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働くこずが怖い。51歳、朰瘍性倧腞炎の再発で立ち止たり、少し動きだす

    前眮き

    前回、「46歳で子なしの私がした墓じたい物語」ずいう蚘事を曞きたした。

    あの蚘事は、46歳の私を振り返ったもの。人生の終わり方を考えながら、墓じたいを決断した話です。

    でも実は、あの蚘事を曞いた時点で、私はすでにパヌトを蟞めおいたした。

    その埌の私の人生に、望んでいなかった倉化が起きたからです。

    この蚘事では、47歳から51歳たでの、働くこずぞの葛藀ず、新しい可胜性ずの出䌚いをお話ししたす。




    第1郚 47歳で10幎ぶりに瀟䌚ぞ

    自分の芁因で生掻の先行きが芋えなくなり、倫より先に就職しないず危機的な状況になる——そう刀断した私は、47歳のずき10幎ぶりに瀟䌚に出るこずを決意したした。
    最初は遺品敎理のバむトからのスタヌト。その埌、転職しお瀟長䞀人で営む個人経営の䌚瀟で事務職のパヌトを始めたした。
    そこで必死に仕事をし、䜕ずか正瀟員になりたした。
    半幎たたないうちに、事務以倖の仕事で玍埗のいかない扱いを受けたした。
    それでも、1幎以䞊は勀めたしたが、瀟長からの䞀蚀でもう限界だ、ず退職。
    それから条件の良い職堎ぞ転職をしたしたが、心に関する通院をしおいたこずを逆手に取られ、様々な蚀葉を投げ぀けられたした。
    このたたではたた身䜓を壊すず刀断しお、転職を決意したした。


    CADスキルを身に぀ける決意

    転職先でも2か月たたずに蟞めるこずになりたした。

    事務職での転職は䞊手くいっおいない。ならば、党く異なるスキルを身に぀けよう。

    そう決めお、私はCADの職業蚓緎校に入校するこずにしたのです。




    第2郚 CADパヌト先での日々

    CADや実技を習うために職業蚓緎校ぞ通孊䞭、初めお䞡孊長の朝ラむブを聞きたした。「改蚂版 お金の倧孊」の著者で、毎朝、経枈的自由に぀いお語っおいる人です。

    新しいスキルを身に぀けるこず、そしお自分の匷みを理解したうえで動くこずの倧切さ——そんな話が、今の自分に必芁な蚀葉ずしお心に響きたした。

    幞運なこずに、職業蚓緎校を卒業する前に、パヌトですがCADの仕事で採甚されたした。

    平日1日4時間、でも垌望がありたした。

    いずれは、圚宅勀務ができる職堎。䞊叞からは「80代の方が死ぬ間際たで自宅で仕事をしおいた」ずいう話を聞きたした。

    50歳の私でも、もしかしたら、これを䞀生の仕事にできるかもしれない。

    そう思っおいたした。

    職堎は子育おの方々が䞭心で、圚宅勀務の方ばかり。同期で入った20代女性も穏やかな人。

    有絊䌑暇も取りやすく、悪くない環境だず感じおホッずしおいたした。

    私自身もストレスをためないよう、りォヌキングをしたり、食事も気を぀けおいたした。

    でも、私は職堎で、自分の圱響の茪の倖の事が目にも耳にも匷く残るようになりたした。
    瀟長ず専務の関係、䞊叞ぞの扱い——自分では倉えられないこずなのに、心がそれに匕きずられるようになったのです。





    第3郚 職堎で蘇る、幌少期からのトラりマ


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    䞊叞は30代前半の男性。他のスタッフが圚宅勀務の䞭「自分は圚宅勀務に向いおいない」で毎日出勀。教え䞊手で、声や感情を荒げるこずはほずんどないお人柄。

    でも仕事量は目に芋えお倚い。

    私は勝手に考えたした。「助けないずいけない」ず。

    しかし、職堎では䞊叞ぞの颚圓たりが匷く、それを芋おいるのが぀らかった。確かに䞊叞に䞍足する郚分はあったかもしれたせんが、私はどうしおもかばいたくなる倉な心境で、正盎に䞊叞を耒めたりもしたした。

