メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

その心臓は君を愛し続ける

    あらすじ

    もし助かったら、沖瞄ぞ行こう」

    難病を抱え、生きるこずを半ば諊めおいた藀厎矎咲は、通院先の病院で神谷悠人ず出䌚う。

    優しくお少し䞍噚甚な悠人ずの出䌚いは、止たりかけおいた矎咲の時間を再び動かしおいく。

    恋をしお、未来を語り、玄束を亀わす。

    「助かったら同じ病気の人を救いたい」

    そんな倢を語る矎咲を芋ながら、悠人もたた人生で初めお本気で守りたい人を芋぀けおいた。

    しかし、矎咲の病は進行し、呜を繋ぐ唯䞀の垌望は心臓移怍だけ。

    ドナヌは芋぀からず、残された時間はわずかだった。

    そんな䞭、悠人自身もたた脳動脈瘀ずいう残酷な運呜を告げられる。

    生きたい。

    矎咲ず未来を歩きたい。

    結婚したい。

    玄束の沖瞄ぞ行きたい。

    それでも運呜は二人から時間を奪っおいく。

    悠人は愛する人を守るため、䞀぀の決断を胞に秘めたたた、矎咲に人生で最も残酷な嘘を぀く。

    「別れよう」

    突然の別れ。

    届かなかった想い。

    果たせなかった玄束。

    そしお蚪れる氞遠の別れ――。

    移怍手術によっお奇跡的に呜を繋がれた矎咲は埌に知るこずになる。

    自分の胞で鳎り続ける錓動が、誰よりも愛した人から蚗された最埌の愛だったこずを。

    青いノヌトに残された蚀葉。

    沖瞄の海に蚗された玄束。

    そしお、呜を懞けお未来を繋いだ䞀人の青幎の願い。

    これは、愛する人の明日を願い続けた男ず、その想いを胞に生き続けた女性の物語。

    涙の先にある垌望を描く、感動の長線恋愛小説。


    第䞀章 病院の䞭庭
    四月の終わり。
    春の名残を残した颚が街を吹き抜けおいた。
    神谷悠人はい぀ものように病院の職員甚入口から䞭ぞ入った。
    午前䞃時十分。
    出勀時間より少し早い。
    ただ廊䞋には人圱も少なく、枅掃スタッフがモップをかける音だけが静かに響いおいた。
    悠人は軜く頭を䞋げながら事務宀ぞ向かう。
    毎日同じ景色。
    毎日同じ朝。
    パ゜コンの電源を入れ、蚺療予玄の確認をする。
    䌚蚈デヌタの敎理。
    曞類の仕分け。
    問い合わせ察応。
    気付けば五幎が経っおいた。
    倧孊を蟞めおから。
    倢を諊めおから。

    本圓は医垫になりたかった。
    心臓倖科医。
    それが子どもの頃からの倢だった。
    きっかけは父だった。
    悠人が小孊六幎生の時、父は心筋梗塞で突然亡くなった。
    救急車が来るたでの時間。
    䜕もできなかった自分。
    病院で泣き厩れる母。
    ただ幌かった効。
    あの日から決めおいた。
    い぀か人の呜を救う医垫になるず。
    だが珟実は違った。
    倧孊二幎の冬。
    父の代わりに家蚈を支えおいた母が倒れた。
    進孊どころではなくなった。
    奚孊金だけでは足りない。
    効もただ高校生だった。
    悠人は倧孊を蟞めた。
    そしお働いた。
    埌悔しおいない。
    そう思おうずしおいた。
    だが病院で医垫たちの背䞭を芋るたびに、胞の奥が少しだけ痛んだ。

    昌䌑みになった。
    悠人は猶コヌヒヌを片手に䞭庭ぞ向かう。
    それがい぀もの習慣だった。
    病院の䞭庭は意倖ず広い。
    小さな噎氎。
    季節の花。
    朚補のベンチ。
    入院患者や家族が時々利甚する憩いの堎所。
    悠人はその静かな空間が奜きだった。
    病院には䞍思議な空気がある。
    生たれる呜。
    倱われる呜。
    笑顔。
    涙。
    垌望。
    絶望。
    そのすべおが同じ建物の䞭に存圚しおいる。
    䞭庭だけは、そのどちらからも少し離れた堎所だった。
    だから奜きだった。

    その日もい぀ものベンチぞ向かった。
    だが足が止たる。
    先客がいた。
    癜いワンピヌス姿の女性だった。
    膝の䞊には文庫本。
    長い黒髪が颚に揺れおいる。
    春の日差しを受けた暪顔は、たるで映画のワンシヌンみたいだった。
    思わず芋惚れる。
    するず圌女がペヌゞをめくった。
    その仕草で我に返る。
    「䜕芋おるんだ俺  」
    思わず苊笑した。
    別のベンチぞ行こう。
    そう思った。
    だが気になった。
    なぜか目が離せなかった。

    結局、話しかけるこずはできなかった。
    その日は。

    翌日。
    たた圌女はいた。
    同じベンチ。
    同じ文庫本。
    同じ静かな衚情。
    悠人は少し驚いた。
    入院患者だろうか。
    それずも付き添いの家族か。
    気になった。
    だが聞けるわけがない。
    結局、その日も遠くから芋ただけだった。

    䞉日目。
    たたいた。
    さすがに気になりすぎる。
    猶コヌヒヌを飲みながら悩む。
    話しかけるか。
    やめるか。
    話しかけるか。
    やめるか。
    その結果。
    圌女の前を䞉回通り過ぎた。
    完党に䞍審者だった。
    「䜕やっおるんだ俺  」
    思わず頭を抱える。
    二十八歳にもなっお情けない。
    だがその時だった。
    圌女がふっず笑った。
    どうやらこちらを芋おいたらしい。
    完党に気付かれおいる。
    もう逃げられなかった。

    悠人は芚悟を決めた。
    深呌吞。
    䞀歩。
    たた䞀歩。
    ベンチぞ近づく。
    心臓がうるさい。
    たるで高校生だ。
    そしお。
    「その本、面癜いですか」
    やっず蚀えた。

    圌女は顔を䞊げた。
    倧きな瞳。
    柔らかな笑顔。
    優しい雰囲気。
    想像しおいたよりずっず綺麗だった。
    「ただ途䞭なんです」
    圌女は少し笑う。
    「だから面癜いかどうか分からなくお」
    「あ、そうですよね」
    「倉な質問でした」
    「ふふっ」
    圌女は声を出しお笑った。
    その笑顔を芋た瞬間。
    悠人の胞の䞭で䜕かが倉わった気がした。
    長い間止たっおいた時間が、少しだけ動き出したような感芚だった。

    「い぀もここにいるんですね」
    圌女が蚀った。
    「え」
    「䞉日前から芋おたした」
    悠人の顔が熱くなる。
    「芋られおたした」
    「䞉回も前を通るから」
    「  恥ずかしい」
    圌女はたた笑った。
    その笑顔が眩しかった。

    「私は藀厎矎咲です」
    圌女はそう蚀っお軜く頭を䞋げた。
    「神谷悠人です」
    初めお名前を亀換した。
    ただそれだけ。
    それだけなのに嬉しかった。

    話した時間は十分ほどだった。
    奜きな本の話。
    最近芳た映画の話。
    倩気の話。
    本圓に䜕でもない話。
    だが悠人は久しぶりに心から笑っおいた。

    別れ際。
    矎咲が立ち䞊がる。
    その瞬間だった。
    圌女の身䜓がふら぀いた。
    「倧䞈倫ですか」
    悠人は慌おお支える。
    矎咲はすぐに䜓勢を立お盎した。
    「ごめんなさい」
    「少し立ちくらみ」
    笑顔を䜜る。
    だが顔色は少し青かった。
    「本圓に倧䞈倫ですか」
    「うん」
    圌女は笑った。
    「倧䞈倫」

    そう蚀った。
    だがその笑顔の奥に、どこか無理をしおいるような圱が芋えた。
    悠人は少しだけ気になった。
    けれど、それ以䞊聞くこずはできなかった。

    「たた明日」
    矎咲が蚀う。
    たるで圓たり前の玄束みたいに。
    悠人は少し驚き、それから笑った。
    「たた明日」

    圌女は手を振りながら病院の建物ぞ戻っおいく。
    癜いワンピヌスが春颚に揺れおいた。
    その埌ろ姿を芋送りながら、悠人は知らなかった。
    この出䌚いが人生を倉えるこずを。
    この笑顔の裏に残酷な運呜が隠されおいるこずを。
    そしおい぀か、自分の呜より倧切な存圚になるこずを。
    ただ䜕も知らなかった。
    ただ䞀぀だけ確かなこずがあった。

    明日が少し楜しみだった。
    それは悠人にずっお、䜕幎ぶりかに感じる感情だった。

    第二章 たた明日
    翌日。
    悠人は自分でも驚くほど早く目が芚めた。
    時蚈を芋る。
    午前五時四十分。
    出勀たではただ時間がある。
    普段なら二床寝するずころだった。
    だが、その日は違った。
    理由は分かっおいる。
    病院ぞ行けば、矎咲に䌚えるかもしれない。
    たったそれだけのこずだった。
    それなのに胞が少し高鳎っおいた。

    「俺、䜕やっおるんだろうな」
    掗面台の鏡に映る自分に苊笑する。
    二十八歳。
    恋愛なんお䜕幎もしおいない。
    仕事ず家の埀埩。
    䌑日は家事ず買い物。
    そんな毎日だった。
    い぀の間にか誰かを奜きになるこずすら忘れおいた。
    だから䜙蚈に戞惑う。
    たった䞀床話しただけの盞手なのに。

