!バレンタインまでもうすぐだから、なぞグーの動画みて作ってみた!ラッピングも練習したくて可愛くしてみたのー!食べて!感想ちょうだい!」
美玲がくれた箱を開けると、クッキーの下には、ご丁寧に緩衝材が詰められていた。その緩衝材を潰して遊んでいると、早く食べてー!と美玲が催促するので仕方なく口にいれる。
「うん、まぁ、そこそこ美味しい。」
「うーん、そこそこかぁ。まだまだだなぁ。誠君にとびきり美味しいクッキーをお届けしたいのにぃ。」
「そーだねぇ、でもなぞグーの動画見たんでしょ?何回か練習してたら作れるよきっと。」
「そうかなぁ。頑張ってみる!菜乃葉も好きな人に渡しなよー!」
「好きな人っていうか、気になる人ね!」
「それは同じ意味でーす!バレンタイン渡してくださーい!」
先週の事件などなかったかのように、学校はバレンタインの話でも持ち切りだ。純粋に恋愛を楽しめればいいのだが、私はその気になる人を放火犯だと疑っている。今週は塾に来るだろうか。もし今週も来なかったら。犯人として捕まったら。そんな悪い考えばかり思い浮かんでしまう。
そんなことを考えている家に、放課後になった。
帰ろうとしていると、誠に声をかけられた。
「あのさ、今日、この後暇?」
「ん?いや、まあ何もないことは無いけど。」
「さっき持田さんから、菜乃葉は甘いもの好きって聞いてさ、美味いケーキ屋さんあるんだけどどう?」
美玲がこちらを見ている。
「あー、そうだ!美玲も一緒に行くのは?美玲も甘いもの好きだし!」
「あー、えっと、俺は菜乃葉と2人で行きたかったんだけど。」
誠は真剣な目だった。私はその目が怖かった。別に、彼に興味はない。だから美玲も誘って、彼と美玲がお近付きになればと思った。違った。まずいと思って美玲の方を見る。きっと、いや絶対聞こえていた。美玲はすごい複雑な顔して、それでもハッキリとした怒りを見せて、教室を出ていった。
・・・・
『先日、羽上市で住宅火災により一家が死亡する事件が発生したばかりですが、昨夜、再び同市内で類似の火災が発生しました。今回は、住人の礼野和樹さん(56)が意識不明の重症、また妻と子供二人は軽傷とのことです。
火は木造二階建て住宅一棟を半焼し、およそ一時間後に消し止められました。周辺住宅への延焼はなかったということです。
警察と消防によりますと、現場からはまた灯油のような液体が検出されており、出火状況や前回の火災との共通点から、同一犯による連続放火殺人事件の可能性が高いとみて捜査を進めています。
捜査本部は、犯人の行動経路や動機の解明を急ぐとともに、周辺の防犯カメラ映像の解析を進めています。
また、羽上市は住民に対し、夜間の外出を控えるよう呼びかけるとともに、不審な人物や車両を目撃した場合は直ちに警察へ通報するよう求めています。
相次ぐ事件に、地域住民の間では不安の声が広がっており、一刻も早い犯人逮捕が望まれています。』
二件目の事件が報道される中、私はリビングのソファに腰掛け、新しく作った左手首の傷を眺めた。
先週、誠からの誘いはそのまま断って美玲を追いかけたが、美玲は完全に私を無視して、家に帰ってしまった。連絡もかえってこない。
連続放火事件より、今は美玲との関係の方が、私にとっては問題だった。なんだか居てもたってもいられず、私は家を飛び出して、電車に乗りこみ、気づけば羽上駅まで来てしまった。だが、美玲の家に押しかけるわけも行かず、駅周辺をウロウロするしかなかった。
しばらくして、駅のロータリーに大きい車が止まったかと思うと、数人が山登りにでも行ったような格好で降りてきた。そのうちの一人が、楽しそうに話す姿を見て目を疑った。しかし、絶対そうだ。他の人も一緒だったが、私は迷わず声をかけていた。
「聖哉先生?」
聖哉先生は私の声で振り返ると、驚いた顔をした。先生の表情豊かな所を初めて見て、私はなんだか後ろめたい気持ちになった。
聖哉先生は少し取り乱しながら応答した。
「あ、ああ。伊澤か、久しぶり。」
「あ、はい。先生は何してたんですか?」
「えーっとそうだな、あのー友人たちとーキャンプに…」
いつもと雰囲気の違う先生に戸惑う。
「あれー?なぞさん、知り合いー?」
聖哉先生と一緒にいたチャラい男の人が会話に入ってくる。
「…なぞさん?」
「ちょ、おま、呼び方やめろって。今、塾の生徒がいるんだよ。」
「あー!そっか先生やってたね!ごめんごめん!あだ名だよ〜お嬢ちゃん。」
「あだ名…なぞ?…キャンプ?」
聖哉先生はまずいという顔をしてこちらを見た。
「え…なぞグー?」
聖哉先生はため息をついて、横のチャラい人を睨みつける。チャラい人は手を合わせて謝った。
