
人は周りの5人の平均らしい
俗説というか自己啓発界でよく言われる話に「人は周りの5人の平均になる」というのがある。
ジム・ローンというアメリカの自己啓発スピーカーの言葉とされているが正確な出典はよくわからないらしい。
でも広まってるし、それだけで十分な権威になってしまう現代社会。
一方で日本のことわざに「朱に交われば赤くなる」というのがある。
出典は3世紀の西晋の文人、傅玄が書いた
『太子少傅箴』
原文は「近朱者赤、近墨者黒」
朱に近づけば赤くなり墨に近づけば黒くなる。
5人の平均は出典が不明。
朱に交われば赤くなるは原文がある。
今回は原文がある傅玄さんの勝ちということで話を進める。
・朱が1人だったらどうなる
5人の平均理論と朱に交われば理論は一見同じことを言っているが少し違う。
5人の平均は数の話で、朱に交われば赤くなるは質の話だ。
5人の平均で考えるなら朱が1人しかいない場合、残り4人の色に薄められて大した影響にならないはずだ。
赤1人に青2人と黄色2人がいたら平均は橙がかった何かになる。
朱は多数決で負ける。
でも現実には1人の濃い朱に染まることがある。
会社に一人だけヤバい人間がいて職場全体の空気が変わる現象とか、一人の先生に影響されて人生が変わるとか。
数で考えると説明がつかない。
つまり朱の影響力は頭数では決まらない。
・濃さと数は別の問題
10人に薄めれば1人の朱の影響は小さくなるか。
確かに平均としては薄まる。
でも10人と深く関わるのは現実的に難しい。
浅い関係10人より深い関係3人のほうが影響は大きいかもしれない。
じゃあ集団で10人のコミュニティに入って朱を希釈しておけばいいのか。
でもそこまで人数を増やすと身近に染まるという元の意味から遠ざかる。
朱を薄めようとしたら法則そのものが薄まって消えた。
自我ってもんが無いんか
・中央値で見ると朱は消える
5人いて1人だけ飛び抜けた朱がいる場合、平均では朱の影響が出るが中央値で見ると朱は消える。
1人だけ極端だから真ん中には来ない。
同じ5人でも何で測るかによって朱に染まってるとも染まってないとも言える。
統計の取り方で結論が変わる理論は信頼性が低い。でもそれを言ったら5人の平均も測り方の話なので最初から怪しい。
・待てよ自分が朱だったら
ここまで朱を外側の存在として考えていた。
でも自分が朱だったらという可能性を検討していなかった。
5人の平均理論を素直に信じるなら自分もその5人に含まれる。
もし自分が朱だとしたら、自分の平均を成立させるためには残りの4人がさらに濃い朱でなければいけない。
自分という薄い朱を抱えてなお平均が朱になるくらい、周りが濃くないと説明がつかない。
その濃い朱の周りにも5人いる。
その5人の中に薄い朱がいたとしても平均が成立するくらい、さらに濃い朱が必要になる。
遡るほど濃度が上がっていく。
無限に遡ると世界が朱で埋まる。
5人の平均を素直に信じただけで世界が崩壊した。
・結論
傅玄は3世紀に「近朱者赤、近墨者黒」と言った。
ジム・ローンかもしれない誰かは1980年代に「5人の平均」と言った。
1700年の差がある。
どちらも言いたいことは同じで、一緒にいる人間に染まるという話だ。
歴史は権威だから古いほうが勝つ
で、自分の周りの5人を思い浮かべてみると染まりたい朱がいるかどうかは別として、まず5人ちゃんと思い浮かぶかどうかが問題になってくる場合がある。
…もしかしたら濃い朱と濃い朱は会うと対消滅するのかもしれない…
バケモノにはバケモノをぶつけんだよ!って言葉もあるしね!
あれは最後にどうなったかって?ぜひ確かめてください