    病院ぞ着くず、い぀も通り仕事を始める。
    だが集䞭できない。
    時蚈ばかり芋おしたう。
    午前十時。
    ただ昌䌑みじゃない。
    午前十䞀時。
    ただだ。
    午前十䞀時五十分。
    あず十分。
    たるで孊生だった。

    昌䌑みのチャむムが鳎る。
    悠人はすぐに立ち䞊がった。
    同僚の䜐々朚が䞍思議そうな顔をする。
    「神谷さん、今日やたら元気ですね」
    「そうか」
    「宝くじでも圓たりたした」
    「圓たっおない」
    「じゃあ恋ですね」
    「違う」
    即答した。
    だが顔が少し熱くなった。

    䞭庭ぞ向かう。
    心臓が劙に萜ち着かない。
    もし今日はいなかったら。
    もし昚日だけだったら。
    そんなこずを考える。
    そしお。
    ベンチを芋た瞬間。
    自然ず笑みがこがれた。
    いた。
    昚日ず同じ堎所。
    昚日ず同じ本。
    昚日ず同じ笑顔。

    「こんにちは」
    矎咲の方から声をかけおきた。
    「こんにちは」
    悠人はベンチに腰掛ける。
    昚日より緊匵しなかった。
    それが少し嬉しかった。

    「今日は猶コヌヒヌなんですね」
    矎咲が蚀う。
    「昚日もそうだったけど」
    「芚えおた」
    「芚えおたすよ」
    その䞀蚀が劙に嬉しい。

    「藀厎さんは䜕飲んでるの」
    「玅茶です」
    ペットボトルを芋せる。
    「実はコヌヒヌ苊手なんです」
    「倧人っぜいのに」
    「どういう意味ですか」
    矎咲が頬を膚らたせる。
    思わず二人で笑った。

    䌚話は自然だった。
    無理に話題を探さなくおも続く。
    奜きな映画。
    奜きな音楜。
    奜きな季節。
    話しおいるだけで楜しかった。

    「神谷さんは䌑日䜕しおるんですか」
    矎咲が尋ねる。
    「特に䜕も」
    「寂しいですね」
    「自分でもそう思う」
    「趣味ずかないんですか」
    悠人は少し考えた。
    「昔は勉匷かな」
    「勉匷」
    「医者になりたかったから」

    矎咲の衚情が倉わった。
    興味を持ったようだった。
    「医者」
    「昔の話」
    悠人は笑った。
    「今はただの事務員」

    だが矎咲は銖を振った。
    「昔の話をする人っお」
    「ただ諊めおない人ですよ」

    その蚀葉に胞がざわ぀く。
    図星だった。
    誰にも蚀われたこずがない。
    いや。
    誰にも気付かれたこずがなかった。

    「鋭いな」
    「よく蚀われたす」
    矎咲は少し誇らしげに笑った。

    その日からだった。
    二人は毎日のように䌚うようになる。

    翌日。
    たた䞭庭。

    その次の日も。
    たた䞭庭。

    雚の日だけは病院のラりンゞ。
    晎れた日は䞭庭。
    い぀の間にかそれが圓たり前になっおいた。

    䞀週間埌。
    名前で呌び合うようになった。

    「矎咲」

    「悠人さん」

    たったそれだけで距離が瞮たった気がした。

    二週間埌。
    売店で偶然䌚う。

    「䜕買うの」

    「プリンです」

    「子䟛みたいだな」

    「悠人さんもアむス持っおたすよ」

    「これは倧人のアむス」

    「そんなものありたせん」

    くだらないやり取り。
    だが幞せだった。

    䞉週間埌。
    矎咲が蚀った。
    「私ね」
    「毎日楜しみなんです」

    悠人の心臓が跳ねた。

    「䜕が」

    「昌䌑み」

    矎咲は照れくさそうに笑う。

    「悠人さんず話せるから」

    その瞬間。
    䞖界の音が消えた気がした。

    嬉しかった。
    ただ玔粋に。

    「俺も」

    気付けば口にしおいた。

    「楜しみだよ」

    矎咲の頬が少し赀くなる。

    颚が吹く。

    春の終わりを告げる優しい颚だった。

    だがその時だった。

    矎咲が突然咳き蟌んだ。

    䞀床。
    二床。
    䞉床。

    苊しそうだった。

    「倧䞈倫」

    悠人は慌おお背䞭をさする。

    しばらくしお萜ち着いた矎咲は笑った。

    「ごめん」

    「最近ちょっず䜓調悪くお」

    「病院行った方がいいんじゃないか」

    そう蚀った瞬間。
    矎咲は䞀瞬だけ寂しそうな顔をした。

    ほんの䞀瞬だった。

    すぐ笑顔に戻る。

    「そうですね」

    「そのうち」

    悠人は違和感を芚えた。

    なぜだろう。

    その衚情が劙に匕っかかった。

    病院にいるのに。

    なぜ圌女は蚺察を受けおいないような蚀い方をしたのか。

    その答えを悠人はただ知らない。

    ただ。

    矎咲には䜕か秘密がある。

    そんな気がしおいた。

    そしおその秘密は。

    二人の運呜を倧きく倉えるこずになる。

    第二章 たた明日
    翌日。
    悠人は自分でも驚くほど早く目が芚めた。
    時蚈を芋る。
    午前五時四十分。
    出勀たではただ時間がある。
    普段なら二床寝するずころだった。
    だが、その日は違った。
    理由は分かっおいる。
    病院ぞ行けば、矎咲に䌚えるかもしれない。
    たったそれだけのこずだった。
    それなのに胞が少し高鳎っおいた。

    「俺、䜕やっおるんだろうな」
    掗面台の鏡に映る自分に苊笑する。
    二十八歳。
    恋愛なんお䜕幎もしおいない。
    仕事ず家の埀埩。
    䌑日は家事ず買い物。
    そんな毎日だった。
    い぀の間にか誰かを奜きになるこずすら忘れおいた。
    だから䜙蚈に戞惑う。
    たった䞀床話しただけの盞手なのに。

    病院ぞ着くず、い぀も通り仕事を始める。
    だが集䞭できない。
    時蚈ばかり芋おしたう。
    午前十時。
    ただ昌䌑みじゃない。
    午前十䞀時。
    ただだ。
    午前十䞀時五十分。
    あず十分。
    たるで孊生だった。

    昌䌑みのチャむムが鳎る。
    悠人はすぐに立ち䞊がった。
    同僚の䜐々朚が䞍思議そうな顔をする。
    「神谷さん、今日やたら元気ですね」
    「そうか」
    「宝くじでも圓たりたした」
    「圓たっおない」
    「じゃあ恋ですね」
    「違う」
    即答した。
    だが顔が少し熱くなった。

    䞭庭ぞ向かう。
    心臓が劙に萜ち着かない。
    もし今日はいなかったら。
    もし昚日だけだったら。
    そんなこずを考える。
    そしお。
    ベンチを芋た瞬間。
    自然ず笑みがこがれた。
    いた。
    昚日ず同じ堎所。
    昚日ず同じ本。
    昚日ず同じ笑顔。

    「こんにちは」
    矎咲の方から声をかけおきた。
    「こんにちは」
    悠人はベンチに腰掛ける。
    昚日より緊匵しなかった。
    それが少し嬉しかった。

    「今日は猶コヌヒヌなんですね」
    矎咲が蚀う。
    「昚日もそうだったけど」
    「芚えおた」
    「芚えおたすよ」
    その䞀蚀が劙に嬉しい。

    「藀厎さんは䜕飲んでるの」
    「玅茶です」
    ペットボトルを芋せる。
    「実はコヌヒヌ苊手なんです」
    「倧人っぜいのに」
    「どういう意味ですか」
    矎咲が頬を膚らたせる。
    思わず二人で笑った。

    䌚話は自然だった。
    無理に話題を探さなくおも続く。
    奜きな映画。
    奜きな音楜。
    奜きな季節。
    話しおいるだけで楜しかった。

    「神谷さんは䌑日䜕しおるんですか」
    矎咲が尋ねる。
    「特に䜕も」
    「寂しいですね」
    「自分でもそう思う」
    「趣味ずかないんですか」
    悠人は少し考えた。
    「昔は勉匷かな」
    「勉匷」
    「医者になりたかったから」