…聖哉先生がなぞグー。相反する存在すぎて全く考えたこともなかったが、そうだとすると全ての辻褄が合う。謎解きの解説の上手さは、塾講師をしている時の説明の上手さと重なる。塾をお休みしていたことや、ホームセンターで、灯油を買っていたのはこの生配信のキャンプのため。
聖哉先生は、放火犯では、ない。
「伊澤。本当に絶対に誰にも言うなよ。わかったか。」
「うーん?どうしようかな?」
「お前が誰かにバラしたら本当に訴える。」
「ひー!分かったよ!聖哉先生、顔こわい!」
「それでよし。」
「なぞさん、容赦ないねぇ。こわぁ。」
「お前のせいだろうが!」
「ひぃ、ごめんごめん!」
「それより、伊澤はこんなとこほっつき歩いて大丈夫か?放火事件あっただろ?」
「ああ、まぁそうだけどさ。それより、友達と喧嘩というか、仲悪くなっちゃって。私にとってはそっちの方が深刻で…。」
「そうか。でも、一人でうろうろするのも危ないし、飯でも奢ってやろうか。話聞くぞ。」
「え、いいの!……まって…それって、口止め料?」
「……ま。そういうことだな。」
「ふーん、そゆことするんだ。へー。」
「なんだよ。悪いか。でも、心配なのは本当だ。家の近くまで送ってもやるから。」
「おー、なぞさん積極的!」
「お前は引っ込んでろ!」
なぞグーの衝撃から数秒も立たないうちに、聖哉先生とご飯を食べれて、家の近くまで送ってくれるなんて想定外の展開になり、私はこんなふざけた態度を取りながらも、本当はひどく混乱していた。
聖哉先生は、チャラい人とその他一緒に撮影していたであろう人たちと解散し、私を近くの個室レストランへ連れてきてくれた。そのレストランはちょっと高そうで怖気付いたが、確かに口止め料なら当然かと思い、遠慮しないことにした。
席に案内されて、置かれた水を一気に飲み干すと聖哉先生は口を開いた。
「で、なんだって?友達と喧嘩だっけ?」
「そう。まぁ喧嘩というか、仲違いというか。友達には好きな男の子がいて、私がその子に遊びに誘われて。それを聞いていた友達が怒っちゃって。」
「ふーん。なるほど。」
「だからどうしたらその友達とまた仲良く戻れるかなって。」
「なんだそんなことか。何もそいつに拘らなくても…」
「そんなことじゃない!」
少し、声を荒らげてしまった。引かれただろうか。
「…悪い。」
「いや、あの、友達、その子しかいなくて。」
「そうなのか。伊澤の性格なら友達も多いかと思ったが。」
「…意図的に、作ってない。怖いんだよね。」
聖哉先生は私の左手首に視線を落とした。
「言いたくなかったらいいが、それと、関係あるか?」
私は頷いて、中学生の頃の話をはじめた。
・・・・
私が通っていた中学校は地元の公立中学校で、ヤンチャする人間も一定数いたが、まぁごく普通の中学だった。私は一軍やら二軍やら、そんなクラスのヒエラルキーには属さず、ただみんなと仲のいい中立の立場で、割と上手く人間関係を築いていたと思う。
不穏な空気が漂い始めたのは、秋の体育祭へ向けて、どの種目に誰が出るかを決めている時だったかと思う。学級委員の桜田莉央がクラスを仕切っていた。
私は彼女のサバサバとしていて、賢く、真面目で強いところが好きだった。しかし、意見を切り捨て、合理的に動くことも多く、それが気に食わない生徒も一定数いた。
「あいつ、ウザくね?」
クラス会が終わったあと、一軍の女子がそう呟いていたのが聞こえた。
その後くらいから、莉央の様子がだんだんおかしくなった。忘れ物が増えて先生に怒られたり、上履きが頻繁に新しくなっていたり。私はこの違和感に気づかない振りをしてしまっていた。
ある日、私は生活委員会で当番制のうさぎの餌やりがあった。餌を皿に置き、水を入れ替え、軽く掃除を終えて教室に戻るところだった。使われていない校舎裏の古い体育倉庫からなにやら音が聞こえた。私は不思議に思い、倉庫を覗くと、クラスの一軍と呼べる女子たちが、莉央にボールを投げつけて騒いでいた。
「何してんの!」
咄嗟に私は倉庫に足を踏み入れていた。
それが、間違いだった。
「あれ?遊んでるだけだけど?」
「え?なんか文句でもある?」
「混ざりたいのー?ねぇ、どーする?」
なにか言わなくちゃと思った時、莉央と目が合った。前まで誰にも屈しない強い子だと思っていたが、もうすっかり弱々しくなった莉央が今にも泣きそうな目でこちらを見ていた。
その視線を遮るかのように、リーダーらしき子がボールを持って近づいてきた。
「入ってきたってことは、やるよね?それとも先生にチクる?…でも、どうなるかわかってる?」
私は怖くなって硬直した。やるとも、やらないとも、言えず、私は目をつぶった。
どうしよう。なんて断ろう。なんて言おう。
間違ったこと言って、私もいじめられたら?
でも、莉央はどうなる?