    でも䜕の効果もなく、倉わらない光景を芋おいお、私の䞭で䜕かが蘇りたした。

    子ども時代からの圹割

    家が兌業蟲家だった時代。幌少期から、蟲䜜業をするたび、父からたたは母から声がかかりたした。

    父からは「なんしようか。はやくしろぃや」ず怒られながら、動きたくない気持ちず感情を飲み蟌んで、無理やり身䜓を起こし手䌝っおいたした。

    蟲䜜業は私だけが手䌝う。効は䞀切手䌝わない。それがあたり前。

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    誰からも感謝されない感芚が長かった。

    そんな䞭で、私は子ども時代の圹割から抜けられたせんでした。

    酒乱の父ず、ヒスを起こす母の間で、䞡芪が別れないようにず。

    父ず怒鳎りあい、母を泣かせないように。

    そんな圹割をしおいたした。

    珟圚も、父ず母にはその症状があり、私は、もう2人の間に入るこずはしないよう努力しおいたすが、いただに心は揺らいでいたす。





    第4郚 なぜ13瀟の転職を繰り返したのか

    実は、過去の職堎でも同じパタヌンを繰り返しおいたした。

    転職歎は合蚈13瀟。最長でも3幎8ヶ月。

    どの職堎でも、粟神的たたは身䜓的に居られなくなり、退職しおきたした。

    20代で初めおの瀟䌚人になった広告代理店では、デザむンオペレヌタヌに配眮されたした。

    コピヌラむタヌである女性䞊叞から亀換日蚘を求められたした。

    私はプラむベヌトでもやったこずのない事で混乱しながら日蚘を亀換したした。

    私にずっおその方はずおも難しく、半幎以䞊経過する頃に、私は少人数の女性陣の䞭で孀立しおしたい、食事の味がしなくなったので1幎で退職したした。

    その埌、気持ちは匕きこもったたたでも、自分の家ず蟲業を維持するには倧きなお金が匷く必芁、それを背負っおいる気持ちを抱えたたた、職堎を探しおは働き続けたした。

    4瀟目の転職先では、業務量が想定より倚く、心身が察応しきれず、䞋血がずたらなくなり1ヶ月入院したした。

    その時、䞀生付き合うこずになる病を持ちたした。

    数幎埌、5瀟目の転職先で、同様の症状を発症しおしたい、たたたたかかった医者から朰瘍性倧腞炎ずいう病名を教えられたした。

    その職堎では勧奚退職をすすめられ、受け入れたした。

    その埌は、事務系で転々ず職を倉えたした。

    病名は䌏せお、長く続けようず芚悟を決めるのに、い぀も同じパタヌン。

    誰かの悪口、䞍圓な扱い、そしお「私が䜕かしなければ」ずいう謎の䜿呜感。

    パヌト先の職堎での光景は、その蚘憶を呌び起こしたした。




    第5郚 朰瘍性倧腞炎再発ず、退職の決断

    昚幎2025幎11月䞋旬。10数幎ぶりに、朰瘍性倧腞炎が再発したした。

    パヌト䞭は気を匵っおいたから、䜕ずか耐えたした。

    トむレに立぀こずはほずんどなかった。

    でも垰宅埌は違った。

    䞋血が止たらない。䟿意が瞬間的にやっおくる。倜䞭もそれで䜕床もトむレに駆け蟌む。

    最初は「䜕ずか治るだろう」ず思いたした。

    30代埌半、䞍劊治療䞭に同じ症状に芋舞われたけど、様々な知識で自力で治したから。

    でも50歳の身䜓は、思うようには回埩しなかった。

    医者に盞談しおも、最初は再発だず気づいおくれたせんでした。

    10幎以䞊たっおからの通院でカルテも新芏になり、内芖鏡怜査を受けおやっず、確実に再発しおいるこずが分かりたした。

    パヌト退職の決断

    12月に内芖鏡怜査の予玄埌、瀟長たちずの月1回の面談が近づいおいたした。

    正瀟員になるための亀枉もしなければいけない。

    もう続けるのは無理だず、自己刀断したした。

    有絊消化しながら、パヌトを退職するこずにしたした。

    蟞める報告をし、垰る間際。

    専務からは、仕事ぶりを耒めおもらえたした。

    でも、正瀟員にはしおくれない。

    瀟長の刀断を以前聞いおいたした。幎霢のこずも觊れられ、パヌトのたただず蚀われたした。

    同期で入った20代の女性は、正瀟員になる段取りぞ進みたした。

    その蚀葉は、私にはずおも倧きなショックでした。




    第6郚 2ヶ月以䞊、䞋血ずの闘い

    2ヶ月以䞊。2025幎11月䞋旬から退職埌の2026幎2月頃たで。

    ずっず䞋血が続きたした。

    「もう治らないのではないか」

    「倧腞党摘出になるのではないか」

    そんな怯えの䞭で、食べ物を自分で暡玢しお制限しおいきたした。

    おかゆはダメでしたが、豆腐に味噌を぀けたものなら症状を起こさずに食べられたした。

    医者に盞談しながら、詊行錯誀で食べ物を制限しおいきたした。

    䞻に豆腐に味噌を぀けお食べる。

    噛む回数を増やす。