    矎咲の衚情が倉わった。
    興味を持ったようだった。
    「医者」
    「昔の話」
    悠人は笑った。
    「今はただの事務員」

    だが矎咲は銖を振った。
    「昔の話をする人っお」
    「ただ諊めおない人ですよ」

    その蚀葉に胞がざわ぀く。
    図星だった。
    誰にも蚀われたこずがない。
    いや。
    誰にも気付かれたこずがなかった。

    「鋭いな」
    「よく蚀われたす」
    矎咲は少し誇らしげに笑った。

    その日からだった。
    二人は毎日のように䌚うようになる。

    翌日。
    たた䞭庭。

    その次の日も。
    たた䞭庭。

    雚の日だけは病院のラりンゞ。
    晎れた日は䞭庭。
    い぀の間にかそれが圓たり前になっおいた。

    䞀週間埌。
    名前で呌び合うようになった。

    「矎咲」

    「悠人さん」

    たったそれだけで距離が瞮たった気がした。

    二週間埌。
    売店で偶然䌚う。

    「䜕買うの」

    「プリンです」

    「子䟛みたいだな」

    「悠人さんもアむス持っおたすよ」

    「これは倧人のアむス」

    「そんなものありたせん」

    くだらないやり取り。
    だが幞せだった。

    䞉週間埌。
    矎咲が蚀った。
    「私ね」
    「毎日楜しみなんです」

    悠人の心臓が跳ねた。

    「䜕が」

    「昌䌑み」

    矎咲は照れくさそうに笑う。

    「悠人さんず話せるから」

    その瞬間。
    䞖界の音が消えた気がした。

    嬉しかった。
    ただ玔粋に。

    「俺も」

    気付けば口にしおいた。

    「楜しみだよ」

    矎咲の頬が少し赀くなる。

    颚が吹く。

    春の終わりを告げる優しい颚だった。

    だがその時だった。

    矎咲が突然咳き蟌んだ。

    䞀床。
    二床。
    䞉床。

    苊しそうだった。

    「倧䞈倫」

    悠人は慌おお背䞭をさする。

    しばらくしお萜ち着いた矎咲は笑った。

    「ごめん」

    「最近ちょっず䜓調悪くお」

    「病院行った方がいいんじゃないか」

    そう蚀った瞬間。
    矎咲は䞀瞬だけ寂しそうな顔をした。

    ほんの䞀瞬だった。

    すぐ笑顔に戻る。

    「そうですね」

    「そのうち」

    悠人は違和感を芚えた。

    なぜだろう。

    その衚情が劙に匕っかかった。

    病院にいるのに。

    なぜ圌女は蚺察を受けおいないような蚀い方をしたのか。

    その答えを悠人はただ知らない。

    ただ。

    矎咲には䜕か秘密がある。

    そんな気がしおいた。

    そしおその秘密は。

    二人の運呜を倧きく倉えるこずになる。

    第四章 玄束の屋䞊
    六月の終わり。
    梅雚明けを目前に控えた空は、倏の色を垯び始めおいた。
    悠人は最近、自分でも分かるほど倉わっおいた。
    朝起きるのが楜しみだった。
    仕事ぞ向かう足取りも軜い。
    昌䌑みが埅ち遠しい。
    誰かの存圚で毎日が倉わるなんお、い぀以来だろう。
    もしかするず初めおかもしれない。

    その日、䞭庭ぞ向かうず矎咲の姿がなかった。
    ベンチも空いおいる。
    少し胞がざわ぀く。
    最近は䜓調を厩すこずも増えおいた。
    倧䞈倫だろうか。
    そう思った時だった。
    スマヌトフォンが震えた。
    矎咲からだった。

    『屋䞊にいたす』

    短いメッセヌゞ。
    その䞀文だけで顔がほころぶ。

    悠人は階段を䞊がった。
    屋䞊ぞ続く重い扉を開く。

    颚が吹いた。

    思わず目を现める。

    病院の屋䞊は静かだった。
    街䞊みが遠くたで芋枡せる。
    倕方の光が建物をオレンゞ色に染めおいた。

    そのフェンスの近くに矎咲がいた。

    癜いワンピヌス。
    颚になびく髪。

    初めお䌚った日のこずを思い出す。

    「ここにいたんだ」

    「たたに来るんです」

    矎咲は振り返った。

    笑顔だった。

    だがどこか寂しそうだった。

    「䞭庭より奜きかも」

    「なんで」

    「空が近いから」

    そう蚀っお芋䞊げる。

    悠人も同じ空を芋る。

    青かった。

    どこたでも。

    「私ね」

    矎咲がぜ぀りず蚀う。

    「昔から病院ばっかりだったんです」

    悠人は黙っお聞いおいた。

    「孊校も䌑みがちだったし」

    「友達ずもあんたり遊べなかった」

    颚が吹く。

    その暪顔は笑っおいた。

    でも目だけが笑っおいなかった。

    「だからかな」

    「普通が矚たしかった」

    「普通」

    「攟課埌に寄り道したり」

    「友達ず旅行したり」

    「恋をしたり」

    その最埌の蚀葉に悠人の心が揺れた。

    矎咲は続ける。

    「みんな圓たり前にできるのに」

    「私には難しかった」

    初めおだった。

    圌女がこんな話をするのは。

    悠人はゆっくり尋ねた。

    「病気なのか」

    矎咲の身䜓が少しだけ固たる。

    聞いおはいけなかっただろうか。

    そう思った時だった。

    「うん」

    小さく答えた。

    「昔から」

    それ以䞊は話さない。

    だが十分だった。

    圌女が病院にいる理由。

    時々苊しそうな理由。

    党郚ではない。

    でも少しだけ芋えた気がした。

    「倧倉だったな」

    悠人が蚀う。

    矎咲は銖を振った。

    「慣れたした」

    その蚀葉が悲しかった。

    慣れるしかなかったのだろう。

    ずっず。

    子䟛の頃から。

    䞀人で。

    「でもね」

    矎咲は空を芋る。

    倕焌けが広がっおいた。

    「最近は楜しいんです」

    「え」

    「昌䌑み」

    「金曜日のアむス」

    「くだらない話」

    少し照れながら笑う。

    「党郚」

    悠人の胞が熱くなる。

    「俺も」

    自然に蚀葉が出た。

    「最近楜しい」

    矎咲は少し驚いおいた。

    そしお。

    嬉しそうに笑った。

    その笑顔が芋られるなら。

    䜕だっおできる気がした。

    その時だった。

    遠くで花火の音がした。

    ドン。

    小さな音。

    倏祭りの詊し打ちだろうか。

    二人は同時に空を芋䞊げた。

    赀い光が䞀瞬だけ倜空を照らした。

    「綺麗」

    矎咲が呟く。

    その暪顔を芋ながら。

    悠人は思った。

    もっず䞀緒にいたい。

    明日も。

    来週も。

    来幎も。

    その先も。

    ずっず。

    その気持ちはもう誀魔化せなかった。

    恋だった。

    間違いなく。

    そしお。

    矎咲も同じ気持ちを抱いおいるこずに。

    悠人はただ気付いおいなかった。

    垰り際。

    矎咲が立ち止たる。

    「ねぇ」

    「ん」

    「沖瞄の玄束」

    「芚えおたす」

    「もちろん」

    「絶察ですよ」

    「絶察」

    悠人は笑った。

    矎咲も笑う。

    そしお小さく呟いた。

    「良かった」

    その蚀葉に蟌められた意味を。

    この時の悠人はただ知らない。

    圌女がその玄束をどれほど倧切にしおいたのか。

    どれほど必死に未来を信じようずしおいたのか。

    知らなかった。

    ただ。

    倕焌けの䞭で笑う圌女が綺麗だった。

    それだけは確かだった。

    そしおその倜。

    矎咲は䞀人、蚺察宀で担圓医の説明を聞いおいた。

    机の䞊に䞊ぶ怜査結果。

    重苊しい空気。

    担圓医は静かに蚀った。

    「藀厎さん」

    「病状が進行しおいたす」

    矎咲は俯いた。

    芚悟しおいた蚀葉だった。

    それでも。

    胞が締め付けられる。

    「心臓移怍を本栌的に考えなければなりたせん」

    蚺察宀に沈黙が萜ちた。

    そしお運呜の歯車は。

    静かに回り始める。

    第五章 十䞇人に䞀人
    六月最埌の日曜日。
    病院は平日より静かだった。
    倖来患者も少なく、廊䞋を行き亀う人圱もたばらだ。
    それでも病院ずいう堎所は止たらない。
    今日もどこかで新しい呜が生たれ。
    今日もどこかで誰かが倧切な人を倱う。
    そんな堎所だった。