実際の時間は短かったかもしれないが、私にとっては酷く長く感じた。
答えが出ずにただひたすら考えることしか出来ないでいると、急に手を掴まれる感触を感じた。
恐る恐る目を開けると、それは莉央だった。
「…たす…けて。」
・・・・
ここまで話した所で、私は過呼吸を起こしそうになった。聖哉先生は店員さんを呼んで水を頼んだ。注がれる水を見て、自分を取り戻した。
「すまん。もう、話さなくていい。大丈夫だ。」
「……その子、自殺したんです。」
莉央が自殺したことを聞いた私は、左手首にカッターを押し当てていた。許されたいわけではない。私が抱えた罪は自分で戒めようと思った。家から外に出るのも怖くなった。死んでしまおうかと思った。だが、親が家に無理やり呼んだカウンセリングの先生と話すようになり、次第に外に出られるようになった。それまで2年かかった。これでも早い方だと思う。だから、高校では友達を作るつもりはなかった。ただ勉強して、ただ生きて、私は私の罪を償っていこと思った。クラスメイトとは最低限の会話だけして、一定の距離を保っていた。
だが、高校2年生になると、美玲と同じクラスになった。
「私、菜乃葉となら分かり合えることが多いと思うの!」
そう美玲がグイグイきた。最初は適当にあしらっていたのだが、ものすごくしつこくて押し負けた。美玲は、沢山声をかけてくれて、沢山話してくれて、沢山笑わせてくれて、こんな私でも少しは前向きに生きていこうって思わせてくれた。こんなに明るくて、分かり合える友達を失いたくない。
ふと机に目をやると美味しそうな料理が並んでいた。手当り次第手をつける。だが、そのどれも、味がしなかった。聖哉先生がせっかく良さげなレストランに連れてきてくれたのに。ヤケになって、腹を満たす為だけにとりあえず料理を口に運んだ。すごい勢いで食べてしまって、すぐにお皿は空になった。聖哉先生はいつになく優しい顔で微笑みながら一緒に食べてくれた。
「聖哉先生、話聞いてくれてありがとう。ご馳走様です。」
「良かった。落ち着いたか。」
「うん。友達とは学校でちゃんと話しする。」
「おう。そうだな。まぁ、何も知らない俺が言えたもんじゃないかもしれないが、お前はまだ若い。過去ばかりに囚われるなよ。きっと、友達とも仲直りできる。俺が保証する。もし、上手くいかなくても、俺がいる。いつでも頼っていい。」
「うん…。」
「さぁ、遅くなる前にそろそろ帰るか。」
雰囲気のある瞳が私を見た。その目を見て、私は落ち着きを取り戻した。少し笑って、聖哉先生はそのまま帰る支度をはじめたので、私も上着を羽織った。
レストランを後にし、聖哉先生の後を着いて行くと割と大きい一軒家に着いた。車の前で待っているように言われて、高そうな車だなぁと眺めていた。すぐに戻ってきた聖哉先生と車へ乗り込むと、助手席の私にペットボトルのお茶をくれた。酔ったりして吐かれても困るなんて言ってたが、本当に素直じゃない人だ。私がカーナビに住所を入力すると、聖哉先生は適当な音楽を掛け、車を出した。
外はもう暗く、窓からは街灯の光が差し込む。レストランの時とは違って、明るい雰囲気で今度は聖哉先生がお話してくれた。
一軒家なのは実家で、家族と暮らしてることとか、好きな食べ物はラーメンだとか、嫌いなものはピーマンだとか、配信者をしているのに塾講師を辞めないのは教えることが好きだからとか、彼女は残念ながら(?
)いないこととか。
遠かった存在が近くに感じて、運転する横顔を見つめた。
そして、私はこの人が好きだと思った。
・・・・
バレンタインが週末に迫った月曜日。外はいつにもなく晴れていた。美玲には謝ってどうにかなる問題では無いかもしれないが、ちゃんと話をしよう。そうずっと考えていたからか、家から学校までの道が短く感じた。
下駄箱をみると、美玲は先にいるようだった。ドキドキしながら階段を登り、教室へと進む。
恐る恐るドアをあけると、何かが勢いよく私の胸に飛び込んできた。
「ごめんねぇぇぇぇえ!菜乃葉はなぁんにもわるくないのぃ!私が、嫉妬しちゃうからぁぁぁ!」
「うわ。美玲か。びっくりした。」
「勢いで無視しちゃったんだけど、寂しかったあああああ!もうしないいいい!菜乃葉はずっと友達なのー!」
美玲は子供のように喚きながら謝ってくるものだから、私は拍子抜けした。私があんなに思い悩んだというのに、美玲ってやつは。でも、本当にこの子はすごい。彼女だって辛かったはずだ。それなのに、自分で立ち上がって、こうして私と向き合ってくれる。私はそんな美玲を心から尊敬している。こんな友達を失いたくない。
放課後、美玲は私を彼女の住んでいるマンションまで誘った。部屋は散らかっているからと、マンションの玄関口で待っているように言われた。
しばらくして、エレベーターから降りてきた美玲は、紙袋を持っていた。
「はい!仲直りの印!と、ちょっと早めのバレンタインー!」
「えー!!そんな!いいのに〜。」
「やだ!私の気が済まない!あとやっぱ美味しいかどうかは菜乃葉に一番に食べてもらいたい!あ、今回のはお家で今日中に食べた方がいいかも!賞味期限があるのと、弟くんの分もあるし!」
紙袋の中をのぞくと、美玲がカバンにつけていたものとお揃いのうさぎのキーホルダーに、保冷剤とプリンが2つ入っていた。
「おー、こんなに!ありがとう。柚斗も喜ぶよ。こりゃ私もお返しバレンタイン作らなきゃね。」
「わーい、待ってまーす!それより、菜乃葉の本命は…?気になる人に渡すのかなぁ〜?」
「うん…。まぁ、好きな…人…かな?」
「わああああああ!好きな人になった!きゃーーーー!もういい加減誰だか教えてよ!!!」
「そうだね、秘密にする理由もないし…」
「うんうん。」
