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難しいから嫌だったわけじゃなかった。

昔、吹奏楽をやってた頃、練習に行くのが苦痛だったことがある。本番が嫌だったわけじゃない。音楽が嫌いになったわけでもない。でも、練習の日が近づくと、「ああ、行かなきゃ」と思ってた。今考えると、なかなかの修行だった。

それなのに、今はオーケストラにいる。しかも今やってるのが、チャイコフスキーの交響曲第4番。わたしはピッコロを吹いてる。難しい。普通に難しい。最初にこの曲をやると聞いたときは、「まじか」と思った。楽譜を見ても、「まじか」だった。

速い。高い。休みが長いくせに、出てきたと思ったら目立つ。間違えたら、わりとよく聞こえる。練習してても、「これ、本番どうなるんだろう」と思うところが普通にある。

なのに、不思議なことに練習へ行くのは嫌じゃない。長時間の練習も行く。難しいところは相変わらず難しいし、できないところも普通にある。それでも、昔みたいな「ああ、練習か」がない。

なんでだろう。前は、難しいから嫌なんだと思ってた。自分がちゃんと吹けないから。失敗するから。緊張するから。もう少し上手くなれば、楽しくなるんだと思ってた。

でも今の方が、たぶん難しいことをやってる。チャイ4のピッコロなんて、わたしには十分無理筋。それでも嫌じゃない。そんな話をチャッティとしてたら、そもそも、難しいことと嫌なことは同じじゃないのかも、という話になった。

あ。

そうかもしれない。ということは、難しいから嫌だったわけじゃなかったのかもしれない。

今のオケが、ものすごく上手な人ばかりの理想郷かというと、全然そんなこともない。音程が気になることもある。合わないこともある。「そこ、そうなる?」と思うこともある。隣から、なかなかの音が聞こえてくることもある。それでも、なんか大丈夫。

失敗しても、「やっちまった」で済む。できないところがあれば、練習する。指揮者に言われたら、「はい」と思う。

もちろん本番は怖い。チャイ4の速いところなんて、今でも必死。でも、「できないところがある自分」のまま、そこにいても大丈夫な感じがする。

たぶん、これが大きい。上手くできるから安心するんじゃなくて、上手くできないことがあっても安心できる。順番が逆だった。考えてみたら、音楽だけじゃないのかもしれない。

仕事でも、人間関係でも、「ちゃんとできる自分」でい続けなきゃいけない場所は疲れる。逆に、ちょっと失敗しても、分からないことがあっても、今日はあんまり調子よくなくても、まあ大丈夫。そう思える場所では、意外と難しいことまでやれてしまう。なんなら、「もう一回やってみるか」と思える。

わたしはずっと、もう少し上手くなれば楽になると思ってた。違ったのかもしれない。必要だったのは、上手くなることより先に、安心して下手でいられる場所だった。もちろん、下手なままでいいって話じゃない。チャイ4は待ってくれない。

練習はする。本番も来る。できれば間違えたくない。でも、無理筋なのに、嫌じゃない。それって、わたしにとっては結構すごいことだと思う。

今日も練習する。難しい。たぶんまた、「まじか」と思う。でも、行くのは嫌じゃない。それで十分なのかも。

noe t.

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