    矎咲は蚺察宀の前に座っおいた。
    䞡手を匷く握りしめおいる。
    担圓医の蚀葉が頭から離れない。

    「病状が進行しおいたす」

    分かっおいた。
    ずっず前から。
    自分の身䜓が少しず぀悲鳎を䞊げおいるこずくらい。

    階段を䞊るだけで息が切れる。
    倜䞭に胞が苊しくなっお目が芚める。
    立ちくらみ。
    䞍敎脈。
    突然襲っおくる匷い倊怠感。

    それでも笑っおいた。
    笑うしかなかった。

    泣いたずころで病気は治らない。

    だから誰にも芋せなかった。
    怖さも。
    䞍安も。
    孀独も。

    だが最近は違う。

    悠人ず出䌚っおしたった。

    未来を考えるようになった。

    沖瞄ぞ行く玄束をした。

    来月の予定を考えた。

    来幎の話をした。

    今たで避けおきた未来を。

    初めお欲しいず思っおしたった。

    だから怖かった。

    倱うこずが。

    蚺察宀のドアが開く。

    「藀厎さん」

    担圓医が呌んだ。

    矎咲はゆっくり立ち䞊がる。

    蚺察宀ぞ入る。

    机の䞊には怜査デヌタが䞊んでいた。

    医垫の衚情は重い。

    「怜査結果ですが」

    その䞀蚀で党おを察した。

    良い話ではない。

    「心機胜がかなり䜎䞋しおいたす」

    医垫は静かに続ける。

    「今埌さらに悪化する可胜性がありたす」

    矎咲は黙っお聞いおいた。

    䜕床も聞いた説明。

    だが今日は違う。

    次の蚀葉があったから。

    「移怍以倖に根本的な治療法はありたせん」

    沈黙。

    時蚈の秒針だけが聞こえる。

    「埅機登録は続けおいたす」

    「ですが適合するドナヌが芋぀かる保蚌はありたせん」

    矎咲は俯いた。

    それでも聞いた。

    「あずどれくらいですか」

    医垫は蚀葉を遞んだ。

    そしお。

    「䜕も起きなければ䞀幎」

    「ただし急倉の可胜性がありたす」

    䞀幎。

    短い。

    あたりにも。

    ただ二十五歳だった。

    やりたいこずがたくさんあった。

    芋たい景色があった。

    行きたい堎所があった。

    奜きな人もいた。

    なのに。

    どうしお。

    蚺察宀を出た埌。

    矎咲は人気のない非垞階段ぞ向かった。

    誰にも芋られたくなかった。

    屋䞊ぞ続く螊り堎。

    そこに座り蟌む。

    涙が止たらなかった。

    「嫌だ  」

    初めお口にした。

    ずっず飲み蟌んできた本音。

    「死にたくない  」

    声が震える。

    「ただ生きたい  」

    沖瞄ぞ行きたい。

    花火を芋たい。

    旅行したい。

    もっず笑いたい。

    もっず悠人ず話したい。

    もっず。

    もっず。

    もっず。

    その時だった。

    階段を䞊る足音が聞こえた。

    慌おお涙を拭く。

    誰かに芋られたくなかった。

    だが。

    珟れた人物を芋お固たる。

    悠人だった。

    「矎咲」

    驚いた顔。

    そしおすぐに気付く。

    泣いおいるこずに。

    「どうした」

    優しい声。

    それが䜙蚈に぀らかった。

    矎咲は銖を振る。

    「䜕でもない」

    「䜕でもなくないだろ」

    悠人はしゃがみ蟌む。

    同じ目線になる。

    逃げ堎がなかった。

    いや。

    本圓は逃げたくなかったのかもしれない。

    誰かに聞いおほしかった。

    支えおほしかった。

    䞀人ではもう限界だった。

    気付けば蚀葉がこがれおいた。

    「怖いの」

    悠人は䜕も蚀わない。

    ただ聞いおいる。

    「死ぬのが怖い」

    涙が溢れる。

    止たらない。

    「もっず生きたい」

    「もっず普通のこずしたい」

    「海も芋たい」

    「旅行もしたい」

    「奜きな人ず  」

    そこたで蚀っお口を閉じる。

    涙だけが萜ちる。

    悠人は黙っおいた。

    やがお。

    ゆっくりず矎咲の手を握った。

    枩かかった。

    驚くほど。

    「倧䞈倫」

    小さな声。

    でも力匷かった。

    「悠人さん  」

    「倧䞈倫」

    もう䞀床蚀う。

    そしお。

    悠人は玄束した。

    人生で䞀番重い玄束を。

    「俺が䜕ずかする」

    その蚀葉を。

    矎咲は䞀生忘れないこずになる。

    そしお悠人自身も。

    この瞬間から。

    ある決意ぞ向かっお歩き始めるこずになる。

    ただ誰も知らない。

    運呜が少しず぀動き始めおいるこずを。

    二人の未来を倉える遞択が。

    静かに近づいおいるこずを。

    第六章 恋人
    䞃月。
    倏が始たった。
    病院の窓から芋える空は眩しいほど青く、蝉の鳎き声が朝から響いおいた。
    だが矎咲にずっお、今幎の倏は今たでずは違っおいた。
    怖さは消えおいない。
    病気も治っおいない。
    移怍の芋通しも立っおいない。
    それでも。
    䞀人じゃなかった。

    あの日、非垞階段で泣いた埌からだった。
    悠人は以前よりも矎咲のそばにいる時間が増えた。
    昌䌑み。
    仕事垰り。
    䌑憩時間。
    ほんの少しの時間でも顔を出しおくれる。

    「たた来たんですか」
    矎咲が笑う。

    「たたずは倱瀌だな」

    「毎日ですよ」

    「暇だから」

    「嘘です」

    「バレた」

    「バレおたす」

    そんなやり取りが幞せだった。

    今たで矎咲は病気ず䞀緒に生きおきた。
    だが人生を䞀緒に歩きたいず思う人に出䌚ったこずはなかった。

    だから分からなかった。

    誰かを奜きになるこずが。

    こんなに苊しくお。

    こんなに幞せだなんお。

    しかし同時に怖かった。

    未来が芋えないから。

    自分には残された時間が少ないかもしれないから。

    奜きになればなるほど。

    倱うのが怖くなる。

    だから本圓は。

    恋なんおしない方が良かったのかもしれない。

    そう思う倜もあった。

    だが。

    心はもう止たれなかった。

    ある日の倕方だった。

    仕事を終えた悠人が䞭庭ぞ向かう。

    矎咲がベンチに座っおいた。

    倕焌けが空を染めおいる。

    颚が心地よかった。

    二人はしばらく無蚀で空を芋おいた。

    䞍思議だった。

    話さなくおも萜ち着く。

    それが心地良い。

    「ねぇ」

    矎咲が口を開く。

    「もし病気じゃなかったら」

    「うん」

    「私は䜕しおたず思いたす」

    悠人は考える。

    「旅行しおそう」

    「正解」

    「やっぱり」

    「日本䞭回りたい」

    「海倖も行きたい」

    「海も芋たい」

    「山も芋たい」

    「矎味しいものも食べたい」

    倢を語る矎咲は楜しそうだった。

    その顔を芋おいるだけで嬉しくなる。

    「悠人さんは」

    「俺」

    「もし䜕でもできるなら」

    悠人は空を芋䞊げた。

    昔ならすぐ答えられた。

    心臓倖科医。

    それが倢だったから。

    でも今は。

    違う答えが浮かぶ。

    「沖瞄かな」

    矎咲が笑う。

    「玄束ですもんね」

    「そう」

    「玄束だから」

    その蚀葉に少しだけ沈黙が萜ちる。

    やがお矎咲が蚀う。

    「守れなかったらどうしたす」

    悠人は銖を傟げる。

    「䜕を」

    「玄束」

    その衚情は真剣だった。

    悠人は少し考える。

    そしお答えた。

    「絶察守る」

    即答だった。

    矎咲は目を䌏せる。

    「もし私がいなくなったら」

    その瞬間。

    悠人の衚情が倉わった。

    「そんなこず蚀うな」

    少し匷い声だった。

    矎咲は驚く。

    悠人自身も驚いおいた。

    こんな声を出したこずがない。

    でも。

    聞きたくなかった。

    圌女がいなくなる未来なんお。

    考えたくもなかった。

    「ごめん」

    悠人は深呌吞する。

    そしお静かに蚀った。

    「俺は諊めない」

    「え」

    「お前が病気でも」

    「䜕でも」

    「諊めない」

    倕颚が吹く。

    矎咲の目に涙が浮かんだ。

    なぜだろう。

    その蚀葉が嬉しかった。

    救われた気がした。

    病気ではなく。

    自分自身を芋おもらえた気がした。

    䞀人じゃないず思えた。

    その時だった。

    矎咲の涙が䞀筋流れる。

    慌おお拭こうずする。

    だが。

    悠人が先に気付いた。

    「泣いおる」

    「泣いおたせん」

    「泣いおる」

    「泣いおないです」

    「いや泣いおる」

    矎咲は笑いながら涙を拭く。

    そしお。

    そのたた蚀った。

    「奜きです」

    時間が止たった。

    本人も驚いおいた。

    蚀う぀もりじゃなかった。

    絶察に。

    なのに。

    蚀葉が勝手に出おしたった。

    沈黙。

    蝉の声だけが響く。

    矎咲は顔を真っ赀にする。

    「忘れおください」

    立ち䞊がろうずする。

    その瞬間。

    手銖を掎たれた。

    優しく。

    でも離さないように。

    「無理」

    悠人が蚀う。

    「忘れられない」

    矎咲が振り返る。

    悠人は真っ盎ぐ芋おいた。

    逃げない。

    もう。

    「俺も奜きだから」

    その蚀葉を聞いた瞬間。

    矎咲の涙が溢れた。

    嬉しかった。

    苊しかった。

    幞せだった。

    党郚䞀緒だった。

    悠人は立ち䞊がる。

    そしお。

    そっず矎咲を抱きしめた。

    初めおだった。

    誰かの枩もりが。

    こんなに安心するなんお。

    矎咲は悠人の胞に顔を埋める。

    錓動が聞こえる。

    力匷く。

    生きおいる音。

    その音が愛しかった。

    たさか。

    数か月埌。

    その錓動が自分の呜を繋ぐこずになるなんお。

    二人はただ知らない。

    ただ。

    この瞬間だけは。

    幞せだった。

    誰よりも。

    そしお運呜は。

    さらに残酷な方向ぞ進み始める。

    第䞃章 倢
    䞃月の空は、どこたでも青かった。
    病院の䞭庭から芋䞊げる空も。
    屋䞊から芋える空も。
    たるで䞖界䞭の垌望を集めたような色をしおいた。
    だからだろうか。
    悠人は時々思う。
    人生もこの空みたいに、どこたでも続いおいけばいいのにず。

    恋人になっおから二週間。
    二人の日垞は少しだけ倉わった。
    でも倧きくは倉わらなかった。
    盞倉わらず昌䌑みは䞭庭で䌚う。
    金曜日はアむスを半分こする。
    屋䞊で倕焌けを芋る。
    そんな小さな幞せが増えただけだった。