「えっとね、私の通ってる塾の先生…」
「ひゃーーーー!!先生と生徒の禁断の恋だ!!やばい!それはやばい!!!イケメン!?名前は?」
「イケメンかどうかは置いておいて、雰囲気はあるんだよね。井田聖哉先生…」
「…井田…聖哉……。うっひゃあああああ!なんかイケメンっぽい名前!」
「名前でイケメンかどうかは分からないでしょ!!」
「わかる!わかるよ!絶対イケメンだ!」
しばらく恋バナで盛り上がったあと、せっかくだから、もらったうさぎのキーホルダーをその場でカバンに付けた。なんだか私は嬉しくて、泣きそうになってしまった。
「美玲はさ、なんでそんなに私に優しくしてくれるの?」
「…私と似てるからだよ。」
美玲は聖母のようなほほえみで話を続けた。
「今まで話すのを避けてきたけど、私も高校入る前まで学校ちゃんと行けてなかった。 だから慣れない学校は最初戸惑った。1年の頃は友達を作ることよりも、上手く話せるか、勉強出来るか不安で精一杯だった。2年生になって、教室の隅でポツンとしてる菜乃葉をみて、同じ苦しみを抱えてる子かもしれないと思った。今までちゃんと友達ができたこと無かったけど、分かり合える友達ができるかもって、話しかけるのすごく頑張った。それに、ほら見てよ。」
美玲は左手で右腕の裾をまくる。私と同じ痛々しい傷跡が右の手首を埋めつくしていた。
「ごめんね、この前のカフェで、菜乃葉の左腕ちょっと見えちゃった。」
「そっか…。私も美玲が話しかけてくれて、本当に嬉しかった。それにこれも、同じだったんだね…。」
「うん…。だから、これからも、仲良くしてね?」
「もちろん!」
マンションの玄関口にはハグをする2人の笑い声が響いた。
・・・・
美玲と解散したあと、私は家に直行した。ドアを開けて真っ先にリビングへ向かうと、柚斗がソファに寝ころびながら、ゲームをしていた。
「あ、ねーちゃんおかえり。」
「ただいまー。友達にプリンもらったから食べる?」
「まじ!食べる!」
柚斗にスプーンとプリンを手渡す。当たり前だが手作りなので容器の底に突起はなく、私もそのまま食べることにした。底のカラメルにたどり着く前にプリン本体を1口。練習したのだろうか、甘くてすごく美味しい。次にカラメルと合わせる。カラメルは思ったより苦味を感じたが、プリンの部分が甘く、一緒に食べると相性がよかった。柚斗はペロリと食べ終えたようだった。
「ねーちゃん、これめっちゃ美味かった!友達にありがとうって言っといて。」
「ね。めっちゃ美味い。伝えとくわ。これ作るの練習したのかなぁ。」
「なぞグーの動画でも見たんじゃない?」
「あーー。なぞグー…ね…。」
「ん?なぞグーがどうかした?」
「いや、なんでもない。そうかもね。」
「あ、そうだ。この前生配信してたなぞグーのキャンプの動画でもみる?」
「あ、いや、大丈夫、遠慮しとく。」
「え?なぞグー好きだったよね?」
「う、うん。でも、私は大丈夫。部屋行くわ。」
…なぞグー…いや、聖哉先生のあのテンションをテレビの大画面で見るのは、面白すぎてごめんだ。食べ終えた容器とスプーンを片付けて、いそいそと部屋へ向かった。
部屋ではやることもないため、珍しく塾の宿題をする気になって、数学のテキストを開いた。やっぱり、めちゃくちゃめんどくさい。だが聖哉先生のことを思い出し、少しはやってみようとペンを手に取り、問題を解きはじめた。
…記憶はそこまでで、いつの間にか、私は机に突っ伏して寝ていた。
気がつくと、朝の4時だった。昨日の夜は、晩御飯も食べていない。柚斗も、親もなんで起こしてくれなかったんだと少し怒りを隠せず、とりあえず食べ物を物色しに台所へ向かった。冷蔵庫を漁っていると、物音で目が覚めたのか母親が起きてきた。
「何してんのよ。」
「いや、お腹すいたんだよ。昨日なんで晩御飯で起こしてくれなかったの?」
「ご飯できた時に呼んだわよ。あんたが部屋から出てこなかったんでしょ。柚もリビングのソファでぐっすり寝てて起こすの大変だったし、2人して何なのよ。」
「え、柚斗も寝てたの?」
「そうよ、成長期なのかしらね。はぁ…私は戻るわ。あ、炊飯器にご飯余ってるし、冷蔵庫の中のものなら食べていいから。」
柚斗は最近確かに育ち盛りで、もうすぐ私は身長を越されそうだ。よく寝るのも頷ける。私も最近は考え事ばかりでよく寝れていなかった。今日は久しぶりによく寝れた気がする。私は茶碗にご飯を盛り、冷蔵庫にあった筋子を乗せて、台所で立ったまま食べた。
筋子は口の中で弾けて、ほかほかのご飯と相性がよく、美味しく食べれた。
食べ終えるとまた眠くなり、今度はベットに潜り込んで、目を閉じた。
・・・・
目が覚めてリビングへ向かうと、両親と柚斗がリビングで朝ごはんを食べていた。私は寝ぼけながら椅子に座って机にあったパンを頬張る。母親が牛乳を飲むと言ったのでついでに私の分もお願いした。
テレビに目をやると、朝のニュース番組が流れていた。占いコーナーの明るい音楽が終わり、画面が切り替わる。
『先日から世間を騒がせていた連続放火事件で、新たな動きがありました――』
その瞬間、胸の奥がざわついた。
キャスターの後ろに映し出された住宅の燃える映像。
見覚えのある場所だった。
「……え。」
思わず声が漏れた。
次の瞬間、テレビ画面には、よく知った顔の写真が映し出された。
『昨夜の火災により亡くなった井田聖哉さんは、動画配信サイトを中心に活動していた人気配信者、“なぞグー”としても知られており――』
頭の中が真っ白になる。
ニュースキャスターは淡々と原稿を読み続けた。
母が何か私に言っていた。
でも、私にそれらは聞こえていなかった。