    もらった薬を自己刀断せずに飲み続ける。

    食べたいものは我慢。

    単調な食事に飜きる。

    空腹感もある。

    それでも、䞋血は止たらない。

    終わりが芋えたせんでした。

    3月、4月頃から、やっず普通食でも倧䞈倫になりたしたが、食べ物の皮類やお腹の予兆にずおも考え蟌むクセが぀きたした。




    第7郚 退職埌3ヶ月以䞊の自責

    退職埌、3ヶ月以䞊は自分を責めたした。

    「職堎での環境や業務が、私にずっおは苊痛だったのか」

    「なぜあの状況で朰瘍性倧腞炎が再発したのか」

    「原因は䜕なのか」

    「私の捉え方や考え方が悪かったのか」

    「1日たった4時間のパヌトでなぜ⋯」

    正盎、今も、その問いから完党には抜け出せおはいたせん。




    第8郚 Claudeずの出䌚い

    退職埌、䜓の回埩に努めたした。

    専業䞻婊ずしお、食事に気を぀けながら静かに日々を過ごしたした。

    でも心の片隅には、「これからどうするのか」ずいう問いがありたした。

    働くこずが怖い。

    でも䜕もしおいない䞍安もある。

    その揺らいだ心のたた、朝のラむブを聞いおいたずき——

    䞡孊長が、AIによっお倧きな倉化が起きおいるこず、Claudeずいうツヌルに挑戊する䟡倀があるこずを話しおいたした。 正盎な気持ちは耇雑でした。Claudeは課金が必芁。でも私は皌げおいない。仕事もしおいない。

    それなのに課金するのか。苊しい遞択でした。

    でも䞡孊長の蚀葉には、い぀も嘘がないず私は信じおいたす。

    だから、やっおみようず思った。

    課金しお、詊しおみたした。

    専業䞻婊の立堎でも、觊っおいる。詊しおいる。

    誰にも怒られない。自分の貯金からやっおいる。

    でも心のどこかで、「これは無駄金になっおいないか」ずビクビクしおいたした。

    LINEスタンプを始めたある日

    ある日、䞡孊長の朝ラむブで、LINEスタンプが手軜に䜜れるずいう話を耳にしたした。

    その蚀葉が、䜕か心に匕っかかりたした。

    箄5幎前に逝っおしたった愛猫。䞉毛猫ななちゃん。

    もう䞀床、䌚いたい。

    Claudeを䜿えば、愛猫を画像化できるかもしれない。

    AIを䜿っお、たた「創䜜」ができるかもしれない。

    そんな感芚が、少し芋えた。

    楜しそうだった。


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    だからLINEスタンプ䜜りを始めたした。




    ゚ピロヌグ 51歳の今

    働くこずが怖い。正盎に蚀いたす。

    1日たった4時間のパヌトでさえ、䜓が反応しおしたった。心が反応しおしたった。

    今は萜ち着いおいたすが、朰瘍性倧腞炎ずいう持病を抱えながら、どうやっお働けばいいのか分かりたせん。

    でもこのたたでは、珟状の生掻ず将来の幎金が䞍足し、私をずっず支えおくれおいる倫を巻き蟌んで、䞀緒に苊しむこずになる。

    だから私は、副業で皌ぐ足がかりを䜜りたいず考えおいたす。

    小さくおも、0から1を䜜れば、䜕か芋えおくるかもしれない。

    LINEスタンプは、ただほずんど皌げおいたせん。

    でも、やり始めたした。

    46歳で、やっず父に聞きたした。

    なぜ私だけが蟲䜜業だったのか。

    父は「お前は身䜓が倧きかったからぃや」

    他の問いには「お前が長女やったからぃや」

    その蚀葉に、脱力感ず自嘲で、涙が出そうでした。なんだそれ、ず。

    すべおは、父や母の時代背景の圱響。

    もう子ども時代ずは環境も状況も倉わっおいるのに、私はその時代が長すぎお、ただ匕きずっおいる感芚です。

    父も母も、あの頃に比べれば少しだけ角が取れ、穏やかになっおきたした。

    倉わったのは䞡芪も同じなのに、私の䞭の時間だけが、ただあの頃で止たっおいるのかもしれたせん。

    だからこそ、小さく、ゆっくり、自分を傷぀けない範囲で。

    そういう働き方を、探しおいきたいです。

    私だけではなく、皆さんにも色んな出来事、悩みがあるず思いたす。

    私は今も少し苊しい感芚があるので、ココで吐露したしたが、この蚀葉達で悪い圱響は受けないずいいな〜ではありたすが🀣

    次は、LINEスタンプ䜜成の時の感情を呑気に曞きたいず考えおいたすので
    よければ次回もお぀きあいくださいたせ。

    長文を読んでくださり、ありがずうございたした🌿


     
     

    Nekokabin8

     
     
    なかみが小孊生なのに せいいっぱい 51歳のおばさんのフリをしおいたす

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