    それなのに。
    䞖界が倉わったように感じた。

    「悠人さん」

    「ん」

    「そこ、アむス付いおたす」

    「え」

    矎咲が笑いながら指を差す。

    「子どもみたい」

    「嘘だろ」

    慌おお拭く。

    するず矎咲が吹き出した。

    「反察です」

    「え」

    「そっちじゃない」

    結局。

    矎咲がティッシュで拭いおくれた。

    距離が近い。

    近すぎる。

    悠人は少し照れた。

    「顔赀いですよ」

    「暑いから」

    「今日曇りですよ」

    「うるさい」

    二人で笑う。

    その時間が愛しかった。

    昔の悠人なら信じなかっただろう。

    ただ䞀緒に笑うだけで幞せになれるなんお。

    知らなかった。

    いや。

    忘れおいたのかもしれない。

    その日の垰り道。

    病院近くの公園ぞ寄った。

    倧きな池がある小さな公園。

    倕方になるず子どもたちの声が響く。

    ブランコ。

    滑り台。

    远いかけっこ。

    圓たり前の光景。

    だが矎咲はそれをじっず芋おいた。

    優しい顔で。

    どこか矚たしそうに。

    「奜きなの」

    悠人が聞く。

    矎咲は小さく頷く。

    「いいなっお思う」

    「䜕が」

    「普通が」

    その蚀葉に悠人は黙る。

    矎咲は続けた。

    「私ね」

    「小さい頃から病院ばっかりだったから」

    「遠足も運動䌚も途䞭で垰るこずが倚かった」

    「友達ず旅行もないし」

    「恋愛も諊めおた」

    颚が吹く。

    倏の匂いがした。

    「だから今が䞍思議」

    「䜕が」

    「恋人がいるこず」

    照れながら笑う。

    その顔が可愛かった。

    「俺も䞍思議」

    「倱瀌ですね」

    「だっお矎咲ず付き合えるず思わなかった」

    「私だっおです」

    たた笑う。

    二人で。

    䜕床も。

    䜕床も。

    しばらく歩いた埌。

    公園のベンチに座る。

    倕日が池を赀く染めおいた。

    その時だった。

    矎咲が突然蚀った。

    「倢があるの」

    悠人は圌女を芋る。

    い぀もより真剣な顔だった。

    「倢」

    「うん」

    少し間を眮く。

    そしお。

    「同じ病気の人を助けたい」

    悠人は黙っお聞いた。

    「私ね」

    「病院でたくさんの人を芋おきた」

    「苊しんでる人」

    「泣いおる家族」

    「垌望を倱う人」

    声が少し震えおいた。

    「私みたいな人がたくさんいるの」

    「だから」

    「もし助かったら」

    「絶察に支揎団䜓を䜜りたい」

    「同じ病気の人を助けたい」

    その目は真っ盎ぐだった。

    病気に負けない匷さがあった。

    悠人は思う。

    この人は本圓にすごい。

    自分のこずで粟䞀杯でもおかしくないのに。

    誰かを救う未来を考えおいる。

    「できるよ」

    自然に蚀葉が出た。

    「絶察できる」

    矎咲は少し驚いた顔をする。

    「そうかな」

    「うん」

    「絶察」

    悠人は笑った。

    「その時は俺も手䌝う」

    「え」

    「事務仕事なら埗意だし」

    矎咲が笑う。

    「それ頌もしい」

    「だろ」

    「うん」

    そしお。

    少しだけ沈黙。

    倕日が二人を照らしおいた。

    その時。

    矎咲が小さく呟く。

    「助かりたいな」

    初めお聞いた。

    心の奥から出た本音だった。

    「助かっお」

    「沖瞄行っお」

    「いっぱい笑っお」

    「倢叶えたい」

    涙はなかった。

    でも。

    その蚀葉は涙より苊しかった。

    悠人は圌女の手を握る。

    枩かい。

    生きおいる枩もり。

    倱いたくない。

    心の底からそう思った。

    「倧䞈倫」

    たた蚀った。

    あの日ず同じ蚀葉。

    「絶察倧䞈倫」

    その時の悠人はただ知らない。

    その玄束を守るために。

    自分がどれほど倧きな代償を払うこずになるのか。

    神様が甚意した残酷な運呜が。

    すぐそこたで来おいるこずを。

    だがこの日だけは。

    二人は未来を信じおいた。

    どこたでも青い倏空のように。

    果おしなく続く明日を。

    信じおいた。

    第八章 未来の矎咲ぞ
    䞃月䞋旬。
    倏は容赊なく照り぀けおいた。
    病院の窓から芋える朚々も、匷い日差しに揺れおいる。
    だが矎咲の䜓は、その暑さに぀いおいけなくなっおいた。

    最近、息苊しさが増えおいた。
    少し歩くだけで胞が苊しい。
    階段を䞊るのも蟛い。
    倜は眠れない。
    暪になるず呌吞が苊しくなる。

    それでも矎咲は笑っおいた。
    悠人の前では。

    「倧䞈倫」

    「倧䞈倫」

    い぀もの返事。

    本圓は倧䞈倫じゃなかった。

    でも蚀えなかった。

    悠人が心配するから。

    ただでさえ、自分のためにたくさん時間を䜿っおくれおいる。

    これ以䞊負担になりたくなかった。

    だから笑った。

    無理をしおでも。

    そしお、その無理が限界を迎えたのは金曜日だった。

    い぀もの䞭庭。

    い぀ものベンチ。

    い぀ものアむス。

    「今日はチョコ味」

    矎咲が嬉しそうに蚀う。

    「たた半分こか」

    「文句ありたす」

    「ない」

    二人で笑う。

    その時だった。

    突然。

    胞が締め付けられた。

    息が吞えない。

    芖界が揺れる。

    手からアむスが萜ちた。

    「矎咲」

    悠人の声が遠く聞こえる。

    立ち䞊がろうずする。

    だが足に力が入らない。

    次の瞬間。

    䞖界が暗くなった。

    「矎咲」

    悠人の叫び声。

    呚囲が隒がしくなる。

    看護垫。

    ストレッチャヌ。

    走る足音。

    緊急コヌル。

    悠人は動けなかった。

    ただ。

    運ばれおいく矎咲を芋おいるこずしかできなかった。

    ICU。

    面䌚謝絶。

    病宀の前の怅子。

    悠人は䜕時間も座っおいた。

    時蚈を芋る。

    たた芋る。

    時間が進たない。

    嫌なこずばかり考えおしたう。

    もし。

    もし。

    もし。

    その蚀葉が頭の䞭を回り続ける。

    倜になった。

    担圓医が珟れる。

    衚情は重かった。

    悠人は立ち䞊がる。

    「先生」

    医垫は少し沈黙した。

    そしお蚀う。

    「状態は安定したした」

    悠人は息を吐く。

    だが。

    医垫の話は終わらなかった。

    「ただし」

    その䞀蚀で空気が倉わる。

    「心機胜はさらに䜎䞋しおいたす」

    「今埌は急倉のリスクが高い」

    「移怍を埅぀しかありたせん」

    悠人の顔から血の気が匕く。

    「どれくらいなんですか」

    医垫は目を䌏せた。

    「正盎に蚀えば」

    「半幎持぀かどうかです」

    半幎。

    短すぎた。

    沖瞄にも行けないかもしれない。

    誕生日も。

    クリスマスも。

    来幎も。

    党郚倱うかもしれない。

    悠人は初めお絶望した。

    深倜。

    矎咲は眠っおいた。

    機械音だけが静かに響く。

    悠人はガラス越しに芋぀める。

    小さく芋えた。

    あんなに元気に笑っおいたのに。

    今は酞玠チュヌブに繋がれおいる。

    胞が痛かった。

    どうしお。

    どうしお圌女なんだ。

    䜕も悪いこずしおないのに。

    どうしお。

    その垰り道。

    悠人はコンビニぞ寄った。

    目的もなく店内を歩く。

    気付けば文房具コヌナヌにいた。

    䞀冊のノヌトを手に取る。

    青い衚玙。

    海みたいな色だった。

    沖瞄の海を思い出した。

    行ったこずもないのに。

    二人で行くはずだった海。

    悠人はそのノヌトを買った。

    自宅。

    午前二時。

    眠れない。

    机に向かう。

    ノヌトを開く。

    ペンを持぀。

    䜕を曞けばいいのか分からない。

    しばらく癜玙を芋぀める。

    そしお。

    最初の䞀行を曞く。

    未来の矎咲ぞ

    文字が少し震えた。

    もう䞀床曞く。

    未来の矎咲ぞ

    今床は綺麗に曞けた。

    そしお続ける。

    今日から日蚘を曞く。
    君が読む日が来るか分からない。
    でも曞いおおきたい。
    忘れたくないから。
    君ず過ごした時間を。

    ペンが止たらない。

    今日、君が倒れた。
    本圓に怖かった。
    䜕もできない自分が悔しかった。
    神様。
    お願いです。
    君を連れおいかないでください。

    涙が玙に萜ちた。

    むンクが少し滲む。

    悠人は慌おお拭く。

    そしお最埌に曞いた。

    沖瞄ぞ行こう。
    玄束だから。
    絶察に。

    ノヌトを閉じる。

    静かな郚屋。

    時蚈だけが時を刻んでいる。

    その倜。

    悠人は知らなかった。

    自分自身の運呜も。

    静かに動き始めおいるこずを。

    数日埌。

    繰り返す激しい頭痛。

    病院で受ける怜査。

    そしお。

    人生を倉える蚺断結果が埅っおいるこずを。

    第九章 神様の答え
    八月。
    倏はただ終わらない。
    蝉の鳎き声が朝から響き、病院の窓から芋える空は盞倉わらず青かった。
    だが悠人の䞖界は、少しず぀色を倱い始めおいた。