ただ、テレビの画面で燃え続ける炎が、やけに鮮明に見え、細い糸が切れるような感覚だけが頭の中に残った。
・・・・
気がつくと私は無意識に家を出て学校に向かっていた。本当は張り裂けそうで、叫びたくて、なのに涙が出ないことが余計に私を苦しめた。
なんだか思い出せなかった。いや、思い出そうとしなかった。何が起きたのかなんて信じたくなかった。
学校に着くと、教室に響く声はいつになくうるさく、耳障りに感じ、このまま帰ってしまおうかとも思った。でもなんだか1人になる方が怖くて、自分の席に座った。
「おはよ〜!」
振り返ると美玲がいつも通り私の所へきた。
私は返事をするのに少し時間がかかった。
「…おはよ。」
「あれ、なんか顔やばいよ?寝れてない?」
美玲は私の顔を覗き込む。
「…今朝のニュース、みた?」
「あぁ、あれびっくりした。なぞグー好きだったのになぁ…」
「あれ、私の…好きな人…」
「え!?!?うそ!?え!あ、名前なんか聞いた事あると思ったけど、え!?なぞグーだったの!?いや、え、それより、なんか、ごめん…!」
美玲は驚きながら慌てて、同情したような表情をした後、私の背中をさすった。
「…美玲は、いつも通りだね…」
「ん?そりゃあ、まぁね?」
美玲の様子を見て少し落ち着くと、チャイムが鳴った。
朝礼を終えて、1時間目の授業が始まる。
板書を見たり、理科の教科書を開いて見るのものの、読んだ文字は頭に入らず、先生の言葉は耳をすり抜けた。
悲しみにのまれようとする私の心を守るためか、事件の事を考えようとすると脳みそが制御をかける。中学の時の記憶と同じように、開けてはならない記憶として、蓋をされる。私の頭は空っぽで、静かで、ただ生きるため、人間の最低限の機能をする、ひとつの臓器として動いていた。
そんな私を現実に戻したのは、廊下からドアをノックする音だった。
理科の先生が不思議そうにドアを開け、ノックをした先生と廊下で話し始めた。
教室が少しざわめく中、先生が戻ってきてこう言った。
「持田…ちょっと、校長室。」
教室が更にざわついた。
美玲の方を見ると、美玲は笑った。
「えー?私?」
そう言って私のそばを通り過ぎる。
「行ってくるね。」
私にそう囁いた美玲の背中を見つめながら、
とてつもない不安に襲われていた。
・・・・
美玲は、昼休みになっても戻って来なかった。
「さっきさ、廊下で話す先生たちの会話から、警察って単語が聞こえたんだよね。」
「え、まじ?ってことは放火のやつ?」
「持田が関係してんの?犯人ってこと?やべーじゃん!」
「あ、ねぇ、伊澤さんって、持田さんと仲良いよね?なんかなかった?」
クラスのギャルに唐突に話を振られて、私は戸惑った。
「…なんかって…何?」
「持田さんって事件起こしそうとか、そういう危うい面とかなかった!?」
否定しようと思うのに、大事な友達なのに、何故か私はハッキリ違うと言う自信がなかった。
「…分からない。」
そう口にした時、SNSでニュースを見ていたクラスの男子が叫んだ。
「やべぇよ、このニュース!みんな見ろよ!」
そう言うと、スマホの音声を最大にして、みんなに見せるように最新ニュースの動画を流した。
『 速報です。先日から世間を騒がせていた連続放火事件で、新たな動きです。
警察は本日午前、事件に関与した疑いで、羽上高校の女子高校生を逮捕しました。 』
それを聞くと、一気に教室の空気が止まった。
『 警察によりますと、女子高校生は昨夜発生した住宅火災現場付近を歩いているところを、近隣住民に目撃されており、その後の捜査で事件への関与が浮上したということです。
また、捜査関係者への取材で、逮捕された女子高校生が、幼少期にも放火事件に関与していた可能性があることが新たに分かりました。
警察の取り調べに対し、女子高校生は容疑を認めたうえで、「もう完成して満足。」「綺麗だった。」などと供述しているということです。 』
…誰も、言葉を発さなかった。いや、発せなかった。
それが美玲であることは明らかだったからだ。
静まり返った教室に、担任が真面目な顔で入ってきた。
「…みんな、ニュースを見たかもしれないが、憶測で話を広げないように。あと、その関係で今日の午後の授業は無くなった。今から帰りの会を始めるが居ないやつはいるか?」
担任は落ち着いたトーンで、私たちをパニックにさせないように努めた。教室にクラスの生徒が全員が揃うと、帰りの会が始まった。この後の職員会議で今後の予定が決まること、寄り道しないように帰ること、校門前にはマスコミがいるので裏門から帰ること、万が一マスコミになにか聞かれても答えないこと、そんな話をすると、担任は下校を促した。
クラスメイト達が教室を出ていく中、私は呆然と窓の外を見た。
校庭の向こう側にある校門前では報道陣がカメラやマイクを構えはじめていた。
その様子を眺めると、脳が現実を受け入れ始めた。
私はもう、壊れていた。
いいや、とっくの昔に壊れていた。
無理やり継ぎ接ぎして生きてきた人間だ。
私なんかが、普通の人生を歩んでいいはずがなかった。
そう思った瞬間、頭の奥で何かが弾け飛んだ。
放課後の教室。
『イケメンっていいよね!』
そう言って笑う美玲。
くだらないことで笑い合った帰り道。
美玲の住むマンションでした恋愛話。
『菜乃葉となら、分かり合える気がする!』
そう言われて、涙ぐんだ私。
冬の塾。
眠そうな顔で授業をする聖哉先生。
それでも分からないことがあると丁寧に教えてくれた。
聖哉先生がなぞグーだったと知った日。
『伊澤なら、大丈夫だ。』
そう言った、雰囲気のある瞳。
昨日。
火事のニュース。
燃える家。
テレビに映った、先生の顔。
中学の古い体育倉庫。
震える莉央の手。
「………うわぁぁぁぁぁああああ!