    矎咲が倒れおから二週間。
    ICUを出るこずはできた。
    しかし状態は決しお良くなかった。
    病宀から出られる時間も枛った。
    少し話すだけで息が䞊がる。
    笑顔は芋せおくれる。
    けれど、その笑顔の奥にある苊しさを悠人は知っおいた。

    そしお。
    悠人自身にも異倉が起きおいた。

    最近、頭痛が続いおいた。
    最初は疲れだず思った。
    寝䞍足だろうず。
    ストレスだろうず。

    だが違った。

    鎮痛剀が効かない。

    芖界ががやける時がある。

    突然、匷い痛みに襲われる。

    さすがにおかしい。

    同僚にも勧められた。

    「神谷さん、䞀回蚺おもらった方がいいですよ」

    病院勀務なのに病院嫌い。
    そんな悠人も芳念した。

    怜査圓日。

    MRI。

    CT。

    造圱怜査。

    結果が出るたで数日。

    その間も矎咲の病宀ぞ通った。

    「たた来た」

    矎咲が笑う。

    「毎日来おる」

    「知っおる」

    「嫌」

    「嬉しい」

    照れながら答える。

    そんな䜕気ない䌚話が愛しかった。

    この時間がずっず続けばいい。

    心からそう思った。

    数日埌。

    担圓医から呌び出しがあった。

    蚺察宀。

    癜い壁。

    重たい空気。

    悠人は嫌な予感がしおいた。

    医垫は画像をモニタヌに映す。

    脳の血管。

    その䞀郚が膚らんでいた。

    「神谷さん」

    医垫は静かに蚀う。

    「脳動脈瘀です」

    蚀葉の意味は分かった。

    病院で働いおいる。

    知識くらいある。

    だからこそ。

    怖かった。

    「倧きさは」

    「六ミリ」

    医垫が答える。

    「堎所が良くありたせん」

    「砎裂の危険がありたす」

    沈黙。

    䞖界の音が消える。

    頭の䞭が真っ癜だった。

    「手術は」

    医垫は難しい顔をする。

    「可胜です」

    「ただしリスクがありたす」

    「経過芳察も遞択肢です」

    どちらにしおも危険。

    ぀たり。

    爆匟を抱えお生きるずいうこずだった。

    病院を出た埌。

    悠人は屋䞊ぞ向かった。

    誰もいない。

    颚だけが吹いおいる。

    空を芋䞊げる。

    青かった。

    悔しいほど。

    「なんでだよ  」

    初めお声が挏れた。

    「やっずなのに  」

    矎咲ず出䌚った。

    恋人になった。

    未来を考え始めた。

    沖瞄ぞ行く玄束もした。

    これからだった。

    本圓に。

    これからだったのに。

    涙が溢れる。

    止たらない。

    「俺だっお生きたい  」

    誰もいない屋䞊で。

    初めお泣いた。

    子どものように。

    声を殺しお。

    䜕床も。

    䜕床も。

    その頃。

    別の堎所で。

    矎咲の担圓医は驚いおいた。

    移怍コヌディネヌタヌず話しおいる。

    資料を芋ながら。

    「信じられないな  」

    医垫が呟く。

    「ここたで䞀臎するなんお」

    机の䞊にはデヌタ。

    適合怜査。

    偶然だった。

    病院内で行われた研究デヌタの確認。

    そこで刀明した。

    神谷悠人。

    藀厎矎咲。

    異垞なほど高い適合率。

    ほが奇跡に近い数字。

    移怍医療の䞖界でも滅倚にないレベルだった。

    だが。

    誰もその意味を口にしなかった。

    口にできなかった。

    数日埌。

    悠人は呌び出される。

    矎咲の担圓医だった。

    「少し話がありたす」

    䌚議宀。

    静かな郚屋。

    医垫は慎重に蚀葉を遞んでいた。

    そしお。

    䌝える。

    適合率の話を。

    悠人は黙っお聞いおいた。

    衚情は倉わらない。

    だが。

    胞の奥で䜕かが厩れ萜ちおいた。

    理解しおしたったから。

    その数字が意味するこずを。

    もし。

    本圓にもし。

    自分に䜕かあったら。

    矎咲は助かるかもしれない。

    その可胜性を。

    知っおしたった。

    倜。

    郚屋の机。

    青いノヌトを開く。

    未来の矎咲ぞ。

    新しいペヌゞ。

    悠人はゆっくり曞き始める。

    今日。
    神様は残酷だず思った。
    君を助けたい。
    でも俺も生きたい。
    沖瞄ぞ行きたい。
    結婚もしたい。
    子どもだっお欲しい。
    君ず歳を取っお。
    おじいちゃんずおばあちゃんになっお。
    くだらないこずで笑いたい。

    涙が萜ちる。

    それでも曞く。

    本圓は。
    死ぬのが怖い。

    ペンが止たる。

    震える。

    そしお最埌に。

    でも。
    もし神様がどちらか䞀人しか遞ばないなら。
    どうか君を遞んでください。

    悠人はノヌトを閉じた。

    窓の倖では倏の倜颚が吹いおいた。

    その颚はどこか冷たかった。

    そしお。

    悠人はただ知らない。

    この日曞いた蚀葉が。

    数か月埌。

    矎咲の人生を倉えるこずになるこずを。

    運呜は静かに動いおいた。

    残酷なほど静かに。

    第十章 最埌の嘘
    八月の終わり。
    空はただ倏だった。
    けれど二人の時間は、確実に終わりぞ近づいおいた。

    悠人は眠れない倜が増えおいた。
    脳動脈瘀。
    矎咲の病状悪化。
    移怍埅機。
    そしお自分だけが知る適合率の事実。

    考えない日はなかった。

    もし。

    その蚀葉が頭から離れない。

    もし自分が先に死んだら。

    もし本圓にその時が来たら。

    矎咲は助かるかもしれない。

    だが。

    その考えが浮かぶたびに。

    別の感情が叫ぶ。

    嫌だ。

    死にたくない。

    生きたい。

    矎咲ず䞀緒に。

    普通の人生を送りたい。

    それが本音だった。

    その倜。

    悠人はノヌトを開く。

    未来の矎咲ぞ。

    新しいペヌゞ。

    今日も君は笑っおいた。
    その笑顔を芋るだけで幞せだった。
    だから䜙蚈に怖い。
    倱いたくない。
    本圓は俺だっお生きたい。

    文字が滲む。

    君ず結婚したい。
    子どもの名前を考えたい。
    䞀緒に旅行したい。
    老埌に喧嘩したい。
    そんな普通の未来が欲しかった。

    ペンが止たる。

    そしお。

    ごめん。
    もし君がこのノヌトを読んでいるなら。
    俺は玄束を守れなかった。

    数日埌。

    悠人は臓噚提䟛意思登録曞に眲名した。

    病院の盞談宀。

    静かな郚屋。

    担圓者が説明する。

    「提䟛先を指定するこずはできたせん」

    悠人は頷く。

    分かっおいた。

    それでも眲名する。

    手が震えた。

    死ぬ芚悟じゃない。

    生きられないかもしれない珟実を認める芚悟だった。

    眲名を終えた埌。

    屋䞊ぞ向かう。

    倕焌け。

    颚。

    誰もいない空間。

    スマホを開く。

    埅ち受けは矎咲だった。

    アむスを持っお笑っおいる。

    金曜日の写真。

    悠人は泣いた。

    声を殺しお。

    子どもみたいに。

    「俺だっお生きたいよ  」

    誰に向けた蚀葉か分からない。

    神様か。

    運呜か。

    それずも自分自身か。

    そしお悠人は決めた。

    矎咲を自由にしようず。

    自分がいなくなった埌。

    少しでも前を向けるように。

    自分を嫌いになっおもいい。

    恚たれおもいい。

    それでも。

    生きおほしかった。

    九月最初の日曜日。

    病院の屋䞊。

    初めお玄束をした堎所。

    倕焌けに染たる空。

    矎咲は嬉しそうにやっお来た。

    「珍しいですね」

    「屋䞊に呌び出しなんお」

    笑顔だった。

    未来を信じおいる顔だった。

    それが苊しかった。

    悠人は拳を握る。

    爪が食い蟌む。

    痛みで心を支える。

    「矎咲」

    声が震えた。

    「ん」

    「別れよう」

    䞖界が止たった。

    颚の音だけが聞こえる。

    「  え」

    矎咲は笑った。

    冗談だず思った。

    だが。

    悠人は笑わない。

    「䜕蚀っおるの」

    「本気だ」

    「嫌だよ」

    即答だった。

    涙が浮かぶ。

    「なんで」

    「理由を蚀っお」

    悠人は目を逞らした。

    本圓の理由なんお蚀えない。

    だから。

    人生で䞀番ひどい嘘を぀いた。

    「奜きな人ができた」

    沈黙。

    矎咲の顔から血の気が匕く。

    「嘘  」

    「本圓だ」

    「嘘だよ」

    「本圓だ」

    䜕床も繰り返す。

    自分を傷぀けるように。

    圌女を傷぀けるように。

    「そんな顔で蚀わないでよ  」

    矎咲の声が震える。

    涙が止たらない。

    「最埌たで䞀緒にいおよ  」

    その蚀葉で。

    悠人の心は壊れそうになった。

    最埌たで。

    本圓はそうしたい。

    誰よりも。

    「お願いだから  」

    「私、怖いの  」

    「䞀人は嫌なの  」

    泣きながら瞋る。

    初めお芋た。

    こんな矎咲を。

    悠人は抱きしめたくなった。

    党郚話したくなった。

    嘘だっお。

    愛しおるっお。

    離れたくないっお。

    でも。

    蚀えなかった。

    「ごめん」

    それしか蚀えない。

    そしお背を向ける。

    「悠人」

    呌ぶ声。

    「行かないで」

    泣き叫ぶ声。

    それでも。

    振り返れなかった。

    振り返ったら終わる。

    離れられなくなる。

    階段ぞ向かう。

    芖界が涙で滲む。

    「愛しおる」

    誰にも聞こえない声で呟いた。

    矎咲には届かなかった。

    ただ倕焌けだけが芋おいた。

    その日。

    二人の恋は終わった。

    いや。

    終わったこずにした。

    そしお運呜は。

    残された時間を容赊なく削り始める。

    あず少しだった。

    玄束の日たで。

    別れの日たで。

    そしお。

    錓動が受け継がれる日たで。

    第十䞀章 錓動
    九月二十八日。
    空は高かった。
    倏の名残を残しながらも、どこか秋の匂いが混じっおいる。
    二人が別れおから䞉週間。
    悠人は䞀床も矎咲に䌚っおいなかった。

    いや。
    正確には䌚えなかった。

    䌚えば決意が揺らぐ。

    顔を芋れば抱きしめたくなる。

    声を聞けば党郚話しおしたう。

    だから避け続けた。

    それでも毎日考えおいた。

    今頃䜕をしおいるだろう。

    ちゃんず食べおいるだろうか。

    泣いおいないだろうか。

    そんなこずばかり。

    䞀方、矎咲は生きる気力を倱いかけおいた。

    病気より蟛かった。

    悠人がいないこずが。

    病宀の窓から空を芋䞊げる。

    携垯を開く。

    写真を芋る。

    消せない。

    消したくない。

    最埌のデヌト。

    金曜日のアむス。

    笑顔。

    党郚残っおいる。

    「なんで  」

    䜕床も呟く。

    答えはない。

    十月䞀日。

    午埌六時四十分。

    仕事垰りだった。

    悠人は䞀人で歩いおいた。

    頭が痛い。

    最近たた頻繁だった。

    嫌な予感がする。

    だが慣れおしたった。

    倧䞈倫だろう。

    そう思っおいた。

    その瞬間だった。

    激痛。

    䞖界が割れたような痛み。

    足が止たる。

    呌吞ができない。

    芖界が歪む。

    「っ  」

    スマホが萜ちる。

    アスファルトに転がる。

    画面が光る。

    埅ち受け。

    矎咲の笑顔。

    沖瞄旅行サむトのスクリヌンショット。

    二人で行く予定だった海。

    青い海。

    癜い砂浜。

    悠人は埮笑んだ。

    涙が流れる。

    「ごめん  」

    声にならない。

    「玄束  」

    苊しい。

    怖い。

    生きたい。

    ただ。

    もっず。

    矎咲ず䞀緒にいたい。

    でも。

    意識が遠のく。

    最埌に浮かんだのは。

    病院の䞭庭。

    初めお出䌚った日。

    癜いワンピヌス。

    笑顔。

    「ありがずう  」

    そこで䞖界は暗転した。

    病院。

    緊急搬送。

    脳動脈瘀砎裂。

    倧量出血。

    緊急手術。

    医垫たちは党力を尜くした。

    だが。

    奇跡は起きなかった。

    数時間埌。

    脳死刀定。

    静かな病宀。

    機械音だけが響いおいる。

    担圓医は深く目を閉じた。

    分かっおいた。

    圌の意思を。

    臓噚提䟛登録。

    正匏な同意。

    残されおいた。

    そしお。

    移怍チヌムが動き出す。

    運呜の歯車が回る。

    数日埌。

    矎咲の容䜓が急倉した。

    心機胜䜎䞋。

    緊急移怍が必芁。

    そしお。

    連絡が入る。

    適合ドナヌ発生。

    奇跡のような知らせ。

    医垫たちが動く。

    手術宀。

    準備。

    緊匵。

    祈り。

    矎咲は知らない。

    ただ。

    䜕も。

    手術盎前。

    担圓医が蚀う。

    「倧䞈倫です」

    「必ず戻っおきたす」

    矎咲は頷いた。

    怖かった。

    でも生きたかった。

    倢があった。

    沖瞄ぞ行きたい。

    支揎団䜓を䜜りたい。

    そしお。

    もう䞀床だけ。

    悠人に䌚いたかった。

    麻酔が入る。

    意識が薄れる。

    最埌に思った。

    䌚いたい。

    それだけだった。

    長い手術。

    十時間。

    十二時間。

    そしお。

    倜明け前。

    執刀医が静かに蚀う。

    「移怍成功です」

    誰もが息を吐く。

    救われた呜。

    繋がった未来。

    その時。

    ICUで眠る矎咲の胞の䞭で。

    新しい心臓が錓動を刻み始めおいた。

    ドクン。

    ドクン。

    ドクン。

    力匷く。

    優しく。

    懐かしいほどに。

    そしお。

    矎咲は知らない。

    その錓動が。

    誰よりも愛した人のものだずいうこずを。

    ただ知らない。

    だが。

    運呜は隠しきれない。

    真実は必ず蟿り着く。

    そしお数週間埌。

    䞀冊の青いノヌトが。

    圌女のもずぞ届けられる。

    衚玙にはこう曞かれおいた。

    未来の矎咲ぞ

    第十二章 枡せなかった手玙
    移怍手術から䞉か月。
    十二月。
    街はクリスマスの灯りに包たれおいた。
    病院の䞭庭にも小さなむルミネヌションが食られおいる。
    去幎たでなら気にも留めなかった景色。
    だが今幎は違った。

    矎咲は生きおいた。

    奇跡のように。

    胞の䞭で新しい心臓が力匷く錓動しおいる。

    呌吞も楜になった。

    歩けるようになった。

    空を芋䞊げる䜙裕もできた。

    本来なら幞せなはずだった。

    だが。

    心は空っぜだった。

    悠人がいない。

    どこにも。

    電話もない。

    連絡もない。

    謝眪もない。

    別れの理由も分からない。

    たるで最初から存圚しなかったみたいに。

    それが䜕より苊しかった。

    その日。

    退院埌の定期怜査を終えた垰りだった。

    担圓医に呌び止められる。

    「藀厎さん」

    医垫の衚情はい぀もず違った。

    少しだけ緊匵しおいる。

    「お枡ししたいものがありたす」

    机の匕き出しから取り出されたのは䞀冊のノヌト。

    青い衚玙。

    芋芚えがあった。

    沖瞄の海みたいな色。

    衚玙には文字。

    未来の矎咲ぞ

    矎咲の心臓が倧きく鳎った。

    なぜだろう。

    嫌な予感がした。

    「これ  」

    「神谷さんからです」

    時間が止たった。

    神谷。

    悠人。

    震える手でノヌトを受け取る。

    「悠人さんはどこにいるんですか」

    医垫は答えない。

    「䌚えるんですよね」

    沈黙。

    その沈黙だけで。

    党おを悟っおしたった。

    「嘘  」

    涙が溢れる。

    「嘘ですよね  」

    医垫も涙を堪えおいた。

    「神谷さんは  」

    その先は聞こえなかった。

    耳鳎り。

    頭の䞭が真っ癜になる。

    ただ䞀぀だけ理解した。

    もう䌚えない。

    二床ず。

    その倜。

    矎咲は䞀人だった。

    郚屋の明かりも付けない。

    静かな郚屋。

    膝の䞊には青いノヌト。

    開くのが怖かった。

    だが。

    開かなければ前ぞ進めない気がした。

    最初のペヌゞ。

    悠人の字。

    芋慣れた字。

    未来の矎咲ぞ
    君がこれを読んでいる未来が来たなら。
    たず最初に謝りたす。
    ごめん。

    涙が萜ちる。

    文字が滲む。

    ペヌゞをめくる。

    本圓は別れたくなかった。
    あの日屋䞊で蚀ったこずは党郚嘘です。
    奜きな人なんおいない。
    今も。
    最埌たで。
    君だけでした。

    矎咲は声を䞊げお泣いた。

    苊しかった。

    嬉しかった。

    悲しかった。

    党郚䞀緒だった。

    さらにペヌゞをめくる。

    本圓は結婚したかった。
    君ず沖瞄ぞ行きたかった。
    子どもの名前も考えた。
    男の子なら海斗。
    女の子なら結衣。
    䌌合うず思わない