聖哉先生……!!!!
美玲………!!!」
私は、どうして、見ないふりをした?
全てに蓋をして、忘れようとした?
小さな違和感に、気づかないようにした?
馬鹿だった。
私はいつも、逃げていた。
逃げた結果がこんな悲惨な結末を生んでしまった。
私は足の力が抜け、その場に座り込んだ。涙が止まらず、声にならない声を上げながら泣き叫んだ。
涙は滝のように流れ、全身の水分が全て出てしまうのではないかと思った。
近くにいたクラスメイトが心配の表情を浮かべるも、きっとどう対応していいか分からなかったのだろう。彼らは、ただ立ち尽くしていた。唯一、誠は颯爽と私の元へ駆け寄り、担任と一緒に保健室へと運んでくれた。
私はお礼も言えず、ただただ泣くことしか出来なかった。
・・・・
何時間経ったのだろう。外はもう暗くなりかけていた。
泣きながら私はそのまま保健室のベットで寝ていたようだった。
「あら、起きた?」
カーテンの隙間から保健室の先生がこちらの様子を伺っていた。
「ご家族に連絡してあるから、そろそろ迎えに来ると思うわ。あ、ホットミルクでも飲む?」
「あ、えっと…」
「まぁ、迷ったら貰っとくのが得よ〜」
保健室の先生は、そう言って牛乳をコップに注ぐと、電子レンジで温め始めた。
私はまだ、頭が混乱して、夢の中にでもまだいるのではないかと思っていた。
レンジの音が聞こえ、先生は私にホットミルクを差し出した。
軽く会釈をして1口飲むと、心が暖まるような感覚になった。そしてまた、涙がこぼれた。
どうして聖哉先生だったのか、どうして美玲はこんなことをしたのか。
今度は息を整えて、落ち着いて考える。
それでも、頬を伝う涙が、私を感情の渦へと引き戻す。
保健室の先生は静かにティッシュを差し出して、ただ横にいてくれた。
しばらくして、両親が慌てて迎えにきた。また死のうとするんじゃないかと焦ったのだろうと思う。
私はもはや、死にたいとかそういう次元にはいなかった。そこにあるのはただ先の見えない絶望。死ぬ気力さえなかった。
保健室の先生は優しく送り出してくれ、私は両親の車で家に帰った。
真っ直ぐベットへ向かい、横たわりひたすら泣いた。
泣きつかれると朝になった。
カーテンの隙間からは光が差し込んでいた。
スマホには誰からの連絡もなかった。
それがむしろありがたかった。
ただただベットに横たわりぼーっとするしかなかった。
外が暗くなっても、全く眠りにつくことができなかった。
おもむろに机の引き出しを開けて、カッターを取り出す。いつもの様に刃を長く伸ばして、左腕に当てようとするも、手が震える。
これは…なんか…違う。
私の頭の中には、火事の映像と、その時に切れた細い糸のような感覚がただ残っていた。
結局、刃を当てることができずに、カッターを机の奥にしまった。
ただ、ベッドへ戻る。
こんなことを何回も繰り返していた。
食欲もわかなかった。
母が部屋の前に置いた食事は、口をつけられず、トレーに添えられた栄養ゼリーのようなものを少しだけ飲むくらいだった。
学校は普通に授業があるようだったが、もちろん行けなかった。
ドアの外から父と母の声が聞こえた。
「また、あの子は不登校なのね…」
「仕方ないだろう。これじゃ。」
「なんでウチばかりこんな厄介事巻き込まれなきゃいけないの…!マスコミも家にくるし、いい迷惑よ!」
母は私に無関心なくせに、こういうことはめんどくさいのだ。私の事なんてやっぱりどうでもいいんだろう。
なんだか笑えた。
もういいや、普通の日常とか。
そう思った時、玄関のチャイムが鳴った。
父親がそれに応答したようだった。
しばらくして、部屋のドアがノックされた。
父親がドア越しに話しかけてくる。
「入ってもいいか。」
「…」
「じゃあそのまま聞いてくれ。今、警察の人が来てる。菜乃葉と話がしたいそうだ。出てこれるか?」
心臓が跳ねた。
なぜ警察が。不安でいっぱいになった。
行かないつもりだった。
だが、なぜだか私はベットから飛び起き、部屋着のままドアを開けた。
少し驚いた父が、玄関に警察がいると言うので、そのまま向かう。父も後ろからついてきた。
階段をおりると、警察と目が合った。50代くらいのベテラン刑事と、まだ新卒くらいの若い刑事という感じだった。
ベテランの刑事の方が柔らかく口を開いた。
「出てきて頂いてすみませんねぇ。」
「…いえ。」
「特になにか事情聴取とか、怪しんでいるとかそういうことでは無いので、安心して聞いて欲しいのですが…。」
「…。」
「単刀直入に言いますと、菜乃葉さんのご友人である、持田美玲さんがあなたにどうしても会いたいと言っていまして…。」
「…………美玲が?」
「えぇ、ご存知かとは思いますが、彼女は連続放火犯として捕まっています。ご友人がこのようなことになって、精神的に辛い時期ではあると重々承知の上ではあります。ただ、美玲さんが菜乃葉さんとお話したいと繰り返しているんです。これは我々にもわかりませんが、おそらく事件のことについて、菜乃葉さんに話したいことがあるのかもしれません。」
「……。」
私が黙っているとベテランの刑事は続ける。
「もちろん、無理にとはいいません。菜乃葉さんの意思が1番尊重されるべきです。ゆっくり考えて頂いて結構ですので。」
私は間を置いて言葉を発した。
「……なんで、私なんでしょう…。」
若手の刑事は困った顔をしたが、ベテランの刑事は柔らかかった表情から少し真面目な顔になり、私の目を見た。
「それは、本人に聞かないと分からないことです。」
・・・・
何日かぶりに外へ出た。
風が肌をかすめ、心地よい陽気だというのに、私の心臓は破裂しそうだった。
だけど、知りたい。
なぜ、私と話がしたいのか。
美玲が何を考えていたのか。
なぜ、聖哉先生の家を燃やしたのか。
私の足はただ、それだけを原動力に歩いていた。
美玲は少年鑑別所といわれる、犯罪を犯した未成年が一時的に収容される場所にいた。
受付で身分証明書などを提示し、美玲との関係を聞かれた。基本的に友人の面会は認められていないらしいが、美玲側が会いたいということ、警察にとっても情報が得られる可能性があるとのことで、特別に認められたそうだ。
面会準備のために私は受付前の椅子に座って待った。
その間、私は内蔵が飛び出るのでは無いかというくらい気分が悪くなり、来てしまったことを後悔した。
ただ何も考えないように、壁を見つめていると、名前が呼ばれ、面会室へ案内された。
通された部屋は白く、病院のようだった。分厚いガラスが張られており、重々しい空気が私にのしかかった。
恐る恐る椅子に座ると、ガラスの向こうでドアが開いた。
真っ直ぐドアを見つめると、灰色のスウェット姿の美玲が入ってきた。目が合う。
「来てくれたんだ〜!」
いつも教室に入ってくるような表情で、明るく言葉を放った美玲に私は背筋が凍った。私が何も言えないでいると、美玲は普通に私の前に座って笑顔を向けた。
「私が菜乃葉に会いたいってすごくお願いしたんだよね〜。ありがとう。」
「…。」
「てか、ごめんね、色々と。菜乃葉を苦しめたい訳じゃないんだよ。」
なんだか、ふつふつと怒りが湧いてきた。
「そんなわけない。聖哉先生を殺したのわざとでしょう。私、美玲に何かした?やっぱ誠のことでまだ恨んでたの?なんで?どうしてこんな事したの!ねぇ、なんで!!!!」
私が大声で問い詰めても、美玲は冷静に答えた。
「菜乃葉。ほんとに傷つけたい訳じゃなかったんだよ。私にとって、菜乃葉は大切。これはほんとにほんと。それに誠くんがきっかけな訳ないじゃん。だって、放火が一番最初に起こったのはいつ?」
確かに、誠との事が起こったのは、1回目の放火よりも後の事だった。じゃあ、一体どうして。私を大切だという美玲は、嘘をついているように見えなかった。
「もう、知ってると思うんだけど、私、昔も同じことしちゃったんだ。」
そう言うと、美玲は自身の過去の話をし始めた。
「私、幼い頃に両親が離婚してるの。お父さん好きだったなぁ。優しくて。でも、引き取られたのは母親側。なんでなんだろうね。それでまぁ、クズでカスな母親に暴力振られて、ご飯もろくに食べれなかった。当時は知らなかったけど、養育費、ぜーんぶ母親がブランドバックやら化粧品やらに使ってたみたい。だから貧乏で、服も買って貰えないし、小学校では、汚いっていじめられて。散々だった。」
美玲の過去の話は初めて聞いた。私も自分の過去の話はしたことが無い。過去に思い出したくない記憶があるんだろうと、お互いに気づいていた。
「それでね、小学3年生くらいの頃、寒い冬の日に、家を追い出された。何か気に障ることしちゃったのか、もう覚えてないけど。それで、フラフラ歩いてたら公園に着いた。土管の中なら暖かいかなと思って入ろうとした時に、タバコの吸殻と、ライターが落ちてるのを見つけた。寒かったから、そのライターで枯葉に火をつけた。思ったより燃えた。暖かかった。火を見てたらすごく落ち着いた。綺麗だなって思ってしばらくぼーっとしてた。そしたら、すぐ側の家から伸びていた植物のツタに火が燃え移ってたの。正直、焦った。どうしようって思ったよ。
だけど、炎の色が、燃える音が、すごく心地よかった。
初めて、苦しみから開放される感覚があった。
綺麗で、儚くて、とっても素敵な音が頭の中に響いたの。
そんな感覚に浸っているうちに、あっという間に火は家を飲み込んだ。流石にここまで燃えると近くの人たちが気づいて消防車を呼んでた。その家の人は、足が弱ってた老夫婦で、逃げ遅れて亡くなってしまったんだよね。ごめんなさいって思ったよ。殺したくてやった訳じゃないから。それで、亡くなってしまったその老夫婦の苗字、私の苗字と頭文字が同じでね。なんか頭文字で自分の名前作ったら面白いんじゃないかって。まぁ、だから、最初は小学生の遊びみたいなもんだったんだよね。それで、当時はその後2回、お家を燃やした後、事件現場に最初から居たのがバレて捕まっちゃったんだよね。」
塾で調べた昔の連続放火事件の詳細だった。放火した本人から聞くそれは、生々しく、重く、苦しいものだった。無意識に私は自分の苦しみと比較し、私のものが大したことでは無いと思うと、なんだか申し訳ないような気分にもなって、私は口を開いた。