    涙が止たらない。

    君が病気だず知っおから。
    毎日神様にお願いした。
    君を連れおいかないでくださいっお。

    ペヌゞの端には涙の跡。

    悠人も泣きながら曞いたのだろう。

    次のペヌゞ。

    そこには短い文章。

    本圓は死にたくなかった。

    その䞀文だけ。

    矎咲は厩れ萜ちた。

    初めお知った。

    悠人も怖かったこずを。

    匷かったわけじゃない。

    芚悟しおいたわけじゃない。

    生きたかった。

    自分ず同じように。

    未来が欲しかった。

    それでも。

    最埌たで自分を想っおくれた。

    ノヌトの最埌のペヌゞ。

    そこには封筒が貌り付けられおいた。

    【沖瞄に行く日たで開封犁止】

    矎咲は泣きながら笑った。

    「ずるいよ  」

    本圓に。

    最埌たで。

    悠人らしかった。

    その時だった。

    胞が鳎る。

    ドクン。

    ドクン。

    ドクン。

    力匷く。

    優しく。

    懐かしい錓動。

    矎咲は胞に手を圓おる。

    涙が止たらない。

    「聞こえおる」

    小さく呟く。

    「私、生きおるよ」

    「あなたのおかげで」

    窓の倖には冬の星空。

    返事はない。

    でも。

    なぜか枩かかった。

    そしおその倜。

    矎咲は決意する。

    泣くだけで終わらないず。

    この呜を。

    この錓動を。

    無駄にしないず。

    悠人が芋たかった未来を。

    自分が生きるず。

    そう決めた。

    数幎埌。

    その玄束を果たすために。

    矎咲は沖瞄ぞ向かう。

    青い海が埅぀堎所ぞ。

    玄束の続きをするために。

    第十䞉章 玄束の海
    五幎埌。
    沖瞄。

    飛行機の窓から芋えた海は、写真で芋おいた䜕倍も綺麗だった。

    青かった。

    どこたでも。

    悠人に芋せたかったず思うほど。

    矎咲は窓の倖を芋ながら静かに涙を拭いた。

    五幎。

    長かった。

    移怍手術。

    リハビリ。

    退院。

    そしお財団蚭立の準備。

    悠人ずの玄束を守るために走り続けた五幎間。

    苊しい日もあった。

    泣いた倜もあった。

    䜕床も立ち止たりそうになった。

    それでも。

    胞の錓動が止たるこずはなかった。

    そのたびに思い出す。

    生きる理由を。

    空枯を出る。

    枩かい颚が吹いた。

    朮の銙り。

    眩しい倪陜。

    悠人が芋たかった景色。

    二人で芋るはずだった景色。

    レンタカヌで海ぞ向かう。

    ナビの音声だけが静かに流れおいる。

    助手垭には青いノヌト。

    今でも持ち歩いおいた。

    宝物だった。

    目的地は叀宇利島。

    沖瞄本島北郚にある小さな島。

    ゚メラルドグリヌンの海で有名な堎所。

    矎咲が生前の悠人ず玄束しおいた堎所だった。

    「沖瞄行ったら海が綺麗なずころ行こう」

    あの日の玄束。

    橋を枡る。

    海の䞊を走る䞀本道。

    巊右に広がる青。

    あたりにも矎しくお。

    矎咲は車を止めた。

    海を芋぀める。

    涙がこがれた。

    「綺麗だね」

    返事はない。

    でも。

    どこかで聞いおくれおいる気がした。

    しばらくしお浜蟺ぞ向かう。

    波の音。

    癜い砂浜。

    青い空。

    たるで絵画のようだった。

    矎咲は靎を脱ぐ。

    砂の感觊。

    波が足元を濡らす。

    そしお。

    バッグから䞀枚の写真を取り出した。

    二人で撮った唯䞀の写真。

    金曜日のアむス。

    笑っおいる悠人。

    笑っおいる自分。

    写真を胞に抱く。

    「遅くなったね」

    涙が萜ちる。

    「玄束守りに来たよ」

    颚が吹く。

    優しく。

    たるで誰かが隣に立ったような颚だった。

    その時だった。

    ふず。

    思い出す。

    ノヌトの最埌の封筒。

    【沖瞄に行く日たで開封犁止】

    ただ開けおいなかった。

    今日たで。

    震える手で封を開く。

    䞭には䞀枚の手玙。

    悠人の字。

    矎咲ぞ
    この手玙を読んでいるずいうこずは。
    玄束を守っおくれたんだな。

    涙で文字が滲む。

    ありがずう。
    本圓は䞀緒に来たかった。

    矎咲は泣きながら笑う。

    今頃君は泣いおるず思う。
    だから先に蚀っおおく。
    泣きすぎ。

    思わず吹き出した。

    本圓に。

    最埌たで悠人だった。

    さらに読み進める。

    もし君がただ俺のこずを匕きずっおいるなら。
    それは今日で終わりにしおください。

    胞が締め付けられる。

    君には生きおほしい。
    恋もしおほしい。
    笑っおほしい。
    幞せになっおほしい。

    涙が止たらない。

    君が生きるこずが。
    俺が生きた蚌だから。

    矎咲は空を芋䞊げた。

    雲䞀぀ない青空。

    そしお最埌の䞀文。

    もしたた䌚えたら。
    今床こそ沖瞄を案内しおください。
    玄束だから。

    矎咲は手玙を胞に抱いた。

    「うん」

    「玄束」

    颚が吹く。

    胞の錓動が倧きく鳎る。

    ドクン。

    ドクン。

    ドクン。

    悠人が生きた蚌。

    そしお。

    自分が生きる理由。

    その時だった。

    遠くから子どもたちの笑い声が聞こえた。

    海蟺を走る子どもたち。

    笑顔。

    未来。

    矎咲はその光景を芋぀めながら思う。

    ただ終わっおいない。

    ここからだ。

    悠人の倢。

    自分の倢。

    同じ病気で苊しむ人を救うこず。

    この呜を繋げるこず。

    波の音が響く。

    青い海が広がる。

    そしお矎咲は前を向いた。

    初めお。

    本圓の意味で。

    悠人ずの別れを抱きしめながら。

    未来ぞ歩き出した。

    第十四章 YUITO HEART FOUNDATION
    䞉幎埌。
    春。
    桜が咲いおいた。

    矎咲はスヌツ姿で䌚堎の前に立っおいた。

    深呌吞する。

    少し緊匵しおいる。

    でも。

    逃げたいずは思わなかった。

    今日ずいう日を。

    ずっず倢芋おきたから。

    入口の看板。

    そこには倧きく曞かれおいる。

    YUITO HEART FOUNDATION

    悠人の名前を冠した患者支揎財団。

    同じ病気で苊しむ人ず家族を支えるための団䜓だった。

    移怍を埅぀人。

    難病ず闘う人。

    垌望を倱いかけた家族。

    そんな人たちの力になりたい。

    それが矎咲の倢だった。

    そしお。

    悠人ず亀わした玄束だった。

    䌚堎には倚くの人が集たっおいた。

    医垫。

    看護垫。

    患者。

    家族。

    支揎者。

    蚘者。

    みんなが新しい䞀歩を芋届けるために来おいた。

    叞䌚者が玹介する。

    「代衚理事、藀厎矎咲さんです」

    拍手。

    倧きな拍手。

    矎咲はゆっくり壇䞊ぞ向かった。

    マむクの前に立぀。

    䌚堎を芋枡す。

    少しだけ目が最む。

    数幎前。

    䜙呜半幎ず蚀われた自分。

    病宀で未来を諊めおいた自分。

    そんな自分が今ここに立っおいる。

    奇跡だった。

    いや。

    奇跡だけではない。

    䞀人の人が繋いでくれた未来だった。

    矎咲は話し始める。

    「私は五幎前、移怍を受けたした」

    静かな䌚堎。

    誰もが耳を傟ける。

    「生きられる保蚌はありたせんでした」

    「未来なんお想像できたせんでした」

    「それでも今、私はここにいたす」

    少し間を眮く。

    胞に手を圓おる。

    ドクン。

    ドクン。

    ドクン。

    力匷い錓動。

    毎日聞いおきた音。

    忘れたこずは䞀床もない。

    「私には倢がありたした」

    「同じ病気で苊しむ人を助けたい」

    「その倢を叶えるために今日ここぞ来たした」

    涙が浮かぶ。

    だが止めない。

    「そしおもう䞀぀」

    「この倢は私䞀人の倢ではありたせん」

    䌚堎が静たり返る。

    「ある人がいたから」

    「その人が未来を信じおくれたから」

    「私は今、生きおいたす」

    誰の名前も蚀わない。

    でも。

    胞の䞭にはずっずいる。

    最前列には空垭が䞀぀眮かれおいた。

    癜い花。

    そしお写真立お。

    悠人の笑顔。

    矎咲はそっず埮笑む。

    「ありがずう」

    小さく呟いた。

    拍手が起こる。

    倧きな拍手。

    枩かい拍手。

    その時。

    䌚堎埌方に座っおいた䞀人の少幎が手を挙げた。

    小孊生くらいだった。

    胞には手術跡。

    移怍経隓者だった。

    「僕も倧人になったら人を助けたいです」

    䌚堎が優しい空気に包たれる。

    矎咲は笑った。

    心から。

    「きっずなれるよ」

    その瞬間。

    胞の錓動が少しだけ匷く鳎った気がした。

    ドクン。

    たるで。

    「倧䞈倫だ」

    そう蚀っおくれおいるように。

    窓の倖では桜が舞っおいた。

    春の颚が吹く。

    新しい呜。

    新しい未来。

    悠人はもういない。

    でも。

    圌が残したものは消えおいなかった。

    愛は終わらなかった。

    呜ず共に。

    未来ぞ繋がっおいた。

    矎咲は空を芋䞊げる。

    青かった。

    あの日の沖瞄の海のように。

    どこたでも。

    どこたでも。

    そしお胞の錓動にそっず語りかける。

    「玄束、守れたよ」

    返事はない。

    でも。

    その錓動は今日も力匷く鳎り続けおいた。

    終章
    愛するずは、
    その人の未来を願うこず。
    たずえ自分がいなくなった埌でも。
    悠人が残した錓動は、
    䞀人の女性を救い、
    その女性は倚くの呜を救った。
    愛は消えない。
    誰かの明日になっお、生き続ける。

    ― 完 ―

    #創䜜倧賞2026 #恋愛小説郚門

     
     

    kimi

     
    Â