「……それで、そこからどうやって高校まで…?」
「まぁ、気になるよね。なんで私が復帰してるか。」
「うん。」
「まぁ色々取り調べとか、診断とか受けて、母親の虐待が発覚して、児童相談所に保護された。その後私は、児童養護施設の観察の下で育った。母親から離れてしまえば、そこまで火を見ようという気にはならなかったから、割と落ち着いてたよ。でも、急に昔を思い出すことはあって、それで隠れてカッターで落ち着かせることを覚えた。」
美玲は右手首をひらひらとさせた。
「隠れてやってたし、問題は起こさないように普通に過ごしていたら、大丈夫だと判断されたのか、親戚のおばさんに引き取られた。私が住んでたあのマンションはおばさんの家だよ。それでも中学に上がって学校に行くのはまだ怖かった。だから中学は行けてない。でも、おばさんが親友と出会ったのが高校って話をしてくれて、その話を聞くうちに、私も高校で、友達を見つけてみたいと思ったの。それで頑張って勉強して、家から近い高校に入った。そしたら、菜乃葉がいた。」
美玲は、普通になりたかったのだと思った。普通に生きて、普通に笑って、普通に大人になりたかったのかもしれない。…私に会うまでは。
「私はね、カフェで菜乃葉のリスカを見た時に、いてもたってもいられなくなったの。
あぁ、またあの”音”が聴きたいって。
それで、駅で菜乃葉と別れたあと、燃やす家を探しちゃった。折角だから名前遊びを続けたくて。」
確かに、あの時、違和感があった。
美玲の家は高校の傍、つまり駅の北側にある。
だが、カフェを出て改札まで私を送った美玲は駅の南口へと走っていた。
「それでね、小学生の時に苗字まではできてたから、今回は名前。『み』で始まる家を見つけて、その次には誠くん狙ってた。『れ』ってあんまいないからさぁ。」
れんげ まこと。 美玲の『れ』。
「まぁでも?なんかあいつ、菜乃葉の事好きみたいだったし?ここで燃やしちゃったら怪しまれちゃうなぁって。折角丁度いい人見つけたと思ったのに邪魔されたと思って、ムカついちゃったの。あの時は、ごめんね。それで最後が……」
「私。」
美玲の言葉を遮り、私は言った。
美玲は少し驚いて、でも納得したような顔だった。
私は薄々気づいていた。
「プリンに、睡眠薬…入れた?」
「大正解!さすが!弟くんもぐっすりだったでしょ。」
「…私を殺したかったの?」
「だーかーらー、何度も言うけど、私にとって、菜乃葉は大切。運命みたいに菜乃葉の苗字が、最後を飾るのにピッタリだった。最後に大切なものが消えてしまう音を聴いたら、私は一体どうなっちゃうんだろうってゾクゾクした。なるべく苦しまずに逝けるように、眠ってもらおうかと思って。」
「じゃあ、なんで?なんで私は今生きてるの?」
美玲は少し笑った。
「菜乃葉にも分かってもらった方がいいかと思って。」
すごく。ものすごく、許せなかった。
初めて美玲の過去を知って、とんでもなく苦しい過去を背負って生きてきたことに、深く同情をした。
ただ、同じにされるのは違う。絶対に違う。
美玲は、他人の命を軽く見過ぎている。
私は少し声を荒らげた。
「分かるわけない!」
それでも、美玲はそれを不思議に思ったようだった。
「え?それは嘘だよ。
菜乃葉も聴いたことがあるでしょ?
だから、これ、辞められないんでしょ?
この音が聴きたくて聴きたくてたまらないんでしょう?」
美玲は右手首を見せつけた。
そんなの、美玲のただの想像だ。
これは、そんな軽いものじゃない。
人の命を奪ってしまったという罪、戒めだ。
莉央が死んだのは、私のせいだから。
ガラスの向こうでは、美玲が話を続けていた。
「…そうそう、菜乃葉の好きな人、井田聖哉先生だったよね。『い』で始まる苗字なのを知っちゃったから、菜乃葉の家を燃やすの辞めたんだよ。菜乃葉も分かってくれるかもって。いやー、あの先生の顔見たけどやっぱりイケメンだったね。惜しいことしたかな?あ、でも教えてよー、なぞグーなのは知らなくてびっくりしたじゃん!」
聖哉先生……。
テレビに映った炎の映像と、頭の中で細い糸が切れる感覚が蘇った。
「あぁ、今の菜乃葉、いい顔してるよ。どうだった?
私ですら、すごく満たされたの。
大切なものが壊れる音。素敵だったでしょ? 」
分からない。私には、分からないはずだ。
下を向くと、左腕の傷が視界に入る。
その瞬間、背筋がゾワっとした。
「やっぱり、菜乃葉となら分かり合える。」
私の脳内で、当時の記憶と、その時の感情が駆け巡る。
私がずっと、目を背けていたこと……。
ー「…たす…けて。」
莉央の声がする。
やめて。
私は違う。
思い出したくないと思うほど、その情景がはっきりと蘇る。
ー掴まれたその手を、私は……
ー振り払った。
そんなわけが無い。
誰か、夢だと言って。
やめて、いやだ。
私は、美玲とは違うはずだ!
こんなの、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!
ー莉央の目から、光が消えた。
プチン。
その音が少しだけ、綺麗だと思った。